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21.灯台下暗し、海中なら尚のこと


「掴まれ!」


 ウィリアムが腕を伸ばす。その指先に縋り付くように、エステルは手をめいっぱい伸ばした。


 届かずに水を掻いた指先を、彼がもうひと搔きして捕まえる。強い力で引き上げられて、背中を抱きしめられたかと思うと、またたく間に海上を漂う筏の上へと押し上げられた。


 喉が破裂するのではないかというほど咳き込んで、筏の上にへたり込んだあとで、エステルはシャツを脱いで海水を絞っているウィリアムの姿を見上げた。


 夢でも幻でもない。嵐の中、小屋に残ったはずのウィリアムが、海の真ん中で溺れかけたエステルを助けてくれたのだ。


「どうして……、あなた小屋に残ったはずじゃ」


「嵐の中とびだした女の子を、ひとり放って? 彼女がどんな危険な目に遭ってるかとそわそわしながら、臆病に小屋の中で待っているほど薄情者だとでも思ったのか?」


「もしかして、心配して追いかけて来てくれたの?」


「心配しないわけがないだろう。君が小屋を出ていく直前にもそう言ったはずだ」


 はぁ、とため息と疲れ混じりの息を吐きながら、ウィリアムは絞ったシャツを羽織った。それで、エステルはたった今まで半裸の男を見つめていたのだと自覚して慌てて視線を逸らす。


 何食わぬ顔で「ありがとう」と言うには、しかし、彼の口調はいつになく怒気を含んでいた。


 よく見れば、嵐のせいであちこち傷んでいた筏は有り合わせの材木で補修されている。小屋を飛び出したあと、彼が追ってくる気配はなかったけれど、筏を修理してすぐにエステルを探しに出たのだろう。


「荒野に繋がる扉から脱出した後で増やした取り決め、覚えてるか?」


 ふいにウィリアムが尋ねた。詰問(きつもん)と言うには穏やかだが、無知を問うには硬い声で。エステルは彼の声に劣らずと身を硬くして、叱られた猫が鳴くように低く細く声を絞り出した。


「迷宮の部屋に入るときは、決してひとりで行動しないこと」


「何か言うことは?」


「……ごめんなさい、勝手に出て行って。考え無しだったわ」


「結果的には成功したようだけどな、こういう時は、どんなに口論になろうと、俺も連れて行ってくれ。今だって、間に合わなかったら命を落としていたかもしれない」


「ええ。本当に、魔法を過信しすぎるなって、あなたにも言われていたのに」


「魔法を信じるくらいなら、その分俺をもう少し信用してくれよ」


 まったくもって彼の言う通りだったので、エステルはぐうの音も出ないまま項垂れた。


 その姿があまりにも憐れに見えたのか、ウィリアムはほどけたままの彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でて、「ほら」と顔を上げるよう促した。


「離れ小島が近づいて来たぜ。君の妹が消えたのは、あの島の辺りなんだろう」


「そう聞いたわ」


 尋ねられて、エステルは筏の進む先へ視線を向けた。エメラルド色のツヤツヤとした草木に覆われた、小さな島が見える。探検するほども大きくない小島には、建物どころか洞窟や森と呼べるほどの茂みもない。


 ただ、宝石のように輝く花々が緑に混じって島の表皮を覆っているばかりだった。


(いいえ、違う。あれは……)


 正真正銘の宝石だ。花の形をした石が、地面一帯に群生しているのだ。


 海と砂浜、林と岩場。自然地帯にあって、その島だけが明確に不自然な様相を呈している。それが、間違いなくここに城へ戻る石碑の扉があるとエステルへ確信させた。


 逸る気持ちを胸の上から押さえながら、ふたりは小島に足を踏み入れた。


 ぐるりと外周を回って、いくらか生えた木やそこここで咲く花のひとつひとつを入念に検分する。あるいはその宝石群のどれかに見慣れない古語が彫り込まれていないか、目を皿のようにして探したけれど、石碑はおろか、文字のひとつも見当たらなかった。


「どうして? この島にあるのは間違いないはずなのに」


「そうは言ってもな。探す以前に、こんな見晴らしのいい小島じゃ、隠すべきものも隠せないだろ。いっそ地中でも掘り起こしてみるか?」


「地中……、――! それよ!」


「冗談だって。第一シャベルも無いんじゃ掘るわけにも……」


「掘るんじゃなくて、もぐるの」


 ふいに、エステルの頭の隅に、先ほどメリルを追いかけたときのことが思い起こされた。サンゴ礁のあいだを抜け、岩の窪みに見つけた、あの細くせまい穴の隙間だ。


 あれは海中にあって、潮の流れがぶつかる場所で、長い時間をかけて海が岩礁を侵食したすえに生み出した洞窟だった。海蝕洞(かいしょくどう)、と以前読んだ本には書いてあったか。


 多くは浅瀬や海岸沿いの巨大な岩場にできるものだが、ここは魔法で封じられた空間だ。人の手と不可視の力が加えられている以上、どんなに自然の摂理に反していても成り立つ可能性は充分にあった。


 エステルは今度こそ、今日さいごの自傷行為だと己に言い聞かせて、鱗の覆った手のひらの上の方をペンナイフで薄く裂いた。


「地上に無いのなら、石碑はきっとこの地中に――あるいは海中に――あるはずよ。島の横穴とか窪みとか、そういうところに隠されてるのかも」


「なるほど、一理あるか」


 言うが早いか、ウィリアムも同様に自身のナイフで己の手のひらを切りつける。


「ウィリアム?」


「俺も行く。まさかさっきの今で、ひとりでもぐるなんて言わないだろうな?」


「筏はどうするの?」


「幸い、繋留できる程度の木立はある。今度こそ筏を見張ってろなんて言ってくれるなよ」


「……そうね。ありがとう」


 上陸したときにロープでしっかりと縛った筏を後目(しりめ)に、エステルは頷いて魔法を使った。


 金色の粒子が全身を覆い、絶えず新鮮な酸素を自身の周りに巡らせる。さきほど、途中で魔法の効力が切れてしまったせいで不安半分ではあったが、薄皮一枚のところで魔法は成功していた。


(お願い、どうか持ちこたえて、わたしの気力)


 ぐっと生傷の絶えない手のひらを握りしめて、エステルは強く自分に言い聞かせる。それから、ウィリアムが銀粉のような輝きを纏ったことを確かめて、揺らめく海面へ飛び込んだ。


 小島は山なりになっているようで、海上に突き出している部分よりも、土台部はずっと大きな岩肌が広がっていた。


 海面付近は陽の光が差して明るいが、深いところへもぐるにつれ視界は暗く不明瞭になっていく。


 再び明かりを灯すために魔法を重ねるべきか迷っていると、青く発光する淡い光が水底から泡のように立ち上ってきた。


 ノクテルーカだ。それらが、未知の世界を切り開こうとするふたりの周りを取り巻いた。水を掻き分けて右へ進路を取ると右へ、左を向けば左へと、無数の光の群れが追従するように揺れ踊る。


 ウィリアムはほんの瞬きのあいだ身構えたが、それが危険な“邪悪なる者たち(ナイトレイス)”ではなく海に棲まう生物のひと欠片と理解するや、警戒を解いてエステルのあとを追った。


 淡い光に照らされて、島の周りを周遊する。ゴツゴツとした岩肌の隙間から魚影が覗くたびに心臓を跳ねさせては、大きな泡を吐き出して心を宥めた。


 そのようなことを十分か二十分か、あるいはそれ以上繰り返しながら海中を探索し続けた頃のことだ。


 ふいに、チカリと大きめの窪みの奥が光って、水を掻き分ける手を止めた。さざめくノクテルーカの光を、何かが反射したらしい。


 それは、岩が折り重なるようにして細長く続く、人ひとりがなんとか通れる程度の洞穴だった。入り口からでは、何が光を反射したのか窺えない。


「この穴、入れそう?」


 エステルが背後のウィリアムを振り返る。


「なんとか、かな。けど、中で何かが起こってもすぐには対処できない。本当にギリギリの狭さだから」


「じゃあ、わたしひとりで先に入ってみるわ。危険が無さそうなら呼ぶから」


「普通、そういうことは俺に任せるもんじゃないかね」


「あなたでギリギリなんだもの。小回りの利くわたしの方が、まだ何かがあったときに対処しやすそうでしょう?」


 そう言われてしまっては、彼にもそれ以上、彼女を引き留めることはできなかった。


「少しでも危険を感じたら、迷わず引き返せよ。これ以上穴が狭まっても駄目だ。進みすぎると逆に引き返せなくなる。そうなる前に戻って来い。わかったな?」


 エステルは「心配性」という感想を苦笑ごと飲み込んで頷いた。自分を取り巻くノクテルーカを伴って、海蝕洞へと立ち入る。


 洞穴は緩やかに上へとのぼっているようだった。一段高くなっているところもあれば、なだらかな坂道のように起伏の穏やかな箇所もある。驚くべきは、そのところどころに小島の上で見たような鉱石が生えていたことだった。


 これが、穴の外から見えた光の反射の正体のようだ。ノクテルーカの青白い光が、剥き出しの鉱石に反射して光ったのだろう。


 暗い洞穴内を無数の光が鉱石に乱反射する光景は、先の見えない恐れと共に幻想的な驚きをエステルへ(もたら)した。


 しかし、水中洞穴の道もそう長くは続かなかった。前方に突き出した手探りの指先が、やがて水面を掻いて空気に触れたのだ。


 洞穴の底を蹴って、エステルは頭上の穴から頭を出した。そこは浅い潮溜まりから続く、ぽっかりと開けた小さな空間だった。ちょうど、海中でメリルを追いかけてたどり着いた水中洞穴と同じほどの空間が、離れ小島の内部に広がっていた。


 日の差さない内部は海底同様に暗く、荒く削られた海蝕洞の天井は、真冬の軒下に下がるつららのような石が無数に連なっている。


(これが、鍾乳洞というものかしら。本当に石でできたつららみたい)


 少女は驚きに丸くした目を眇めて、よくよく周囲を観察した。浅い潮溜まりにたゆたうノクテルーカの明かりだけを頼りに、辺りにあるものを余さず観察しようとして、あっ、と息を飲む。


 その小さな鍾乳洞の真ん中に、不自然なまでに研磨され、ととのった石碑があった。エステルの背丈ほどの石碑には、見覚えのあるバラを模した、黒光りする宝石が嵌っている。


 ジェットだ。あの、“ジェットの黒バラ”とそっくりな。


「やっぱりここにあったのね!」


 喜びにうわずる声を響かせて、エステルは潮溜まりへ傷の癒えていない手のひらを浸した。ひりつく痛みは、発見の興奮の中にまぎれた。


(イメージするのよ、彼へ危険が無いことを知らせるメッセージを送るの。それから、封印の石碑を見つけたこと)


 血が海水に溶けて、海面が淡く金色に発光する。光が糸を引くように洞穴の外へ向かい、入り口で待っているはずの青年へメッセージを描く様を頭に浮かべた。


 少女は金色の光が収束するのを待って、石碑へと近づく。ふぅ、と気力を奮い起こすように息を吐いた。


 ここに至るまで、立て続けに魔法を使い続けてきたのだ。そのうえ、魔法で身を守っていたとは言え、嵐に揉まれて何度も海へもぐった。


 気力も体力も限界に近かった。けれどようやく、ひと息つける。あともう少しで。


 こんがらがった刺繍糸をほどくように、慎重な手つきでジェットの輪郭をなぞる。いまだ傷口が開いたままの手のひらで、滴る血が黒い花弁を潤すように。


 封印を解いて。扉を開けて。道を示して。


 出口への道を。――それとも、クラリスへの道を。


 ジェットはエステルの祈りを聞き届けたように、彼女の手の中へ落ちてきた。荒野のツリーハウスで石碑の封印を解いたときと同様に。


 ビシリと硬質なものがひび割れる音がして、やがて足元の潮溜まりが隆起し始める。バランスを崩してその場に(くずお)れたエステルの腕を、後から追ってきたウィリアムが掴んだ。


「俺が追いつくのも待ちきれなかったのか? まったく、困ったお嬢さんだ」


「だって、もう今にも倒れてしまいそうなほど疲れているんだもの。もたもたしていたら魔法を使う気力すらなくなってしまいそうだわ」


「軽口をたたけるだけの余力があるなら、まだ大丈夫か」


 ぐいと引っ張り上げられて、ボコボコと迫り上がってくる地盤の上でよろけながら立ち上がった。頭上の鍾乳石が音を立てて降り注ぐ。咄嗟に腕で頭を庇ったエステルごと、ウィリアムが懐に抱え込んでもう片方の腕を振るった。


 地面に転がっていた石礫(いしつぶて)が銀色の光に巻かれると、勢い頭上へ跳ね上がる。それで軌道を反らして全てを打ち払い、守ってくれたのだと、一拍遅れて気づいた。


「あり、がとう……」


「君にばかり血を流させるわけにもいかないからな」


 天井の岩盤が崩落して、中央からぽっかりと口を開ける。なだれ込んできた岩塊は地上から石碑へのきざはしを形作り、石碑は岩に押し流されることもなくまばゆい金色の光を放った。


 亀裂の走った石碑が形を変えて扉を象るのも、バラの形のくぼみが膨らんでドアノブが現れるのも、以前目にしたのとそっくり同じだった。光が収束したあとに、碑文に刻まれていた文字が形を変えて封印の存在を示すのも、すべて。


 だからエステルは、この扉の向こうが、あの頭のおかしくなりそうな扉だらけの迷宮の部屋だと信じて疑わなかった。


 魔法を信用しすぎるな、と、あれほど口を酸っぱくして言われていたのに。


「やっとひと息つけるわね。ほら、帰りましょう」


 そう言ってウィリアムへ振り返り、彼の腕から離れていく。扉を押し開けながらその向こうへ踏み出したエステルに、一瞬、彼も気の抜けた微笑を浮かべて――「ステラ、待て、止まれ!」


 反射的に鋭く叫んだ彼の、驚愕と鬼気迫る表情を、エステルはついぞ見ることが叶わなかった。


 扉の向こうに足を踏み入れた瞬間、彼女が暗闇の中にひとり放り出されてしまったせいだ。


 瞬きの間に、そこにあったはずの扉は跡形もなく消えていた。迷宮の扉の部屋から、異空間へと放り出された時のように。


 否。それどころか、この空間には何もなかった。ただひたすら、自分の手足を見ることさえ覚束ない深い闇が広がっているだけだ。


 それは奇しくも数日前に見た、妹の声で囁く悪夢を彷彿とさせた。


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