商業都市港ミーナエ
タバフから戻って2日はお父様お母様と過ごしました。
お父様の領都視察について行ってはお父様が仕事の話そっちのけで私の話を相手にしようとするのを修正するのは骨が折れました。
一方お母様とは心穏やかに刺繍や渡来品のお茶やお菓子の試飲試食を名目にしたお茶会、珍しい渡来の布地をどう使ったら素敵かなどをお話ししながら過ごしました。
滞在4日目の朝、お日様の光もまだ寝ぼけているくらい柔らかな朝日の草原を私は馬車に揺られておりました。
向かいの席にはアレクお兄様がお座りです。
向かっているのは我が領の貿易交易の拠点であるミーナエです。
実は昨日までお兄様は、体調を崩されていました。
原因はどうやら領地の教会からいただいた聖水だったようです。助祭司様が火の聖力が強い方だったそうで、その方が作った聖水にも火の力があり兄様の水の力と反発して体調が思わしくなかったようです。
偶々ですがお兄様の目元からキラキラとこぼれ落ちる何かの量がいつもより多い事、そしてその色がいつもより赤みがかっている事をこっそりとアレクお兄様に相談したところわかった事です。
他の方が作った聖水を服用したところ不調は劇的に改善したとの事です。溢れるキラキラもいつも通りです。
そして今日はお兄様が頼んでいた楽器が隣国から届いたとの連絡を受けてミーナエに2人で向かっております。
市内に入ると早朝にも関わらず町中が賑やかです。
「朝一降ろしたての新鮮な魚だよ!今日は青魚が大漁だ!買った買った‼︎」
「野菜だって朝採れだ‼︎そんじょそこらのとは訳が違うよ‼︎」
「サァサァ、オキャクサン!ミジョール王国のスパイスハイカガデスカー!」
「北方産のレース編みですよ!奥様のご機嫌もこれでなおること間違いなしの一品ですよ!」
聞こえてくる人々の声は様々で私はタバフのバザールを思い出していましたが、タバフで聞いた通りミーナエのバザールは桁が違うと思いました。
タバフは街の一角でしたが、ミーナエは街全体が市場のようなのです。
「お兄様、バザールには足を運びますの?」
私は先日の楽しかった思い出から期待を込めてお兄様に聞いてみました。
「バザールなんて行かないよ。今日は古くから付き合いのある商会を何軒か回ってから領都へ戻る予定だからね。朝食は今から行く商会のレストランで取ろう。ここの魚介は新鮮で本当に美味しいよ。それに初めてなら絶対にびっくりするからね。」
私は内心少しがっかりしながらも、美味しいご飯と聞いて気持ちを切り替えます。領館でのお食事も新鮮な魚介が多く使われていて美味しいのですが、びっくりするとはどういう事なのでしょう?
そうこうするうちに、馬車は目的地の商館の前までやってきました。北東部屈指の総合商会「オーランド商会」のミーナエ支部です。
場所は港のすぐ近くで白い砂浜が正面に見えます。
ザーッザーッと優しく波が引き寄せる音が心地よく響いています。
タバフでは鼻につくような強さを感じた磯の匂いも穏やかで音も優しく、不思議に感じました。同じ海でも印象が違います。
馬車から降りると、支店長と名乗る男が出迎えてくれました。兄様とは面識があるらしく少し話すとそのまま商会併設のレストランへと通されます。
場所は2階の海が見渡せる一等地の個室でした。調度品は白と青を基調とした落ち着いたもので、既にセットされたカトラリーはさりげなく貝のモチーフがほどこされています。それだけで格式の高さを感じるお店です。
私達の前に出されたのは驚く事に生の魚介でした。
これから火を入れるのだとばかり思っていたのですがお兄様曰くこのまま食べるのだそうです。
基本的に魚介類は火を入れて食べるのが一般的です。偶に低温でスモークした塩漬けの魚なども食べられていますが、生で食べると言う事は今まで経験がありません。
私が驚いているとお兄様はしてやったりと満足そうです。
「東国の伝統料理刺身だよ。この黒いソースをつけて食べてごらん。ソースはつけすぎると濃いから少しにするといい。」
私はお兄様の言葉に頷き、おっかなびっくりと赤い魚の切り身を一切れ黒いソースにチョンとつけて口にしました。先ずはお魚の香が口に広がり、ソースと絡んだ旨みが舌先を刺激します。生のお魚特有の食感と旨みは今まで経験したことのないお味でした。独特ですが美味しいと思います。
「生のお魚は初めてですが美味しいと思いますわ。」
私の言葉に兄様はそれは良かったと言いながら自分の口にも運ばれています。
「やはりここのものは一段と美味いな。刺身は新鮮な魚介でなければ造れない。他の場所で食べようとするとお腹を壊すかもしれないから気をつけるんだよ。ここは目の前の海で採れた採れたてを直ぐに出してくれるからこそ楽しめる贅沢なんだよ。」
お腹を壊すかもしれないだなんてちょっと怖くなりました。お兄様とご一緒で信頼出来る場所でだけ楽しむ事にしましょう。
そのあとは、ブイヤベースとリゾットをいただいてレストランを後にしました。
どちらも美味しかったのですが刺身ほどのインパクトはありませんでした。
そのまま私達はエレベーターという昇降機で商会の五階まで移動しました。
やはり海に面したお部屋です。
先程のレストランでは目の前の砂浜が良く見えましたが、ここからはいくつかの商船が停泊する港も見ることが出来ます。
トントンと少し重めのノックの後先程の商会支店長が部屋へと入ってきました。後ろには一抱えほどの荷物を持った従者が居ます。
「お待たせ致しました、アレク様。ご所望の東国の二胡で御座います。お確かめください。」
目の前に出されたのは太鼓に棒が刺さり、ヴァイオリンのように2本の弦の張られた楽器でした。
私はみたこともない楽器でしたが、お兄様はとても嬉しそうに楽器を手に取って試し弾きをしたいというと、従者が弓を差し出して促してくれます。
最初こそ音が上手く鳴らない様子でしたが直ぐに華麗な音が奏でられます。
たった2本の弦から出たとは思えない奥行きのある音が奏でられ、何処か心が締め付けられるような切ない音は甘く風になってゆきます。
お兄様の演奏に私は思わず拍手をしてしまいました。「試しに爪弾いただけだから恥ずかしいな」とお兄様は顔を赤らめて笑っています。
お兄様は新しい楽器に満足したようで、楽器といくつかの楽譜をお求めになりました。これでご用事は終わりかと思いましたがまだ行くところがあるそうです。
次に向かったのは街中に少し入った所にある宝石商でした。中に入るとガラスのケースに入れられた色とりどりの宝石が石のまま、或いはアクセサリーになって陳列されています。
此処では奥の応接室へと通されます。
お兄様は何をお求めなのかしらと思いながらソファに座っていると、商会長と名乗るおじ様が私の前に白い球のような宝石が入った小箱を広げて見せてくれました。
「本日はお嬢様にミーナエ産の最高級真珠でアクセサリーをと伺っております。どうぞお手に取ってご覧下さい。デザインブックもどうぞ」
私は初耳でしたので慌ててお兄様を見るとサプライズが成功したような顔でお兄様は私を見ています。「お母様とも相談してそろそろスピカにも領地の宝石を贈ろうって事になったんだ。まだ先だけどデビュタントの時には必要だろ?」
デビュタントは10代前半の貴族令息令嬢の社交界デビューと、お披露目のイベントです。人生で一度きりの大舞台は一家を挙げての一大行事です。私はまだまだ先と思っていたのですが宝石商さんの話でも石を調達加工するのには時間がかかるので早めに取り掛かったほうが良いと教えて貰いました。特に我が領の真珠は素晴らしいそうですが自然が作り出すものなので大きさや輝きを揃えるのはとても大変で時間がかかるのだそうです。
今日は色や巻き、輝きを見てどのようなデザインがあるかを見る事になりました。
私は真珠といえばまん丸で乳白色ですがラメのような煌めきのある宝石だと思っていました。
しかし、形一つとっても歪な物や二個くっ付いた物、指先に乗るビーズほどの大きさから大ぶりのサクランボ位の大きさまで色々あるのだと知りました。色も黒や白、乳白色に虹色が強く出たものと様々です。ですが、形が揃わなかった物は殆どは市場では価値が無いとされて廃棄されるのだとも聞き心が痛みました。そんな中で私は一粒の真珠に目が止まりました。歪な形が羽のように見えたのです。私は思わず手に取って「これがいいわ」と呟いていました。
私の中ではもう欲しいデザインが固まってきました。ですがデザインブックには、私の思い描くデザインはありません。
私は身振り手振りでこういったデザインのアクセサリーが欲しいと伝えました。
商会長は直ぐにデザイナーさんを部屋に呼んで、私の想像を紙に書き起こしてくれました。
兄様もデザイン画を覗き込みます。
「僕の妹はデザインのセンスまであるんだね。これが出来たらとても素敵だよ」と言って下さいました。デザイナーさんの腕が良いだけですと私が答えると、デザイナーさんも「お嬢様のデザインはとても斬新で素敵ですよ!私も長く宝飾品のデザインをしてきましたが思いつかない発想です!」と鼻息を荒くします。子供の考えた事ですから大人の方には新鮮に映っただけだとしてもお世辞を言われて私は恥ずかしくなってしまいました。
普段使いでの想定ですが、特殊な形の真珠を使うデザインなので通常以上に時間がかかるそうです。今は楽しみに待つ事になります。初めて自分が携わったアクセサリーが手元に来るのが楽しみ過ぎてワクワクが止まりません。
宝石商を出ると今度は外国の調度品のお店、化粧品の店、糸の問屋、画材店などなどを巡りました。
気づけば太陽は高い位置をやや過ぎています。
「色々と連れ回してしまったから疲れただろ?少し休んでから帰るとしよう。」
お兄様に案内されるまま私は街の喫茶店へと入ります。
帝都ではあまり嗅いだことのない香りが充満する店内は南東の国の様式です。
帝国ではティータイムは主に紅茶を嗜みますが、この店では珈琲を出してくれるのだとか。
私は初めての事なので兄様と同じものをお願いする事にしました。ですが、お兄様は少し悩んで
「珈琲の深煎りをブラックで一つと浅煎りのカフェオレを一つ、チョコレートのおすすめプレートとフルーツタルトを一つ頼む」
私は「お兄様と同じで良かったのに何故ですか?」と少し拗ねていってしまいました。
「スピカは珈琲は初めてだろ?癖と苦味があるから慣れないうちはミルクを足した方が飲みやすいんだよ。それにチョコレートも初めてだろ?最近輸入が始まった商品だし、沢山食べるより少し齧った方が美味しい。でもお腹には溜まらないからスピカにはケーキも付けただけさ。」と答えて下さいます。
「なんだかエスコート慣れされていますのね…なんだか知らないお兄様みたいで寂しいですわ…」
「スピカに喜んでもらうために色々リサーチしたからね。スピカの為に沢山勉強したんだ、嫌だったかい?」私は首を振ります。
「いやではなくなんだかお兄様が遠くへ行くようで寂しかったですもの。」
「僕は遠くへなんかいかないよ。スピカのそばにいる。スピカこそ、遠くへ行かないでおくれよ。」
そんな会話をしていると香り高い芳香が鼻腔をくすぐります。
目の前にはミルクティーよりも茶色が濃いドリンクとカラフルなフルーツタルト、兄様の前には真っ黒なドリンクと一口大の黒っぽい茶色の丸い塊が6つ乗ったお皿が置かれました。
「実はフレットとスピカが2人で出かけたのが悔しくてね。今日は沢山スピカを楽しませようと思ったんだけど、スピカは楽しかったかな?」
「はい、とても楽しかったです。新しい発見ばかりで!」
そう言って口にしたカフェオレは砂糖とミルクのおかげでほろ苦く、良い香りの余韻を残して消えていきました。
チョコレートは甘く、珈琲とは違った芳醇な香りとコク、酸味が渾然一体となったお菓子でした。
私はすっかりチョコレートに夢中になってしまい、恥ずかしい事に四つも食べてしまいました。
家族のお土産にとお兄様はチョコレートを二箱包んでもらい、私達は帰路につきます。
帰りの馬車でお兄様はチョコレートを一箱下さいました。私が気に入った事はやはりバレていたようで、益々恥ずかしくなってしまいました。
今回のミーナエ散策は新しい物との触れ合いが多くて視野が広がったような気持ちです。欲を言えば商館ばかりでなくバザールものぞいてみたかったのですがそれはまたの楽しみとしたいと思います。




