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【本編完結・書籍化進行中】本当の娘が帰ってきたので養女の私は消えることにしました  作者: 佐藤真白


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氷の割れる音

「父上、何故面会を受け入れたのですか?」


カインはこんな非常事態に部外者を招き入れる父がわからなかった。


マスキーは苦しい表情でカインを見返す


「彼はスピカの実父だ。部外者とは言えまい…」


それであれば引き下がる他ない。

状況的にエメンタール家を救ってくれた恩人の父なのだから説明もせねばなるまいと納得する。


しかしなんと間の悪い事だろうか…問題が矢継ぎ早に出てきているこのタイミングで何故と思わなくもない。

しかし、それは今から問えば良い話だと、一家はフェイカー準男爵が来るのを応接室へと移動して待った。




フェイカー準男爵は、体調の悪化により早期退職をして久しい。

此処5年ほどは屋敷に顔すら出しては居なかったと思う。

5年前に屋敷を出る際にはスピカの父だからと退職金に色を付けて送り出したはずだった。


彼はあの時そんな事はなさらないで下さいと辞退しようとまでしていたが無理矢理に金は握らせた。




そんな事を思い出しながらソファで待てば程なく家令が男を連れてきた。




腰は曲がっていないが、細く痩せ細った体に色も艶も抜けたボサボサの髪は一瞬人を間違えたのではないかと思うほどに男の印象を変えていた。

ともすれば貴族などではなく平民の浮浪者と言われてもおかしくはない。


しかしチグハグな程に服装だけは正装なのだ。

正気の無さと憔悴した様子の他にただならない覚悟を感じる。




そして部屋へ入れば貴族然と恭しく礼を執ってみせる。その様にやはりこの男が貴族なのだと感じいる。


「お館様、お久しゅう御座います。長く顔を見せなかった事お詫び申し上げます」


「いや、よい。息災か?」


「ご覧の通りの有様で御座います」


良い暮らしぶりとは思えない。そして体調もあまり芳しくはないのだろう。


「して、今日は何用で此処まで来た? 我が家は今大変な状況でな…そんな中でも貴殿を通したのは貴殿にも伝えねばならない事があっての事なのだが」


フェイカーは視線を一度彷徨わせ、意を決すると口を開く


「本日私がこの場に参りましたのは私の罪を告白するためで御座います」


はて…この男の罪とはなんであろうか…

仕事に関しては出来る方だった。家庭は細君が亡くなってスピカを私達に託した後は一人寡と聞く。

退職金が底をついたか? それとも業務上のなにかか?



「言ってみなさい」


「はい、この度エメンタールの地の新しいご当代様に立たれたのがスピカお嬢様だとお聞きしました」



マスキーは認めたくない。しかし、それは認めなければなるまい。


「そうだ。彼女を貴殿から託されたというのに済まない…君の娘を…」


「違うのです! お館様…お嬢様は私の子では無いのです…お嬢様は、スピカお嬢様は…お館様のお子様なのです…」


フェイカーは自分の懐から白の布を取り出す。

それは古い布だった。

上等なレースの縫い込まれた小さな服だった。


その服が広げられると夫人がそれにゆっくりと震えた手を伸ばす


見覚えのあるそれは18年前に確かに自分が縫ったものだ

産まれたばかりの吾子の為に誂えたそれは、自分のイニシャルが刺繍された赤子の産着だった


あの日、我が子と共にこの屋敷から消えた唯一と言っても良い代物だった。



「あの日、この屋敷からお嬢様を拐かしたのはこの私です…本日はその事実をお伝えし、黒銀の杯を賜りに参りました」


そう言って男は床に膝をつく



一家は男の言葉が信じられない。

先程までは一族の恩人の父と思っていた男がエメンタール家の悲劇の元凶だったなど、どうして信じられようか…


しかし、男はそれが狂言などでは無いと証拠まで持参してきた。


これは認める他ないのではないだろうか…

まさか今の今まで本当の娘のように思い、慈しみ、愛し、接し、育んできた養女が…エメンタール家の恩人であり今や国の宝となってしまったあの養女は…本当の本当に自分達の娘だったのだと



「それでは…本当にスピカは私達の娘なのか?」


男は「仰せの通りで御座います」と頭を床へと打ちつけんばかりに下げる。


マスキーは思う。

では私は本当の娘をあんな部屋に押し込め、心を寄せる婚約者との間を割き、公衆の面前で罵倒して勘当を言い渡したと言うのか…?


強烈な頭痛に襲われる。発狂しそうな心を必死で抑えつけなければ意識を失うのではないかと思うほどに心は悲鳴を上げている。




夫人も小さな産着を抱き寄せて声にならない悲鳴を上げている。


こんなにも近くに居たのに何故気づいてあげられなかったのか…

侍女を付ける事もせず、部屋を与える事もせず、服を新調する事も許さず叱責ばかりを重ねた…

挙句育て方を間違えたなどとあの子に対して口走った己を思い出した…



カインも呆然とその事実を受け入れるべきか否かの判断が付かず思考を停止させて固まっている



夫人は震え、掠れる声で男に問うた


「何故…何故ですの? 何故私の子を…貴方はだって…どうして…?」


そして男は語り始める。18年前の事実を…









〜18年前 エメンタール伯爵息女誘拐事件前日〜



リザはまだ目を醒さない。


深い眠りに落ちた妻の顔を覗き込み私は揺籠に眠る娘を揺らしながらあやす。


泣いている訳でも無いのだが手持ち無沙汰で気づけば揺らしている。


私は慣れない娘の世話と妻の介護で碌な休みも取れずに過ごしている。


数日前までは妻と子供が産まれたらと笑いながら語らっていたのが嘘か幻のようだった。



血の気の無い顔の妻に聖水を含ませ、娘にはエメンタールの本邸から善意の乳母の乳を喰ませる毎日だった。

かといって乳母は本邸の奥様の子が産まれるまでのご厚意だ。何時迄も頼るわけにはいかないし、雇い続けるだけの金もない…



どうしたものかと頭を悩ましていると乳母に声を掛けられる。


「あちらの奥様が産気付かれたそうなんで今日はお屋敷に行きますね。

私の代わりに山羊を置いていきますからお嬢さんが泣いたら絞ってやって下さいな」



あぁ、ついにこの時が来てしまったか…

そうも思ったが致し方無い。


「分かりました。ありがとう御座いました」


私は乳母を見送った。


そしてそのまま机に突っ伏した。人がいなくなると緊張が解け睡魔が襲う。ここ数日の心労と寝不足が私を襲ったのだ。


気がつくと辺りは暗くなっていた。


久々に纏まった休みが取れた気がする。


伸びをして辺りを見回すとやたらと静かな気がする。




なんとも言えない不安が襲う。


咄嗟に揺籠の中を覗き込めば娘はそこにいる。

良かったと安堵するも、娘から寝息が聞こえてこないことに気付いて一気に冷や水を被ったように震えが止まらない。


娘は冷たくなっていた…


唇は青紫になり唇の端からはミルクの混じった涎が垂れていた。



そして何の冗談か、妻が声を上げて目を薄らと開けた。

「私達の赤ちゃん、かわいいわね…」


私は咄嗟に娘を隠して妻に駆け寄る。


「あぁ、最高に可愛いよ。まだ眠っているから君ももう少しおやすみ」


そう言って頭を撫でれば彼女はまた微睡の中へと旅立った。





このまま彼女が起きて娘が既に死んでいることに気付いたら…


考えただけで恐ろしかった。

どうにかしなければ…私の過失で娘が死んだ事実を妻に悟られたくなかった。

やっとのことで死の淵から帰ってきた妻が事実を知ればまた黄泉の河を渡りかねないと思った。


命懸けで繋いだ命を私が終わらせた事実を隠す為、私は恐ろしい悪魔の囁きにのった…





娘が死んだ事実を隠すために子供を連れてくればいいではないか…



しかし、そこら辺に新生児のいる家がホイホイとある訳がない。でも私は知っている。

これから子供が産まれる家を…


そして思う。

自分であればそれが出来ると





そして早朝に屋敷へと忍び込みお嬢様を拐った。

屋敷の者にも途中で出くわしたが「忘れ物を取りに来たんだ。娘を1人にする訳にもいかなくて一緒にね」と言い訳をすれば納得された。


心臓は早鐘を打っていたが、こんな所で貴族の表情に出さない訓練が役立つとは思わなかった。





冷たくなった娘は庭の銀木犀の木の下に1人で埋葬した。母に抱かれることなく天へと昇った我が子との永遠の別れだった。



昼近くになって妻は目を覚ました。

そして何日も意識が戻らなかったと話せば驚かれ、早く赤子を抱きたいとせがまれた。


そして私はお館様の子を我が子と偽って妻に抱かせた…


妻は「私達よりもお嬢様…奥様の幼い頃に似ている気がするわ。不思議なものね」と笑った。



「奥様が小さい頃に私達の子供が生まれたらお揃いの名前にしましょうって話したことがあったわ。宝石や花からも良いけれど星の名前も素敵ねって話してたの。

だからこの子はスピカ。乙女座の一等星。星の乙女の一番穂。私達の宝物ね」



そう言って赤子にスピカと名付けた。


直ぐに乳母にはもう来なくて良いと言って娘が消えて大騒ぎとなっているお館様の所にもそのように伝えに行った。




いけないことだとは勿論分かっていた

分かっていたが全てを失う恐怖が私を愚かな道へと進ませた…


後戻りのできない後悔の道を私はその日から歩み続けている



あの日死んだ娘を認めて事実をありのままに妻に伝えていればと毎夜の様に悩み苦しんだ。


あの日からまともに寝れたためしなどない…



妻は意識が戻っても起き上がる事もままならなかった。

それを良い事に私は「娘の洗礼は皆で行こう。だから早く元気になってくれ」と口先では気遣いつつ先延ばしにして嘘がバレないように必死に取り繕った。



妻の回復を願ったがやはり神は見ておられるのだろう。他人の子を奪い、自分の妻に偽り、そうやって作り上げた安寧など偽りだと言わんばかりに神は妻を手元へと引き寄せた…


誰にもバレないように銀木犀の下から娘の遺骸を掘り起こし妻の棺へと納めた。これが彼女が我が子を抱いた最初で永遠だ…



残されたのは偽りだらけの私と憐れにも家族から引き離された赤子だけだった。



そして私の中の悪魔は今一度囁いた。この子を本当の家族の所へと返せば全ては丸く収まると




このまま娘の養育先を探してほしいと言えば娘を渇望するお館様や奥様はきっとそのまま引き取って下さる。


そして目論見通りあの子は本当の両親の元へと帰って行った。



これで元通り。何事も無かったように彼女は両親の愛を兄弟の愛をその身に感じて大きくなるだろうと確信を抱いた。

その思いの通りにお館様達の元で彼女は成長した。



デビュタントまでを見届けて私は屋敷を去った。




後悔は未だに私を離してはくれない。捉えた獲物は逃がさないとばかりに悪夢を見せる。

眠れない日々はまだまだ続く。




そんな折、エメンタール家に本物の令嬢が帰って来たと噂が流れて来た。

そんな事あるはずが無い…


しかし、それは事実であると世間は教えてくれる。


奇跡の令嬢と呼ばれ巷では劇になり吟遊詩人に唄われている。




私は声を大にして言いたかった「本当の娘は既に帰っている、その娘は本物の令嬢じゃない」

世間にそれを言うだけの度胸も根性も無かった…


今更ながらに何故あんな大それたことを自分は出来たのかが不思議でならない…



そのまま告白と懺悔のタイミングが掴めずまた私はぐずぐずと眠れぬ時をただ生きた




気付けば風の便りに聞こえてくる話向きは本物の令嬢を讃え、偽者の令嬢は悪女になったなどいうものになった。

風向きの怪しさに不安になるも動き出す気力は無かった…




気付けば2年の時が経ってしまった。


その話を聞いたのはつい数日前だった


「全くエメンタール家の当主一家にはがっかりだ。養女姫さんを小さい時にはあんなに可愛がっておいて本物の娘が帰って来たら教会に送り込んだらしいぞ。それも放り込むかたちでお役目に向かわせたって話だ」


「知ってる知ってる! でも養女姫さんは健気に頑張ってくださってるって話だろ? 何でも初代様の再来とも噂されてるんだろ?」


「ご就任からまだ数日だってのにすごい話だよな」




あぁ…全ては遅いのかも知れない…しかし、全てが終わる前にせめてお知らせしなければ…




━━━━━━




「こんな身勝手な理由で私はお嬢様を拐かしました」



一同は声が出ない


声にならない


その事実を受け入れようとすれば心に掛かった薄い薄いモヤのような氷がパリンと割れる音を聞いた気がした。




それは拐かされた娘に対する罪悪感という感情の錠が砕け散る音だった…

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― 新着の感想 ―
入れ替えの話は必要だったのかな? 養子だろうが、実の子だろうが、自分の子供に違いないわけだし、罪と言う意味では変わらないでしょう。 まあ、実の父親がスピカをあっさり預けようとしたのが違和感あったのです…
今更言いにきて何がしたいんだこいつ?? 自己満足の贖罪に巻き込まれるとか不憫すぎるだろ・・・
家族も被害者なのに執拗に後悔させるのに胸糞。最終的にこの企みに関与した全員が永遠に苦しみ続ける結末じゃなければスッキリしない。
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