霧ヶ原の不満
――ええ、駄目です。鳥潟を目の前にして僕こと霧ヶ原さんはもう限界ですハイ。
だって、一週間振りに会うんですもの。しかもパンツのモデル(とは知らなかったけど!)を引き受けてでも、生着替え写真が欲しいと思う子を目の前にしてですよ。
我慢が効く訳無いじゃん。
「鳥潟」
明崎たちを――正確には笠原の背中を目で追っていた鳥潟は、霧ヶ原の声を聞くや、はっとこちらを見た。
え? 何で笠原君を見てたのが分かったかって?
そりゃあ、追体験で視えたからね。
最近、特に鳥潟を好きになってから気づいたことだが、どうも霧ヶ原の追体験は、強く意識する人物の記憶ほど、見ることが多いらしい。好き嫌いはあまり関係無い。
そんな感じで物心ついた時から、霧ヶ原は当たり前のように追体験をしている。
――だから昨日は、家族とドロッドロの話し合いをして大いに気力を削ったのだ。嫌になるね全く。
「鳥潟、カモン」
という訳で、貴重な癒し補給タイムである。
こういう時こそ追体験を積極的に使いたいものだよねぇ、うん。
霧ヶ原は手招きする代わりに、両腕を軽く広げてみせる。
「え……!」と鳥潟は驚いた表情をして、次いでおろおろと周囲を見回した。
「あの、ここ……場所、が」
「嫌?」
お分かりのように、鳥潟は押しにとても弱い。決して強要するような言葉や口調は使ってはいないが、霧ヶ原は敢えて有無を言わせない空気を作る。
ごめんね、ずるくて。
それだけの工作でもう気圧された鳥潟は、おずおずと近寄ってきた。一歩手前まできて躊躇った様子だったが――やがて思い切って霧ヶ原の胸に飛び込んだ。
ぎゅうっ
鳥潟を受け止めて抱き締めると、身体は柔らかいわ細いわちっちゃいわで、もう可愛すぎて堪らない。
ああもう! 早く結婚したい!
「ひゃああああっ」
「いやー! 副会長早まらないでぇーっ!」
降って湧いたような突然のラブシーンにギャラリー陣がヒャーヒャー色めき立ったが、すでにアウトオブ眼中で手遅れな霧ヶ原である。
「会いたかった。すっごく会いたかった」
「あ……あ、え……」
注目を浴びたせいか、霧ヶ原の大胆な行動にか、鳥潟はしどろもどろになって顔を真っ赤にしている。
やっぱ、こういう気持ちになれる人と家族になりたいんだよなぁ……
柔らかい温もりに触れてしみじみと思う霧ヶ原にも、もちろん家族はいる。両親と少し歳の離れた兄。しかし困ったことに、彼らへ向けるべき愛しさというのはとうの昔に沸かなくなってしまった。
ちなみに補足すると、母と呼ぶべきであろう人は二番目の奥方で、この人は霧ヶ原兄弟とは何の繋がりも無い。じゃあせっかく「血は繋がった兄弟」なんだから仲良くしようよ、と行きたいところだったが、そこが一番上手くいっていないのだ。
父は社長で、兄も家の会社に勤めているのだが、父としては弟の自分に会社を継いで欲しいらしい。霧ヶ原の〈ポスト・コグニション〉を会社の戦略に組み込もうと目論んでいるのだ。そして兄は父に捨てられることを酷く怖がっている。
お陰で兄の嫉妬や憎悪も、父の利己的かつ打算的な思考も、追体験で手に取るように分かってしまうのだ。質感も重さも余すことなく丸分かりで、高校の寮に来るまでは本当に地獄だった。
とにかく兄は霧ヶ原を嫌っている。距離が離れて、直接の接触が無くなった今でも、時々父や兄の記憶は飛んでくる。父親は相変わらず追体験をいかに利用していくか考えているし、兄は兄で苦しんでいる。
うんざりする。
僕は会社継ぐ気無いし、むしろ兄が継いでくれるなら手放しで喜ぶ話なのだ。いっそ、この能力を兄に譲りたくなる。そしたら僕も兄も父も、皆が望み通りの道へ進むだろうに。
あーあぁ、神様も意地悪だね。フクザツな家庭事情、なんて。そんなの、昼ドラの世界だけで充分だっての。




