エメンタールの惨劇 前編
ーフレットー
建国祭が終わった夜、1人の男が皇城の敷地内にある宿舎で悪態をついていた。
建国祭では妹に恥をかかされた。
「クソッ…」
何故あんなにも可愛がっていた妹に馬鹿にされなければいけなかったのかと、今になっても腑が煮え繰り返る思いだった。
スピカが白いドレス姿だったのも苛立つ原因だった。
何故自分達の式の時まで待っていてくれないのかとおかしな方向で苛立っているが、本人は気づいていない。それがおかしい事なのだと理解が出来ていない。
こんな時にはもう1人の妹と話をすれば落ち着く事を思い出し、フレットは翌朝ステラが通されている皇城の離れに向かった。
しかしながらステラとの面会は出来なかった。
昨晩の疲れのためか熱を出しているので会えないと言われてしまえば踵を返す他ない。
そのまま毎日何かと理由をつけて面会は断られた。
建国祭翌日より続く頭痛で正直キツくはあった。そんな中での日参を断られる事にも腹が立ったが、病というなら致し方ない。
家からはスピカが家出したとの連絡が来ていたので、自分の所に助けを求めてくるかも知れないと思い皇城から離れずに居ると言うのに、スピカは会いに来てはくれない。ステラとも会えていない。
しばらくそんなモヤモヤとする日々をフレットは送った。
噂でエメンタール領の代替わりした当代様がすごい力を持っていると聞こえ始めていた。
容姿も美しく、慈愛の心に満ちた高潔な天使の様な人と、吟遊詩人には歌われているらしい。
そんなスピカみたいな人がいるのかとぼんやりとその時は噂を聞き流していた。
しかし、噂の通り偉大な人柱だったみたいで、少ししてから軍務の全体集会にて結界の国境線までの拡張が知らされた。
凄いことを成し遂げるやつもいるもんだなぁと思っていた。
スピカも意地を張らずに家に帰ってくれば良いのに…
家からの呼び出しがあったのは建国祭から3週間ほど過ぎての事だった。
そこで知らされたのはスピカがご当代として神籍に昇ったこと。
スピカが本当の妹でステラは本当の妹では無かったこと。
ステラが皇室に対する反逆行為を行い現在は刑の執行待ちであること。
ステラが俺達家族を変な力で同調させていたこと。
兄への魔眼の提供者がスピカであること。
俺は何が何だか分からない。口を挟む事を制されて只々情報を丸呑みにしろと諭される。
特にステラの力は俺たち以外には緘口令まで敷かれているらしい。抗い難い神の力だとか何だとか…なんだそれ? そんな力に俺が屈するはずもない。
抗い難いとはいえ抗う術はあるのだろ?
最後にとスピカの手紙が俺とアレク兄に見せられる。
父さんも母さんもカイン兄も既に目を通していると言う事だろう。
そして俺の前には木箱が差し出された。
開ければ聖石が編み込まれた房飾りがある。
スピカが俺の為に残してくれた物だ…
父やカイン兄の様に立場に対してでもなく、母さんのように間接的に作らせなければならない物でもなく、アレク兄のように致し方なく譲られる物でもなく…俺の為だけにスピカが、手ずから作ってくれた物だと心は薄暗く高揚する。
それと同時にスピカがここに居ない事実や実の妹なのだという事実に目を背けたくなる…いや俺はそんな事は認めない…
それに俺がスピカを虐げていた? ふざけるな。俺ほど彼女を思って接してきた奴は居ないじゃないか!
その証拠にスピカは聖石を俺にだけ託してくれた。
他の誰にでもなく俺にだけ!
それに仮に俺がスピカを虐げていたとしてもそれは全部ステラが変な力を行使したせいじゃないか? それなら俺は益々悪くないじゃないか。
悪いのは本当の家族に潜り込んで成りすましてスピカを追い出そうとしたあの女なんだから。
父さんはスピカもステラも家族だとか、自分の行いを改めて見つめ直して反省しろみたいな事を言っているが、何綺麗事を言っているのやら…
スピカを苦しめていた諸悪の根源のくせにと、俺は鼻で笑ってやった。
どのみち当代の話が本当ならば、暫くスピカは帰ってこれない…
スピカは聖力が多いから長い眠りになるだろう…
10年先かはたまたその先か…
俺くらいは彼女の味方で居続けてやらなければならないと、思わず拳に力が入る。
しかし本当に両親はなんて事をしてくれたんだ。
ステラなんて厄介者を引き入れてスピカを失うなんて失態の責任を俺たちにまで押し付けるなんてな…
そのまま親父はエメンタールへと全員で行くと告げた。
スピカと会って謝罪し、改めて送り出してあげようと言ったのだ。
俺は複雑な気持ちのまま馬車を待った。
手持ち無沙汰のまま裏庭を歩いていれば見慣れない下働きの少女が目についた。
特に特徴などない子供だったがその子供の胸元に見覚えのある物を見つけたのだ。
「おい!そこのお前!止まれ!」
俺は駆け寄り少女の肩口を乱暴に掴んだ。
「痛ぃっ…」少女はそのままバランスを崩して尻餅をついたが構わず俺は首元にかかるそれを取り上げる。
取り上げたそれはやはり見覚えのある意匠で、この世に2つと無いはずのスピカのお気に入りだ。
「おい! このコソ泥! これを何処で手に入れた! 何処で盗んだ⁈」
少女は大人の男に倒された事にも急な言い掛かりにも驚いた様子で涙目だった。しかし毅然とフレットを睨み返し反論をした。
「盗んでなんかない! それは、あたいが対価に貰った物だ。優しいお嬢様から頂いた褒賞なんだ‼︎ だから返せ!」
「嘘を吐くな小娘! これはお前みたいなチンチクリンが持ってて良い品物じゃ無い!」
「嘘なもんか! ちゃんとあたいのだってお嬢様は証明する手紙をくれたもん! 建国祭の夜にお嬢様があたいにってくれたもん! お前こそ泥棒だ!」
そう言って少女はフレットをポカポカと殴りつける。早く返せと足も思い切り踏みつけられる。
鉄板入りの軍靴に効果は無かったが、こんな躾のなっていない子供とスピカの接点など思いつかず、フレットは益々疑念を深めた。
そんな騒ぎを聞きつけて厨の扉が開き、ヤーヤが出てきた。
「何の騒ぎだい? 芋洗いが済んだら次があるって言っといただろ、ルカ…って、坊ちゃん、こんな所でどうされたんですかい?」
フレットは少女を摘み上げ「コソ泥を捕まえたら反撃された」と答えた。
ヤーヤはフレットとルカを交互に見やり、納得がいったのかため息を吐く。
「坊ちゃんの勘違いですよ。その首飾りは正真正銘スピカ様が、この子に譲ったものです。
ルカ、あんたも嬉しいからって見えるように付けちゃダメだとあれほど言っといただろ?」
フレットは納得こそしていないがルカを降ろす。
ルカも不貞腐れてしょんぼりとしているがフレットを睨むことはやめない。
「こいつが、お嬢様を傷つけた家族もどきかよ…もっと殴っとけば良かった!」
そう言ってネックレスをフレットからひったくると脱兎のように逃げてしまった。
「あの子はスピカ様がエメンタールへと旅立つ直前に救われた子なんです。だからスピカ様に対して思いが強いのでしょう…私から良く言って聞かせますからどうか不問にしてやっては下さいませんかね?」
まだ疑問は疑問のままで不満もあるが長年支えてくれている使用人の顔を立ててこの場をフレットは不問にした。
故に気付かない。ヤーヤがエメンタールへスピカが旅立ったと知っている事に…
自分ですらつい先ほど聞かされた情報なのに、使用人が知っていた事にフレットは気付かなかった。
頭の中では先程言われた「家族もどき」の単語がぐるぐるととぐろを巻くかのように巡ってくる。
あんな小娘に何がわかる…
不満の残る中、玄関先までゆけば馬車が丁度ついた所だった。
その足でエメンタール家一行はエメンタール領まで飛んだ。
一日の転移限界ギリギリの人数での転移だったのでギルドでは少し時間がかかった。
教会には話がついていたらしく直ぐに聖域への転移の間まで通された。俺はここに来るのは初めてだった。目隠しだのお祈りだのでまどろっこしいが、仕来りだと言われ我慢する。
教会にこんな場所があるなんて知りもしなかった。
こんな何もない場所でスピカが眠っているはずもない。もし眠っているのならそのまま叩き起こしてでも連れて帰れば全て元通りだ。
そんな考えが良く無かったのか俺は家族の中で唯一聖域へは招かれなかった。
光の収まった室内には俺だけが取り残された…
そんな筈はない。スピカがもしも当代ならば俺のことを拒絶するはずも無い。
やはりスピカが当代などとは嘘偽りなのだ!
俺はそんな思いで他の家族の帰りを待った。
戻ってきた家族は「ご当代様はスピカだった。ご立派に務めを果たされているよ」と偽りを語った。
俺は認めない。俺は信じない。俺のスピカが俺を拒絶するはずも無い!
愚かな男は自分の矛盾にも気付くこと無く大切な者の居ない日常へと戻って行く。
そんな気持ちのままでは中々仕事に身が入らない…
俺は叱責され、少し頭を冷やしてこいと辺境への聖騎士編成討伐隊へと飛ばされた。
総指揮官はスピカの元婚約者候補で、ついこの間の建国祭で忌々しいステラと婚約した第三皇子。俺はその護衛役だ。
あの女の処刑が決まっている以上、こいつの立場って何なんだろうな等と考える程度だった。
あいつが胸元に隠すように身に付けている聖石を見るまでは…
何であいつがスピカの聖石を持っているんだ⁈
確かに婚約者候補だったが、たかが婚約者候補に渡すような大きさの聖石ではなかった…
自分の剣の柄頭に付けられた房飾りを思わず握り込む。握った飾りの何倍もの聖石を…何倍もの想いを奴にスピカは贈ったと言うのか…
俺の心は暗い嫉妬の炎で燃やされるようだった。
俺は家族もどきなんかじゃない…
本物の、本当の家族に…俺達はなるんだ…
ービオレー
エメンタール伯爵夫人は準男爵の告白の後から無気力に過ごしていた。
自分は一体何の罪を犯したというのか…
スピカが本物だった…
とても可愛がって育てた。
何処に出しても恥ずかしくない完璧な淑女に育て上げた。
本当の娘では無かったけれどステラにも愛を注いだ。
まさか自分がステラの考えに侵されているとも知らずに…
それでも与えた愛は本物だったと思う…思いたい…
それに私はスピカを虐げているなどとは微塵も思っていなかった…
神送の宴だってここ数年…いえ、数十年と行われる事の稀な伝統でしたもの、直ぐに思い出せなかった私に非があるはず無いのです…
私が忘れてしまったり抜けていた事柄についての助言は家令なり侍女長なりがフォローしてくれるものですもの…忘れてしまっていた私は悪くない…
私は被害者ですのよ? なのに何故誰も助けてくれないの?
旦那様ですら「自分の行いを振り返り反省をする時だ。共に懺悔し、贖罪の日を送ろう」などと言うのです…
私は純然たる被害者なのに…労わることもしてくださらない…
私の嘆きの日々はまた再び始まりを迎えたのです…
あぁ、私の輝かしい家族との日々よ…どうか戻ってきて…
でももしも、このまま…スピカが乙女として眠り続け、予定通りにステラが処罰されて病死と発表されれば、私は哀れな母親として見てもらえるかも知れない…
社会的には私は許してもらえるかも知れない…
2人の娘と思った子を犠牲にして…
ですが現実は残酷です…
私に現実を見よと仰せなのです…
旦那様は家族には事実を伝えなければならない。スピカに今一度謝りに行こうと言い出したのです。
そんな事をしたら益々私は責め立てられるではないですか…
だってあの子を…ステラを迎え入れると言ったのは私なのだから…
ステラの潜在聖力の色と私に似ている瞳の色だけであの子を本物と断言したのは私なのだから…
もしも今一度あの時に戻れたらと何度も夢を見ながら息子達に話すと、息子達は私を思いの外、責め立てなかった。
心の内では分かりませんが責められなかった事に安堵すると同時に、責められなかった事に後悔をするのです…
人の心はままならないものです…
そんな現実と夢の狭間にいる心地でエメンタールまで行きました。
何故かフレットだけは結界に阻まれ、聖域に入る事が叶いませんでした。大方あの子の事です。
スピカを起こして連れ帰ろうとでも思ったのでしょう。
可哀想ですが今一度心根を改めねばスピカの前には行けないでしょうね…。
私はここに来れたのです。聖域に招かれたのです。
これはスピカからの許しなのではないでしょうか?
元々スピカは結界の乙女に心を砕いておりましたもの。
きっと時がくればお役目に向かっていったに違いないのです。
家族とのすれ違いこそあれ、きっと変わらなかったはずですわ…
だから……どうして…そんな姿で…私の前に…横たわっている…そんな姿で…あぁ…どうして…何故…
目の前の女性は美しかった…
隠された目元も、引き結ばれた唇も、握り込まれた両手ですら美しかった…
纏うドレスも纏う空気も何もかもが美しかった…
ここに追いやったのが自分だと思えば思うほどに、自分が汚くて悍ましい物に思える…
それほどまでに彼女は清廉だった…
己が娘なのだと思えぬ程にそれは神秘を纏っている。
贖罪など、どの口で言えようか…
上辺の謝罪も言えぬ程に涙だけが溢れて小さくないシミを石畳へと作る。
ビオレ夫人の心はゆっくりと砕けていった。
ーアレクー
僕は毎晩の悪夢を一枚の絵物語のように見つめる日々を過ごしていた。
やはり朝になれば朧げで、ともすればこぼれ落ちてしまいそうなその夢を何故か必死に手繰っていた。
やっと取れた包帯の先で、色彩豊かに世界を見られる幸せを僕は毎日噛み締める。この世界を見せてくれるこの目に感謝をする。
幸せの反面、屋敷の中は重苦しい雰囲気が立ち込めている。
建国祭から10日程経っている。スピカもステラもまだ帰ってきていない。
両親は何か知っているようだが、まだ僕らには話せないのだろうか…
そんな思いのまま僕は屋敷の中を歩く。
今まで見ていたようで見えていなかった景色と言うのは、言葉では言い表せないような感動がある。
香りだけで花と思っていたそれも、こんな姿形でこんな色だったのかと見えるだけで不思議と顔が綻ぶ。
今日は何時も彫刻を触りに来ていたギャラリーへと足を向けた。
歴代の当主や家族の肖像画も飾られていたが僕は今までスルーしていた。
幼い頃は四方八方から視線を感じて恐ろしかった部屋も今ではその色彩と精巧さを見る事ができる喜びに溢れている。
しばらく鑑賞しながら足を進めていれば幼い頃の僕らの肖像画が見えた。まだ3歳くらいのスピカを中心に両親と兄弟が囲む微笑ましくあたたかい絵画だ。
とでも懐かしい。
でも最近どこかで見た気もする…
スピカ…何処にいってしまったんだい?
心の中で問うが誰も答えてはくれない。
当たり前だ…
そのまま僕は奥へと足を進める。
数枚の絵を挟んでつい最近描かれた絵の前で僕の足は再び止まる。
ぼんやりと覚えのある薄い金の髪と紫の瞳の微笑む女性を中心に両親と僕と兄夫婦、弟が囲む…スピカの姿は描かれていない…
目の奥がズキリと痛む…
痛みは一瞬で治った。
目がよく見えるようになってから多分これが初めての兄の奥さんとステラの顔を見た瞬間だろう。
兄の奥さんは昔からサロンで交流があったが、こんなにも物悲しい顔をする人だっただろうか…
そしてステラ…
この顔を見ていると初めてまともに見ていると言うのに胸が締め付けられるような心地がする。
無邪気に笑うこの顔を見ているだけだと言うのに…
恋とかでは無くて、憤りや疑念といった感情に近い。
そう…夢を見た後のような切ない気持ちに叫びたくなるのだ…
ステラも建国祭以降、家に帰ってきていない。
あの子も悲しい子だ。劇の取材で話を聞けば聞くほどに愛に飢えた子だと思えた。
皇子はスピカに心底惚れていた…勅命とはいえ上手くやっていけるだろうか…
あの子の愛への渇望は深い。その分、愛のためなら非道に走るのでは無いかと危惧してもいる。それ程あの子の心は危うい…
それ以上僕は絵を見る事が辛く感じて、その日は部屋へと戻った。
毎日を何かを見ては心動かされ、何かを見ては切なくなる、そんな日々。僕は嬉しくも少し疲れる日々を過ごしていた。
妹2人を除く家族が招集されたのは建国祭から3週間ほど経ってのことだった。
父はとても憔悴し、疲れ切っているようだ。
母も心ここに在らずといった様子で伏し目がちに床を眺めている。誂えたばかりのドレスは似合っているのにそれを自慢してくるだけの元気もない様子だった。
兄は…やはり何か考え込んでいる。義姉様も未だに屋敷に帰ってきては居ない。それと関係もあるのだろうか…
もしかしたら腹の赤子に何かあったのかも知れない。
僕に出来る事は無さそうだと声を掛けることはしなかった。
弟はなんだかイライラしている。じっとしている事が苦手だが難しい話や重い話はもっと苦手なこいつらしい…
父はゆっくりと話し始める。
スピカの今、そして事実。
そしてステラの罪と力。
最後に僕の目の事…
僕の目の前には手紙が差し出される。
よれてしわも目立つそれに僕は目を通す。
そしてそっと両目を覆う…
スピカだったんだ…
手紙には僕が世界を見てくれるから寂しくないと記されている…
でも知っている。
僕は知っている。
スピカ、お前は寂しかったんだろ? 辛かったんだろ? 苦しかったんだろ?
だってあの夢はそれを知らせてくれる…
心は張り裂けんばかりの悲鳴をあげていた事を…僕は知ってしまった…
ステラの力がなんだと言うのだ…結果としてスピカを傷つけた事になんら変わりはない。その事実は変えようがない。
僕が…僕たちがあの子を追いやってしまった事実は明らかなのだ。それであれば誠意を持って示すほかに贖罪の道はないと思うのだ。
父は話し終えるとエメンタールへとみんなで行こうと言った。
僕は準備が整うまでの間に主治医の所に行った…
結果はやはり…変わらない…
あの優しい人はスピカだったのだ…
苦しんだ人もまたスピカだったのだ…
自分がどれほどの犠牲の上で成り立っているのかを知れば、砂の山の上にいるような心許無い心地になる。
道中自分がしてきた事を振り返る。大きな事をした記憶は薄い…
でも確かにスピカは傷ついていた。ちゃんと彼女の話も聞かず一方の言い分ばかりを聞いてしまっていた自覚がある。彼女との約束を反故にした事も一度や二度ではなかったと気付けば己に絶望した。
今度は間違えないようにステラからも話を聞きたいと思ったが、どうやらそれは叶わなそうだ…
スピカも瞳の記憶を見せてはくれるが語りはしない…
ステラにはフレットも何度も面会に行っては追い返されているらしい。
しかし同時に思うのだ…あの肖像画を見たときに感じた思いはスピカの心なのだろうと…
聖域にはフレット以外の家族が揃った。あの馬鹿は何を考えていたのやら…
しかし、スピカがこの場に僕らを入れてくれた事に少なからず安堵する。
本当に君は優しすぎる…僕のために…僕の未来のためにこの瞳を僕に譲るだなんて…なんでそんな自己犠牲の道を選んでしまったんだ…
目元を隠された妹が横たわっているだけで僕は自分の罪が晒された心地だ。
何故選ばせてしまったんだ…
僕は乙女として眠る妹に最上級の敬愛を捧げた。
有難うじゃ足りない。ごめんも違うだろう…
君は僕にこれからをくれた。
だから僕は君にこれからを…世界を綴ろう。
僕の全てをかけてスピカ、君に、君の瞳を通して見た全ての色彩を感情を思いを情景を余す事なく書き連ねよう。
僕の手法で、僕の贖罪を君が見る日が来なくても、君の耳に届けよう…君の五感に届けよう…
人々に伝えよう…そして君を讃えよう…
僕は僕を呪い続ける。それと同時に君を思い続ける。
だから一緒にこの世界を見ておくれ…
君が世界を一緒に見てくれるから僕はきっと寂しくないから…
僕の一生を懸けて君に贖おう…
ーカインー
事実を突きつけられた俺はどうしようもなく心が荒れた。
だってそうだろ?
本当の妹のように可愛がってきた妹がやっぱり本当の妹で、本当の妹だと知らされて可愛がった妹は実は赤の他人で、家を傾ける程の大罪を犯していたなんて、いきなり理解できるはずもない。
それに何より自分の性なのだろう。
この問題を色々と検証しなければならないと思うのだ。
まずは本当にスピカが俺たちと血のつながった兄妹なのか。
この検証には学園に納品し、検証実験をしている聖力利用型の魔道具が応用できるかも知れない…
あと、結界の乙女のシステムがどのように改編されたのかも気になる所だ。
範囲が広くなると同時に効率化するなど、どのように書き換えられたのか気になるのは長年の研究の課題だからだろうか…
次にステラの力について。
どの程度俺達家族が影響を受け、どの程度スピカに対して実害を与えていたのかのデータが欲しい。
それがあれば客観的に自分を見つめることが出来るだろう。
そしてこれからその力とやらで俺達家族のように苦しむ人々が減るかも知れない。
抗い難い力と父は言ったが、それがどの程度でどうすれば対処出来たのかも検証には必要だ…
国家機密に該当することだが何処で知ることが出来るだろうか…
それに…俺はスピカ以外にも妻に酷い事をしてしまった自覚がある。
あの日スピカに言われた事はずっと心に刺さっている。
あの日から彼女も家に帰ってきてくれない…
このまま三行半を突きつけられるのは嫌だ…
魔道具の開発の合間に妻の実家に通い、許しを乞うた。
まだ義父殿からは冷たい視線を向けられるがメリーは少し歩み寄りを見せてくれていた。
ご当代となったスピカの元へと参じる時にはメリーから聖石を託された。
メリーは知っていたのだと言う。
あの日が神送の宴だと…でもスピカに『家族が気付くまでお義姉様は言わないで』とお願いされていたのだそうだ。
だから送り出す挨拶が出来なかった事を悔やんでいた。
俺達の言動がおかしいと思いつつも指摘できずにいた事も謝られた。
謝るのはこちらだと言うのに…
身重で転移も出来ない為、俺は代わりにその聖石とメリーの思いを届けると約束した。
当日はあの馬鹿な弟だけがスピカの眠る聖域まで辿り着けなかった。
悪い事をしたなどと微塵も思っていないのかも知れない…
俺はあの手紙を読んだ時の絶望が未だにこの胸にあるというのに…
その絶望を糧に今は自分にできる事をするよと、眠る妹に語りかける。
返事はない。許しもない。
ただこれからの為に俺は俺のできる事をしようと動き始めた。
しばらくして息子が産まれた。
産まれたのは妻の実家だった。
こんなに小さい身体の何処にこんな力があるのか不思議なほど大きな産声で、どうしてこんなにも愛おしいのか不思議なほどで…
こんなにも掛け替えの無い存在はいないだろうと思う。
命懸けで産んでくれたメリーにも感謝の言葉では足りないくらいだ。
それと同時にこんなにも幼い時にスピカを攫われた親の気持ちを初めて実感する…
背筋が一瞬で凍る心地になった。
こんなにも小さくて、か弱くて、力強い存在を俺は知らない…
俺はしっかりと守って行こうと決意する…が、結果として産後の妻には殴られた。
産まれたばかりの我が子に出来上がったばかりの魔道具を使ったのだ。
聖力を使い親子関係の証明をする魔道具の検証実験に我が子を使われた母の怒りは空恐ろしいものだった。
「それは私の不貞を疑っての事ですか?」と冷たく言われた瞬間、スピカを失った時と同じくらいの絶望が襲った…
このままでは本当に妻子が居なくなってしまうと本能的に感じ、俺は恥も外聞もなく妻の前で床に頭を擦り付けた。
失ってはいけないものをまた自分の手で失くす所だった…何故俺は学習出来ないのだろうかと情けなく惨めに泣いた。
メリーは呆れ果てていたが「結果として100%貴方の子供だとわかりましたでしょ? これで安心してこの子の父親だと胸を張って責任がもてますわよね?」と許しを貰えた。
俺はもう大切な物を失わないようにと固く誓いをたてる。
これからの人生は妻と子供の為に生きよう。例えしがらみに囚われようと寄り添って生きて行こうと、今更ながらに誓いを立てたのだった。
それぞれがそれぞれの思いを胸にスピカが消えてから4ヶ月の時を過ごした。
また一家は集う。
そこで一家は今一度試練と苦難と決別を迫られる。
エメンタールの惨劇の幕が上がった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
体調不良により更新が遅くなりました…申し訳ありません…
賛否両論あるとは思いますが黒幕なんて家族は知りません。
ステラの力がどの程度なのかも知りません。
だって実際に問題が起こった時に黒幕居るなんて思わないし、居ても知らされないと思うので。
少しばかり仕事や体調と相談しながらの執筆となります。時間がかかるかと思いますが、最後までお付き合い願えれば幸いです。




