偽りの噂
新嘗祭からしばらくスピカの体調は崩れたままだった。
新嘗祭の休暇が終わっても学園に戻れず一日中ぼんやりと過ごした
今までの心労が祟ったのもあるだろう。
今までは何処かで保っていた均衡があの一件を境にぷつりと切れてしまったようで心の重さに体がついていかない様子だった。
そして体が食べる事を拒否してしまい心身の回復を遅くする要因となっていると医師は語り、このままでは命に関わると言って教会へ行く事をエメンタール伯へと勧めた。
教会は貴族にとって聖力の無い貴族子息の受け皿の他に病気の者の療養所としての側面もある。
生命力の弱った者には聖水を定期的に摂取させるのが効果的である事と静かな環境で外部と隔離できる点からである。
そして伯は医師の助言の通りスピカを教会へと預ける事にした。
この判断は一方ではスピカの命を救い、一方では要らぬ噂のネタにされスピカの人生を大いに変えてしまう要因ともなったのだがこの時誰もそんな事になるとは思い至らなかったのである…
私にはここ暫くの記憶が欠落している。
ぼんやりと日が過ぎ去っていったのは覚えがあるのです。ですがそれがいく日だったのかは定かではありません。
気がつけば私は白い壁に囲まれた部屋におりました。大きな窓からは緑の中庭が望め、白いカーテンと茶色い木枠に切り取られ一枚の風景画のように感じる室内はガランとしていて空っぽの私にはお似合いの部屋のように感じたものです。
室内にあるのは大きな窓の他には大きめの寝台と着替えを入れるようのチェストと食事用の机と椅子。
洗面室は隣の部屋にある宿屋のような作りの部屋も今では見慣れたものです。
日に5回運ばれる聖水を初めの頃は毎日のようにもどしていたのは覚えがあります。しかし暫くすれば聖水は問題なく体に馴染むようになりました。そこから少しずつ木の実や穀物を口にできるようになり、春先には聖水も1日に2度の服飲で大丈夫な程までに私の体は回復しました。
教会の皆様もお優しく、気を遣って話しかけてくださったり併設の孤児院の子供達と見舞いに来てくれたのも私には嬉しい事柄でした。
何度か慰問で訪れていたのもあって顔見知りの子供達からは大層心配されてしまいました。
この頃になればある程度の気力も戻り徐々にですが体を動かすようになりました。
といっても中庭を時間をかけて散歩したり、雨の日は教会の療養棟の階段を上り下りする程度でしたが、直ぐに息が上がってしまうので私の体はそれ程までに弱りきっていたのだと実感させられます。
家族からの見舞いが一切無かったのは教会側が虐待の疑いがあるため事実確認が取れるまで面会謝絶にしていたのだと後になって聞きました。
成人前とはいえ未成年の女子が家から衰弱状態で運び込まれたらそうもなるというものです。なまじ私の環境としては本当の娘が帰ってきて用無しになった養女と陰口を他貴族からされていたくらいなので、教会としても保護を優先してくれたのでしょう。
実際には何度か両親やお兄様方は教会を訪れていたのだそうですがその都度状況だけお話しされて帰していたそうです。
その代わりお手紙の差し入れは毎週のように届きました。一度中を確認されてからの手紙で黒塗りにされた箇所もありましたが、それは私の心身に良く無い内容だったのでしょう。なんとなく前後の文から察するにかの件の報告関連やお姉様を許すようにとの内容では無いかと察せられます。
私も寝込んでいる間寂しくはありましたが家族からまた言われの無い事柄を聞く事がなくてホッとしていたのもあります。今まで育てて頂いた恩があるというのに人でなしと後ろ指を刺されてしまうかもしれませんが、それ程までに私は疲れていたのです。
医師にも「自分を責めては心の病になってしまいますよ」と諭されてばかりです。
そして去年にはお姉様の編入で忙しかった頃になってようやく私は帰る許可がおりました。
相変わらず動物の肉の一切を拒絶してしまう以外は以前のように体力も戻りました。
勉学面では去年のうちに3学科の卒業資格までを取得済みなので大きく遅れはありません。教会でも自習は行ってきました。
教会から帰る日はお父様とお母様がお迎えに来てくださいました。
お父様とお母様は久方ぶりの私を見て涙をと共に抱擁下さり、私はしみじみと家族の温もりを感じいったのです。
「こんなに痩せてしまって…このまま領地へと向かおうか?長の療養で他の貴族連中は口さがない…しばらく静かな所に行ってはどうだい?」
お父様の提案に私は首を振ります
「ご心配ばかりおかけしていますが私は大丈夫です。長く伏せってしまったのは事実ですからそれは甘んじて受け入れますわ。それよりも残り少ない学生生活を楽しみたいのです」
「スピカが学園にいてくれるのは確かにお母様的には嬉しいのだけれど、無理をしてはいけないわ…お母様達の失態で貴方をこれ以上傷つけたくはないのよ…」
この時お父様の言葉通りに領地に引っ込んでいれば私は傷つかずにすんだかもしれません。
お母様の言う失態がどんなものか数日後私は身を以て知る事になるのです。
しかしそんな事知る由もない私は気丈に大丈夫を繰り返すばかりでした。
その日の晩餐は私が食べられるものは少なく、状況を両親が理解しきれていない事は分かりました。
細かいハムの入ったサラダに鶏の旨みがたっぷりと溶け出した琥珀色のスープ。メインは魚を使ったリゾットでした。以前の私の好物達ばかりで両親が私に気を遣ったのはわかるのですが今の私には口に出来ないものばかりでした。サラダの端をつつき、ソース用のパンをちぎりデザートの果物を啄みその日は疲れているからと部屋へと戻り落胆したものです。
思えばこの頃から私は私の在り方を考えていたのかも知れません。私が1番私らしく居られる方法を…
数日後、私は久々に学園の門を潜りました。
前回通ったのは新嘗祭の前日に家に帰るためでした。
それから半年以上空いてしまったのだと思うと切なくもなりましたが私は前を向いてお姉様と共に教室へと向かいました。
えぇ、お姉様とご一緒です。
件の騒動の謝罪は「ごめんね!寝込むほど傷付くなんて思わなかったの。ちゃんとルナちゃんの角は加工して私の嫁入り道具にするから安心してね」と謝罪とは言えないようなものですがあり、それで手打ちとなりました。時間も大分過ぎてしまっていたのでもう蒸し返すことも出来なかったですし、私の気力がありませんでした。
こうなる事はある程度予想していたので感情を見せればきっとそれを突かれてしまうという危機感もありました。
因みにですがユニコーンの角には痛覚軽減や緩和の作用があり初夜の時の痛みの緩和や出産時のお守りとして貴族の嫁入り道具として欠かせない品なのです。お姉様がそれを持っていく事が私にはかなり納得できない事案でしたが既に加工に回されてしまっていては手出しも出来ず、あの子の一部すら私の手元に残らなかった事が悔やまれます。しかし、そんな私の心の機微を探すお姉様を前に私は何でもない事のようにするしか無いのです。これ以上あの子を貶める事がないように。
そんな事を横で考えつつ学園内を通れば以前とは比べ物にならないほどの好奇の視線を向けられました。
ヒソヒソと何やら囁かれ、嘲笑が混じり、男子生徒からは今まで感じた事のない程卑猥な視線を向けられ私は怖気が走りました。しかし私は何でもない事のように澄まして道を行きます。
隣のお姉様はその視線の意味や嘲笑の内容を知っているのかとても上機嫌です。
教室に入ってもそれは続きました。教室に入って私に気付いても声をかけて下さるお友達はおりませんでした。
私は何故かわからない状況でじっと耐えていると、淑女の教室とは思えない程のバタバタとした足音が私に近づき、振り向くまもなく抱きつかれ抱きしめられました。
懐かしい香りにその人がシャーシャである事は容易に分かりました。彼女は本来既に卒業資格を取得して実家に戻られている予定でしたが私が戻るまで学園に居てくれると手紙をもらっていたので会えたら事に心底安堵します。
「お帰りなさい、パール!そしてごめんなさい、私貴方の居場所を守れなかった…」
抱きしめられながら聞いたその言葉に私は困惑しかありませんでしたが、「詳しくは次の休み時間にお話しするわ」
と言って席に向かってしまいました。丁度講師の先生が教卓に着くタイミングだったので私も気になりつつ居ずまいを正して講義を受けました。
そして約束通りの休み時間に聞いた話は私の想像を絶する内容でした。
エメンタール伯爵家の次女のスピカは夏の休暇中に賊に襲われて辱めを受けた。そして子を孕んで秘密裏に処分した。
そんな内容の噂が学園内で広がっていたのです。
確かに賊には襲撃されましたがすぐに捕縛され、私達には指一本触れていないのです。
「実は休暇後にパールが賊に襲われたって噂が流れたの。私もコロイド卿もそんな事実は無いと断言していたのですが一向に噂が鎮まらなくって…
一度落ち着いた矢先に今度はパールが食事を受け付けなくなって教会で療養する運びになってしまったでしょ?そしたら…それがまるで事実のように広まってしまったの…
貴女が帰ってくる前に何とかしようと思って動いたのだけれどダメだった…ごめんなさい…私は大切な友人の名誉も守れなかったわ…」
シャーシャはポロポロと大粒の涙を流して謝るが噂を否定して正そうとしてくれた彼女を、責める気は一切ない。むしろ感謝しか出てこなかった。
「シャーシャ、ありがとう。私を守ろうとしてくれた気持ちが良く伝わってきたわ。だから泣かないで。そんな事実は無いのだからきっとみんな気付いてくれるわ」
教会は貴族の子弟の受け皿、療養先以外にも更生施設としての側面も併せ持つ。
未成年の貴族子弟が世間的に悪い事をした場合に謹慎先として挙げられる。この場合の悪い事には自分の意思なく陵辱された場合も過去に含まれていた。それが今回の噂の火種になったのは容易に想像がついてしまった。
なにせ未成年で命の危機で教会入りする者はまず稀である。
そして賊に襲撃された事は国にも報告済みの事実。
もし仮にも賊に辱めを受けて妊娠していたら起こるであろう症状の時期に私が不調に陥ったのもまた事実。
そして教会で療養していたのも事実。
そして療養期間が長引いてしまっていたのも事実。
更には新嘗祭でエメンタール家からユニコーンが振舞われた話がその噂に拍車をかけた。
秘密裏に子供を産むにしても天に返すにしてもついてくる痛みを緩和させるために愛馬を潰させたと一部では思われているらしいのです。
この事実から、よくもまぁそんな出鱈目を流せるものだと感心してしまったほどです。
噂を流しているのが多感な時期の大人になりきれない少年少女達であろう事からも一層呆れは募るのですが、この場合私本人が強く否定しても逆効果でしょう。
そして女子生徒からの蔑みや嘲笑の理由も男子生徒からの無礼とも取れる卑猥な視線の意味も悟りました。
人は自分が見たい物しか見ようとしない時があります。私が騒げばそれが事実でそれを認めない代わりに騒ぐのだと言われかねません。
これがお母様のいう失態の内容だったのでしょう。
ここまで広がっていては弁明が言い訳に聞こえてしまってもしょうがないでしょうし、本人の口から語らせるにしても私は教会で面会謝絶とどうしようもなかったのでしょう。ですが、やるせなさは募ります。
方々に問い合わせれば済む話なので私は堂々としているのがこの場合の正解のはずです…はずでした…
復学から2日後、私の手元には1通の手紙がありました。
差し出し人は第3皇子アーサー様
内容は帝城への呼び出しでした。
針の筵の心地の学園生活の中私は愛しい彼に会える事を支えに乗り切り約束の日を迎えたのです。




