日溜まりの情景(エレイフ視点)
林の中を馬車と並走し駆け抜ける。
護衛の任務中ではあるが、まるで散歩の様な速度で進んでいるために、多少部下達の間には緩んだ気配が見受けられる。
大切な方の護衛なのだからと活をいれるのはやぶさかではないが、いかんせんその護衛対象が、この緩みの理由の一端でもあるため、どうしたものかと考えてしまう。
彼女の通り名はアオ様。
本当の名前は発音できないからと、その呼び名だけを許された。
発音できない名前とはなんなのだろう?と、時おり思い出しては首を捻るが、アオ様も、その周囲も、ガードが堅くて歯が立たないのが現状である。
剣を捧げ、忠誠を誓い、二心ない事は天上より示された。
だが、それとこれとは事情が違うのだと、アオ様は言うのだ。
お側に付きながら日々ご様子をつぶさに観察するも、アオ様への謎は、日々深まるばかりだった。
「わー風が気持ちいー」
と、木々の間を馬車がかけるのを、窓を開けて楽しまれるアオ様。
無邪気というには、良家の子女としてあまりにも逸脱した行動。
だがしかし、普段の見た目を裏切る朗らかな行動は、注意を促すよりも、そのままであって欲しいと周囲に思わせるものがある。
アオ様のご容姿は、この世の奇跡を体現しているかのようなものだ。
幼さから進み、女性へ移り変わっていく最中のまろみのある輪郭と、静かな紫電の瞳、少し薄い唇だが柔らかく桜色に色づく唇、筋の通った鼻筋、真っ直ぐに流れる髪の流れに至るまで、どこをとっても美しさを体現するそのお姿は、感情を表に出さなければ恐ろしいほどの静けさと大人びた空気を放っているが…
目を閉じ嬉しそうに風に吹かれている今は、ただただ愛らしさを振り撒いていらっしゃる。
騎士たちがその美しさと愛らしさをめでようと、ちらちらと視線を揺らしているのが見てとれるのが少々腹立たしくも思える。
部下たちは、ここしばらく同じ館で過ごしたとはいえ、別の棟で生活をし、ほとんどアオ様と接触することは許されなかった。
それ故に、アオ様に対する情報は人々から集めた噂話ばかりである。
その噂がどのようなものであるかといえば
この、神無き地とまで言わしめた土地で天へ祈りをつなぐことができた唯一の存在
地上に於いて天上に一番近き教会におらずとも、祈りを紡ぎ続ける奇跡を今も紡ぎ続けておられる
教会に足を踏み入れれば至高の御方に相見える程の世界に祝福されたお方
など。
およそ、中央教会ですら聞いたことのないような奇跡の数々に、館に滞在し始めた当初は眉唾ものであると苦笑気味に皆話していたのだが、まずもって、遠目からでもわかる美しさに当初誰もが息を呑んだものだった。
そして、滞在時間が重なれば重なるほどに、かの噂は真実であると信じざるを得なくなった。
なにせ天より降りる光の梯子を何度となく目の当たりにしたのだ。
その上俺自身、天のお方よりアオ様への忠誠を認められ、聖跡を賜った。
これ以上、どんな証が必要であろうか。
伝説に聞く聖なる方々など及びもしない程の存在が、目の前におられるのだ。
まさに、この世のものとは思えぬ美貌と奇跡の少女。
人離れした存在が、楽し気にはしゃぐ姿は、彼女もまた人の子なのだと安心させる効果しか生み出してはいない。
馬で並走しながらアオ様の乗る馬車に近づき、真横にぴったりとつく。
「馬車の乗り心地はいかがです?」
大きめの声で話しかければ、馬の速度に負けず、きちんとアオ様に声が届いたようで、美しい紫が俺を見た。
「こういうのは初めてだから、他と比べることはできないけど、特に問題ないよ。」
アオ様も大き目な声でこちらへ聞こえるようにと声を張ってくださる。
それにしても、またアオ様についての謎が深まる。
馬車にほとんど乗ったことがないと先ほどの休憩の折に判明した時も驚いたが、初めてだという「こういうの」…というのは、旅がということなのか、速度の出ている馬車がということなのか。
しかし、今日出発した館に長年暮らしていたのではないという事は騎士団独自の調査で調べがついているので、アオ様自身はどこかから旅路を経てやってきたはずなのである。
まさか徒歩での移動だったはずもなかろうと館でのアオ様の生活から思うのだ。
驚くほどに徹底した深窓のご令嬢ぶりは、決して演技ではありえないはずである。
そう、アオ様は自然だった。
どこかに行きたいと駄々をこねる様な事もなく、遠くへ行きたいと逃避願望を垣間見せることもなく、日々を屋敷内で過ごされていた。
どこから来て、どのように過ごして、どのようにかの地へたどり着いたというのだろう。
そして、特に問題ない。という返答。
乗り心地がいいとも悪いとも比べるものがないからわからない。だがしかし、現状に問題も不満もない。
深窓のご令嬢が、そんな言葉を紡ぐだろうか。
自分の知る限り、ご令嬢というのは、動かぬ地面の上であっても柔らかな絨毯の上でなければ歩けば足が痛いと言い、自分の体にフィットしたソファーでなければ体が痛いと言うものだった。
馬車に乗れば揺れると言い、風が吹けば風が強いと文句を言う。
比較するのは常に自分に一番心地いい状態である。
「それより、よく走っている馬車と同じ速度で並走しながら話せるね。舌かまない?大丈夫?」
アオ様についてつらつらと考えている俺に、アオ様は重ねてそんな質問を投げかけた。
まさか、こちらの心配まで口にされるとは。
俺は思わず苦笑する。
「このくらいの速度、散歩のようなものですから、ご心配には及びません。」
「そう?ならいいけど…やっぱり、この速度ってゆっくりなんだ?」
「速度を上げればその分馬車も揺れますので、魔法の要石が緩和するとはいえ、あまり揺れてはご不快であろう。と、アオ様の後見人の方がおっしゃっていましたよ。」
「うーん。そしたら、次の休憩の時に、もう少し速度を上げて欲しいってお願いしてみてもいい?」
「私にわざわざお聞きにならずとも、そうされたいのであれば…」
「なにそれ。」
「アオ様のご希望が一番優先度が高いという話ですが?」
「いやいや、いくら何でもただの勝手なわがままを、きちんと全体の統制がとれるかどうかとか、護衛側の迷惑とか、そういうことを何も考えずに言ったらいいとか、曲がりなりにも騎士をまとめる隊長が、勧めるべきではないと思うんだけど。」
アオ様は美しい額にしわを作り、私に厳しい視線を向けている。
恐ろしいほど真剣な顔だが、短い期間とはいえすぐ横で護衛についていた俺は知っている。
この顔は、美しいために事を深刻なものに見せているだけで、ただ単に嫌がっているくらいの感情なのだ。
「奇跡の方のお願いであれば、だれもが喜んで傅くものだと思いますがね。」
「社会には人が形作る流れがあるんだし、そういう流れを乱すようなお願いは、あまりいいお願いとは言い難いと個人的には思うよ。」
ほら、こういうことをおっしゃる。
屋敷の中でもそうだった。
周囲で働く者たちの日々の職務の邪魔になってはならない。それを乱してはならない。そうならないよう流れを見、その流れに自分の生活を沿わせていく。
そういう方だった。
深窓のご令嬢然とした生活をしているのに、そういうところは全くお嬢様とは思えないお方。
「私が聞きたいのは、この速度よりも旅に適した速度があるのではないかという事と、途中で速度を変えることで、護衛の方々の連携が乱れたりしないかという事なんだけど。どうなの?」
そして、どこで身に着けていらっしゃるのか。
仕事の内容に理解を示す言動と、とても現実的な提案。
こういう所は、仕事をする上ではとても好ましいと思う反面、その強さに気圧されて苦手だと思う自分がいる。
謎ばかりが増えていく主様は、圧倒されまいと張っている俺の虚勢を、本当は見抜いているのではなかろうか…とまで勘ぐってしまう。
「そうですね。すぐに速度を変えるとなると、途中通過する町への伝令等、問題が起きそうですが、少し猶予をいただければ、全体の日程にずれが出ているとこの先の町へ通達することは可能ですね。」
「なら、速度を変えてもらうのは明日からにしてもらうとして、提案自体はお昼にしましょうか。それから全体の日程をみてもらって…あ、でも、滞在する町は変更できないよね…うーん」
「そこも含めて調整を行いますよ。」
「いや、さすがにダメでしょ。泊る町を絞った結果の6か所でしょ。そしたら、それはずらさずに済むようにしないといけないから…うん。ちょっとうまい理由付けを考えておくね。」
「アオ様は、だれの立場で損得を見ていらっしゃるのか、心底不思議でしょうがないですよ。」
「え?全体のだけど」
「全体?」
たまに、本当にたまにだが、アオ様は心底理解できないことをおっしゃる。
俺は思わず険しい目を一瞬だけアオ様に向けてしまった。
全体とは?
それは、領主の損得?民の感情?後見人の立場?騎士団にかかる迷惑?
それらすべてを円満にするなど、無謀な夢物語だ。
全てにいい顔をすればいいというものでもない。
「いや、さすがにそれは言い過ぎか。」
俺の視線には気が付かなかったらしく、アオ様は苦笑しながらこちらを見た。
光を浴びて透明度を増す瞳が吸い込まれそうなほど美しい。世にも稀なる紫の瞳…。
「ただ、エレイフの負担がもう少し減らせられたらなとはちょっと思っただけなんだけど、それで各所と不和を起こすのはどうかとも思うからね、まぁ、おねだりする前によく考えてからだなって。」
「…変なところで不意打ちをするのはやめてください。」
俺は、うめくように呟いたが、その声ははっきりとアオ様に届かなかったようだ。
移動の最中でよかったと、瞬時に思う。
「貴女は本当に、困った主様だな。」
俺の言葉に、アオ様は不思議そうにことりと首を倒す。
幼い仕草がまた愛らしいと思えるのだから困ったものである。
「さて、そろそろ仕事に戻るとしましょう。アオ様も、あまり風にあたっていては体を冷やしますよ。」
もっともらしい理由を口にし、俺はゆっくりと馬車から距離をとる。
馬車の窓から水色がかった銀色の三つ編みが踊り流れ輝く。紫電の瞳が柔らかい光をたたえこちらをしばし見つめていた。
それから彼女はゆっくりと手で髪を押さえ、窓を閉じた。
言い訳じみた俺の忠告をおとなしく聞き入れてくれるかの方の律儀さには感心する。
そして、正面を向いたその顔が、ゆっくりと静かなものへと変質し、どことなく存在が遠くなる。この世ならざる何かになったようで、不穏な心持ちとなる。
だが、自分はここ最近で知るに至った。
あの顔は、ただあの方自身の世界に没頭しているだけなのだ。
深く深く思索にふけるのはあの方の癖のようなもの。
そして、深い水底のような遠い世界に消えてしまいかねない所こそが、あの方の怖いところなのだとも…光の中溶けてしまいそうな透明感のある美しい横顔を見て思うのだ。




