雫の綻び
……笠原がうっすらと目を開いた。
けれど、青褪めた唇が動くことは無かった。何も話す気になれないらしい。でも、言葉にもしたくないようなことが笠原に行われたのは確かなのだ。今も身体を震わせている。
明崎は、投げ出された笠原の手を握った。たったそれだけのことだが、驚いたらしい。笠原の身体がぴくりと震えた。
明崎は宥めるように、もう片方の手で濡れた笠原の髪を撫でた。
「……もう、大丈夫やから」
それだけは言わないといけない気がした。――しかし、
「触るな、」
弱々しい声で、だがはっきりと拒まれた。
「ご、ごめん。どっか痛いトコあった?」
そういう意味で言われたのかと思った。けれど笠原は何も答えてくれない。
「頭怪我しとったらやばいよな……どこ? どの辺?」
こんな汚い床に傷口が触れていたら大変だ。
っていうか硬いし、これ枕無いと絶対痛いやん。
「ここはいい? 大丈夫?」
そう思って明崎は、自分の掌を枕代わりに差し込んでやろうともう一度、今度は床についている部分を触ろうとした。
――その時、笠原がヒュッと鋭く息を吸った。
「放っといてくれ!」
張り上げられた悲痛な声が、荒れた倉庫に響いた。
ありったけの感情が籠った叫びは決して大きくはなかったのに、まるで明崎の耳をつんざくようだった。
「――……」
……何で?
明崎は呆然としてしまって、最早何も言葉を継ぐことができなかった。
何で、そんな……
叫んでまた息が荒くなった笠原は、短く息を吐く。彼の両瞳には涙が滲んでいた。
「おれ、は……化け物なのだ」
血を吐くような吐露が、大気に突き刺さる。
「もう……いい。もう、嫌だ……」
「………」
「いっそ……殺してくれ……」
最後には、声はか細く消え入った。後には、笠原の震えた嗚咽だけが聞こえる。
明崎は愕然として笠原を見つめることしかできなかった。
こんな言葉を笠原から言わせるなんて。
きっとあの連中は暴行するだけでは飽き足らず、聞くに堪えないような言葉も吐きかけたのだろう。
いや、連中だけのせいじゃない。これは今日以前の、きっと彼が能力を持ち得た瞬間から始まった問題だ。
持ってしまったモノによって、自分を踏みにじられ続けて。一体、何人の人に彼は「化け物」と罵られたのだろう。
どれだけ奇異の目に曝されて、疎まれてきたのだろう。
どれだけ傷つけられてきたことだろう。
ずっと、ずっとずっと。
そんなの、あまりに理不尽過ぎる。だって、
彼の心そのものは、皆と変わらない普通の人間だ。
明崎は堪らない気持ちで、横たわったままの笠原を抱き竦めた。繋ぎ止めないと、笠原はこのまま手の届かない場所に沈んで、消えてしまいそうだった。




