夏の思い出をあなたと 1
学園の夏季休暇に入って早々に私とシャーシャは風馬の引く馬車で帝都を後にしておりました。
大公領までの時間はあっという間の旅路でした。
2人でおしゃべりに花を咲かせたり帝都とは異なる街道の様子を眺めたり、泊まった宿屋に出された食事、途中の休息でこっそり2人で小川に足を浸したのも笑い合える時間でした。
大公領地に到着後は私は待ち合わせ場所の宿屋に、シャーシャは一足早く自領へと束の間の別れの挨拶を交わしました。
宿に着いた日の夜、まだ遅い時間ではない頃にアーサー様が大公領へ入られた知らせを受けました。お顔を見れるのは明日の朝になるだろうとその日は柔らかなベットの誘惑に抗えず早く寝てしまおうかとしていたら彼の来訪が知らされました。
私は寝巻きを脱ぎ捨てて1人でも着やすい簡素なドレスに着替えると、宿屋のエントランスへと急ぎ降りました。
「やぁ、スピカ。夜分だったので君の顔が一目見れたらと思って馬に無理をさせてしまったよ。今日は一応お忍びだから挨拶は要らないよ」
一階のエントランスでは未だに埃っぽい旅支度のアーサー様が私に微笑み掛けていらっしゃいます。
「アーサー様、ご無事の到着何よりですが、予定より早かったので驚いて飛び起きてしまいましたわ」
夜分の来訪を冗談めいて非難すれば控えの近衛は良い顔をしません
「エメンタール伯爵令嬢、皇子はその身に課された尊きお役目の為休む間も無く馬を駆けてこられたのだ。そのような振る舞いは控えて頂きたい」
彼は近衛騎士団第4隊隊長でシャーシャの婚約者であるコロイド侯爵様です。役職としては中将と高位の軍職に就かれている武人です。精悍な躯体と少しばかり無骨なお顔立ちですがシャーシャから聞き及んでいる人柄は真っ直ぐで懐に入れた人を絶対に守るような人情に篤い方だそうです。
今の物言いもアーサー様を悪い評判を聞く私から守りたくての発言でしょう。これが別の令嬢でしたら夜分の来訪に対する詫びを入れられていたかも知れません。
「トーマス、やめろ。夜分にご令嬢の元に押しかけたのはこっちだ。非礼は此方にある。」
ややうんざりと言った面持ちでアーサー様は侯爵様を黙らせました。
侯爵様は「はっ、出過ぎた真似を致しました」と言って下がり、私達は夜更けのラウンジで話をする事になりました。
それは明日の聖石奉納の儀に関する事でした。
「実は明日行われるのは聖石の奉納では無いんだ。明日はこの大公領の結界の乙女が代替わりされるんだ。私は皇室代表の皇帝代理としてその立ち合いの為に派遣されたんだよ」
大公領地は他の大領地と違い大公では無く皇族が立ち会われると聞いたことは御座いますが、それが事実だった事に驚き、それがまた明日である事実にも私如きが聞き及んで良い内容では無い気がして畏れを抱きます。
「アーサー様、それは私が聞いても良い内容なのでしょうか?それは国家機密に当たる事案だと愚考いたしますが…」
「もっともだ。しかしこれは父上から明かしても良いと言われている。その上で協力を仰げともな…」
「協力?で御座いますか?」
皇帝陛下からの事であれば否やはありませんが私に何をさせる心算なの皆目検討がつきません。
「次代様の介添人として儀式への参加と補助をお願いしたい。そして君の聖力を少しばかり分け与えて欲しいんだ」
詳しく話を聞けば、次代様は皇族の流れを汲む名門の出身だそうなのです。しかしながら御母堂様がモナザ病に罹患し貴族籍を抜けられた後に教会でお産まれになり育ったという複雑な経緯をお持ちだそうです。そして本来であれば儀式に立ち会う親族が殆ど居らず、介添人を勤める予定であった後見人が急な病を得て伏せってしまっているのだそうです。
そして、次代様は紫の聖力をお持ちですがお力は弱いお方だそうで今後のお役目のためにも補助のために私の白の聖力を分け与えて欲しいのだとか…そして、それを次代様が望まれているのだと
私は次代様にお会いした事は無いと思っていたのですが、次代様は一時期エメンタールの教会でお勤めされていたそうで、そこで私に憧れを抱いたのだと仰っていたと知らされます。そしてそれを裏付けるように次代様からのお手紙を見せられました。
そこには説明を受けた通り急な事ではあるけれど可能ならば私に手をとって欲しいと切々と申されていました。
「大変光栄な事ですが私に務まるでしょうか…」
弱気な発言が口を衝いたのには自分でも驚きました。
しかしアーサー様は私の瞳を真摯に見つめて言うのです。
「むしろ君にしか務まらない。次代は君のような人になりたいとお勤めに励んでいたそうだ。本当に急な事で申し訳ないが受けてくれるか?」
「私で良ければ全力でお力になりたく存じます」
次代様はきっと私が今どんな噂の的になっているのかなど知らないのでしょう。でもその分私を直接知っていてその上で請われたのであれば私は私に出来る事をしなければならないと強く思うのでした。
何よりも結界の乙女となる方のお力になれる事が戸惑いもありましたが嬉しかったのです。
翌日は、朝から教会へと向かいました。例の如く聖水入りの湯殿で身を清め、聖水を口にし、法衣に似た白い服を纏い次代様とお会いしました。
通された部屋には私とそう変わらない年頃の女性が純白のドレスに身を包まれて窓辺に佇んで居ました。
緊張や不安の見え隠れするその顔が私を捉えると、花が咲くかのように笑まれました。
その黒い髪に茶の瞳の顔はエメンタールで猊下の側仕えとして控えていた方と相違ありません。
「エメンタール伯爵令嬢様!お久しゅう御座います。此度は私めの我儘にお付き合い頂き感謝の念に絶えません」
そう言って深々と頭を垂れられました。
「頭をお上げになってください、次代様!私こそこのような尊き場に立ち会える光栄に感謝を致しますわ」
慌てて頭を上げるよに促しつつ寄り添えば次代様…名をリーリア様とおっしゃいますが、彼女は恥ずかしそうに紅潮した頬を押さえていらっしゃいます。
その後、彼女は嬉しそうに私との思い出を聞かせてくれました。私も覚えていなかったような出会いまで語って下さいました。
その時の対応がどれほど嬉しかったのか語る彼女の瞳に嘘や偽りは全く無く、私の緊張も解れました。
そして何故彼女は次代としてこの場に来たのかも教えてくれました。
彼女との出会いはエメンタールの教会、それも我が領地の当代様と初めてお会いした日でした。彼女は教会生まれの教会育ちですが流れる身分の高さから教皇猊下の側仕えとして大領地の教会でお勤めに励まれていたそうで、あの日も目隠しをされ聖域へと向かう私の手を最後に引いてくれていたのが彼女だったそうなのです。
そしてあの日、私の身に起こった事を見ていた1人なのだとお聞きしました。
「私、あの時エメンタール伯爵令嬢に天使を見ましたの。それでもし叶うのならば貴方様のように高潔な人間でありたい、人を助け支える人になりたいと思って励んでまいりました。そして、私の少ない聖力でもお国のためになれると結界の乙女のお役目を頂戴したのです。」
私自身は彼女が思うような立派な人間などではありませんが彼女の思いは伝わりました。
「本当は私は選ばれないと思っていたんです。貴族籍のある令嬢方には結界の乙女のお役目は嫌厭されるとお聞きしましたが、教会では尊ばれるお役目なんです。でも皆んな聖力が弱かったり少なかったりで選ばれることが少ないんです…だから選ばれたからにはお勤めを全うしたいと思います。出来れば憧れのエメンタール伯爵令嬢との思い出のあるエメンタールの地でお勤め出来たらと思ってたんですけれど力の色も御当代のお力加減からしても大公領へとなりました」
彼女は美しかった。そして何より心が強かった。
彼女は私に憧れを抱いていたようですが私は彼女にこそ強く憧れました。
「怖くはないのですか?」
私は思わず聞いてしまいました
私は結界の乙女になる方はもっと悲壮的なのかと思っていたのです。国のためとはいえその身を捧げる恐怖が無いとは思えなくて…
「怖くはあります。でも、お会いしたかった方にもお会い出来ましたし、身寄りのない私に出来る最大のご恩返しの晴れ舞台ですもの…でも…ちょっぴり怖いので式典中は手を握っていて貰えませんか?」
私は勿論ですと彼女に手を差し出すと彼女も手を重ねて下さいました。
そして当代交代の儀に挑むべく2人で控えの部屋を出て聖域へと向かいました。
聖域まではやはり目隠しで手を引かれての移動でしたが躓く事もなく聖域に案内されます。
聖域にはすでにアーサー様とこちらの教会の責任者たる教皇猊下がいらっしゃいます。
介添人として呼ばれていても何をするのか全くわかっていない私は次代様にただ着いて行くのですが先ほどのお願い通り私の手を強く握っていらっしゃいます。
所定の位置なのでしょう。ご寝台から一段低い位置まで歩みを進めると儀式が始まります。
猊下の祝詞が始まると私の目の前は光で包まれます。光で部屋いっぱいが満たされると猊下は次代様へ決意の確認をされます
「リーリア・コールデル、汝は国の礎としてその身を尽くし我らの安寧の守護者となる事を誓う者か?」
「はい。私リーリア・コールデルはこの身の限り帝国とそこに住まう人々の安寧を願う者に御座います」
「何か言い残すことはありますか?」
「はい。では、エメンタール伯爵令嬢、よろしいでしょうか?」
呼ばれた私は居ずまいを正すと、次代様は笑顔で
「スピカ様とお呼びしてもよろしいですか?」
と問われます。一瞬私も何を言われたのか分からなくって、一拍の後
「勿論ですわリーリア様。私の大事な友ですもの」
と返せばリーリア様は私に抱擁の後
「行って参ります」と告げて空の寝台へと足を運びます。
寝台へと自ら横になるリーリアはとても神聖に見えました。
そしてゆっくりと瞼を閉じ、胸の上で手を組むと祝詞を歌い始めます。
猊下もその祝詞に続き、私も祝詞と共に祈りを捧げました。
部屋いっぱいに福音の光が舞う中で私の中の力の一部がリーリア様へと流れるのが分かります。
この力がリーリア様のお力になりますように
リーリア様の支えとなりますように…
彼女の願いが叶いますように…
光が徐々に収まり、リーリア様の眠る寝台だけが淡い光に包まれもう一つの寝台の光が消えました。
あぁ、彼女はお勤めの眠りに行ってしまわれたのだと悟ります。
しかし不思議と悲壮感は無く彼女の尊き思いが叶う事を強く強く願うのみです
どのくらいでしょうか
しばらく彼女の眠る寝台を眺めているとカサリと衣擦れの音が致します。
音のした方を振り向けばもう一つの寝台から身を起こす美しい人の姿がありました。
「御先代様、長きお勤め誠に有難うございました。貴女のお陰様を持ちまして多くの国民が救われました。」
猊下は深々と頭を垂れる。最上級の感謝をその身で体現されているのだ。
私も自然と感謝の気持ちを伝えるべく頭を垂れました
「御先代、皇帝陛下よりこの後は栄誉ある時間を過ごされよとお言葉を賜っています。私からも貴殿に感謝と敬意を表します」
アーサー様がそう言って御先代様の手を取り寝台から御先代様が立ち上がるのをエスコートされます。
「有り難きお言葉を賜われた事、身に余る名誉で御座います」
長き眠りから醒めたばかりとは思えない程澄んだ声音で応えられたあとは教会の祭司の人達が用意していた車椅子で御先代様は聖域を後にされました。
この後の彼女はご実家か教会か…何れにしても心穏やかな時を過ごせる場所で最後の時を静かに迎えるのでしょう…
そんな一抹の寂しさを感じつつ私はアーサー様に促されて聖域を後にします。
最後に振り返り、今は当代様となられたリーリアに向かい一礼を致しました
「リーリア、貴女の献身に感謝を…ありきたりの言葉しか紡げないけれど、貴女の友になれたことに感謝と敬愛を捧げます」
最後に見た寝台がまるで頑張りますとでも言うように瞬いて見えたのはきっと私だけなのでしょう。
私は今回、この儀式に立ち会えて良かったと心の底から思い、奇跡と運命に感謝致しました。
そして何より今一層結界の乙女の皆様に感謝と親愛と尊敬を抱きました。
その余韻も醒めないうちに移動となってしまうのは寂しくも有りましたが、またこの地を訪れるときには教会へ必ず寄ろうと心に誓ったのでした。




