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転移先は推しの作品世界〜経験したことしか書けない作家なんて……いるんですか!?〜  作者: exa(疋田あたる)


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新人編集、猪野ふらん

「やあ、君は……猪野くん、だったかな」

 

 編集長に声をかけられたのは、猪野が自分の席でお昼ご飯を食べ終える寸前だ。ちょうど、最後に残しておいた唐揚げを箸でつまみ上げた瞬間だった。

 

「はむ」

 

 箸を置くべきか、さっさと食べてしまうべきか。


 ──案ずるより生むが易し、って言いますし? 悩んでる間に動くべし。


 猪野は扉からひょっこり顔を出す編集長と見つめあったまま、唐揚げを頬張ってもぐもぐもぐ。

 偉い人だからと態度を変えない。猪野の良いところであり、欠点でもあると言ったのは高校の先生だったか、大学の先輩であったか。

 なんにせよ、編集長がにこにこと笑いながら猪野の食べ終えるのを待ってくれているので、つまり猪野の選択は正解だったのだ。


 怒られるかどうか、ふたつにひとつ。

 猪野はまだ編集長の人となりを知らなかった。

 猪野が編集部に入社してまだ一か月。編集長と直接話したのなんて、入社あいさつの時くらいじゃないだろうか。けれども猪野は人の顔を覚えるのが得意なので、顔だけはわかっていた。

 

 ──編集長はグレイヘアの似合う、渋いおじさまキャラ。

 

 もし猪野が小説の担当だったとして。この顔がキャラデザであがってきたなら、編集長より喫茶店のマスター感があると変更を依頼したに違いない。入社したての猪野にそんな権限はないけれど。

 顔を見て編集長だとわかりはしても、それだけ。すぐそばであれこれ教えてくれる先輩や、物理的に席の近い社員とは互いの距離感がいくらかわかるようになってきていたけれど、編集長との距離感はまだまだわからない。

 わからないのでたずねることにした。

 

「新人編集、猪野ふらんです、こんにちは。編集長、どなたに御用ですか?」

 

 唐揚げをごっくんと飲み込んでから猪野が訪ねると、編集長はほっとしたように部屋に入ってきた。

 

「ああ、うん。急ぎではないんだけどね。誰か手が空いているようだったら、作家さんの様子を見に行ってもらおうかなと思ったのだけれど」

「この猪野ふらんにできないわけがありません! どうぞ、お任せください!」

 

 きらん、と猪野の目が光る。働く意欲は満点。なにせ作家さんの担当になることを夢見て、編集部に就職したのだから。

 

「作家さんのところに行ってご挨拶するのですよね。どうぞ大船に乗ったつもりでお任せをっ」

「おや、しかし君は午後もここで仕事をするのではないのかい」 

「いいえ、絶賛お仕事中ですが。猪野はこの部屋にいて、電話が鳴ったら出るのがお仕事です」

 

 電話番をお願いね、と指導にあたってくれている先輩は打ち合わせに出かけて行った。いつもなら勉強になるから、と打ち合わせに同席させてくれるのだけれど、今日のお相手は気難しい先生だそうだから猪野はひとり、電話番を兼ねてここでご飯を食べているのだ。

 任された仕事は全力でこなすつもりの猪野ではあるが、何もわかっていない猪野がひとりで居ても大したことはできない。

 せいぜい、かかってきた電話の相手の名前を控えて伝言を受け取るか、後ほど折り返すかをメモするだけ。入社から今日までそんな日はなかったのだけれど、今日はたまたま全員が何かしらの用事で外出することになってしまい、猪野がひとりという状況が生まれたのだった。

 それゆえ、離席したところで大きな影響はない。そう伝えれば、編集長は穏やかな顔でうなずく。

 

「なるほど。だったら、お願いしようかな。オウジ先生の家を訪ねてほしいのだけれど」

 

 良いだろうか。そう問われるより先に猪野は立ち上がっていた。

 

「オウジって、オウジキロク先生ですかっ!」

「おや、知っていたかい」

「知らないとでもお思いですか! もちろん知っています。知りうる限りの情報を得ていますとも。オウジキロク先生は、我が最推しの作家先生にして我が人生の太陽! ここに内定をもらえたのも、先生の作品への愛をレポートにしたためて送ったおかげに違いありません!」

「ああ、君だったかい。あの分厚い紙束を書いたのは。いやあ、どこの作家志望者が間違えて採用試験の窓口に小説を送りつけたのかと、噂になっていましたよ」


 にこにこ笑う編集長に、猪野はうれしくなる。

 彼は偉い人だ。採用試験の選定にも関わっているだろう。その彼が猪野の渾身の作であるオウジキロクを讃える論文を知っていたのだから。

 つまり、オウジへの熱意が認められて猪野は今この場にいるのである。

 こんなに嬉しいことがあるだろうか。


「知らないはずがないじゃないですかっ。何を隠そう私、猪野ふらんはオウジ先生の作品を読んで編集者の道を志したのですから。あ、とはいえ不埒な思いは抱いておりません!」


 猪野は手のひらを突き出し、きっぱりと言った。

 常識はしばしば踏み倒す猪野だが、良識は守れるのだ。


「オウジ先生のお宅訪問ですね!? 新作の依頼ですか、原稿の受け取りですか。なんだって承りますよ!」

 

 ただでさえ山盛りのやる気に火が付いた。

 猪野は鼻息荒く編集長に詰め寄る。興奮のあまり、相手が編集長であることなど頭からすっ飛んでいた。

 そんな猪野に編集長は穏やかに笑う。

 

「やあ、君のような情熱的な子が訪ねたら、オウジ君は驚くだろうねえ。彼の驚き顔を見に行きたいところだけれど、僕はこれから会議があってねえ。代わりに猪野君に、オウジ先生の様子を見に行ってもらおうかな。まあまずは、そのお箸をしまってからで構わないけれど」


 言われて、猪野は箸を握りしめたまま編集長に詰め寄っていたことに気がついたのだった。


 


 作家、オウジキロク。

 その名を知らぬものはない……とは、残念ながら言い切れない。

 デビューから十余年。大ヒットはいまだないものの、十九歳でデビューしてから刊行された書籍はどれも打ち切られることなく完結まで書かれている。作家歴十六年。現在の刊行冊数は十二冊とあまり多くないが、中堅作家として一定の評価を得ている。

 その作風を語るとき、ほとんどの人が『臨場感が抜群』と口にする。その臨場感と、作品ごとに刊行の間が開くことからアンチと呼ばれる不届ものたちは『オウジキロクは体験したことしか書けない』などと評するけれど。

 

「そんなわけあるはず無し。オウジ先生はファンタジー作家ですし? もし体験したことしか書けないなら、異世界に行ってることに。それも何回も、いろんな世界になんて」

 

 ありえない、とひとりごとを口にしたのは、憧れの作家先生に会う緊張を紛らわせるため。

 

 目の前には推し作家が住むアパートの扉がある。

 つぶやいた言葉の余韻が消えるのを待って、猪野はノートをパタンと閉じた。文庫サイズ、厚さは安心の365ページ。作品ごとの感想や考察にとどまらず押し作家、オウジに関するあれこれが書かれた愛ある一冊だ。もちろん猪野の手書きである。

 学生時代から愛用し手になじむそれ(オウジノート)を上着のポケットにしまうと、猪野は左手を持ち上げる。

 がさりと揺れたのはかわいい紙袋。


「手土産、よーし!」


 編集長に「オウジ先生は案外と甘いものが好きだよ」と聞いて、自分的おすすめのお菓子を買ってきたのだ。オウジ先生は甘いもの好き、という推し情報はもちろん手帳にメモをした。

 オウジは作家の個人情報をほとんど公にしていないため、数年ぶりの情報更新である。

 名刺も装備した。はじめましての不審者と思われないよう、自身の名刺に編集長の手書きメモ入り名刺も添える。


 ──準備パーフェクト、いざっ!

 

 猪野は大きく息を吸い込んで、インターホンを押した。


「……誰だ」


 低い声とともに玄関扉ががちゃりと開く。

 靴のかかとを踏みながらのっそりと出てきたのは、三十代半ばほどの成人男性。気だるげな表情と伸び気味の総白髪が目立つが、猪野にとってはすべてささいなこと。

 いやむしろ、キャラ立ちしてて良い容姿ですねと伝えたい。

 だが今は、それより先に伝えなければならないことがある。


「はじめまして、オウジキロク先生! ファンですっ」


 頭を腰の高さまで下げて、手土産を突き出す。ついでに積年のファンの思いが口から飛び出した。

 当然、ぶつけられたオウジは目を丸くする。

 

「は?」

「あ、違った。いえ、違わないんですけどっ。あの、編集長から言われてきました。編集部の新人、猪野ふらんです!」


 体を起こして名刺を差し出し、びしりと挨拶をした瞬間。

 オウジと猪野の足元から光があふれた。


「わあっ、なんですか?」

「くそ、このタイミングで!」


 驚き目を閉じる猪野と、苦い顔で光から目を庇うオウジ。光はふたりを包み込んで、ふっと消える。

 元通りの静けさを取り戻した昼下がりのアパートの廊下に、猪野とオウジの姿はない。


 強烈な光を感じた一瞬のあと、猪野は恐る恐る目を開けた。

 足元にあるのは、アパートの湿っぽい廊下ではなく乾いた大地。

 砂っぽい香りのする風に誘われるように顔を上げれば、空の高みから水が滔々と降り注いでいるのが見えた。

 雨ではない。雲もなく、ただただ青い空が広がるただなかに水が生まれ、大地へと降り注いでいるのだ。


 地球ではありえない、明らかにファンタジーな光景。

 けれどその景色に、猪野は心当たりがあった。


「ここはもしや、『花紋』の世界では!?」

「ああ……あの宙水は間違いないな」


 あり得ない、と猪野が口にした推測をあっさりと肯定したのはオウジだった。


「お、オウジ先生! なにをおっしゃってるんですか。花紋は先生が書いたファンタジー小説でしょう? その世界にいるだなんて、あり得ない冗談を」

「冗談じゃねえ。ああ、ほんとうに冗談じゃねえ」


 返答なのか、ひとりごとなのか。オウジは判断のつかないうめき声をあげる。


「ここ数年は何事もなかった。いよいよ地球に居つけるのかと期待した矢先に、また異世界に来るとはな。それも、他人を連れてくるとは……」


 深く、深くため息をつかれて猪野はオウジの言葉が冗談でもなんでもないのだと、認めざるをえなかった。


「そんな、まさか、オウジ先生の作品は臨場感が半端じゃない、だとか実体験を書いてるんじゃないか、なんて言われてきましたけど」

「その通りだよ。俺はファンタジー小説家じゃない。ノンフィクション作家……いいや、ただの記録係だ」


 気だるげに白髪を掻き上げるオウジを前に、猪野は震える。


「そんな、まさか……」

「は。あんた、この世界のことにすぐ気づいたところを見るに俺の本を読んだことがあるらしいが。肝心の作者がこんなんで、悪かったな。さぞや失望」


 させちまっただろうよ。とオウジが言う声は、もはや猪野の耳には届いていなかった。

 猪野は自分の両手を見下ろしてふるふると震える。

 

「まさかそんな、私の発言がフラグになるなんて! 憧れの作家先生の特大の秘密を知ってしまうなんてー!」


 叫びながら猪野は取り出した。大切なオウジノート。

 そして素早く書きつける。


「推しの最新情報、更新!」

「…………」


 推しであるオウジからの胡乱げな視線に気づきもせず、猪野はペンを走らせた。

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