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「……ははぁ」

 黒いキャリーバッグを下げて船から降り立った少年は、船着場で出迎えた伊里塚が驚いて思わず声を漏らすぐらいに見目麗しい容貌をしていた。 丹唇艶やかで、女と見紛うような顔立ちである。

 写真でも確認はしていたが、実物を見るのとではやはり違う。背丈は明崎と同じくらいだろうか。

 雲間から漏れる日の光が少年を気紛れに照らすと、きめの細かい肌が白く輝いた。緩く癖づいた前髪の下で物憂げに伏せられた睫毛にも、光の残滓が纏わりつく。

 それが神秘的で、少年の美貌をますます際立たせた。

 簡易の階段を降りて何歩か歩いた少年だったが、やがて立ち止まってゆるりと辺りを見回す。たった一人見知らぬ地に乗り込んだにしては、随分と落ち着いていて、凛とした気丈さすら匂わせた。

 そんな彼を思わず二度見する人間は何人もいて、誰もが彼の容貌を噂しながら伊里塚のそばを通り過ぎて行った。

 自分を探しているはずなので、伊里塚が手を上げて「笠原君」と呼びかければ、少年――笠原はこちらを見た。にこりともせずに会釈だけして、伊里塚の元までやって来る。

「初めまして。伊里塚先生……ですか?」

「あぁ。長旅ご苦労さん」

 笠原は礼儀正しく挨拶をして、伊里塚を見上げた。

 近くに来て見れば……なるほど。

 この笠原少年の黒い瞳ははっきりと大きくて、まるで黒曜石のように綺麗だ。見つめていると、何だか吸い込まれそうな気すら起きてくる。周囲がやたらと彼に惹きつけられたのも頷けた。

 だが伊里塚は、自分を見るその目の中に暗い憂いを見て取った。

 ……年相応じゃねぇな。そんな言葉が頭を過ぎった。

「お前んトコのクラスじゃ数学を受け持っている。度々顔は合わせることになると思うから、よろしくな」

 伊里塚も特別愛想笑いを浮かべることなく、淡々と自己紹介を済ませた。

「よろしくお願いします」

 性格は至って真面目。容姿端麗。成績も恐ろしく優秀。全く以って非の打ち所がない、美しい少年。

 ――そんな彼が前の学校から追われて転校して来たと、一体誰が思うだろうか。

「荷物受け取ってあるから、このまま寮に直行するぞ」

 笠原は黙って頷いた。

 ……さて、どうしたものか。笠原の先を歩きながら伊里塚は考える。この少年の心を開かせるには恐ろしく時間がかかりそうだ。

 何か、取っかかりは無いものか……

 とりあえず二人分のジュースを買おうと自動販売機に寄った。お金を入れて、「ほれ」と後ろの笠原に声をかけた。

 笠原は何か考え事をしていたのか、ピクンと肩を揺らして夢から覚めたように顔を上げた。本当に見れば見るほど、とんでもない美貌である。触れてはいけないような、そんな近寄り難ささえ感じる。

「好きなの選べ」

「いや……俺は、」

「大人の好意は黙って受けるもんだ」

「……ありがとうございます」

 断ろうとしていたのをあえて遮れば、笠原は自動販売機のボタンを押しに来た。彼が選んだのは玄米茶だった。

 渋いなぁ……

 その様子を眺めていて、気づく。彼はやたらと姿勢が良いのだ。最初見た時に感じた凛とした雰囲気は、それだったのかもしれない。

「お前姿勢が良いな。疲れないのか?」

「いえ。普通にしているつもりです」

「すげぇな。俺なんか見ての通り猫背気味だから、そーゆー姿勢ムリ。痛くなる」

「それは……なにゆえ、」


 ん?


 伊里塚は思わずボタンに人差し指を乗せたまま、動きを止めてしまった。笠原も伊里塚の指を目で追っていたのか、様子に気づいて言葉を途切れさせた。

 今……「なにゆえ」っつったかこいつ。

「……いかが、されましたか?」

 その瞬間、伊里塚の頭の中では時代劇の「殿ーっ! いかがされましたかぁ!?」という殿様と老中の遣り取りが再生された。

 ……なるほど。

「侍か」

「は?」

 伊里塚の感想に、笠原がきょとんと見返した。

 ピッとボタンを押す。連動してガタンッと受け口に落ちてきたブラックコーヒーを取り出しながら、伊里塚はニヤリと笠原に笑ってみせた。

「よし、決めた。お前今日から侍君だわ。決定」

「なっ……!?」

 あだ名を勝手に決めれば、笠原は呆気に取られたようだ。やっと感情を露わにしたその表情は、実に少年らしかった。

「侍って、」

「あだ名。見るからに武士って感じがするから」

 笠原は酷く困惑した様子だったが、また黙り込んでしまった。どう対処していいか分からなかったのだろう。

 その辺りからも、彼があまり人に慣れていないのがよく分かった。

 やっぱり明崎が適任だろうな。日頃何をやっても楽しそうな関西人の生徒が頭に浮かんだ。

 あれが、この殻に篭りがちな少年をどう外に引っ張り出すのか。随分面白い課題になったじゃないか、と伊里塚は心の中で笑った。

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