38 紅いほっぺと白玉団子
どうしてあたしの頬は、こんなにも熱持っているんだろう。
「はぁ~……」
更衣室の姿見に映るあたしは、リンゴのように真っ赤な顔をしていた。
カバンからペットボトルを取り出して、頬にぴとっと当ててみる。ひんやりとした感触に、少しづつ熱が治まっていく。
「お兄ちゃんとユウにぃの事、先輩に言おうと思っていたのになぁ……」
言葉なんて簡単に、胸の奥底に引っ込んだ。
あんなに意気込んでいたのに……
ユウにぃが、近くって。
近すぎて。彼があたしに触れていて。その温もりと、匂いに脳が麻痺をして。鼓膜に響く低い声と、かかる吐息の熱さに、あたしの心臓がバクバクと大きな音を立てていて…………
何も、考えられなくなっていた。
ああ、ダメダメ。思い出しちゃダメ。
せっかく冷やした頬に、再び熱が集まってくる。
首をプルプルと振って、記憶を必死に吹き飛ばそうとした。顎をあげて、天井に向かい細長く息を吐く。
「言えなかったなぁ……」
もう、言う気にもなれない。
耳元で囁かれた彼の言葉が、あたしを縛る魔法の呪文と化している。
「そろそろ行かないと……」
どうして、いつもいつもこうなるんだろう。
彼に触れられるとそれだけで、あたしはおかしくなってしまう。
ユウにぃに、あたしはドキドキしてばかりいる。
◆ ◇
「雛ちゃん、お疲れ!」
バイトが終わって、着替えて更衣室から外に出ると、廊下で先輩があたしを待ち構えていた。
満面の笑みを浮かべている。
「今日もお客さん多くて忙しかったよね! さぁ疲れを癒しに、俺と一緒にかき氷行こうねっ♪」
「う、うん」
疲れを癒すどころか、これから更に疲れそうなんだけど……。
でも仕方ない。今日はあたしから誘い掛けたのだ。諦めてイチゴ練乳でも、堪能するかぁ!
「雛ちゃん、ほら!」
「え?」
「ほらほら! 初デートなんだし、手ぐらい繋ごうよー」
「は、初デートぉ?」
これ、デートなの?
絶対違うよね。かき氷食べに行くだけだし。どう考えても違うよね。
「やだなぁ、デートじゃないですよ? バイト仲間とかき氷食べに行くだけですよ?」
「うん、かき氷デート」
だめだ。今の先輩は、自販機に行くのですらデートだと言い張りそうだ。
あたしはサクっと、発言をスルーする事に決めた。
「手なんて繋ぎません。ただでさえ暑いのに、よけいに暑くなるじゃないですか」
「大丈夫大丈夫、雛ちゃんの手なら暑くないよ」
「先輩の手が暑いんです」
「雛ちゃんから誘ってくれるなんて、ほんと嬉しいなぁ」
「ダメだ、聞いてない……」
いやにテンションの高い先輩が、浮かれた顔であたしの手を掴んできた。過去を一応反省しているのか、力加減は緩やかで痛くはない、けれど。
――――どうしてだろう。
この真夏の最中に繋ぐ手は、蒸れて汗ばんで暑いだけ。予想通りの結果なのに、先輩はとても嬉しそうにしている。
どうして。
ユウにぃと手を繋いだ時には、手のひらに意識が集中して、ドキドキが止まらなかったのに―――
先輩と手を繋いでも、あたしは全然ドキドキなんてしてこなかった。
◆ ◇
あたし達はファミレスと同じ通りにある、かき氷専門店までやって来た。
専門店ってすごい。ここのかき氷は夜店などで売られているかき氷とは、全然レベルが違うのだ。
あたしの注文したイチゴ練乳には、大粒のイチゴが3つもトッピングされている。なおかつ、氷を彩る赤のシロップには砕いた果肉がたっぷりと混ぜこまれていた。
うん、これは癒やされるっ。
あたしはにっこりと笑いながら、スプーンを氷の山に近づけた。
「雛ちゃん、いい笑顔してるね」
「そりゃもう、イチゴは笑顔の源ですから♪ んんー、美味しいっ! やっぱり暑いときはかき氷ですね~」
「ほんと、幸せそうに食べるねえ」
そう言って先輩は、つぶつぶあんこの絡まった白玉団子を口の中に放り込んだ。スイーツの幸せパワーは凄いのだ。へらりと笑う先輩も、あたしに負けず劣らず幸せそうに見える。
先輩が注文した宇治金時には、栗と3つの白玉団子が乗っていた。イチゴには負けるけれど、お団子も美味しそうだなぁ。
「んっ? 白玉欲しいの? あげるよ」
先輩が2個目の白玉をスプーンですくい、あたしの目の前に突き出した。艶やかな白玉に誘惑され、あたしはぱっくりと口を開け……ないし!
先輩が口にしたスプーン使うとか、やだ。
それに、食べた後でイチゴと交換して……なんて言われたら、最悪だし。
「あたしはイチゴがあれば幸せなので、白玉はいりません」
「そう? それにしては物欲しそうな目で見てたけど」
「みっ、見てないしっ」
嘘。ほんとはちょっと見てました……。
あたしは白玉から目を逸らして、口を真横にきつく閉じた。先輩はそんなあたしを愉快そうに眺めながら、少しの間スプーンを揺らしていた。
「それにしても、夏休みももうすぐ終わりだね。宿題終わった?」
「宿題? そんなものがあることを、今、思い出しました……」
もちろん、半分も終わっていません……。
頭を抱えていると、先輩が心配そうにあたしの顔を覗き込んだ。
「あれ、全然進んでないの? 休み明けるまで、あと10日もないよ?」
「うう、かき氷食べてる場合じゃなかった……!」
「食べ終わったらさ、俺んち来なよ。一緒に宿題終わらせよ? 分からないとこ教えてあげるよー。こう見えても俺、けっこう成績いいんだよ?」
「やだ、ユウにぃに教えてもらうからいい……」
「……葉山さんに?」
無意識の内に、口から言葉が零れていた。
はっとして表情が凍る。
なに言ってんの? 去年まではそうだったかもしれないけどさ。
彼はもう……あたしに勉強を教えてなんて、くれないのに……。
「雛ちゃん」
先輩が妙に真面目な顔をした。
「葉山さんはさ、雛ちゃんにとってお兄さんみたいなものなんだよね?」
「うん……」
「じゃあさ、お兄さんより彼氏候補の俺と勉強しようよ」
「んっ? 彼氏候補?」
「そうそう、彼氏候補。あれ、それとも候補抜きたい?」
「彼氏も抜いて下さい」
「それは抜けないなぁ」
先輩、まだあたしを諦めていないんだ。しつこいなぁ。
あたしの対応、結構塩だと思うんだけど。普通もっと早い段階で諦めるよね?
ほんっとポジティブな人だなぁ。
「先輩って諦めが悪いとか言われません?」
「目標に向かって最後まで諦めずに全力で突き進む、頑張り屋さんだってよく言われるね」
「全力過ぎてビックリですよ」
「うちの家族みんなこうだからね、たぶん家系なんじゃないかな? まぁ、姉ちゃんはさすがに、麟さんを諦めたようだけど」
「え……っ?」
「俺の姉ちゃん、麟さんが好きだったんだよね」
え――――――っ!?
「高校に入って、同じクラスになって、だいぶ追いかけてたみたいだけど………さすがにねぇ。相手が女の子なら頑張れても、男じゃねぇ。さすがの姉ちゃんも涙をのんで、2人を影から見守る事にシフトチェンジしていたみたい」
ちょっと……ちょっとちょっと待って。
それってもしかして……お兄ちゃんがあんなに怖い顔をして、あたしに口止めをした理由って……まさか、先輩の、お姉さん?
「びっくりしたんだよ? あの姉ちゃんが、諦めるなんて単語を口にするなんて。俺びっくりしすぎて、どんな人だろうって興味持っちゃってさぁ。それで雛ちゃんを知ったんだよ」
『あの姉ちゃん』という単語に、不穏なものを感じるんですけど……。
「って! じゃあ先輩があたしにこうして付きまとっているのは、お兄ちゃんのせい!?」
「いやいやいや、麟さんの妹だからじゃないからね? そりゃ、麟さんの妹が俺と同じ高校に入学したって聞いてさ、教室まで見に行ったりはしたけどさ。可愛いと思わなかったら告白なんてしてないよ」
やっぱり、お兄ちゃんのせいじゃない……!
おかしいと思ったんだ。高校に入学して一ヶ月も経っていないのに、2年の先輩に告白されるなんてさっ。
「そんな訳で可愛い雛ちゃん、俺と付き合お?」
「イヤです付き合いません」
「え~なんで? いいじゃん、雛ちゃんフリーでしょ? 彼氏欲しくないの?」
「誰でもいいわけじゃないもんっ。付き合うなら、好きな人がいいもん……」
「でもさ。……葉山さんはお兄さんとして好きなだけなんでしょ?」
「そう………だけど」
なぜだか、胸の奥がチクリとした。
先輩が笑っていない。真っ直ぐな視線を向けられて、ぐっと喉が詰まりそうになる。たまらずあたしは顔を逸らした。スプーンでかき氷の側面をつんつん、つつく。
「ねえ先輩。もしもあたしが女の子と付き合ったら、先輩も諦めてくれます?」
「雛ちゃんが女の子と? もしもそんな事になったら、俺頑張るよ。頑張って、男の良さを教えて、ノーマルの道に戻してあげるからねっ!」
頑張らなくていいからっ!
爽やかな笑顔に、あたしは激しく脱力した。
だめだ。先輩、お姉さんよりずっと諦め悪い……。
「あれ、吉野さんがいる」
勉強のお誘いをキッパリと断りつつ、心のオアシス・イチゴ練乳を食べていると、相良先輩が軽く首を傾げた。
先輩の視線の先を辿るように、チラリと後ろを振り返ると、あたしの斜め後ろのボックス席に吉野さんが座っていた。誰かとひそひそ喋りながら、レモン色のかき氷を食べている。
―――――誰?
彼女の対面に誰かが座っていた。位置的に、あたし達に背を向けているので顔は見えない。後ろ姿しか分からないけれど、誰なのかあたしにはすぐに気が付いた。
こげ茶色の髪に、黒い眼鏡のフレーム。髪の毛と同じ色をしたこげ茶色の靴を履いている、男の人。
「あれ、雛ちゃん!?」
ユウにぃが。
吉野さんと一緒に、かき氷を食べている。






