皇子とのお茶会
学園の中庭で生徒たちたが話しをしている声が聞こえる
「ねぇ、お聞きになりました?あのエメンタールのスピカ様、実はお帰りになったステラ様を陰で虐めていたんですって!」
「まぁ、本当?だってスピカ様と言ったら完璧な淑女と名高いのに」
「本当ですわよ。ステラ様の怯えようはとてもじゃないですけれど…ねぇ…」
「やはり本物には叶わないと思っての事でしょ?今は家を追い出されていると聞きますし」
クスクスと笑い声が聞こえてくる
ステラの入学から1週間もしないうちにスピカの悪評は鰻登りの急上昇。
品行方正な聖女の裏側が醜悪な悪女だなんて面白い話題に刺激の足りない貴族連中が飛びつかない訳がなかった。
「気にする事はないわ…あんなのスピカ様を知らない人達が面白おかしく言っているだけですもの」
「そうよ、スピカ様と少しでも接する事があればわかるはずですわ」
と友が言ってくれるのが救いだった。
知らない人たちからまで後ろ指をさされる生活はいまだに慣れることはない…
今までも僻みややっかみと言った類の感情を向けられる事はあってもこんなにもかあからさまな悪感情が続く事は無かったのだから
それに嫌悪感は出さなくとも距離を取る人も出てくるのは地味に堪える…
そんな時に連絡を受けたのが以前から予定されていた皇子とのお茶会だった。
指定された場所はスピカの提案通り学園内の庭園で、今の学園に正直アーサーには来て欲しくは無かったが自分から提案していただけに断り辛い。
渋々ながらも了承すればお茶会まではあっという間であった…
お茶会が開かれた日は初夏の暑すぎることのない日差しと爽やかな風が時折吹き抜ける絶妙な日だった。
スピカが手紙で記した花々は一度身を潜め、初夏の花々が目を楽しませてくれる。1番目に止まるのは夏薔薇で出来たアーチだろうか
中庭の広場には大きな傘がたてられた白いテーブルと対の椅子が二脚ではなく三脚、ケーキスタンドにも3人分の軽食や菓子類が用意されていた。
そして傍には本日の主役たる皇子をまつ大輪の花が二輪並んで立っている。
1人は貴族にしては異質なほどに短い肩程の薄金の髪で頭上に大きめのリボンを揺らす。大きく垂れ目がちな瞳の色は薄紫のオダマキのようで庇護欲をくすぐる愛くるしい容姿。薄桃色のモスリンのドレスはふんだんに使われたレースも相待って絵本の中のお姫様をそのまま現実にしたような甘さを漂わせる女性だ。
もう1人は貴族的な長く美しいヘーゼルカラーの髪を適度に結い上げ、品よく小ぶりなアクセサリーでまとめている。榛色の切長の瞳は知性的で、すっきりとしたドレスラインと合わせても洗練された印象で隣の女性とは対照的に映る。
予定の時間よりも少し早く庭園には話し声が聞こえてくる。聞き覚えのある声は学園長と婚約者候補である皇子のものだとスピカは直ぐに気付き、カーテシーをもって出迎えた。
ステラは一拍間が空いてから慌てたようにカーテシーの姿勢になるが慌てた為に少しばかり粗が目立つが指摘するほどの時間は無かった。
「2人は先に来ていたのだな。待たせてすまない。学園長も楽しい時間でしたが、これからはこの花達ともっと楽しい時間を過ごさせてもらうので書類の山へとお戻りください」
そう言って学園長先生をアーサー様は追い立てる。
「おやおや、そんな皮肉を皇子から言われる日が来るとは…年はとりたくないものですな。まぁ、若人の歓談に年寄りがいるのも無粋。私めは退散いたしますとも」
冗談めいた追い立てに学園長先生は冗談でお返しになりながらその場を後にされました。
足音で踵を返されたのを確認するとお姉様を私は盗み見ます。
ご挨拶の口上を述べる様子もないので一呼吸おいてからご挨拶をいたしました。
「帝国の小さき太陽であるアーサー殿下にご挨拶申し上げます。本日はご足労頂きありがとうございま…」
「堅苦しい挨拶など要らないよ。それよりも2人とも顔を上げてくれ」
途中で遮られ、促された為に私とお姉様は顔を上げます。
「アーサー様、この前のデビュタント以来ですね!わたしあの時すっごく楽しかったので今日会えるのが楽しみだったんです!」
「お姉様!いくらお許しがあっても不敬です!」
お姉様の砕けた言い回しに慌てて嗜めを込めましたがそれを制したのは殿下でした。
「構わないよ。ステラ嬢のお育ちは伺っている。おいおい慣れてくれればいんだよ。何よりも君の姉君だからね」
「アーサー様が、おっしゃるのであれば…お目溢しに感謝いたします」
お姉様は何処か勝ち誇ったような笑顔でおります。
アーサー様にお姉様を庇われるのはなんだか面白くありませんでしたが、私の身内という事でお咎めがないのだと思えば溜飲も不思議と下がります。
その後は席に着くとお茶会が始まりました。
鼻腔をくすぐるのはいつの日か口にしたハーブの香りが爽やかな一杯です。
「しかし、本当に久しぶりになってしまった。スピカともステラ嬢ともカイン殿の披露宴以来になってしまったね」
「その節は私、挨拶もそこそこに退席してしまい申し訳なく思っておりました。改めて謝罪をいたします。せめて一曲くらいご一緒したかったのですが…」
「あの件は致し方無かったと理解しているから謝罪は不要だよ。ダンスは次の機会に楽しみにしているよ。それにあの日はステラ嬢が代わりに僕と踊ってくれたしね」
「はい、わたしもデビュタントでアーサー様と踊れて嬉しかったです♪」
弾むようにお姉様は答えます。
「そう言えばあの日がデビュタントでしたね。スピカのドレスを纏ってらっしゃったので驚きましたよ…あちらの装いも良かったが今日の装いも素敵ですね、ステラ嬢」
帝国では紳士は淑女の美しさを讃えるしきたりが御座います。これもその一環と顔が強張るのを私は必死で堪えます。
「ありがとうございます!今日はアーサー様にお会いできると聞いて新しく誂えたんですよ!素敵だなんて言われると照れちゃいます」
頬に手を当て視線を下げる仕草は可憐ですが胸がざわつきます。
「スピカは今日も美しいね。見覚えのあるドレスな気がするがいつだったろうか」
「あっ…このドレスはお気に入りなもので以前の園遊会に着たものをアレンジしてみたのです…お気に触りましたか?」
私は冷や汗が流れる。私はしばらくドレスの新調などしていないし、数多あったドレスも殆どがお姉さまの衣装室の中で手元に残った数少ないドレスでどうにか凌いでいるのが現状なのですから…
「あぁ、あの園遊会の時の装いだったか…アレンジで印象が違って見えるのは面白い。それに何より君によく似合っている。次の夜会の時にはそちらを参考にして君にドレスを贈ろう」
「まぁ、それは嬉しゅう御座います!楽しみにしておりますね」
私はホッと胸を撫で下ろします。それに、アーサー様が約束を覚えていてくれた事が嬉しいのです。
「2人とも、私の知らない時の話をするのはずるいです!私にもわかるお話してください!」
お姉様は可愛らしく頬を膨らませ拗ねるそぶりを見せられます。
アーサー様はそうだなと話題を変えられます。
「スピカ嬢に誘われて久々に学園に足を運んだけれど懐かしさもあるが随分と雰囲気が変わったような気がするよ。特に女子生徒の流行には驚かされる。これもステラ嬢の影響かな?」
流行というのはお姉様と同じようにスカートを短くしたり、リボンを使って長い髪を短く見せるのがここ数日で広まった事を言っているのでしょう。低学年の生徒を中心に奇跡の令嬢風として大人気なのだそうです。実際にあのスカート丈の生徒とすれ違う度に目のやり場には困っておりますし、見慣れない女生徒の短髪姿は修道女のようでドキリと致します。
「そうなんです!貴族の皆さんが髪を短くするなんて出来ないと思ってましたけど、すごいですよね!私の事も認めてもらえたみたいで嬉しいんです!」
「新しい風を感じるよ。それに面白い話も耳にしたんだ」
「どんな話ですか?スピカも知りたいよね」
「えぇ、どんな話か気になりますわ」
「なんでも、今学園には完璧な悪女が居るらしいんだよ。君たちは何か知っているかい?」
私の心臓は早鐘を打ちます。それはきっと私の事だと直感的に理解したからです…そんな風に噂されている事を私はこの人にだけ知られたくなかったのですから…
お茶を口に含んでいるのに喉が渇く不快な心地でいるとお姉様が先に口を開かれました。
「えぇ〜本当にそんな人がいるんですか?悪女だなんてわたしは怖いな…スピカは知ってる?」
「いぇ…存じ上げませんわ…」
声が震えないように必死になりながら私は声にしました。どうやら私の間は思案し心当たりがない事で生まれたものと解釈されたようで私を置き去りにして会話は続きます。
「そうか…2人が知らないとなると噂などは当てにならないかもしれないな…しかし本当に居るのなら完璧な悪女とやらに会ってみたいものだよ」
「アーサー様はその人に会ってどうするんですか?」
「どうもしないさ。ただどんな女性なのか気になるのさ」
その後も様々な話題が飛び交いましたが私は半分くらい上の空…
本来ならば殿下と2人の楽しい茶会になるはずでしたのに…
ぼんやりと菓子を摘んでいると、アーサー様の方から手が伸び私の額に当てられました。
「アーサー様⁈どうなさったのですか!」
慌てて身を引こうとしますが額と同時に手も掴まれている為私は動く事が出来ませんでいると、こう問われました。
「いつもの君と様子が違うから熱でもあるのかと思ったんだ。何処か具合は悪くないか?無理をしていないか?」
あぁ、この方は私の事を良くご覧になっているのだなとささくれた私の心に清水を流された心地です
「いえ、少々夏の気に当てられたのでしょう。公務の合間にお時間を頂いたのにこのような失態、失礼致しました。」
紅くなっているであろう頬を見られるのが恥ずかしくて、謝る体で頭を下げました
「気にする事はないよ…でも本当にお疲れの様子だ。僕もそろそろ帰るから君もゆっくりとこの後は休むといい」
優しい言葉に心が潤み、締め付けられます…
「過分なお言葉有り難く存じます。お言葉に甘えさせて頂きますね」
私の微笑みにアーサー様も微笑み返して下さいました。
「ステラ嬢も今日は楽しい時間をありがとう。また時間があれば話をさせて貰いたい」
「是非お願いします。またアーサー様とお会いできるのを私楽しみに待ちますね!」
お姉様は屈託ない笑顔で返事をされています
お姉様とアーサー様は握手を交わすとアーサー様は中庭を後にされました。
「スピカはいいなぁ〜あんな素敵な婚約者が居て!」
お姉様が不意におっしゃられました
「お姉様、まだ婚約者候補ですわ。それにお姉様にも縁談が舞い込んでいるとお聞きしています。きっとすぐにでも素敵な婚約者が決まりますわ」
そう返せばお姉様は頬を膨らませます。
「皇子様以上の良縁ではないわ…アーサー様かっこよかったなぁ〜完璧な悪女よりも奇跡の令嬢の方が皇子様には相応しいと思わない?」
不敵で挑発するような笑顔のお姉様は私を覗き込んできました。私は咄嗟に視線をそらし「何のことでしょう…それに殿下の婚約者をお決めになるのは私ではありませんわ」と答えるのが心の余裕の無い私に出来る精一杯です。
それもそうね、と気にした様子もなくお姉様も中庭を後にされます。
後に残った私は一度深く息を吐き、冷たく冷めてしまったお茶を流し込みました…
昔飲んだ時には心を落ち着けてくれた茶葉も今の私には只々苦味を与えるだけでした…




