致命的に致命傷なデスペナルティ
けだるげな身体を引き起こす。
どこかかび臭い空気と天上から降り注ぐ暖かな光に眩む意識に俺はまだ、自分が存在することを認識する。
目が覚めて夢落ちであればと願ってみてもそれは夢じゃなく狂った現実の続きだった。
硬い背中の感触に俺はそこがどこかの祭壇であることに気がつく。
――見覚えはある。
一番最初に俺がログインした祭壇だ。
その祭壇に跪き、瞳を閉じて必死に祈るチュートリアが居た。
俺はぼんやりとする意識で見下ろし、また、天井を見上げた。
――死亡から、復帰した。
そう認識するには少しだけ時間がかかった。
動く身体にわずかだが力が入る。
大きく息を吐き出し、生きていることを思い出す。
チュートリアが目を静かに開く。
その瞳が俺を捕らえると、それまでの必死な表情を崩す。
どこか安堵し、そして憔悴しきった表情を俺は訝しむ。
「マスター……よく、ご無事で」
「ああ……」
何かを言おうとして頭の中がまだはっきりしないことを覚える。
罵倒してやろうと思い、うまく言葉がでない。
「……タイガーマスク」
呟いて、忘れないように刻み込む。
どこか急速に消えていきそうな記憶を必死につなぎ止めるため、俺は痛む頭を抑えて繰り返す。
「……お仕置きルームで、うん……あぁ……あれだ。田中さんがちゅっちゅして、IRIAがコンセントセックルの上級者だった」
どうでもいい単語を繰り返し、そこから引き出される印象を繋げていく。
崩壊しそうな記憶をぱちぱちと繋げて、俺はようやく覚醒した意識をつなぎ止める。
「マスター……無理をなさらずに」
「そんなことより、攻略だ」
俺は呟いて、頭を振る。
――第一次限界クエスト、第二次限界クエスト、そして、最終クエスト。
それらの先に、ログアウトがある。
祭壇を降り、立とうとして力なく倒れる。
「マスターっ!」
そんな俺を支えるチュートリアの腕にもたれかかり、俺は不様に地面に倒れ込む。
――力が抜けていく。
倒れ込み、腕を振り払って這いずり俺はそれでも先に進もうとする。
「マスター!まだ、本調子じゃないんです!だから、安静に……」
「調子なんて、誰も待っちゃくれねえ……だから、今が絶好調だ」
俺はずるずると這いずりながら、やがて思い出した激痛に目眩を覚える。
――全身が激しい痛みを訴えている。
鉛のように重い身体に無理矢理力を込め、立ち上がる。
「今まで死んでいたんですよっ!ファミルの加護も安定していないんです!無理をすればまた死んでしまうことだって――」
助け起こそうとするチュートリアの腕を振り払う。
ゆっくりと自分の足で立つと、ふらふらと揺れてまた、倒れ込む。
――盛大に階段を転げ落ち、頭を打つ。
「マスタぁっ!」
駆け寄り抱き起こそうとするチュートリアを再び振り払うと俺は一人で立ち上がろうとする。
「もう、何も言いません。立つなら私に――」
「黙れ、立つのにてめえの手は借りん」
俺はシクシクと痛む胸から息を吐き出し、鋭く告げると震える子鹿のように立ち上がる。
優越感を感じたいわけじゃないのもわかってる。
心配してくれてるってのも当然、理解してる。
――それなら、キクや赤い竜のように俺を放っておけばいい。
この場に奴らが居ないってのはそういうことだ。
そして、それは、多くの場面で当たり前のことなのだ。
「……一人で立つことすらできない奴に、何ができる」
俺は自分に言い聞かせるためにそれだけ吐き出すと、よろよろと自分で立ち上がると激しい嘔吐感に襲われた。
吐き出したものを口の中でもう一度、飲み込むと、自分でも嫌な匂いのする吐息に嫌悪する。
――こんなところまでリアルにしなくてもいいのに。
つくづく作った奴らが歪んで嫌がると理解した。
ふらっふらと歩き出し、おずおずとついてくるチュートリアが何かを言いたげに俯いたり顔をあげたりとしている。
だが、そんなことに構っている余裕が俺には無かった。
ドームの外に出ようとした俺を、チュートリアが掴んで止めた。
「……マスター、それ以上は今はダメです」
「あん?」
「デスペナルティといえばわかるのでしょうか。コーデリアの加護のあるこの神殿から出てしまえば、マスターは魂の欠片を魔王に奪われます」
少しづつ、そう、少しづつ体調を取り戻してきた俺はその単語に眉を潜める。
――デスペナルティ
無尽蔵に死を許されたゲームの世界でプレイヤーに緊張感を与える為のペナルティ。
それは多くのゲームに存在するペナルティだが、多くはゲームを楽しむためのものだ。
ここには一つの『善意』がある。
――より、ゲームを楽しんでもらうため
経験値減少や所持金の減少、それらのペナルティは無謀な行動を制限することでよりゲームを楽しんでもらおうと設定されるもの。
だが、俺の場合、そう、このエルドラドゲートオンラインの場合、そのペナルティは意味を違えてくる。
――『悪意』の載ったデスペナルティ
文字通り、命を取られることもあるだろう。
正体が知れないだけに、俺は身震いを覚えた。
だが、立ち止まったつま先を見ると、それがどこか不様で俺は無理にでも歩き出す。
「ダメですってば!」
「しゃーねーだろがっ!」
無理に引き留めるチュートリアを振り払い、俺は大きな声を出せるくらいまでには復調した。
「……てめえで勝手にやって、てめえで死んだんだ。ペナルティくらい払ってやんよ。それがルールならな」
――自己責任。
てめえで勝手にやっててめえで勝手に死んだのは事実。
それに対する結果というのは自分で受け入れなければならない。
俺は荘厳に作られた柱の間を抜けると、再び、エルドラドゲートオンラインの太陽の光を浴びた。
◇◆◇◆◇◆
はじめに襲ってきたのは猛烈な吐き気だった。
青かった空に紫の染みが滲み出しやがてそれがマーブル模様となる。
目眩にも似た感覚の中、地面から吹き上がった黒色の粒子がねばつく帯を作って俺にまとわりつく。
俺の周囲を黒い風が吹き荒れ、その奥にどこかで見た少女が薄ら笑いを浮かべて見下ろしていた。
「久しいな?戦女神コーデリアのレジアン」
「魔王アターシャのイリアッ!」
チュートリアが叫ぶ。
「……戦女神のイリア。貴様ならば最早、ここがどこで、今、どのような状況であるかは理解していよう?」
なぶるように嫌らしい笑みを浮かべる少女は動けずにいるチュートリアを見下ろしくつくつと嗤う。
「果たしてレジアンは死して、その魂を我らに捧げる。だが、レジアンの持つ魂は巨大すぎるが故に、世界を――壊す。なればこそ、削り取り、世界がその記憶を飲み込み肥大し徐々に腐らせるのだ」
少女の腕が闇の帯となり、俺の顎を持ち上げる。
噴き出した闇が俺の身体にまとわりつき、激しい痛みが全身を貫く。
鈍く、重く響く痛みが俺の身体を蝕んでゆき、ぎしぎしと悲鳴をあげる。
「さて、レジアン。少し、話をしようか」
「メンヘラと話すと疲れンだよ。お話はうちのゆるふわドリルとやってくれ」
精一杯の悪態をついてみるが、それすらも今はこのNPCを喜ばせるだけだった。
「精一杯に強がってはいるが、貴様も世界の法則には抗えはしない。死せば魂の欠片を捧ぐ。それが、この世界の法則だ」
「くれてやンよ。廃人のタフさナメんなし。豆腐メンタルなお前らと一緒にすんなよ」
――何度だって、奪われてきたんだ。
今更、そう、いまさら魂の一つや二つくれてやったって困るものか。
「ならば、『他者』か『自分』かの二つから選べ」
だが、俺はこの時、このゲームの本当の『悪意』を見た。
戦わなければ、ならないと思った。
出町の死体撃ち、煽りだ晒しだリア凸だってレベルじゃない。
――本当に、本当に、叩きつぶしてやらなければ、ならないと決心した。
「――貴様の『現実』での『記憶』を頂く」
魔王のイリアは左手で赤と青の宝珠をかざして俺に告げた。
総てに合点が言った。
本当に、デスゲームだ。
そして、最悪のデスペナルティだ。
ウィザードリィオンラインのキャラクターロストとかいうレベルじゃない。
――キクの言ってた何度も死ねば、『死ぬ』という意味がようやく理解できた。
現実の世界での記憶を失えば、俺はこいつらIRIAのNPCと同じようにこの世界に生きる一人のNPCと何一つ変わらなくなってしまう。
そして、逆に現実に居る人間から俺という記憶がなくなれば、それもまた、社会的に俺が消されてしまうことに他ならない。
冗談じゃ、ねえ。
――ゲームと共に心中するまでゲームの中に閉じこめられる最悪のデスペナルティだ。
「さて、ここに二つの『記憶」』がある」
魔王のイリアは抵抗できない獲物をなぶるどこまでも残虐な笑みで俺を見下ろす。
「……一つはお前の家族の持つ、お前への『記憶』。そして、もう一つはお前が学舎で嘲笑され、肉体的な苦痛を受けている『記憶』だ」
宝珠から伸びた光が魔王のイリアの背後に、俺の記憶を映し出す。
そこには今では目を背けたくなるような俺の記憶があった。
「……不様な記憶だな。周囲に溶け込めず、それでも関心を欲し、奇行に走っては当然のように侮辱され、それを不当な侮辱と憤り、反抗しても不様に地に這い蹲る」
痛ぇなんて、もんじゃねえ。
オーバーキルレベルの黒歴史晒しだ。
これもデスペナルティなのかと思うと、心底このゲームの制作者の悪意に反吐がでる。
――親父の仕事の都合で転校を繰り返していた俺は、どこでもちやほやされた。
一年に二回運動会なんてザラにあった。
小学校だけで二桁の回数の運動会と学芸発表会だよ。
そんな俺だから、周囲にはちやほやされた。
場に馴れない転校生だからと周囲が気を使ってくれていたのが当たり前だと思ってしまった。
仕事で忙しいおとんもおかんもそんな俺の勘違いに気がつくことはなかった。
転校生としてちやほやされて、ようやく馴れたと思えばまた転校。
寂しくなるねと気をつかってもらって俺も気がつけば勘違いが有頂天。
親父の仕事が落ち着いて、長く留まれば俺は勘違いしたままその違和感を覚えていく。
みんなが俺に注目しない。
転校生というレッテルが剥がれれば、そこにはウザいガキが一人できあがる。
最初は転校生として気を使ってたけど、一年二年がすぎてヒーロー気取ればウザい奴だ。
――気がつけばハブられて、苛められてたよ。
注目が欲しくて奇行に走って、そのウザさが他人の癇を撫でては叩かれる。
それが不当と勘違いしてるもんだから始末にゃ終えない。
クラスの中心になってる人気者の注目が羨ましくて、それが自分の物じゃなくてもどかしくて、叩かれて苛められては悔しくて不様に泣き散らかす。
本当に、不様だった。
忘れてしまいたいくらいに、不様だった。
だから、せめて自由になれるゲームの世界に逃避したのにも関わらず――
「さぁ、選べ。貴様の『過去』か他者の『記憶』か」
「他者の『記憶』」
俺はそう吐き出して、唾を吐く。
「ほぅ、お前を心配し、想う他者の『記憶』を我らに捧げるか」
「――覚悟だけはしておけ、俺はお前達からそれ以上に奪い尽くす」
吐いた言葉が力になる。
啖呵を切れば、負けてしまえば不様になる。
だが、その覚悟すら無い奴が、勝ちになど、いけるものか。
「いいだろう。だが、世界は選んだ。我らを選んだのだ。世界の法則の中に生きるお前達が我らに挑むということは、どれほどのことか、身をもって苦しみ、味わうがいい」
「――廃人を舐めるなよ。廃人は世界を『壊す』」
――幾多の世界を渡って、壊し続けてきた廃人としての矜持。
他に戦う者が無く、挑むべき矛先をもっとも強大な敵へ向けてきた。
――闇色の帯が脈打つ。
血管のように脈打つそれが俺の身体の中からごっそりと何かを奪っていく。
金色の粒子が噴き出し、闇の帯に吸われてどくどくと脈打つ。
そうして、赤い宝珠に吸われた俺の『記憶』がほのかに輝き、大地に落ちる。
まるで血のように染みて吸われていく俺の『記憶』が散っていくのをみて、俺は静かな怒りを覚えていた。
倦怠感にも似たようなけだるさが身体を支配し、俺は再び立つ力をなくし地面に倒れ伏す。
――苦い砂を舐めたのは、これで何度目か。
倒れ伏した俺を踏みつけ、魔王のイリアはチュートリアに告げた。
「――戦女神はなかなか良いレジアンをお持ちだ。これからもよろしく頼む」
「あなたは――たった今、マスターの敵になった」
どこか冷めた声音でチュートリアが告げた。
「期待している。これからも良い『記憶』を我らに捧げてくれよう」
「――恐ろしいですよ。私のマスターは」
どこまでも平然と告げるチュートリアに魔王のイリアはくつくつと嗤う。
「では、これで。エルドラドゲートを超えて、また、会おう」
俺を踏みにじり、立ち去っていく魔王のイリアに俺は喉すら動かせず這い蹲っていた。
どこまでも、不様に、惨めに。
だが、どれだけ身体が痛めつけられようと、動かなくなろうとも。
――俺の胸ン中にだけはドス黒い炎が激しく渦を巻いていた。
◇◆◇◆◇◆
チュートリアは俺を助け起こすことは、しなかった。
夜になるころには身じろぎできるようになり、俺は仰向けになって憎たらしいほど綺麗な星空を眺めていた。
現実と隔絶されたこの空間で俺は戻れないもどかしさが死んだことに気がつく。
どこまでも澄み切った心の底で、静かに渦を巻いたそれらが冷静に俺の在るべき姿を描き出す。
そうして、そうあるために俺はどこまでもどこまでも暗い炎を宿したままこの世界を認めていく。
薪を拾い集め『キャンプ』スキルで焚き火を燃やすチュートリアの心遣いがどこか煩わしく思う。
だが、決して、そう、決してチュートリアは俺に手を貸そうとしなかった。
長い、長い夜の沈黙に耐えきれず、俺は呟いた。
「強いから、何をしても許されると思ってる奴は大嫌いだ」
うつむいてメモ帳に何かをシコシコ書いてたチュートリアが一度だけ俺に視線を向ける。
そうして、またメモ帳に視線を戻すと相槌を打った。
「そうなんですか」
「そうして、高慢になってる奴が大嫌いだ」
「そうなんですか」
どこか適当に返してくるチュートリアがほどよく憎たらしい。
「ゲームだと思って、何をやっても許されると思っている奴も大嫌いだ」
「……マスターみたいな人ですね。さいてーの、クズやろうです」
「最低のクズ野郎――そうとも、最低のクズ野郎さ。じゃあ、なんでその最低のクズ野郎が一杯居るんだ?」
吐き出して、改めて認識する。
「――それが当たり前の人間の本性なんだよ」
そう、それが当たり前なのだ。
強い奴は何をやっても許される。高慢に振る舞っても、誰もが立ち向かえずに尻をまくる。
そして、現実と違えばその凶暴性はより鋭さを増して弱者を傷つける。
「それは推論じゃなくて、突きつけられた『結果』。ご聖人様がこのゲームを作ったんであれば、俺は今、ここに這い蹲っちゃいねえよ」
だからこそ、『結果』から目を逸らさない。
何が至らなかったのか、総てを受け入れなければならない。
――そうしなければ、『勝つ』ことができないから。
『憎しみ』を覚えるのも俺、『怒り』を覚えるのも俺。
――そして、力を振るい蹂躙する『悦び』を覚えたのも俺。
「不様な俺も、クソ野郎な俺も全部全部認めて見据えなければ『勝て』はしない。それが『結果』って奴だ」
「……寂しいですね」
「ぐう聖ぶりたいなら、総てをねじ伏せる力をつけろ。『憎しみ』は『愛』より強ぇ。これも『結果』だよ」
――でなければ、這い上がれなかった。
正しさは強さの前では意味を成さない。
強さをねじ伏せるにはより強大な強さしか、無い。
「……マスター」
おもむろにチュートリアの方から俺に声をかけてきた。
ぱちぱちと爆ぜる音を立てる焚き火のオレンジ色の暖かい光に浮かんだチュートリアが尋ねる。
「……何故、他者の記憶を選んだのですか?」
「俺の記憶は渡さねえよ」
「……忘れたい過去であっても、ですか?」
「忘れられるものなら、忘れてしまいてえよ。恥ずかしいさ、悶え苦しむくらいに忘れてしまいたい過去だ。だが、あれが俺の弱さなんだ。あれが俺の――はじまりなんだ」
――総てを受け止めるということは、正しく自分の過ちを認めること。
そして、受け入れ、自分として愛すること。
「――誰にもくれてやるものか。誰にも」
「……家族の想いを裏切っても、ですか?」
俺は痛む身体を捩り、チュートリアに背を向ける。
「てめえにも、家族が居るんだろ」
心配しているだろう母親の顔を思い出す。
どこか脳天気だが、俺の為に本気で泣いてくれた。
――力至らず、救っちゃくれなかったがそれでも本気で泣いてくれたんだ。
どこか震える自分の声を、それでも自分に言い聞かせて
「……てめえにも、家族が居るんだろ。死に散らかして泣かれるよっかは、忘れてもらえる方がなんぼかマシだろが」
どこまでも柔らかい光を投げかかける月の明かりを憎んで、俺は瞼を閉じた。
◇◆◇◆◇◆
『チュートリアの日記』よんがつよっか
おんもに、でたい。
きのうは、ますたーがわからなかった。
しぬほどやつあたりして、しんじゃった。
ますたーとこまったちゃんのくえすとをうけて、ますたーがいうことがただしいのかなとおもってしまう。
みんな、みんな、じぶんかってだ。
みんなすきなことをして、すきなようにいきてる。
それでだれかをきずつけるとか、へいきでしてしまうんだろうなと、おもった。
だから、ますたーはつよくならなくちゃいけなかったんだと、おもう。
だから、きずつけてもいいっていうのはちがうとおもうけど、それでもつよくならなくちゃいけないってのがわかった。
ますたーのことはわからないけど、わかることもある。
ますたーは、つよくて、やさしい。
どれだけあいてがつよくても、あきらめないから。
どれだけさびしくても、おかあさんをたいせつにしているから。
おんもに、でたい。
おかあさん、いま、わたしろうやのなかです。




