間話 「カインの書」
その年一つの仮説論文が発表された。
後に発表者の名前から「カインの書」と呼ばれる論文である。
正式な論文名は「結界の乙女システムの地脈と聖力における因果性と聖力譲渡による在任期間延長に際する検証の検討」である。
この論文はまず建国当初の頃まで遡る。
結界の乙女の初代となられた方々は皆6大領地貴族の血縁者であったと文献には記されている。
なぜ大領地貴族の血縁者ばかりだったのかいくつかの仮説がたてられる。
大領地を賜る見返りに血縁者を差し出した説
地方豪族を帝国に編入する見返り説
純粋に見返りなどなく志高い志願者であった説
本当は血縁者ではなかった説
その血族でなければならなかった何かがあった説…
論文上では「その血族でなければならなかった説」が有力視されていた。
実は建国から大公家以外の大領地家門は変わっていない。諸般の事情により名前などは変更されている家門もあるが基本的な血筋は変わっていない。大公家も歴代の皇室から臣籍降下された方々なのでやはり血筋が変わっている訳ではないのだ。
聖力は7色に分けられている。赤、橙、黄、緑、青、紫、白の7色だ。それぞれ赤は火、橙は金、黄は土、緑は木、青は水、紫は闇、白は光の魔法特性が強いとされている。そして大領地家門は一つも被る事なく特色の聖力色がある。
皇族が白と紫なのは有名な話である。そして、著者自身大領地家門であるエメンタール伯爵家に連なる者で青の聖力であると記されている。中には何色か色を宿す人もいるが個人差があるので今回の議論には出さない。
なぜ初代の乙女達が大領地家門の血縁者だったのかに話は戻る。それは結界の魔法が地脈の力と乙女の聖力を使った術式で相互作用が働くのではないかと仮説を提唱したのだ。6大領地…天領まで入れれば7つの大領地其々に同じ力で尚且つ聖力の強い家門を配置したのではないかと。そして要石となる乙女を血縁者から出す事で術式の力を最大限活かせるようにしていたのではないかと結論付けられている。
実際、古代の記録として初代から数代までは直系の血縁者が多くその任についていた記述がある。そして在任期間は平均して40年程とかなり長い。
中期になると、直系では無いが家門の娘が乙女となる時期が続く。これは国が安定してきた為に起こったことでは無いかと推測された。この頃の在任期間は平均で20年ほどと古代からは約半分となる。
そして近代になると家門の娘ではなく広く別家門のそれも聖力の弱い娘がその役に就く事が主流になっている。
それに比例するように乙女の在任期間が短くなっている事が問題として定義されている。在任期間の、平均は10年となっているが早い者だと3年程で世代交代が起きているのだ。
何故在任期間が短くなったのかであるが原因は2つ挙げられており、一つはそもそもの聖力不足。もう一つは地脈の力との相性の問題である。
聖力はそれぞれの色で支援したり反発したりするものである。
例えば赤で火の力が強い者と緑で木の力が強い者が闘ったら木を燃やす赤が強い。しかし緑に青が加勢すれば木は勢いがまし、火の力は弱まるので木が勝つかもしれない…といった要領だ。
例外として白の光はどの色とでも相性が良く、紫の闇はあまり他の色を好まない。
地脈の力にも同じ事が言えるのでは無いかと推測されている。
現にエメンタール領の地脈の色は青。領主家の聖力色も青。当時の乙女の聖力色は黄色。相性で言ったのならば水を堰き止めて濁らせてしまう関係なので良い相性では無い。
このように地脈の力を阻害してしまう乙女の場合には在任期間が短くなる傾向にある事が記されている。
そして南の大領地の乙女も同じ状況にあると推察している。南の大領地は鉱山の多い侯爵領で当時の乙女は近領の準男爵家の出身で火の聖力であった事まで記されている。そこからは推察だが地力が領主家門と同じならば地力の色は橙。つまりは金の力である。金の力は火の力で溶かされるとされる。これにより乙女は充分な力を発揮出来ていないのではないかと問題提起されている。
その問題を打開する案として聖力の奉納が有効としている。実際にエメンタールでは地力に対応した協力者が造った聖石の奉納により事態の改善がなされたという。
これは領主一族でなければならないのか他の家門のものでも良いのかは今後の検証によるとされていた。
更に古の時代の貴族達は年に一度教会に感謝の祈りを納めていたとの記録があるのでこれは聖石を納めていたのではないかと仮説だてされている。
その名残が新年の祝いの時に皇族が行う聖石奉納の儀なのではないかとしている。
聖石奉納の儀は皇族の中で一年間聖石を育み最も大きく育った聖石を初代の聖女へと献上する儀式である。この儀式を模して大切な人へ聖石を捧げる文化が根付いたと言われている。
その為、帝国貴族は学院を卒業するまでに聖石の造り方をマスターし、婚約者や想い人へプロポーズとして送る伝統がある。騎士は主と認めた人へ忠誠の証として首打ち式の最後に聖石を自分の心臓だと言って差し出す。だから学院在学中の貴族令嬢令息はせっせと自分の聖石を造ってその時を待つのだ。特に大きく綺麗に造る事はそれだけ聖力を使う事なので聖力の使い方が未熟な若者達は毎日少しずつコツコツと育む。あまりに小さな聖石を渡すと翌日からのお茶会で笑い物にされかねない。実際に小指の爪半分程の聖石を持ってプロポーズをした男爵家の令息は婚約破棄の上未婚で一生を終えたなんて話が誠しやかに囁かれている。
そんな事から帝国貴族の間では聖石のサイズは最低でも親指の爪程の大きさがプロポーズの基準になっているとかいないとか、愛の大きさが聖石の大きさだとか、憧れの人の聖石ならば小指の爪程でも欲しいとか言われていたりするのである。
間話休題。
発表された当初からこの論文は衝撃的だった。
近年は在任期間が短い事が大領地貴族達にとっては頭の痛い問題の種だ。
乙女を輩出した家門にはそれ相応の便宜や報奨を差し出すのが慣習である。それも相当な額が動く。短期間で任期切れを起こされるのは相当な負担なのだ。
それに、その報奨目当てに娘を喜んで差し出す没落寸前の貴族も一部ではいたが、殆どは国の為にと泣く泣く娘を送りだす善意の貴族達だ。それだって喜んで差し出すわけでは無い。貴族家だって無数にある訳でもましてや年頃の令嬢が無尽蔵にいる訳でも無い。年頃の令嬢が1世代居なくなってしまえばそれは国全体の破綻に繋がると危惧もされていた。
そんな折に発表された論文は正に渡に船だった。
そして真っ先に食いついたのは当代様が弱っていると指摘を受けた南の侯爵領領主であった。
彼は直ぐにエメンタール家と渡をつけ共同研究を行った。
その結果は目覚ましく、任期期間の大幅な延長を果たせた。
その過程で分かった事がある。
奉納される聖石は色さえ合えばどの家門で誰に造られていても正常に作用するが光の聖力があると補助効果がつくことや、古い聖石でも効果が見込める点だ。
この成果から大領地の家門は年に一度聖石の奉納を試験的に実施し一定の効果が見込まれている。
更に乙女選定の際には地力に合った地へ配属されるよう配慮されるようになる。
温故知新と東国では云われるそうだが正にその通り。全ては解明された訳では無いが大きく改善した功績は大きく評価される事となったのでした。




