台所を制す者
笠原が無事退院して、額や背中の怪我も薄れてきた六月初め。
つまり転校して丸一ヶ月が経った訳だが、ここで特筆すべきことが一つ。
「あー……何かええ匂いするわー……。何やったっけ、コレ」
明崎が一人で家路に着いた時だった。家まで後三分、というところで何やら香ばしい匂いが漂ってきたのだ。
まぁ、俺の家ちゃうやろう。
いつも食堂のおばちゃんの弁当で生きているので、当然そう思いながら家に入ったのだ。
そうしたら、
ジャアアアア……
油で衣を揚げる音と、玄関にまで広がったあの香ばしい匂い。
信じられないことに、発生源は我が家であった。驚愕の事態に、明崎は転げるように居間へ入った。
「……おかえり」
キッチンには笠原がいて、ちょっと驚いた顔でコンロの前に立っている――青いエプロン着用で。
「お先ー」という須藤の声が聞こえて、明崎はテーブルの方を見る。その須藤が茶碗片手に、口一杯に頬張っている「それ」。テーブルに山と盛り付けてある「それ」。笠原が現在も揚げている「それ」。
――鳥の唐揚げ!
「た……ただいま」
惚けた口調で返してしまった。
だって、そんな。笠原が料理できるなんて、そんなチートな話聞いてない。
そろり、そろりとテーブルまで近寄って座る。
まさしく唐揚げである。出来たてほやほやって感じの薄い湯気が立って、こんがり茶色の外はきっとカリッ! な衣。
そして中はきっと肉汁たっぷりジューシーな鶏肉っ……! くぅー! 想像だけでも堪らん! ……けど。
「これはどうしたこっちゃ……」
「うん、俺も驚いてる」
須藤もそう答えた。
ですよねー。何でまたこんな。
「どうしたも何も……作ろうと思えば作れるから。安上がりだろう?」
少しブスッとした顔で笠原が言った。若干ツン、である。
自慢げでも無い。
その様子に須藤はボソボソと囁く。
「なぁ……あれで天然だぜ。只モンじゃねぇわー、笠原」
「……手ェ洗ってくるわ」
明崎はスクールバッグを肩から下ろすと、洗面所へ向かった。
いや〜、信じられへんわぁ。
手を洗いながら思い返す。笠原がエプロンつけて、手慣れた様子で料理をするところなど、一体誰が想像する。
ましてウチの台所がフルに使われる日が来るとは夢にも思わなかった訳で、きっとカノジョとかができるまで手料理なんてお目にかかれないだろうなとか思っていたのだ。
「頂きまーす」
そうして席に着いて。ご飯も付け合わせのキャベツの千切りもそっちのけで、まずは唐揚げにかぶりついた。
笠原が緊張した面持ちで見守っている。
「………」
「………」
「……うまーっ!」
旨すぎて最初、声が出なかった。
笠原がホッとした表情を見せた。
噛んだ瞬間、衣がカリッ! 中はジュワッとどころではなく、もう何というか旨味が口の中で弾けた。肉汁が口一杯広がって、衣も香ばしい。味付けはオーソドックスに、にんにくと醤油がベースだろうか。
いやはや、とにかくおいしい!
それに出来たてって、すごく温かい! ……感動モノである。
唐揚げを作り終えると、コンロ付近の後片付けを済ませて、笠原はエプロンを外した。
「明日、弁当作るのだが。アンタらも要るか?」
「え! いいん?」
「量が一人二人増えたところで手間ではないからな」
「わーマジで? ホンマにお願いしていい?」
「ああ」
「やったー!」
「須藤さんもいるか?」
「あー、作ってくれんならメッチャ嬉しい」
「今日の唐揚げ入れるが構わんか?」
「お願いしやーすっ!」
と、いうわけで。
笠原が明日の弁当を作ってくれるらしい。
「お前ん家の侍君、どうよ」
「いやぁ……ホンマに一ヶ月で何とかなったわ、伊里塚君」
次の日の朝。明崎は伊里塚に呼び出され、職員室にいた。
あれ。そういや先月もこの遣り取りなかったっけ?
「な? 俺の言った通りだろ。明崎なら何とかできるって俺は見込んでたさ。偉いなぁ明崎。いやもう、本当に偉い。先生の手を煩わすことも無くて、お前はスバラシイ生徒だ」
「あー嬉しないわー。伊里塚君に褒められても何も嬉しない」
「おいー。せっかくの破格のリップサービスを……俺も面倒臭くなってきたからやめるわ」
「ほら。もう最初から心籠ってへんもん。俺分かってんもん」
「で、侍君は? どんな感じ」
「見ての通り。あんな感じ」
明崎が出入り口付近のガラス張りの壁に目を遣ると、伊里塚も同様にそちらを見遣る。その先には廊下で明崎を待つ笠原がいた。横を向いていて、こちらの視線には気づいていない。
「ふーん……一ヶ月前と大違いだ」
程なく視線を明崎に戻した伊里塚はそう返した。
「まぁ問題ないなら、いいさ。思ったより打ち解けてるみたいだしな」
――呼び出して悪かったな。
「案外早かったな。何の呼び出しだったのだ?」
「んー? ここ最近のキリオ君の腹黒さと傀儡政権の進み具合についての意見交換」
「絶対違うだろう」
ちなみに弁当には、唐揚げと卵焼きとアスパラのベーコン巻き、それにレンコンのきんぴらやプチトマトなどなど、彩りも考えたボリューム満点のおかずが入っていた。
霧ヶ原に見せたら「え、何ソレ食べたい」となり、さらにその次の日から計四人の弁当を作るようになったのである。
「どうしよう……毎日食べたい」
「今日の夕飯……一緒に食べるか?」
「食べる!」
こうして明崎以下三名の胃袋を虜にした笠原は、真っ黒屋敷のハウスキーパー(支配者)となったのである。
めでたしめでたし。




