夏の思い出をあなたと 3
マール辺境伯領までは公爵領へ向かう道中と同じ馬車でしたが、私達の座る位置が変わりました。
隣にアーサー様がいらっしゃるのは嬉しいのですがやはり緊張も致します。
アーサー様は私が隣にいるのが嬉しいのか仕切りに私の顔を覗かれます。
婚約と言っても当人同士のまだ口約束…適度な距離は保たねばなりません。特に皇族の婚約は皇帝からの承認があって初めて効力を得るので弁えねば…
とは思いつつ顔が綻ぶのは止められません。
それはアーサー様も一緒のようでお互いに視線が合うたびに微笑み返すやり取りが続きました。
移動二日目、何もない平原の真ん中に一筋の線のようなものが見え始めました。
近づけばそれはかつての国境線に沿って敷かれた防壁の跡です。古代の大戦ののちもこうして残っているのは感慨深く壮観です。
そして、この中で私だけはこの地平線を境にした巨大な結界が見えているのでしょう。7色の光が薄く虹の如く膜を張るように空から天蓋のように降りています。
この先からは帝国歴の中期以降に編入された辺境伯領となり、乙女の結界の守護から外れた地となります。かつては蛮族の住まう未開の地と蔑まれていましたが近年には豊かな自然資源や屈強な兵士と魔獣の調教などで名を馳せる軍門の要所として重用されています。
今から向かうマール辺境伯領はその中でも北の要所屈指の豪傑揃い。戦歴の猛者の集う豪の家門で軍馬となる魔馬や颯の名産地として名を馳せています。
私の愛馬であったフレット兄様から譲られたテミスもフレット兄様の愛馬であるホーヴヴァルプニルのシュプールも元はこのマール領で肥育されていたのだといいます。
私の愛馬テミスは現在は引退し、テミスとユニコーンの間に生まれた牝馬の白いユニコーンのルナが勤めてくれています。
最近は中々出してあげられていないので次に家に帰ったら一緒に遠駆けにでも行きたいなと考えているうちに結界の壁が迫ってきます。
結界を通り抜けると一瞬何か水の膜を通ったような不思議な感覚と身体からいつも私を包んでいた暖かさが切れたような感覚が致しました。
これが結界を抜けた…ご当代様方の加護の外に出た事の現れなのでしょう。
結界の外へ出る事が初めての私は加護が無い事が不安で、今まで護られていた安心感の消失に動揺してしまいます。
あくまで内心での動揺でしたのに、アーサー様は私の機微を敏感に感じ取られたご様子で私の手をゆっくりと握りしめてくださいます。
それは子供を安心させるようにゆっくりとギュ、ギュと落ち着くように宥めている様子です。
私もそれに応えるように手のひらを返すとアーサー様の手を握り返しました。
アーサー様は少し驚かれたのが動きで分かりますがその後は2人、手を握りしめながら馬車に揺られます。会話などなくともお互いを労っているのはお互いの手のひらから感じていることでしょう。
此処で遠くから馬の嘶きが聞こえます。一頭や二頭ではなくもう少し数が居そうな気配と地響きを感じます。揺れの少ない魔法の馬車でこの感覚なのですから相当の数が居るかもしれません。
馬車はゆっくりと歩みを止めたので、一瞬頭の中では「賊」の文字が浮かびましたが、すぐさまそれがマール辺境伯からの使い兼護衛である事が伝えられました。
そして何とその陣頭指揮をとっていたのはシャーシャだと言うから驚きです。私は話を聞いて直ぐに馬車から顔を出します。見れば馬車から馬二頭半ほど離れた場所の馬上には見慣れた亜麻色の癖のない髪を一つに結い上げ、いつものドレスを脱ぎ捨て軍服に似た意匠の衣に身を包んだシャーシャがいました。
私は思わず声をかけます
「シャーシャ!迎えに来てくださったのね!それにしても余りの凛々しさに一瞬貴方だと理解が追いつかなかったわ」
「家ではこの格好の方が勝手がいいのよ…淑女らしさがなくてお恥ずかしいけれど」
シャーシャは恥ずかしそうに照れていますがとてもその男装が凛々しくて、いつもの嫋やかな彼女とのギャップに良い意味で驚いてしまいました。
彼女は一つ咳払いをすると口上を述べます。
「ようこそ、マール辺境伯領へ。アーサー殿下並びにスピカ様、遠いところご足労頂きありがとうございます。これより辺境伯邸までの道中は私シャリーシャ・ファルト・マール並びに我が家の精鋭が護衛致します。今しばらくごゆるりと辺境の地をお楽しみくださいませ」
そうして私達一行はマール辺境伯邸へと進みます。
程なく村や民家の点在する地を抜け大きな砦に囲まれた街へと着きます。要塞都市マール。マール辺境伯領の中心地にしてマール辺境伯邸のある地です。背には大きく聳える北方山脈が雄大に広がり、10人に聞けば10人が辺境の要塞と聞いて思い浮かべるような厳しい佇まいです。
屋敷に着き馬車から降りると、視界の端では馬から降りるシャーシャをコロイド卿が手を差し伸べて手助けしている様子が伺えました。此処ではアーサー様の護衛としてではなくシャーシャの婚約者としての立ち位置に自然と代わられているのが微笑ましく思います。勿論護衛としての任を忘れたわけではなく、今だに隙のない佇まいでいらっしゃいます。ですが心なしが厳しいお顔が綻ばれているように感じるのは此処数日の旅をご一緒したからでしょう。
その日は歓迎の晩餐に呼ばれ、シャーシャのご家族とご挨拶を交わし賑やかな晩餐を頂きました。北の郷土料理を中心に、大皿で出された物を各自で取り分けるのは初めての事で最初こそ戸惑いましたが皆で同じ料理を分け合うのは行動を共にする意思の表れのようにも感じます。こうして団結力を高めて国防に励まれているのでしょう。
シャーシャの家族は私の家族構成と似ていて、ご両親に3人のお兄様と弟君が1人です。この辺りの話が合ったのもシャーシャと仲良くなるきっかけでした。
辺境の守護者のお家だけあり質実剛健を掲げるマール辺境伯家の皆様は鍛え上げられた躯体に大人の男性は皆髭を蓄えておられるので少しばかり近寄りがたい雰囲気ですが、話せば豪快に笑われるような気さくな方々ばかりです。
シャーシャが友達を家に招待するのはお家の立地からか偶々慎重でどちらかというと仲良くなるまでに時間をかけるけれど深く付き合う性格のシャーシャ故なのか初めての事で、家族揃って驚いたとお話し下さいました。話のネタにされてしまったシャーシャは真っ赤になりながらご家族に抗議されている様子を見ているとつい自分の家族を思い出します。
私がまたあの家に帰ってもこんな風に笑い合えるのかしら…笑い合いたいものだわ…
そう寂しく思ったのは私だけの秘密です。
滞在2日目、アーサー様は公務で辺境領を視察しつつ帰路につかれます。予定されていた事とは言え此処までの旅路をご一緒させていただいていただけに寂しさが募ります。
「一足先に帝都で君の帰りを待っているよ。」
アーサー様は唇を私の手の甲に落とした後に馬車に乗り込まれます。
「ご無事の帰還をお祈り申し上げます。次に会う時には歳重ねのお祝いを致しましょうね」
アーサー様は「必ず」と短く返して馬車は旅立ちました。
しばしの別れが今生の別れのように私の胸は締め付けられるのです。
想い人が近くにいないのはこんなにも不安になるのですね…
1人感傷に浸っていると背後では何やら気配が致します。
「さてと、パールさん?殿下と何があったのかそろそろ私にもお話ししてくださっても良いのではなくて?」
振り向けば、獲物を見つけた狩人のように微笑む親友が佇んでおりました。
私はヘビに睨まれた蛙のように小さくなりながら彼女の背を追うのです。きっとこれから色々と聞かれるのは覚悟の上ですが何をどう話そうか…何処までなら話しても良いものかと歩を進めながらも目まぐるしく考えるのですが思考が中々まとまりません。シャーシャはサンルームへと私を案内して下さいます。
既に茶会のセットがされた室内を見ればお話し会の準備が済んでいることが察せられます。
おずおずと彼女の対面に腰を下ろすと、早速と彼女は切り出します。
「で、殿下との距離が以前よりも近くなられていたように感じるのだけれど、何があったのかしら?」
私はどう言ったものかとグルグルする頭で必死に考えて
「殿下に御心を頂いたの」
と答えました。顔は赤面していますし、気恥ずかしさから顔を掌で覆い私は咄嗟に突っ伏してしまいました。
「やっとかぁ〜長かったわね」
シャーシャは私にお茶を勧めつつ言います。私の頭は疑問符でいっぱいです。長かったとは何のことでしょうか…
私の疑問は顔に出ていたようで、シャーシャは続けます。
「殿下がパールに想いを寄せて居たのは随分と前からよ?」
私は驚いて固まってしまいました。確かに殿下は婚約者候補だからと私に優しくはしてくださっていましたが、他から見てもわかるほどの好意だったのに私は気づいていなかったのでしょうか…
「アーサー様が他の婚約者候補よりもパールに気をかけていたのは周知の事実よ?パールは気づいてなかったみたいだけれど」
話を聞いてみれば思い当たる節や知らなかった事までシャーシャは教えてくれます。
私が軽薄な男性は苦手ですとお答えしてから女性を口説くことを辞めただとか、校内のパーティーで私と踊った生徒を呼び出してお話しされていたですとか…
それに、私もアーサー様のことを目で追っていたですとか、書類でアーサー様の筆跡を見つけると笑っていたですとか…
自分でも気づいていなかった事柄を言われ羞恥に身悶える時間となりました。
あまりの恥ずかしさに私は涙目でしたがシャーシャは終始楽しそうで
「ここ最近はパールの憂いばかり見てきたから、あんなに幸せそうな貴女を見れて私、嬉しかったのよ?私やっぱり、お友達には笑っていて欲しいもの。パール、おめでとう。これが言いたかっただけなのよ」と言われれば悪い気は致しません
「ありがとう、シャーシャ。貴女もコロイド卿と仲がよろしいようで私も嬉しいわ」
少しだけ意地悪く返せば今度はシャーシャの方が赤くなる番です。コロイド卿は昨日から休暇としてマール領に滞在されていて、私達と共に帝都へと戻る予定です。このお休みの為に部下でマール伯にゆかりのある者を先に休暇で実家に返して殿下の護衛に付けて返す徹底ぶりなのでシャーシャも大概愛されています。そして滞在中は婚約者のシャーシャの側に出来るだけ一緒に居ようとする姿が微笑ましいのです。
この日は私達は夕方までおしゃべりを楽しんだのです。
辺境領滞在中は帝都では見れないものばかりでした。
軍馬の調教場を見たり、こちらの主食となるカルトッフェの畑を回ったり孤児院の慰問にも伺いました。
1番心を動かされたのは転移魔法で連れて行ってもらった北方山脈の国境砦でしょう。
現在この北方山脈の頂上を国境に山向こうは仮想敵国である王国領です。
万年雪の夏でも凍える山の砦が国防の最前線である事が今まで机で学んできた事を殊更実感させるのです。
私は此処で働く方々に感謝の気持ちを伝えれれば皆さんくすぐったそうに笑われました。
そこには国を護る誇りと意地が垣間見えた気が致します。
そして何故か国境砦の視察後にコロイド卿から謝罪を受けました。
「貴女を人伝に聞いただけで判断してしまった自分が情け無い。深く謝罪する。このひと月貴女の人となりを見させていただいた上で自分が間違っていたと判断するに至りました。今後は婚約者の良き理解者として、また我が主人の大切な方として接させていただきたい」
私が気にしていない旨を伝えるも、大きな犬が怒られた後のようにしゅんとされていました。そして謝罪にもあった通りこの日から…もっと前から感じていましたがより一層柔らかな対応をしていただけるようになりました。
シャーシャはそれがことの他嬉しかったようで「やっぱり彼の誤解が解けてよかったわ!」と鼻歌混じりに言っていましたね。
そんなふうに忙しくも楽しく日々は走り去りあっという間に2週間が経ってしまいました。
別れ際シャーシャのお母様からは「第二の故郷だと思っていつでも帰ってらっしゃい」と抱擁を受け思わず家族の暖かさに鼻が痛くなりました。
強面で立派な髭を蓄えたシャーシャのお父様、辺境伯様も「もう1人娘ができたようで別れが辛い」と鼻をすすっていらっしゃいました。
シャーシャの弟君のリアン君は今年度の入学とこのとでご一緒に馬車に乗り込みます。
馬車には私とシャーシャが隣り合い、向かいにはリアン君、護衛として5名の騎馬兵が囲み指揮はコロイド卿が自ら取られる形で出立しました。
馬車から小さくなる辺境の都を眺めつつ私はこの休暇をしみじみと思い出します。
休暇前とは比べられない程に心身共に軽くなった心地と大切なものが増えた心地よさは何物にも代え難い思い出となりました。
夏の思い出を大切な人々と過ごせてよかった
私は心の底からこの休暇に出会った人、共に過ごした人、協力してくれた全ての人に感謝した




