1年前:明崎の取り扱い説明書
入学式。
三年生が卒業した代わりに、新しく一年生がわらわら校門をくぐったこの日。赴任して二年目の伊里塚は今日も気怠く、体育館の壁際に立っていた。
現在学園長のありがたいお話の真っ最中である。始まって二十分経とうとしているが、終わる気配が見受けられず、多くの生徒達が寝こけている。
1‐A 明崎 団之介。
明崎と思わしき生徒はすぐに見つかった。
槇から写真データも貰っているが、何せ「あ行」である。
多分アレだろう。一番端の最前列で、堂々天井を仰いで寝ている茶髪っぽいヤツ。
……あまりにも堂々とし過ぎていて起こしに行く気にもならない。目ェつけられても知らねぇぞ。
……まぁ、一応国に守られているから、滅多なことは無いだろうけど。
なんて。
ぼーっと眺めていたら、明崎は生徒指導の国塚先生に無言でゲンコツ食らった。
「イッタ……!」
「起きろバカ」
あーあ。
何だかんだあって、明崎に接触をするのは昼休みになった。彼とは初めて話す。1‐Aを訪ねると、果たして明崎は教室にいた。
……何故か須藤と腕相撲をしていた。
「ぬぁっ、ちょっ、この俺の不意打ち戦法を見破るとか!」
「ふっ、俺の身体能力を舐めんな」
「く、ぅううう……だぁー!」
……何やってんだ。
「……おい。明崎」
「へっ!?」
呼ぶと、明崎は腕相撲をしたまま、間の抜けた声を上げて振り向いた。人懐っこそうな琥珀色の瞳で、割と整った顔立ちをしている。
――明崎が伊里塚に気を取られた隙を突いて、須藤は勢いよく明崎の手を机に叩き伏せた。
「ぁあああっ! ちょ、それ無し! 無しぃー!」
「先生呼んでんぜ?」
意地悪くニヤニヤ笑う須藤は、伊里塚をチラリと一瞥して言う。
須藤と霧ヶ原は彼らが中学に入った頃から伊里塚が担当していたので、よく知っている。他のセカンドチャイルドとは今日の休み時間や前日にコンタクトを取っているので、残りは明崎だけだ。
「もっぺんやろや! 後で」
「分かったから早く行け」
すっげぇ、久々に関西弁なんか聞いたわ。
明崎は席を立つと、伊里塚の元へやって来た。それから陰りのない琥珀色の目で伊里塚の頭から爪先まで目を走らせると。
「もしかしてさ、先生が伊里塚君?」
――おい。
おいコラ槇。
「皆の前では先生って呼びなさい」
「えー。俺いっつも槇さんから伊里塚君で聞いとったからぁ、何か先生って言うと気持ち悪い」
「それでも先生は先生だ」
「……はーい。これからよろしくお願いしまーす」
悪びれた様子も無く、へらりと笑う明崎。
ホンット軽いなこいつ。
「お前、今日の放課後空いてるか?」
担当するセカンド・チャイルドとは二者面談をして、良好な関係を築く為に打ち合わせをしなくてはいけない。面倒だが、決まりだ。
「あ、引き継ぎってやつ? 了解ー……あっ!」
突然、明崎は何か思い出したように自分の席へ戻ると、自分のスクールバッグを漁り出した。然程時間を取ることは無く、茶封筒を持って帰ってきた。
……その茶封筒を差し出してきた。
「槇さんから伊里塚君にって預かってきてん」
「俺に?」
何故手紙?
拍子抜けしつつ受け取ると、明崎は「じゃっ」と須藤の所へ戻ってしまった。
「もっぺんやんで!」「はぁ? だりぃ」という二人の遣り取りを遠くに聞きながら、伊里塚は茶封筒を見下ろした。
マジで分からん。何で手紙なの。
……いや、ここで突っ立っててもどうしようもない。
一旦職員室へ戻ることにした。
そして。
封を切って中身を取り出すと、何の変哲もない白い便箋が一枚入っているだけだった。
しかも手書き。今時手書き。
「……何だこりゃ」
――――――
親愛なる伊里塚君。
とうとう最愛の団之介君を手放す日が来てしまいました。
……やるせない。スゴくやるせない泣きそう団之介返してマジ返して。
ということで、僕は伊里塚君に泣く泣く引き継ぎの一部をしようかと思います……
この手紙は後々重要になると思うので、間違っても捨てないように。
というか、結構機密性高いから人に見せないでね。
明崎 団之介の取扱説明
・魚は基本好きみたいだけど、煮干しはあまり喜んでくれませんでした。
・とにかく黙ってくれません。強硬手段を許可します。
・誰とでも仲良くなれるけど、基本的に広く浅くです。また、ちょっとでも悪気を持とうものなら、聡いのですぐ気づいて心を開かなくなります。あまり苛めないでね。
・広く浅い付き合いしかしないので、寂しがり屋なところがあります。たまに構ってあげてください。
・頭の回転が速い分、動きも機敏です。が、恐らく伊里塚君なら大丈夫。
・秘密主義です。日常的なネタをいっぱい持ってるせいか、自分のことはあまり喋らないです。そのうち喋ると思うので、気長に待ってやってください。
・能力にコンプレックスは無い様です。
・将来は僕と同じ保護監察員を目指してるそうです。観察員の話を沢山してあげてください。
・経緯を話すことはできないけど、団之介には――
「……マジか」
伊里塚は思わず言葉を漏らしていた。
――が、ありません。本人も曖昧にしか認識していないので極力その件には触れないでください。
こんなもんかな。
思い出したら随時連絡するけど、団之介は僕に似て非常にイイ子です。
可愛がってやってね。
それじゃあ、三年間よろしくです。
追伸
何故かマシュマロにとてつもない恐怖を抱いています。彼にマシュマロは与えないで下さい。
――――――
…………。
色んな所にツッコミどころがある。
まず煮干しって何。強硬手段取らないと黙らないって何。
――誰に似て非常にイイ子だと?
あの野郎ハッ倒すぞ。そりゃあ明崎は「お前に比べたら」非常にイイ子だわな。俺は知ってるからな、昔どんだけ手のつけられんヤツだったか……
それに、マシュマロぉ? 誰が与えるか。間違っても買わねーわ。
「……にしても、」
伊里塚は改めて手紙を読み返して、口元に手を添える。明崎の姿を脳裏に浮かべた。
……無いってか。無いのか。大分ヤバいなそれ。こんな大事な話を紙に残していいのか。俺がマジで無くしたらどーすんの。
「保護者志望か……」
意外にも明崎は将来の夢をしっかり持っていた。
俺、まだ須藤からも霧ヶ原からも聞いたことねぇんだけどなぁ。隠れ真面目ってヤツか。さっきの「無い」のといいマシュマロ恐怖症といい、中々のギャップ男子だな。
保護観察員が結構リスク高い仕事だってのは……知ってるか。
槇を三年間見てきたんだもんな。
――可愛がってやってね
……お望み通り、可愛がってやるさ。
伊里塚はクツリと笑うと、スーツの裏ポケットにそっと茶封筒を忍ばせた。




