少年は恋人を無自覚に苦しませてしまいました
自分の隣で裏切り者の謝罪を受け入れてあっさりと許しを与えてしまう恋人に対して愛美は呆然とするしか出来なかった。すぐ傍で聞いている彼の妹もポカンと同じような顔をしている。
そんな混乱する二人を差し置いて彼は目の前の罪人に対して更に言葉を続けた。
「天音が反省してくれるならもういいんだよ」
何もよくないよ。どうしてそんなあっさり許せてしまうの? あなたがこの女から受けた仕打ちを思い出してよ。いくら何でもこんな謝罪程度であっさり許される訳が無いのに……。
彼氏の言葉に呆気に取られていると許しを得た天音は本当に許してくれるのかと再度訊いてきた。
「ほんとうに…私を許してくれるの? あんなに酷いことをしたのに……自分から縁を切ったのに……」
「そうだね…正直僕もあの時は随分と苦しんだよ。だから君に更生の兆しが見えなければ許さなかったかもしれない。でも今の君はもう自分の罪を自覚できた。だから……許せるんだ……」
「ああ龍太。ありがとう……私もう一度あの頃の自分に戻れるように努力するから……」
自分の眼前で繰り広げられる二人のやり取りに愛美は放心気味の頭でこう思っていた。
私は一体何を見せられているの? どうして龍太はこんな結末を受け入れられるの? 私は……納得できないよ……。
「――納得できる訳ないでしょうがッ!!!」
気が付けば彼女の憤りは声となって飛び出していた。
「さっきから本気で言っているの龍太!? あんたはコイツに何をされたのかまさか忘れてしまったの!? 一方的に縁を切られ、ありもしない悪評を流され、そして悪意を持ってノートを盗まれたのよ!!」
「えっ…それは勿論憶えているよ。ど、どうして愛美が怒っているの?」
「そりゃ怒るに決まってんじゃん!! お兄ちゃんちょっとおかしいよ!! 何をどうすればコイツを許すなんて選択に辿り着くの!? いや百歩譲って許したとしても元の幼馴染としてやり直せるはおかしいよ!!」
龍太の下した選択に対して疑問を抱く恋人と妹は当然と言えるだろう。だが肝心の龍太は二人がどうして感情的になっているのか本気で理解できていない顔をしていた。
「ねえ龍太、あなたはこの幼馴染に何度も裏切られたのよ? 例え許すとしてもこんなあっさりと許してしまって良いの? これで一件落着? おかしいと思わない?」
「えっと…あの……た、確かに天音のやった事は大問題だよ」
「分かっているじゃない。そう、彼女のやった事はとても罪深いわ。それを分かっていてあなたは彼女の肩を持つの?」
「でも彼女はちゃんと罪を自覚した上で謝ってくれた。だから……」
天音の犯した罪がとても大きなものだと理解しながらもそれをあっさり許してしまう矛盾、ここにきて愛美はようやく自分の恋人がただ〝優しい〟だけでない事を理解した。
ああそうか……龍太はまだこの高華天音と言う人間に繋がれている。いや、彼女と過ごして来た楽しい幼馴染の過去の繋がれているのだ。
そう、彼もまた幼馴染に対して〝依存〟してしまっている……。
この時に愛美の中で考えてはいけない事が脳裏をよぎった。
そんなに幼馴染が大事なの? 反省すればそれでヨシ? だったらあなたを傷つけた幼馴染を許せない恋人はどうすれば良いと言うの?
「ねえ龍太……もしかして龍太は私じゃなくて高華天音の方が好きなの?」
自分の気持ちよりも罪を犯した幼馴染の許しを優先した龍太に思わず彼女はそんな質問を投げかけていた。あそこまで最低な行動を働いた幼馴染を目の前で許してしまう光景を目の当たりにすれば彼女がこんな思考に至るのは無理もないだろう。
だが龍太にとってはこれは予想外の問いだった。彼は別に天音に対して心変わりして愛美に対する愛情を失った訳ではない。彼が心から愛しているのは間違いなく愛美なのだから。
だが彼は気付いていなかった。本当に心から愛美を愛しているのならばここは幼馴染との関係をハッキリ決別すべきだったのだ。だが彼はあろうことか仲の良かった幼馴染時代に戻ろうとする天音を受け入れてしまった。それを認めろと言うのは愛美にとっては酷な事この上ないだろう。
「僕が好きなのは愛美だけだよ!! 天音を許すと言ったのはあくまで仲の良かった幼馴染に戻れると言う意味であって君を蔑ろにしたわけじゃ……」
「………ウソツキ」
「え……」
龍太の口から出て来た必死に弁解に対して愛美はボソリと小さな声で呟くと背を向けて走り去ってしまったのだ。
「まっ……!!」
目元に涙を浮かべながら去って行こうとする愛美を慌てて追いかけようとする龍太であるが背後から何者かが彼の腕を掴んだ。
「ッ!? どうして止めるの涼美!?」
後を追わせまいと腕を掴んで来た妹に抗議をする龍太であるが妹はどこか悲しそうに龍太を、いや彼よりも先の走り去っていく愛美の背を見つめていた。
「今のお兄ちゃんには愛実姉の後を追う資格なんてないよ。どうして愛実姉を悲しませたか理解できていないんだから……」
「そ、それは……」
痛いところを突かれてしまい口ごもってしまう兄を押さえながら涼美は置き去りとなっている天音の方を向いた。
「悪いんだけど今日はもう帰ってくれない? それぐらいは空気読めるよね?」
棘のある言い方ではあるが天音も場の雰囲気を察してくれてようやく大人しく帰ってくれた。
そしてその場に残された涼美はどうしてこうなったのか理解できていない兄へと向かって警告をする。
「ねえお兄ちゃん、今のままだと愛美姉はもうお兄ちゃんの隣に居てくれないよ?」
「そ、そんな……」
自分の心を救ってくれた愛美が居なくなるなど龍太にはとても耐えられる現実ではなかった。だがあの悲しみと共に自分から逃げるように走り去っていった彼女の姿を思い返すと否定もできなかった。
途方に暮れている兄に向かって妹はこう告げる。
「お兄ちゃんが優しい人間だって事は知っているよ。でもね、今あなたが一番大事にしないといけない人は誰なのか? それを今一度考えてみる事だね。そうすれば自分の行動にも疑問が出てくるはずだから……」
そう言うと彼女はその場に兄を放置して1人で家の中へと姿を消した。
残された龍太は妹の叱りつけるような視線と共に言われた言葉を何度も脳内で反芻し続けた……。




