エメンタールの惨劇 中編
一家がエメンタール邸に揃ったのは実に3ヶ月ぶりの事だった。
勿論娘達は居ない。
今日はこれからのエメンタールについて重要な話があるとの呼び出しだった。
既に部屋にはカイン以外の面子は揃っている。
ここのところのエメンタール家の評判は良いものは無く、社交から爪弾きで外されたように静かなものだった。
出仕しているフレットもつい先日まで辺境領への討伐遠征に借り出されつい2、3日前に帝都に戻ってきたタイミングだった。
カインも子が誕生して妻の実家に行ったきりでエメンタール邸に殆ど帰ってはいない。
アレクは家庭教師の依頼が途切れ演出や作曲の仕事を細々と邸で続けている。
そして取り憑かれたように依頼されたわけでは無い脚本を書き上げている。
夫人に社交のお誘いは無く、茶会やサロンを開く事もなく日々を過ごしていた。
孫に会いに行く事は向こうの家から、今暫くはご遠慮願いたいと申し出をされて悔しくも従っていた。
マスキーだけは朝から晩まで屋敷に帰る事も無く忙しくしていたが、屋敷の中の雰囲気は暗く重いものだった。
そんな面子が揃ったところで、その場を支配するのは沈黙で、話題の矛先など無い。
重く扉がノックされる。
家令はカインと第三皇子の来訪を告げる。
今日のこの場に第三皇子は呼ばれてはいないはずだが、マスキーは彼が皇室からの見届け人なのだと納得して通すように伝えた。
役者は揃った。
マスキーは声をかける。
先ずは皇室からの来訪者で今回の騒動の被害者でもある皇子に頭を下げる。
「帝国を守護する大きな星、アーサー殿下にご挨拶申し上げます。
この度はご足労頂き有難う御座います。
本日は皇家からの立ち合い人ということでよろしいでしょうか?」
アーサーは頷く。
「父から…皇帝陛下からも此度の事を見届けよと賜っている。どのような判断であっても見届けよう。
あと、先日の打診の件は良い返事を頂けて嬉しく思う。長い時がかかるかと思うがよろしく頼む。
それにカイン殿からも願い出られていましたからね」
そう言ってアーサーはカインを見る。
カインはありがとう御座いますと黙礼で返した。
「ありがとうございます。殿下が立ち合いならば心強い。
あの件はスピカも…きっとご当代様も望まれるでしょう…
しかし、カインが殿下に何を願い出たのでしょうか?」
アーサーはポケットから一つ包みを取り出して家族が囲むテーブルへと置いた。
「カイン殿からはこちらを貸して欲しいと請われていました。
私にはもう不要なもの…
先日御息女の刑は執行された。
こちらは形見の品であるのでお返しにきた次第です」
かかっていた布が解かれると薄青の聖石が姿を現す。
よく見れば少し歪みが見え、粗の目立つそれはステラが婚約の証にとアーサーへ贈ったものだった。
刑が執行された…
その知らせが何のことも無いかのように告げられ、一同は言葉の軽さに意味を理解するのにしばしかかった。
それは確かに家族の訃報だったのに何処か遠い事のように感じられる。
しかしながらそれが事実で、1人の娘との永遠の別れなのだとこの場の数名は哀悼の意を心の内に抱いた。
「お前はなぜこれの貸し出しなど願った?」
そんな重い空気の中、マスキーは顔を歪めてカインへと向き直る。
「先日お話ししていた件をここで証明したくお願いしていました。
私が新たな道へと歩み出す為のきっかけとなると思ってお願いしていたのです」
そう言って置かれたステラの聖石の隣に1枚の厚みのあるカードを置いた。
「私はこの証明が終わればエメンタールの籍を抜けます。今後は妻の家に入り家督の相続権は放棄します」
「カイン⁈」
夫人は目を見開いてカインを凝視する。
嫡男として、跡取りとして育てた息子が発した言葉が信じられないのだ。
「母上、ご安心ください。エメンタールの籍を離れるのは私だけです。息子はエメンタールの家督相続権を失う訳ではありません。
私の息子が相続権を備えたままで私が彼女の家へと入ることが義父様からの条件なのですよ…
ただ、名前が変わるのみです。
父上も了承下さいました」
カインは諭すように母に語りかけた。
カインは妻と妹への非道を悔い、せめて妻子だけは失うまい、何を為せば側に今一度居てもらえるのかと考えていた。
そのために妻やその実家の人々と話を重ねた。
己の罪は無くならない。妻子やその家族すら傷付けていた事実に打ちひしがれつつもやり直すチャンスとして与えられた条件だった。
『本当に娘を愛するのならば其方の家を捨て娘の婿になれますか?
大領地の後継という立場を捨ててまで娘と添い遂げたいと思いますか?
孫にまでその責任を負わせる事なく貴方は…
そんな事出来ないでしょうに…』
メリュジェーヌの父はそんな事お前には無理だろ?と言ったつもりだった。
愛娘を傷つけて、更には自分の築き上げてきた家族まで蔑ろにされた心地の侯爵はとても怒りに満ちていた。
更には娘が恩人とまで慕ったスピカに対するエメンタール家の人々の仕打ちは看過出来なかった。
このままでは娘は同じような道を辿ると危惧する親の気持ちはただただ幸せを願う物。
流石のカインもこのままでは本当の意味で許しを得られないのだと悟った。
己が行動で己が罪を贖わなければどんなに言葉を尽くしたところで信じては貰えない現実に打ちのめされた。
本当に守るべきものの側にあるためにカインは大領地の後継という自分が持つ一番大きな肩書きと未来、そして生来の家族との訣別を決めたのだ。
しかしこれはカインの罪。何も知らず生まれたばかりの息子にまでその業を背負わせる訳にはいかないと、息子が選択出来る未来を残したまま籍を離れる許しをカインは父に請うていた。
マスキーにも息子の判断と決意は伝わった。息子の判断を尊重し孫の権利を取り上げることはしないと約束した。
しかし決めるのは生まれたばかりの子供だ。
将来、偉大なる叔母の眠るエメンタールの地を継ぎたいと願うのか、こんなろくでなしばかりの地の縁から離れたいと願うのかは今後次第だろう。
そんな内幕を知る由もない一同は突然のカインの宣言に驚いて言葉を失う。
今まで大領地の次期当主として生きてきたカインがその道を捨て去るなどどうして思えようか…
しかしながら本人は納得しているし、現当主も許可を出しているのだ。
では誰が次期当主となるというのか…
そこで皆は思い至る。今日はその為の呼び出しなのだと…
故に静かに当主が口を開くのを待つ。
「カインが先に言った通り、カインはメリュジェーヌの家に入る。それ以降はエメンタール家から除籍とし相続権の放棄並びに干渉権の剥奪を行うものとする。
そしてカインの言った通りカインの息子アルバは特例としてエメンタールの相続権を与える。場合によっては次期当主との縁組によって将来のエメンタールを支えてもらうことになるかもしれぬが今はまだわからぬ未来の話だ」
マスキーは今一度皆を見やる。
「そして、この話が出たので今日の本題を語るとしよう。
今日の本題は私の当主引退と次期当主についての周知である。
私は此度の騒動の全責任を取る形で引退し、以降はエメンタール領で贖罪の日を送ろうと思っている」
カインは先に話を聞かされていたのだろう。平然としているが、他の2人の兄弟は目を丸くして驚いている。しかしそれと同時に致し方ないとも思っている…
しかし今まで次期当主として教育されてきた兄が抜けるとなれば次は兄弟のうちどちらが候補となるのかとお互いの顔を見合わせる。
アレクは貴族籍を抜ける事を前提とした教育だったし、フレットは騎士として身を立てる事を明言しており家の教育など受けていない。
最も家の事、領地経営についての知識が深いのは長兄カインでその次はスピカだっただろう。
故にどちらが選ばれても苦難が待ち受ける事は必須だとお互いがお互いに思った。
困惑する2人の息子にマスキーは首を振った。
「安心しなさい。お前達2人にこの席を託す事は無い。
私と同じように悪意に踊らされ、身内を傷つけ失意のうちに追いやった私達家族にその資格など有りはせん」
アレクは心底ホッとし、フレットは若干の残念さを顔に滲ませる。
「では次期当主には誰が就かれるのでしょうか?」
アレクが父に問う。
「ジャコモを指名する。既に承諾と帰還の準備を進めているとの連絡は受けているよ」
ジャコモとはマスキーのすぐ下の弟である。
有能で優秀な弟は国内にいれば後継である兄の苦悩の種となる。
要らぬ争いの火種となる事を避ける為に、そして己の力を国への貢献とする為にと外交官として国外に出ていた人物である。
現在は隣国へ大使として赴任中ではあったが、生家一族の大事である事から呼び戻しが決まったのである。
彼は元々マスキーのスペアとして一連の後継者教育も施されており、実務能力も国が惜しむ程有能であり実情で彼以上の適任者はエメンタール一族の中でマスキーには思い当たらなかった。
妻子が居ない事が難点だが、一族にはまだ若い種がいる。
ペイストリーの所のルークやカインの息子のアルバがいる。見込みや才能のある者をこれから育て上げれば良い。マスキーはそう語った。
「旦那様、私はどうなるのです? このまま帝都から離れなければならないのですか?」
唐突に夫人はマスキーに震える声で問うた。
マスキーは優しく夫人の手を取り憐憫の滲む視線を向ける。
「ジャコモに引継ぎが終わり次第、私はエメンタールへ行くよ。
君は私と共に来てくれると嬉しい。しかし無理強いはしない。だが帝都に居る事が君にとって良い事とは思えないのだよ。
勿論実家に帰るのも、出家するのも自由だがこの屋敷からは離れなければならない。私は残された時間は己の罪と向き合いたい。君が隣に居てくれるのならばどれほど心強い事かと思うが…」
夫人はメソメソと涙を見せる。思い出が詰まった屋敷なのだ。
生家以上に長い時間を過ごした屋敷なのだ。
離れ難い思いが強いのもわかる。ここだけが今は夫人を守るシェルターのような物なのだろう。そこから離れなければならない不安は夫人にしか分かるまい。
泣き崩れる夫人を宥めつつマスキーは続ける。
「ジャコモが来ても暫くの猶予がある。そのうちに皆身の振り方を考えなさい。私の引退と同時にアレク、フレット、お前達の家督相続権の優先順位はほぼ無いに等しいものとなる。それも念頭においてな…」
残された限りある時間で身の振り方を考えろと言われた2人は此処が自分達の帰るべき場所でなくなるのだと改めて考え始める。
「父さんの方針は理解した。兄さんが家を離れるのも分かった。だけど兄さんは一体何を証明したいんだ?」
ふと疑問に思ったのだろう。フレットは問いかける。
「あぁ、私は本当にステラが私達の妹でなかったのか、逆に本当にスピカが私達の妹だったのかを確認したかったんだ。
それが出来なければ前に進めない気がしてね」
そう言って先程テーブルに置いた厚みのあるカードを今一度手に取る。
「これは聖力を使って血縁関係の証明をする魔道具なんだ。
中央の窪みに聖石を置くか直接聖力を流すと登録された聖力と照合して親子関係が証明されるんだ。
今は私とメリュジェーヌの聖力が登録されている」
そう語るとカードの窪みにステラの聖石を載せる。
カードは何の挙動も見せない。
「何も起きないじゃないか!」
フレットは苛立ちを隠さずに発言する
「これはまだ試作品でね、今はまだ一親等までの特定しか出来ないんだよ。だからこれで問題ない。
父上、母上、協力をお願い出来ますか?」
そう言ってカインはカードの左右の上端に指を当てて聖力を流すように両親に願い出た。
両親は少しばかり戸惑いながらもそれに応じた。
フレットだけは「そんなの必要ないだろ⁈」と食ってかかるが、第三皇子に「気の済むようにやらせてやれ。それで進めるなら良いではないか」と制される。
そしてマスキーとビオレの聖力が登録されたカードに今一度ステラの聖石は載せられた。
何も起きない。
「これで何が分かったの? 何も起きないけれど…」
正解がわからない面々を代表するかのように夫人が問う。
「これで分かったのは、ステラと父上、母上の血縁関係が無い事が証明されたんだ…
つまり、やはり、ステラは赤の他人だったんだよ…」
「そんな板でなにがわかるってんだよ! 何も起きない失敗作じゃねーのかよ」
フレットは長兄が何をするのか怖がっている様子だった。
カインは魔道具の上の聖石を外すと自分の指をそっと押し当てた。
魔道具は一瞬の発光の後に窪みから伸びる溝を伝い左右の上端の近くに嵌められた宝石がキラキラと光を灯した。
「左右の宝石が光ればそれは両親と親子である可能性が限りなく高い事を示す。
今のようにね…
仮に腹違いや種違いの場合でも片方に光が灯る。
でもステラは何も起きなかった。それは血縁関係が無いに等しいからだ。
私はもう1人知りたい人がいるんだ…」
そう言ってカインは自分の胸ポケットから一つの聖石を取り出した。
それは青に白い雲が湧き、曇りガラスの様な質感を感じる石だった。
そう、スピカの聖石だった。
その石を見たフレットはギョッと目を丸くする。
「カイン兄、止めろよ…止めてくれよ!頼むから!」
フレットが怖がっているのはこの証明なのだと皆気付く。きっとスピカが本当の妹だと証明されたく無いのだと…証明された事で目を背ける事が出来なくなるのが怖いのだと己を重ねる。
皆怖い思いは同じである。だから大丈夫だと、共に背負う覚悟でマスキーはフレットの肩を押さえ付けた。
「やってみなさい。それでお前が前に進めるのならば」
カインは父の言葉に頷き、今にも泣き出しそうな末の弟を横目に、魔道具へと石を置いた。
刹那、先程と同じ様に魔道具は輝き、左右の宝石に光を灯した。
やはりスピカは本物の自分達の娘だったのだと両親は目を覆った。
カインは憑き物が落ちた様に魔道具の放つ光を見ている。
アレクは唇を噛み締め、ぎゅっと瞳を閉じて痛い思いでもしているかのように拳を握った。
第三皇子は憂いを帯びた目で魔道具の上の聖石を見つめている。
皆がそれぞれの心の内と戦う中、フレットだけが静かに立ち上がり傍に置いていた剣の柄を握りこむ。
そして一言「お前のせいだ!!!」
そう言って抜刀し切りかかる。
室内には赤い花が咲いた。




