勅命への抗い
―時は遡り謹慎直後―
私がその話を聞いたのはこの謹慎部屋と呼ばれる懲罰房に入って1週間は経った頃でしょう
ここは屋敷の北の外れにある半地下の薄暗い部屋です。
元は身内のなかで発達に問題があったり心を病んでしまった者たちを隔離しておく為の部屋だったと記憶しています。
幼い頃はよく「悪さをすると懲罰房に入れますよ」などと脅されていましたが自分が本当にここに入る日が来るとは夢にも思ってはおりませんでした。
見上げる程の高さに格子のついた窓がありますが日暮近くにならなければ光が差すことはありません。
半分が石壁で今が夏でなければ寒さに震えていたかもしれません。
それでなくとも夜は冷えるので預けられた薄い毛布に包まって寒さを凌ぎました。
木製の寝台は年季が入っており寝返りを打つたびにギシリミシリと音を立てます。
入った当初は埃っぽく澱んだ空気を感じましたが今ではそれも感じないくらいの時間が過ぎました。
療養という名の隔離生活が長かったおかげかこんなにも限られた空間にあっても落ち着いてすごすことが出来ているのが私自身不思議です。
ここに入って翌日にアレク兄様がお説教とお小言と差し入れの為に訪れましたがその後家族は誰も寄り付かず静かなものです。
お兄様の来訪時に聞いた話を要約すれば、やはり私が階段からステラお姉様を突き落とした事になっている様子でした。
「理由は何だ?嫉妬か?妬みか?何が不満で家族を傷つけるんだ」と問われましたがそれは私がお姉様に聞きたい事でした。
「何故自分よりも教養も勉学も劣る相手に嫉妬や妬みを抱きますの?不満というのなら何故愛しい人との婚約を認めてくれないのかという一点です!認めるにしてもお姉様の影での補助要員なんて嫌‼︎私は彼の方の隣にいたいだけなの」
声を大にして言えたら何か違っていたかも知れませんが、私は家族にもう何を言っても無駄なのだと諦めてしまっています。
言葉を呑み込み、俯く私に兄様が差し入れてくれたのは市井で流行りの読み物でした。
「これでも読んで反省しなさい」
内容は悪役令嬢と呼ばれる貴族女性の邪魔にもめげずに幸せになる平民出身や下級貴族令嬢などの女性の話が数冊でした。
どの話も最後は悪役令嬢が不幸な結果に堕とされる話でしたのでお兄様は私をここに当てはめたのでしょうか…
内容としては市井で流行っているというだけあって面白いのでしょうが私はどうしても主人公達に良い感情が抱けません。
それどころか悪役令嬢と呼ばれる彼女達にこそ共感や親近感を覚えるばかりです。
彼女達は定められた規律を重んじただけでした。多少のやり過ぎはあったにせよ、地位を剥奪されたり処刑される程の罪では無いと思うのです…
しかしながらに何故この本を差し入れられたのか読破してから…したからこそ疑問です…
実はこの懲罰房に入ってから悪い事ばかりではありませんでした。
ここは屋敷の外れにある為使用人の通路が近く、アリッサやヤーヤ達がこっそりと訪れてきたのです。
仕事終わりにこっそりと、少しの時間ではありましたが彼女達とお話出来るのは心の晴れる思いでした。
そして内側から掛けられる錠代わりのつっかえ棒を差し入れてくれたのには最初こそ驚きましたが、その後は感謝ばかりです。
この部屋は外からの下ろし錠で中からは開けられませんが外からは容易に開ける事が出来る作りなのです。それを良い事に不埒な真似をする者が出た際のお守りと思って使ってくださいと言われたのです
半信半疑で使えば深夜、誰もが寝静まった時間に戸口でガタガタと物音がして扉が緩む音がしました。
音に気付き部屋の隅で私は震えながら扉が開かない事を願いつつ身を固く寄せておりました。
暫くののち男の舌打ちの声と扉を蹴る音の後また部屋には静寂が訪れ、私は皆の心遣いに心底感謝したのです。
きっとあの棒が無ければ私は本当に…
そう思うと体の芯から凍える心地でした。
そんな夜をいく日間か過ごした私は正直眠れぬ日々…
日中に少しばかりうたた寝をしている時にその知らせを持った客人は訪れました。
「こんな所に居たのね!何だか牢屋に入った罪人みたいね」
クスクスと笑いながら扉を潜るのはお姉様でした。
ここ数日で久しく見た家族の顔が彼女だというのですから皮肉なものです。
「えぇ、懲罰房ですし、私罪での謹慎刑ですもの罪人と変わりありませんわ」
私の無実は私が一番知っています。ですからこの状況に憤りはあっても嘆きはないのです。
私があまり堪えていないと分かるとお姉様は少しばかり趣向を変えてきます。
「夜のお友達も全員追い返しちゃったんでしょ?せっかくならば一緒に楽しめば良かったのに」
深夜の来訪者の黒幕はやはりか…と私は何処か冷めた眼差しで彼女を見やりました。
侮蔑を含んだ視線も彼女にはあまり効果は無く、「遊んでくれたら本当に誰とも婚約なんて出来なくなると思ったんだけど、それももういいや」と懐から赤い封筒を取り出しました。
禁色の深緋にドラゴンの意匠で金の封蝋が押されたこの封筒はこの帝国に置いて最も尊いお方ただ1人に許された色…
私の心臓はドクリドクリと嫌に音を立てる
私の記憶違いであって欲しい…
あれは…勅命の書状の時のものに酷似しているのです…
私の願いなど無視するかの様に彼女は軽やかに言った
「皇帝陛下が私とアーサー様の婚約をお認めになったのよ!」
その後はキンキンと耳障りな高笑いが石壁の部屋に反響した。
そしてとどめと言わんばかりに、私の顔を覗き込み
「家族だというのに姉の婚約を祝してはくれないの?」と可愛らしくも憎らしく微笑むのです…
私は溢れそうになる涙を必死に堪えて小さな声を絞り出しました
「おめでとうございます、お姉様」
彼女は満足そうに微笑むと
「これからは私の影としてこき使ってあげるからよろしくね!歯向ったりなんかしないでね?もっと酷い目に遭うだけだから…
あと、この勅命が出たから貴女の謹慎は終了だってさ。じゃぁね〜」
そう言って部屋を出て行きました。
扉の閉まったのを見届けて私は膝から頽れました。
そしてここに謹慎を言い渡されてから初めての涙を時間を忘れて流しました
私の中の感情は激情となり次第に怒りへとなりそして確信へと至ります
あの女の好きにさせてはいけない…せめてアーサー様だけでもあの女の毒牙から護らなければ…と
私は私を見つめ直す時間はことの他たっぷりとありました。
お姉様の婚約が決まったことで家の中は騒がしく私を構う余裕などは無かった為私は誰にも咎められることなく今後を考えたのです。
そんな折エメンタールから久方ぶりに猊下からのお手紙を頂戴しました。
季節の挨拶と私の快気の言祝ぎとご当代様の近況が記されていました。
読み進めればご当代様のお力に翳りが見えるとの事で遅くとも今年の秋までには次代様との代替わりが必要になるだろうと記されていました。
その便りを読み、今までの短いような人生の中で大切だったものを一つ一つ思い返せば光明が差しました
それは遠い日の憧れ
追憶の彼方の煌めき
誰も成り手が居ないのであれば私がその座に就いても良いのでは無いかと思ったのです
結界の乙女の座に…
結界の乙女となれるのは穢れなき乙女のみ
私がその任に就けば私の出鱈目な噂は払拭され、私の名誉も回復いたします。
そして結界の乙女に許される最後の願いに私は希望を見出しました。
そして何よりもう家族からのこんな仕打ちに耐える必要もなく恩返しが出来る…
それはパズルのピースがはまるかの如く今の私が欲する物…
その光に私は縋る思いで準備を始めました。
屋敷の者達は私に同情的で何かと手助けをしてくれたので家族には秘密裏に事を進めることができました。
部屋は謹慎を解かれても戻る事はせずに懲罰房で過ごしました。
流石に鍵は新調しましたが屋敷の裏口からも近く何かと便利だったのです。
何よりお姉様へと部屋を取り上げられてから、やっと賜った部屋であった事を知って欲しいというささやかな反骨精神でしょうね…我ながら子供っぽいとは思いつつも私はこの夜には心許せる人が訪れる場所を失いたく無かったのかも知れない
殿下は…
きっと彼は私に裏切られたとお思いになるかもしれません。
しかしながら今生で寄り添いあって生きることが出来ないというのならば…
私が憧れたあの人々と同じように生きてみても許されるのでは無いかと思うのです
そしてそれが結果として彼を救ってくれるのなら私は喜んでその任に就きましょう…
先ずはその為の足場を固める為にと各所へと繋ぎを付けました
学園は卒業資格を既に有している事を理由に仮卒業として寮を引き払いました。
シャーシャはやはり私を待って居てくれて…
彼女の支えなくば私の学園生活はあり得なかったと今更ながらに思うのです。
退寮の前日にはシャーシャの部屋で一晩中語り合いました。
その中には私の今後も含まれています。
結界の乙女に志願する旨を伝えれば、彼女は何処か諦めにも似た表情でそんな気がしていたと涙を流してくれました。
お世話になった先生方にもご挨拶をさせていただきました。
ネフェル先生からは「貴女は最良の生徒でした」と短くもお声を掛けて頂けて嬉しくありました。先生にご指導頂いた貴重な時間を繋げる事が出来なかった私を不甲斐なく思うのではなく、温かく見送ってくださったのですから…。
少しばかり時間はかかりましたが皇太后様とお会いする事も出来ました。
この時はお詫びとお願いばかりの私を咎めるでも無くお話を聞いてくださり、最終的には私の願いを聞き入れてくださると確約を頂きました。
領地のお祖母様とも手紙でのやり取りを交わし、最初こそ驚かれたもののご協力を取り付けたのです。
先立つ物も必要になるだろうと、私は持っている個人資産を手放しました
お兄様から幼い頃に貰ったお店の権利や書籍、手元に残っていた数少ない宝飾品も必要な物以外は全て手放しました
唯一新調したのは胸飾りの台座…
丁度殿下から賜った御心が入るように…石は嵌められていない空の台座だけを新調いたしました
そうして私が彼を救う手立てと自分の望みを叶える手筈を整えている間にお姉様と彼の婚約式の日取りが発表されました。
今年の建国祭の晩餐会
あと3週間もないその会でお披露目になるとお姉様から直接聞きました。
「アーサー様との婚約式が決まったわ♪今年の建国祭の主役はわたしなのよ!素敵でしょ?
見てみて、アーサー様から婚約の聖石も届いたのよ」
そう言って見せてきたのはわたしの手にしている物より二回り程小さな2色の聖石でした
そこに私はアーサー様の抗いを見た気が致します
「それはおめでとう御座います」
私は割り切れない想いをひた隠し、心の底からよろこんでいるかのごとくお祝いを述べます。
きっと悔しそうにすれば彼女の思う壺だと思ったからです。
やはりお姉様はあまり面白く無さそうに唇を尖らせましたが直ぐに笑顔になります
「あぁ、せっかくのわたしの晴れ舞台だから貴女の服も新調してあげるわ!いつもの着回しのコーデなんてやめてよね?
まぁ、私が主役なのだからせいぜい引き立て役として励んでね」
今まで誰の癇癪でドレスを新調出来なかったのかをお忘れになったかのような言いようにはため息を吐き掛けましたが私はグッとこらえました。
これは好機です。
せっかくお姉様が自ら私にドレスの新調を許したのです。己が主役と傲慢な彼女の鼻をあかしてやるつもりで挑みましょう。
私はもう嘆くばかりではないのですから…
そしてその話を聞いた2日後、私は殿下と面会しておりました
勅命の知らせの後で手紙のやり取りはあったものの直接お会いするのは久しぶりです。
しかしながら今回は婚約者候補からの除籍を伝える為の会であるとご連絡は頂いております。
場所は皇城の庭園を望む一室で何度かここでお茶会を殿下と楽しんだ場所でもあります
彼は入室してきても私と目を合わせては下さいません
「殿下、この度は御婚約おめでとう御座います…」
殿下はまるで捨てられた子犬のような縋る目でやっと私を捉えて下さいます。
「なぜ!…なぜ君にそんな事を言われなければ…
いや、すまない。君はそう言う他ないのはわかってはいるのだ…
ただ、気持ちが追いつかないんだ…」
殿下もきっと相当に苦しんでいるのでしょう。
「しかし、この婚礼の後は君と結婚出来るのだろう?だからこそ私はこの件をのんだのだから」
私は心苦しさに俯き目を伏せて大きく首を横に振ります
「殿下、今生で私達が交わる事はもうない事なのです。
全ては殿下の隣に姉が並ぶ事が許せない浅慮な私の我儘なのです。ですが殿下、どうかお忘れにならないで…私は殿下をお慕いしております」
殿下は何を言われているのか分からないと言った表情です…
きっと彼にとってはお姉様との成婚後に許されるであろう私との未来を見ていたのでしょう。
でもそこに私は居ないのです…
「そして、後生でございます。どうか今後殿下のお気持ちを尋ねられたら、素直に殿下のお気持ちをお伝え下さいませ。
それが私に出来る最後の殿下への心の示しなのです…」
私の真摯な視線が殿下にも伝わったのか、何かを感じ取った殿下は私に問いかけます
「スピカ…君は何を決めてしまったんだ…」
私は私が決めた事を静かに述べました
「私は結界の乙女としてエメンタールへと向かうつもりでおります」
殿下は大きく目を見開かれ何故だと言わんばかり…
殿下にはそんな事やめてくれと懇願されましたが勅命から殿下を自由にする為にはただの貴族令嬢の私にはこれしか出来ないのだと言えば殿下は沈黙をもって返します
「そんなにも私の元に嫁ぎたくなかったのか?第二妃とはいえ私と共に歩みたくはなかったのか?」
殿下は切羽詰まったように問われます
「殿下、勅命で名を指名されたのはお姉様です。そしてお姉様は私に白い結婚を望まれました…
それでも殿下がお姉様との婚約を望まれるのでしたら私はお止め出来ません…ですがこの婚姻は殿下の望む物では無いと私は思っているのです」
全てを説明せずとも彼はそれで全てを悟ってくれたのでしょう
「私が望むものは君だけだ…」と呟かれる
彼の言葉がこんなにも嬉しいのに私は切なくなる
彼のそばに私は今後居続ける事は出来ないのだから…
深くソファーに身を沈めると「私のためにすまない…だが君が身を投じる必要など無いのに…」と溢します
「殿下、これは私の望みでもあるのです…私は殿下の事をお慕いしてます。そして家族の事も大好きです。私を育んでくれたエメンタールの地も領民も大切です。何よりこの帝国を私は愛しています…
ですから私を笑顔で見送って下さいませ
ただ…殿下の婚約式の後になるのです
成人を迎えていない場合は親の立ち合いが必要になってしまいますから…
だから本日は思い出を私に下さいませんか?」
「私は国に負けてしまったな…君の愛を乞うのに大きな敵だ」
彼は立ち上がり、私の手を取り私を立たせると力強い抱擁を下さいます。それは痛い程の切なさを伴って彼が震えているのがわかる…
しばしの熱の交わりの後、自然と視線が合えば深く接吻を私達は交わした…
互いの瞳から溢れた涙が混ざり合う程近くで彼の熱を感じ、彼の吐息を聞き、全てを投げ出したくなる激情を抑えて悲しみと覚悟の入り混じった視線を交わし…私達は別れたのです
これが私の今生の…最初で最後の恋の終わり
私はこの日の思い出を決して忘れないでしょう




