最後の旅路
馬の嘶きで私はハッと目を覚ます
皇城から街までの短い時間でしたが眠ってしまっていたようです
つい最近の事なのに酷く懐かしいような夢を見ました
温かく締め付けられるような心地に1人馬車の中で己を抱きしめます。
ぎゅっと…あの時殿下が私を抱きしめたくらいに自分の身を強く抱き、呪文のように大丈夫を繰り返した…
どんなに尊いお役目だろうと怖くないわけがない…
寂しくないわけが無い…
家族に…私を愛した家族に…私の愛する家族に…追いかけて来てもらいたかった
最後に行ってらっしゃいと抱きしめて欲しかった…
それはもう叶わないのだと理解することが怖かった
しかしもう時間は残されていない
私は胸に抱いている手紙に目をやる
先程の皇城で謁見を待つ間に認めた物です
中身は別れの挨拶を今一度書いた物です。
最初は気付いてもらえると実は思っていました
私が結界の乙女へと志願していると気付いて止めてくださると思っていました。
そうしたら、私の決意と共に感謝を述べて説得をして、別れの挨拶をするつもりでした…
そしてその時にはきっと私との別れを惜しんでくださるものとばかり考えていました
ですから屋敷には何の書き置きもせずに出て来たのです
ですが蓋を開けた現実は何と無残な事でしょう…
そんな思いのまま揺られていると次第に馬車はゆっくりとした足並みになりやがて音を立てて停車しました。
帝都でも商業の中心に位置する大きく高い石造りの建物の前です
目的地に着いた事を悟った私は横にある外套を羽織りました
「お嬢様、到着いたしました」
皇室の従者の方がそう声を掛けてから扉を開けてくれます
ボロくは無くとも地味な色合いの外套にすっぽりと身を隠し、フードまで目深に被れば傍目に誰なのかはわからないでしょう
白のドレスが見えないように心を配りながら私は馬車を降りる
従者には感謝の言葉を重ねて伝えました。
年若い従者は私に別れ際「どうぞ我が帝国の為にご尽力下さいませ」と言って頭を下げられました
私が今来た場所はこの国のギルド本部総本山
冒険者、商業、工業、服飾、繊維、生産者、運輸、魔法等のほぼ全てのギルドがこの建物に集約された場所なのです。
私はエントランスに入ると少しばかり辺りを見回します。
真夜中だというのに建国祭の警備の都合なのか冒険者が多く行き交っています
そんな中で私は1人の子供とぶつかりました
「どこみて歩いてんだよ!あたい…おれは怪我したぞ!慰謝料だ!なんかよこせ!」
そう言って手を出されますが、後ろから来た女性冒険者が「こらガキ!てめぇからぶつかっておいてその言い草はないだろ⁈」と頭にとても痛そうな拳骨を1つ入れました
呆気に取られて話を盗み聞けばこの子は仕事を求めて田舎から上京して来たばかりの子である事が判りました。
「嬢ちゃん、こんな夜更けに急ぎの用件だったろうに悪いね、何処のギルドだい?」
「お気遣いありがとう御座います、所定のギルドには予約をしておりますので大丈夫です。それより、この子はこの後どうなりますか?」
そう言ってまだあどけなさの残るその子を見る
女性冒険者は少しの思案のあとで、そうだね…と話し出す
「此処でこんな事ばっかりされちゃ堪んないからどっかのギルドに入れて仕事してもらうか、孤児院に引き取ってもらうかだけど…年齢的に雇ってもらえるかね…後ろ盾も紹介状も無さそうだし
大方何処のギルドにも相手にされなくて自暴自棄起こして狙いやすそうなあんたを狙ったってとこだろうね
このままじゃスラムで野垂れ死ぬかもしれないね…」
「そう…」
私は皆から蔑まれたような視線を送られるその子が不憫で自分を投影してしまった
貴族として不自由なく暮らして来た私とは違うというのにこの子の寂しさや不安が我が事のように感じるのです
私はその子と目を合わせるとその子に聞いた
「貴方、お名前は?」
その子は目を大きく見開いて口をぱくぱくとしている。優しく笑いかければ少しばかり戸惑って
「…ルカ…」と教えてくれる
「そう、ルカっておっしゃるのね。ご家族は?何処から来たの?」
「ノマ村から…父ちゃんも母ちゃんも死んじゃった…ばーちゃんと一緒に住んでたけど病気で薬買ってやれなくて…お前は都会で仕事見つけろって…」
そう言って俯く。
可哀想に…こんなにも幼いのに苦労をして…
「ルカさん…でいいかしら?ノマ村は確かパッシブ男爵領の西端の村の名ね。貴女お家のお手伝いは何かできて?」
私が性別や出身の村の場所言い当てたからか、それともいきなりの質問にか彼女は今一度驚く
「バカにするな!皿洗いも洗濯も芋洗いだってちゃんと出来る!」
「それは素晴らしいわ。私はどれも出来ないもの。それだけのことが出来るのならば私のお願いを一つ頼まれてはくれないかしら?」
そう言って私は胸元から手紙を取り出す
「これをある屋敷に届けて欲しいの」
馬車で先程まで見つめていた物です。
本当は運送ギルドに頼もうと思っていましたが彼女に届けてもらおうと思いたったのです。
どうせ書かれていなかったも同然の手紙なのです。今更紛失したところで大差もありません。上手く屋敷に届いたのならばそれはそれで良いでは無いかと思えてしまったのです。
「タダ働きはしないよ!」
ルカさんは、手紙をひったくるように手にすると空の手を私に向けます
「勿論よ。これで如何かしら?これは私が初めてデザインしたネックレスなの」
そう言って私は腰にある皮袋から取り出した首飾りを彼女の首にをかけてあげる
それは幼い頃に私がデザインして作らせた双翼の羽真珠の首飾りでした
見たことのない宝飾品と私を彼女は交互に見遣っている
「それは引き受けてくれる報酬よ。あとは感謝の気持ちに紹介状をつけてあげるわ」
私は近くの受付で紙を譲ってもらい書類をさらさらと仕上げる
一枚はネックレスは私からルカへ譲渡した物で盗品では無い事と、それを証明するようにデザインのコンセプトと造られた工房を記載した
そして別の紙には私の名でこの子を雇い入れて欲しいと記した紹介状を念のために2通用意しました
「おいおい、あんたお人好しがすぎるんじゃ無いのかい?見ず知らずの子供にそんな事して良いのかい?見たところ良いところのお嬢さんだろうに」
先程ルカを止めてくれた冒険者のお姉さんが呆れつつも私に言ってくる
「良いのです、これも何かの縁ですもの。よろしければこちらの書類にサインいただけます?私が彼女にネックレスを譲渡した見届け人としてお願いしたいのですが…」
プッハハハとお姉さんは豪快に笑うと目尻の涙を拭って「あんたバカだね、底抜けのお人好しだ!良いよ!この双剣のバネッサが見届けよう。ついでにこの子のお使いも最後まで付き合ってやるさ」と言って書類にサインをくれました。
報酬もないのにバネッサさんこそお人好しなのではないかと思います
私はルカさんに手紙をエメンタール伯爵家の侍女アリッサに渡すようにお願いしました。
そして言付けとして手紙は伯爵の末の娘が最後に使っていた部屋のデスクに置くようにと伝えてもらうようにとお願いしました。
手紙の宅配が済んだら厨のヤーヤに紹介状を渡すように伝えて私は2人と別れました
今生で最後の人助け
心が少しばかり軽くなった心地で私は魔法ギルドへと足を向けました。
この後スピカは知ることはなかったが無事に手紙はアリッサの元に届き願い通り机へと運ばれる。
ルカも厨の下働きとして雇い入れてもらうことが出来た。
そしてルカの手にした首飾りは彼女の死後、希代の大聖女縁の品で来歴の証明がされた唯一の品として国庫へと献上され歴史に名を残す事になる
時の皇帝によって名付けられたその首飾りは「双翼の人魚の涙」として後の世へと受け継がれてゆく
それは勿論スピカの知りえぬ未来の話
魔法ギルドでは数人のローブ姿の人々が私を待ち構えておりました。
受付を済ませて私は受付台の上に報酬となる金貨と聖石の入った小袋を置きます。
ここは魔法ギルドの長距離転移を専門で行なっている部門です。
近距離の転移は何度か経験しておりますが長距離は初めての体験です。
ここから帝国の結界内の都市にあるギルドまで飛ぶことが出来るのです。
しかしながらその対価は、非常に高額で私が今まで誂えたドレス3着分程となりました。
聖石は今までお義兄様方からプレゼントされた物を全て包んでおきました。
これがあれば長くお勤めが出来ることは分かっていたのですが…使う気にはなれなかったのです。
それであれば魔術ギルドならば対価として使えるとカイン義兄様に以前お聞きした事を思い出し、使ってみたのです。結果としては聖石は全て回収され金貨は一部返されて手元に戻りました。
魔術ギルドにとっては聖石の方が価値が高いようです。
帝都民ならば遊んで2年は暮らせる額と云えば伝わるでしょうか…それほどの額を積んででも私は早くエメンタールへと向かう選択をいたしました。
地方領主やその後継者、名代はもう少しお安く利用出来るそうですが今の私は貴族籍もないただの一般人
それも成人したての小娘にすぎません
そんな小娘が何故と問われるかとも心配しておりましたが魔術師達は深く詮索する事も無く準備を進めてくれます。
予約をしていた事もあってか準備は程なく終わり、私は魔法陣の上へと促されます
これが18年間過ごした帝都との別れなのだと感傷に浸る間もなく私は陣の中央へと足を進める
「それでは転送陣を起動致します。お嬢さんは初めてと聞いてますので床に腰を落としておくと良いですよ。結構目を回して倒れる人が居るんです」
その指示に従い私は教会で祈る時のように床に膝をつく
「そうそう、そんな感じでね。10秒後には転送地に到着してますよ!良い旅を!」
魔術師のやけに明るい声が転送陣のある部屋いっぱいに聞こえたかと思えばいつかの教会で見たような淡い光に包まれる
一瞬の浮遊感の後に私はストンとまた地に着いた感覚を味わう
光が収束して行くと先程までとは空気が変わっている事に気づく
思い出にある懐かしい香がする
私はエメンタール領へと帰ってきたのだと悟る
待ち構えていた先程とは色の違うローブの人達の手を借りて立ち上がり部屋を出るとそこにはやはり懐かしい顔が並んでいた。
真夜中だというのにお祖父様とお祖母様が揃って私を出迎えてくれていた。
「ただいま戻りました、前エメンタール伯爵様並びに前エメンタール伯爵夫人」
私がカーテシーをしようとすればお祖母様が首を振られます
私はまた間違えたでしょうか…不安に駆られる私にお祖母様は
「お祖父様とお祖母様で良いのですよ…お帰りなさい可愛い孫娘ちゃん」
そう言って大きく両手を広げる
そして「おいで」と言うように泣きそうな微笑みで今一度両手を動かす
私はその言葉と仕草に驚いてしまって…でもとても嬉しくて…暖かくて、涙が溢れてくる
「はい…はい、ただいま帰りました、お祖父様、お祖母様!」
私はその勢いのまま2人の胸の中へと駆け行き飛び込んだ。
2人は私を優しく抱き止めてくれる
私の短い最後の旅は呆気なくも温かく終わりを迎えた。
ただいま、私の故郷
そして終の住処よ




