祭りの後
お読みいただき有難う御座います。
誠に勝手では御座いますが暫く感想の受付を停止ささていただきたく存じます。
詳細につきましては活動報告に御座いますので気になる方はそちらでご確認下さい。
勝手では御座いますがご理解頂きますようお願い申し上げます。
帝都のエメンタール邸に一家が帰り着いたのは真夜中もとうに過ぎた深夜の事だった。
明け方の方が近いかも知れない時間に馬車を降りたのは当主夫妻と2人の息子達だけだ。
三男は宿舎へ、長女は皇城に留まり、長男の嫁は帝都の実家へと先に向かった為である。
静かな家の自室でマスキーは酒の入ったグラスを煽った。
本来、昨日の夜会は娘ステラの晴れ舞台となるはずだった
それなのに次女のスピカがそれを台無しにしてくれたのだ。
何度か思い返しても忌々しいといった様子で彼は苦い顔で酒を進める。
ふと思い立ちベルを鳴らし家令を呼ぶ
「お呼びですか、旦那様?」
「あぁ、スピカは帰ってきているか?」
帰っていれば呼び出して今一度説教でもくれてやろうと思ったのかマスキーは酒で赤らめた顔を家令に向ける。
家令は一瞬眉根を寄せたが直ぐ様表情を取り繕う。
「スピカ様はお戻りになられておりません。旅立ちの前にもう戻らないとおっしゃって行きました」
マスキーは深い息を吐く
「やはり一度帰ってきたか…しかし、未婚の令嬢がこんな時間になってまで帰らない醜聞が何故あの子には分からんのだ…大方友人の家にでも転がり込んで居るのだろうな…
ウェイバー、明日…いや、朝までにスピカの友人の家をリストアップしてくれ」
「畏まりました、旦那様。
それと、今し方領地より次代様が領に入られたと連絡を受けて御座います。予定通り立会人は前伯爵様でよろしいでしょうかとの問い合わせも御座います」
家令の言葉にマスキーはやっとかと1人溢す
夏の初めに決まった結界の乙女の交代は次代の都合で延ばされていた。
当代は息子の研究の甲斐あって近年稀に見る在位の長さになったが流石にもう持たないだろう
次代は名前を見た時に貴族名鑑にのっている名前ではなかったので、また教会に堕ちた準貴族の娘なのだろう。
皇太后様からのご推挙なので待ち時間が長いのに文句を言えず本当に来るのかと気を揉んでいたがそちらの方は何とかなりそうだ
今回の次代は褒賞や謝礼の辞退を申し出てくれた事は有り難かったのだが、入領の時期だけは知らせがなかったのだ。ただ、夏のうちとだけ聞かされたそれは酷く曖昧で不安ではあったが今はもう問題などない
「問題はない。準備が済み次第進めるように手配してくれ」
「畏まりました」
年嵩の家令は頭を下げると自領へと屋敷で一番早い鷹を飛ばした。
明け方にはエメンタールにその知らせは届く事だろう。
マスキーは知らなかった。家令が言った旅立ちの前とは夜会前の事を指していたのだと…
家令もあえて進言しなかった。幼き日より見守って来た少女の誇りを踏み躙るような事をしたくはなかったから…
翌朝マスキーは家令がまとめたスピカの友人達の家にスピカが世話になっていないかとの問い合わせを送った。
無論どの家からもスピカの滞在を確認は出来なかった
こうなれば夜は友人宅か宿にでも泊まり学園の寮にでも向かったかと学園へも使いを出したが建国祭の期間の為か返事はなかった。
全く世話が焼ける…こんなにも手のかかる子ではなかったのにとかぶりを振る
その日は建国祭や婚約式の次の日ともあり家族が集まることもなく1日が過ぎる
愛娘のステラはしばらく皇城に留まるとの連絡が届いたのは昼過ぎだっただろうか…
黄昏の空が何故かいつもよりも物悲しそうに見える
何だか頭が重い…娘の晴れ舞台と深く酒を煽りすぎたかとマスキーは思う。
これがエメンタール家の崩壊の兆しとも知らずに…
その夜エメンタール領の結界の乙女の交代がつつがなく執り行われたとの報告がマスキーの元に届く。
それと同時に父からは「国のためとなる娘を誇れ」と多分皇子妃となるステラに向けた祝辞を受け取る。
皇太子との婚約でもないのに大袈裟なとマスキーは鼻で笑った。
三日後、依然スピカからの連絡は無い。
流石に匿われているにしろそろそろ連絡を寄越すべきだろうに…
友人の家々に連絡をしたが足取りが分からず帝都の城門の出立履歴も問い合わせたがスピカの名は無かった。もしもスピカが帝都を出ようものなら我が家に送るように憲兵には通達を出した。万が一と思い、ギルドの転移魔法の利用者に「スピカ・フォン・エメンタール」は居なかったかと問い合わせた。多額の金がかかる魔法など使わないだろうし、スピカに割り当ててある生活費からの金銭の移動もないのでその線は薄いだろうとは思いつつだったが、ギルドからの回答は案の定該当者はおりませんと返事を受けた。帝都内にはいるはずなのだが…
この時マスキーが「18歳の女性が転移魔法を使わなかったか?」と問えばギルド職員はこう答えただろう。
「えぇ、建国祭の日の夜にスピカ・ルチアーナという身寄りの無い女性がエメンタールへ向けて使用されました」と
職務に忠実なギルド職員は問われたままに答えただけだった。
ギルドの転移魔法使用者の一覧に「スピカ・フォン・エメンタール」という名の18歳の貴族女性の名は無かったのだから…
マスキーがギルドからの返答に、スピカは何処へ行ったのかと不安を募らせている。
昨日からやたらと頭が重く、スピカの事が気がかりでしょうがない。
しかしそんな心配も隅に追いやられる様な報告が届く…いや、到着した。次男の病を打開するドナーの魔眼が主治医によって齎された。
そのまま息子は処置を受ける事になる…
完全失明による聖力喪失前に間に合って良かった…
このまま貴族籍で生活が出来るであろう息子の幸運を神に感謝した。
移植は滞りなく終わったと報告が上がったのは間も無くのことだった。
高等な魔法術を使った移植なので身体的な負荷は少ないが聖力の拒絶反応がある可能性が高いと同時に告げられる。
他人の力を無理やりに移すのだからよっぽどの親和性が無ければそれも通りだと納得する。
場合によっては熱や嘔吐の副反応もあり得ると脅されたがその様な気配もなく術後の経過は安定していた。
ただ、いきなりの聖力の流入による反動なのか、頭が重いといっているらしいがじきに治ることだろう。
家の問題はほとんど片付いたというのにスピカの足取りは未だに分からないままなのが伯爵は妙に気がかりに思える…
やはり頭が鈍く痛む…
マスキーの愛する妻も建国祭以降は頭の痛みを訴えて寝込んでしまっている。
スピカが私達への怨みで呪っているのだろうか…いやあの子はそんな事をするような子ではない…
そもそも何故あの子が私達を怨む必要がある?
何不自由無い生活をさせていたでは無いか…
婚約者の件は勅命では手の打ちようも無いので悪かったとは思っているが家の慶事なのだと分かってくれるはずだ…
マスキーは今一度考える
本当にそうか?
本当にあの子を私は見ていたのか?
喉元に魚の骨が刺さったような違和感が拭えぬままにマスキーは新たな問題に直面する。
建国祭から1週間後の早朝マスキーは皇城からの早馬で起こされた。
出仕の支度も慌ただしく済ませると馬車に乗り込み城へと向かう
結界に異変があったのだという…
直近の結界関係での変化があったとしたらそれはエメンタール領の結界の乙女の交代
その説明責任の為に城へと呼び出しを受けたのだ
だがマスキーにはその異変や原因など到底分からない。
儀式は父から滞りなく執り行われたと連絡が来ているし、前回を踏襲した儀式だったとの報告も教会から受けている。
冷や汗が止まらない彼の逃げ出したい心境とは裏腹に馬車は無情にも皇城の門を潜る
事態は緊急性を要するもののようで誰に止められることもなく謁見室へと通される。
ここに通されたという事は皇帝陛下直々にお言葉があるという事だ。
気の小さなマスキーは今叱責されたら倒れるのでは無いかと思うほどに傍目から見ても顔色が悪い。
臣下の礼を取り何と言い訳をしたものかと考え込むマスキーの考えが纏まらないうちに皇帝陛下は謁見部屋へと入ってくる。
興奮した様子でいつも以上に足音が大きく、気が昂っているのが感じられる。
皇帝が息を吸う音がマスキーには死刑宣告のように重く聞こえる。そしてこの次に待つであろう叱咤に耐えるよう身を強張らせる
「エメンタール伯爵よ、面を上げよ。よくやった!
此度のそちの領に任じられた乙女が偉業を成し遂げた。優秀な乙女を育てた事誇るが良いぞ」
マスキーは訳が分からず鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けな顔を皇帝に向けた
「何を惚けた顔をしておる? そちの領の乙女が着任してから結界の範囲が広がり今や辺境までを覆うものとなったと言うのに、まさか知らされておらなんだか?」
マスキーは力無く「はい、恐れながら」と答えるのが精一杯だった。
帝は尚も続ける
「乙女の願いも聞き届けた。これで彼女に思い残す事もあるまい。我が息子ながらこれ程までに愛されると言うのは羨ましい限りだ」
帝はハッハハハと豪胆に笑う。
マスキーは意味が分からず曖昧に苦笑う
そして、ここからが本題とばかりに笑う声を止めマスキーを帝は見つめる
「そして乙女の願いによりそちの娘と我が三男の婚約は白紙となる。そして、そちの長女は大罪人である事が判明した。よって表向きにはそちの娘は病死した事とする。これは帝命である。
エメンタール家も本来ならば三親等までの親類縁者の斬首が妥当だが、乙女の親族である事を考慮して恩赦を与えるものとする。異論はあるか?」
先程までの機嫌の良さなどは微塵も感じないほどの冷たい視線がマスキーに刺さる。
しかしマスキーも訳のわからない話に食い下がる。
「お待ちくださいませ、陛下! 娘が何をしでかしたと言うのですが⁈ それに願いや恩赦とはいったい…」
「本気でそちは阿呆に成り下がったか? まぁ、これも偏にお前の娘を名乗る者の仕業よな…」
そしてマスキーは皇帝の口からその詳細を語られる
嘘だと叫びたかった…いや叫んだかもしれない
そんな事があって良いはずがないと…
思考が、脳が、心がその事実を拒んだ
しかし事実は変わらない
長女ステラは高位貴族に対して神からの授かり物を常用的に使用していた。
それは魅了などの魔法とは違う原理の神の贈り物
抗う術の少ないそれは皇室によって「思考を誘導する力」と確定されたそうだ。
術者の思考と対象者の思考を近いものとしてその思考を変質させて固定する力をステラは持って生まれたらしい
そしてそれを皇族にも使用していた。
国の根底を揺るがしかねない立派な国家反逆罪並びに皇族に対する不敬罪である。
更にマスキーは皇帝にとどめのように重ねられる
「国の危機を其方のもう1人の娘は防いだ。そして国を今も守り続けておる。今まで結界の外で不安に怯えていた国民にも手が差し伸べられた。私は判断を間違えた。彼女を選んで皇室に取り込めなかったのが口惜しい…しかしそれがあって今がある。彼女の献身と偉業による特例だ。お前の娘の罪を表に出す事はすまいよ」
皇帝のその面差しは為政者の顔ではなく同じ子を持つ父の顔だった。
そこでやっとマスキーは理解した。
スピカだったのだ…
結界の乙女はスピカだったのだと…




