ハッピーバレンタイン
バレンタインのFAを頂いたので、それにちなんだ番外編を書いてみました。
挿絵付きです♪
今日は2月の14日。
大好きな人にチョコレートを贈る日だ。
今年は特別。だってユウくんと付き合って初の、記念すべきバレンタインデーなんだもん。あたしは気合をいれて、手作りのチョコを用意――――……
しようとして、失敗した。
ううん、失敗作って訳じゃないの。
それ以前の問題として、作ろうとしたら立ち退きを要求されてしまったの。
台所使うなってさ。ちょっとお母さん、酷くない?
過去のあたしなら、ここですごすごとリビングを後にしていた事だろう。
けれど、今のあたしは何味も違う。だって、恋人に贈るチョコだもん。どうせなら、愛情たっぷり込めた、スペシャルなチョコを用意してやりたい!
「そんなにたっぷりと愛情込めたかったら、スーパー行ってこい」
「ええ!? スーパーで本命チョコとか、ありえなさすぎる……!」
お小言なんかに負けるものか。母に背を向け、キッチンの端でなおも作業を続けようとしていたら、ソファから冷ややかな空気と共に鋭い視線が突き刺さってきた。
最悪だ。リビングには鬼、もとい兄がいた。イヤミなくらい長い手足を組みながら、ソファの上で偉そうにふんぞり返っている。
お兄ちゃんたら、ほんとそのソファ好きよね。いっそ部屋に持ち込んでしまえばいいのに……!
ギリギリと心の中で歯噛みする。そんな妹の心も知らず、兄はあたしに容赦なく冷たい言葉を投げつけてきた。
「お前の手作りの方がありえないだろ」
「ひどい! 沢山作ったら、お兄ちゃんにも少しくらい分けてあげようと思ってたのに……!」
「恐ろしい計画立てんじゃねーよ。だいたいな、馬鹿にしてるけどスーパーで売ってる市販チョコ、普通に美味いからな。バレンタイン用にわざわざ作られたチョコよりも、よっぽどいけてると俺は思うぞ」
「そりゃあたしも、普段食べてるようなチョコのお菓子は好きだけど……。でも、ねえ。そのチョコに、愛ってかんじる?」
「重要なのは愛じゃなくて、食えるかどうかだ」
ちょっと、どういう意味?
あたしの手作りチョコ……作る前から、まさかの食べられない認定!?
ほんとうに兄は意地悪だ。鬼のような兄は、当然のようにあたしの味方をしてくれない。それどころかあたしの首根っこをひっ掴み、強制的に台所から引き剥がそうとする。
やだ、止めて!
ユウくんが、あたしの手作りチョコを待ってるの!!
彼の笑顔を思い浮かべながら、あたしは必死になって両手両足をばたつかせた。しかし鬼兄はびくともしない。
まったくもって腹が立つ。兄め、細身な身体をしている癖に、力だけは無駄に強いんだから!
抵抗虚しく、あたしはずるずると玄関先まで引きずられていった。
「むくれんなよ。侑なら、チロルチョコでも喜んで受け取ってくれるだろ」
「嘘だ!『雛ちゃんはこの程度しか僕を好きじゃないんだね』なんて思われちゃうよ!」
「ははっ、絶対ないから安心しろ」
「なんで言い切れるのよ……」
「心配すんな。あいつは雛のこと、きちんと理解しているからな」
なにそれ。
あたしはチロルを本命チョコとして贈るような女だと思われている、って言いたいわけ!?
ふーっ!と猫のように威嚇をしたら、兄が宥めるように、あたしの肩をポンポンと叩いた。
「馬鹿だな。こういうのはチョコの内容よりも、『誰から貰えるか』ってとこがポイントなんだよ」
「チョコよりも、贈る人の方が大事なの……?」
「当然だろ。どうでもいいやつから貰う豪華なチョコよりも、本命から貰えるチロルの方が、はるかに価値があるに決まってる」
そういうもの……なの?
ちらりと、探るように兄の表情を窺った。
兄はやけに真剣な顔をして、深く2度、頷いた。
本当に……?
あたしが渡すチョコなら、ユウくんは、なんでも喜んでくれるの……?
ドキン、と心臓が揺れて。
ふと、初めてチョコを贈った時のことを思い出した。
あたしが初めてユウくんにチョコを渡したのは、小学校4年の頃。あの時のあたしはまだまだお子様で、チョコを渡すと後でいいものが貰えると聞きつけ、その日のおやつであったチョコレートを一粒だけ、彼にいそいそと手渡したのだ。
過去のあたし、ひどっ!
でもユウくんは優しかった。当時中学1年の彼は、こんなあたしに大人の対応をしてくれた。一瞬だけ目をぱっちりと開いた後、すぐににこりと笑ってあたしの頭を撫で、「ありがとう」と言ってくれたのだ。
ホワイトデーには、あたしの大好きな苺タルトをご馳走してくれた。バレンタインにチョコを渡すと、後でいいものが貰えるって本当なんだ!とこの時のあたしは呑気に喜んでいた。
彼の部屋で、ほくほくしながら苺タルトにかじりつく。
『わーい、苺チョコが苺タルトになっちゃった♪』
『ふふっ。良かったね、雛ちゃん』
口元に手を当てながら、半ばこらえるように、ユウくんが笑みを漏らした。
―――あれ、もしかしてあたし、苦笑いされている?
とっさにそんなことを思って、あたしは急に恥ずかしくなってしまった。
そうだ。ユウにぃはこんないいものをくれたのに、あたしはあんな小さなチョコしか渡していない……。
胸の内にもやもやとしたものが広がってくる。ユウくんへの申し訳なさと、大きな見返りを期待した自分の浅ましさをひしひしと感じて、フォークの動きがピタリと止まった。
どうしよう。
ユウにぃ、呆れてるかな。
もしかしてあたしのこと、軽蔑してるかな。
しょんぼりしてうつむいたあたしに、焦ったような声が降りてきた。
『あ、あれ? 美味しくなかった?』
『ううん、とっても美味しいの。ごめんなさい』
『どうしたの雛ちゃん……?』
『あたしがあげたチョコ、いいものじゃなかったよね。ユウにぃ、がっかりしたでしょ』
『そんな事ないよ』
温かな手のひらが、あたしの頭を優しく撫でる。泣き出しそうになるのをこらえながら視線をあげると、ユウくんは優しい眼差しをあたしに向けてくれていた。
『とても嬉しかったよ。だって、雛ちゃんが僕にくれたチョコなんだから』
ああ、そうだった。
ユウくんは、あんなチョコでも嬉しいって言ってくれた――――
あたしは、ずっと意気込んでいた。ユウくんの彼女になって初めてのバレンタイン。贈るチョコは、手作りじゃなければいけないような気になっていた。市販のチョコには愛が無い、なんて一方的に感じてた。
正直、料理は苦手だ。上手く作れるか、自信なんてまるでない。だけど、出来合いのチョコを渡して、ユウくんをがっかりさせたくなくて。頑張らなきゃいけないような気がして。でも……
兄の言う通りだ。
無理して作ろうとしなくても、きっとなんでも喜んでくれるよね。
だってユウくんは、そういう人だもの。
あたしが何を渡しても、穏やかに微笑んでくれる人だもの……。
うう、大好き!
懐かしいユウくんの姿を思い浮かべているうちに、早く会いたくなってきた。
こうしちゃいられない。チョコなんて、のんびり作っている場合じゃない。ささっとスーパーへ行き、パパっとチョコを買い、ひょいっと隣に向かわねば!
「お兄ちゃん、あたしチョコ買ってくるね!」
あたしは、晴れやかな笑顔を兄に向けた。
兄も、満足げな表情であたしを見返していた。
「アドバイス、ありがとね!」
珍しくも、兄がにっこりと微笑んで手を振った。
あたしは勢いよく玄関のドアを開ける。
「……感謝しろよ、侑。危機は無事、回避してやったからな」
バタンと閉じた扉の向こうで、兄がなんか呟いてるけれど、どうでもいいや。
それよりもユウくん。一刻も早く、あなたに会いにいくからね!
◆ ◆
ユウくんに贈るチョコを何にするか、もうあたしの中で答えは決まっていた。
スーパーへ向かい、真っ直ぐに、子供用のお菓子コーナーへと足を運ぶ。懐かしいそのチョコは、変わらず売り場に並べられていた。
苺を模したチョコ。プラスチックでできた緑色の棒の先に、真っ赤なチョコの粒が刺さっている。苺色をしたチョコの先端には、茶色のチョコでコーティングがされていた。
小さな小さな、一口サイズの可愛いチョコ。
あたしの、お気に入りだったチョコ。
あたしが初めて、ユウくんに渡したチョコ。
ウキウキとドキドキで心がたっぷり満たされて、羽が生えたようにふわふわと身体が軽い。鼻息混じりにチャイムを鳴らし、おばさんに元気よく挨拶をする。そのまま彼の部屋を目指して、あたしはリズミカルに階段を登って行く。
目的の扉を開くと、あたしを目にした彼がにこりと微笑んだ。
あたしは苺チョコ片手に、ユウくんの側へと駆け寄っていく。
イラスト/一本梅のの様
「ユウくん、これ、バレンタインのチョコなの!」
「ありがとう雛ちゃん。って、うわ、このチョコ―――!」
顔を綻ばせながら、懐かしそうに彼が苺のチョコを見つめてる。
わ、ユウくんも覚えていてくれた?
あたし達の、初めてのバレンタイン。ほんの少しでも思い出してくれているのかな?
彼の目元が緩んでる。口元もしっかり緩んでる。ぱっくりと開けられた彼の口を見て、むくむくと出来心が湧いてきた。
あたしからのチョコ、食べて……!
「はい、どーぞ♡」
「んぐっ!」
あたしは手にしていたチョコを、ユウくんのお口の中に突っ込んだ。
眼鏡の奥で、ユウくんの瞳がぱっちりと見開いている。ほんの少しだけ固まった後、ユウくんの頬がもごもごと動き始めた。
「どう、おいしかった?」
「…………」
「ねえ」
「…………」
口元に手を当てたまま、ユウくんが何故かあたしから視線を逸らした。
指の隙間から見えた彼の顔は、苺チョコのように赤く染まっている。
想い出のチョコ……きっと、美味しいよね?
照れてるユウくんも可愛い。でもあたしは、にっこりと笑って『美味しいよ』と言って欲しいのだ。
返事をくれない事に焦れたあたしは、彼の服を軽くつまみ、つんつんと引っ張ってみた。
「ねえってばぁ」
首を傾けて、ユウくんの顔を覗き込む。
目が合って―――瞬間、どきりとした。
さっきまで照れくさそうに視線を彷徨わせていた彼は、一体どこへ消えたのか。熱っぽい瞳をしたユウくんが、あたしをじっと見つめている。
心臓が飛び上がる。たじろいで、身を引こうとするあたしの肩に、彼の手が容赦なく伸びてきた。
「美味しいよ、ほら。――――こんな味」
普段の、物腰柔らかなユウくんは息を潜めてる。あたしを捉えた彼の手には、男の人を感じさせる力強さが含まれていて、心臓がどくんどくんと跳ねだした。
身体が動かない。鼓動だけが耳につく。立ち竦み、ぼうっとしながらユウくんを見上げていると、あたしのおでこに柔らかなこげ茶の髪が触れてきた。
あ、と思った瞬間に、唇は重ねられていた。
ふわりと、甘い香りが漂ってくる。
少しだけ開いていたあたしの口の中に、お返しのように小さなチョコが滑り込んできた。想い出のチョコはとろりと甘くて美味しくて。吸い寄せられるように舌を突き出すと、チョコと共に入り込んできた、暖かなものとぶつかった。
「とっても美味しいからさ。こうして一緒に食べようか」
「―――――っ!」
2人きりの静かな部屋の中に、バクバクとうるさい音が鳴り響く。
懐かしいチョコの味は、いつしか大人の味に変わっていて。あたしをドキドキさせていく。
二人の中からチョコの味が跡形もなく消えてしまうまで、とろけるように食べ合って。
そうして仲良くチョコを食べ終えた後、ちらりと彼を見上げると、ユウくんは真っ赤になりながら、とても満足そうに微笑んでいた。






