新たな光と影
エメンタール伯爵夫人はとても張り切っていた。
実の娘が手元に帰って来たのだから当然の事だろう。
帰国の馬車や宿屋で寝食を共にし、話をしてみればステラはとても素直で屈託のない子なのだとわかった。平民育ちのせいで食事のマナーや礼儀作法はからっきしだが、覚えよう、良くしようという欲があるので教え甲斐もある。筋も悪くない。
長い事栄養価が足りていなかった影響なのか、流行病のせいなのか、少しばかり肺を患っている事も聞かされた。屋敷に帰ったらまずは静養と教育だろう。
自分と同じ紫の瞳が揺れる度にこの子に最高のものを…今までしてあげられなかった事を全部与えてあげようと思うのでした。
到着の知らせを聞き、帝都邸宅のエントランスでは兄弟や上級使用人達が今か今かと到着を待ち侘びていました。
「カインお兄様、今日いらっしゃるのは私のお姉様なのかしら?それとも妹君になるのかしら?」
スピカもドキドキと緊張しています。
「同年の子供がいる家庭に養子を迎える場合は実子が上になる。だから今日来る令嬢が姉になるはずだ。スピカは末っ子のままだな。」今日のために領地から飛んできたカインは答えます。文字通りカインは魔法で自力で転移してつい先ほど来たばかりです。
「どちらにしても僕らにとっては可愛い妹が増えることに違いはないさ。」アレクが相槌を打ちます。初対面の妹を良く見るためなのでしょう、今日は最近かけている色付きの眼鏡ではなく普通の眼鏡で待ち構えます。
「そうだな!平民育ちだっていうから、俺たちがしっかりとサポートしてやろうな!兄貴、スピカ!」「この中で1番粗忽で貴族らしくないお前が言うのか」と兄に嗜められながらも笑うフレットも今日のために特別休暇をもらって来ていました。
実は暫くぶりの兄弟全員での対面なのです。
そしてもう直ぐここにもう1人の兄妹が来ると思うと自然と皆の顔は緊張と期待に満ち満ちて行きます。
馬車が到着したのは事前に知らされていた先触れ通りでした。スレイプニル4頭が引く馬車が屋敷の玄関に横付きます。中から最初に降りて来たのは父であるエメンタール伯爵で次に降りて来たのは母のエメンタール伯爵夫人でした。2人とも心なしが疲労がお顔に出ています。そして最後に出て来たのがステラでした。
出発前よりもふっくらとした頬には血色よくチークが乗せられ、小さな口元には控えめなローズピンクの紅が引かれています。短いながらも艶を含み始めた髪には頭頂部に視線を集めるようにと大きめのレースリボンで縁取られ、仕立ての良いドレスはコルセットなど無くても彼女の細さを知らせます。全体に幼さが際立つ印象ですが、教会で彼女を知る者達から見たら驚かれる程に貴族女性らしくなった女性がそこにはいた。エメンタール伯爵夫人の自信作である。
馬車から降り、玄関扉を潜った先のエントランスには家人達と初対面の兄妹達と言う状況ながらも彼女は堂々としていた。
「皆、無事に帰還した。長く留守にしたが家を守ってくれてありがとう。そして、ついに、娘を我が家に連れて帰ることが出来た。さぁ、ステラご挨拶をなさい。」父の言葉に促されステラは拙いながらもカーテシーを決める。子供のお茶会でももう少し上手だと思える程のものでしたが一生懸命さは伝わるものです。
「はじめまして。ステラ・フォン・エメンタールです。皆様どうぞよろしくお願いします。」
「初めてとは思えないくらい素敵なご挨拶だったわよ!ステラ!」伯爵夫人は例え拙かろうと娘を褒めそやしました。
「お帰りをお待ちしておりました、父上、母上、そして…ようこそ我が家へステラ。私が長兄のカインだ。普段は領地で暮らしているがこれからよろしく。」カインが手を伸ばせばステラは両手でその手を掴みました。「カイン兄さんですね!よろしくお願いします!わたしずっと1人だったから兄さんのいる子達が羨ましかったの。それにカイン兄さんは魔法の天才なんでしょ?私にもお貴族様の魔法が使えるかしら⁈」
ステラの貴族的ではない話し方などに戸惑いつつも兄ができて嬉しいと語るステラの対応が微笑ましく思えたカインは「私の妹なんだ、きっと直ぐに魔法も覚えてしまうよ」と優しく返した。
「兄さんが魔法を教えるなら、俺は護身術と乗馬なら教えられるぜ。俺は三男坊のフレット。今は近衛騎士団に所属で家から離れてるけど妹のためなら直ぐに駆けつけてやるさ。」
フレットは、胸を張る。するとステラは紫の瞳をキラキラさせながら胸の前で手を組むと憧れの王子様でも見るようにフレットに向き合う。
「フレット兄さんは近衛騎士団なのですね!皇帝陛下を守るエリート中のエリートじゃないですか!そんな兄さんが出来るだなんて夢見たい!」
褒められて悪い気のしないフレットは照れながら頭をかいた。
「僕は次男のアレクだよ。病気のせいで目が悪い。申し訳ないが近くで顔をみせてくれるかい?」
そう言ってステラに近づくと、ステラは「このくらい?」と言って鼻がぶつかるくらい近くまで顔を寄せて見せた。いきなりの事にアレクは飛び退き「そんなに近づいたら余計に見えないじゃないか…フフッ。ステラは面白い子だね」と笑い出した。
「はじめまして、お姉様。私はスピカです。何か困り事があれば遠慮なく頼って下さいませ。同じ年同士仲良く出来たら嬉しく思いますわ。」スピカは微笑みを浮かべて近寄りました。一瞬ステラと目が合うと何故か心がザワザワとしました。社交界でも何度か向けられたことのある冷たい敵意ある視線です。しかしそれも気のせいと思えるほどの刹那でステラは「えぇ!よろしくお願いします!」と満面の笑顔です。やはり気のせいだとスピカは思うように気を向けます。
「お母様、わたしなんだか胸が苦しくなってきて…」ステラは突然ゴホゴホと咳き込みはじめました。「大丈夫かい⁈ステラ?」家族がステラを囲みます。「ステラは肺を少し患っているの!挨拶の途中だけれどももう休ませてあげたいわ。部屋は1番日当たりと風の通りの良い部屋にしましょう!」
その条件に当てはまるのはスピカの自室です。2番目はカインの部屋であるため女性のステラが使うのに勝手が違いすぎます。
「スピカ、悪いが部屋を譲ってくれるか?お前の部屋は取り敢えず客間に用意させてから整えるから」
父に言われては断る事は出来ません。
「はい、わかりました。ですが、大切なものを移すお時間だけ頂けますか?」
「スピカ!ステラは今こんなに苦しんでいるのよ?直ぐに明け渡しなさい!」普段は温厚な夫人が声を荒げました。スピカが拒絶した訳ではないと分かっているのですがステラを早く休ませたいと気が昂っていたのです。
「取り敢えず今はステラを部屋へ。スピカの荷物は後で運ぼう。私も手伝ってあげるから」カインが助けるつもりでそう言うと「わかりました。わがままを言って申し訳ございませんでした。」とスピカは謝罪を口にします。決してスピカが悪い訳ではなかったのですが時には折れることも大切だとスピカはわかっていたからです。
ステラは母に肩を抱かれながら階段を登って行きました。目指す先はスピカが長年暮らした部屋でしょう。それを目で追うのはなんだか憚られてスピカはそっと目を玄関に見やりました。閉じられた堅牢な樫の扉が一層大きく重たく感じたのでした。




