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出発の朝


 その朝。

 私はいつも通り夜明け前に起きた。


 いつもであれば夜明けまで適当に時間を潰すところだけれど、いつもと違いベッドから起き出して、カーテンを開ける。

 夜明けの直前は、一日の中でも一番暗いと、向こうの世界で聞いたことのある話だが、この世界でもそれは同様であるらしい。

 外はとても暗く、とても静かだ。

 そういえば、この国には明確な季節の変化というものは在るのだろうか。

 なんて、4ヶ月以上も過ごした最後の日に思うのだから、我ながら潔くない。


 しばらく外を眺めていたけれど、慎ましやかに扉を叩く音がして、私は部屋を振り返った。

 どうぞ。と、声をかければ、颯爽と扉の向こうから数人の侍女さん達が入ってくる。


「相変わらずお早いご起床でございますね。」


 そう言いながら進み出てきたのはノラさん。

 ノラさんの後ろでは何人もの侍女さんたちが私の支度のための準備をしている。


「もう習慣になってしまって。」

「本当に、ほとんど私どもの出番はございませんでしたが」


 私は驚いて弾かれたように首を横に振るが、ノラさんはそのまま言葉を続けた。


「こうして聖女様のお世話をさせてただけました事は、幸福以外の何物でもございません。」


 大袈裟なと思うが、忙しなく動いていたはずの侍女さんたちが揃って手を止め、こちらを見るものだから…私はただ微笑むに留めた。

 もしかしたら苦笑の様な顔になっていたかもしれないけれど。


 今日の服装は、旅のために用意されたもの。

 シンプルなワンピースドレスなので、着替えは一人でさせてもらう。


 カーライルさんのご好意でお屋敷でお世話になり。

 アレクシスさんが来て、知りたいこと、やってみたいことをさせてもらうようになり。

 それと共に髪を整えてもらうようになったのが、いつしかドレスを着る機会ができ、いつの間にか指先やお肌のお手入れまでしてもらうようになって今に至る。


 申し訳なさもあるが、それが皆さんとの交流の切っ掛けにもなってくれた。

 ありがたい事だ。

 さて、馬車に揺られるだけとはいえ、旅である。

 髪型もまた邪魔になってもいけないし、かといって繊細な髪型にもできないので、頭の左右で上から緩めの編み込みをし、そのまましたまで三つ編みをつくって肩の前へと垂らす形で仕上げていただいた。

 シンプルな髪型はあっという間に出来上がり、侍女さんたちは、どこか名残惜しそうにも見えた。

 立ち上がり、革でできたショートブーツにも似た靴をはき、鏡の前で出来上がりを確かめ、私はいつものように振り返る。


「今日も素敵に仕上げてくださってありがとうございます。」


 毎朝の日課になったこれも、今日で最後か、今しばらくのお別れか…。


「皆さんと過ごせた時間はとても穏やかで心地よい日々でした。いつもありがとうございます。」


 できればまたお会いしたいという気持ちから、お別れの挨拶は口にすまいと決めている。

 けれど、無責任にできるかわからない約束を口にできる性分でもなく、また会いましょうとも言うことはできなかった。

 侍女さんたちの内数人は、目を潤ませながらも私を見つめてくれている。

 その中できりっとした佇まいを崩さず、ノラさんがまた一歩私に進み出た。

 その口は閉ざされたままだ。

 ノラさんは、今度はもう言葉を口にするでもなく、ゆるりとスカートをつまみ上げ、膝を下げ、腰を折る。その動きに合わせ、侍女さんたちも同様に腰を折った。

 それは、貴族社会に於いては、労働者側が上の者に対してとる礼だと、以前アレクシスさんに教わったことのある所作である。労働者といっても、彼らは町にある工場やお店の労働に携わる人たちよりは上の立場にあるらしいが。

 いかんせん、階級に馴染みがないもので、その辺りはどのように飲み込んだら良いかわからず、いまだに表現に困る自分がいる。

 それはさておき。

 全員が一様に型に倣った礼を行う光景は私を圧倒し、胸に押し迫る感情を溢れさせる。

 決して自分は彼らより上の何かではないと思っているが、ただ彼らの私への好意や尊敬が今この光景を生んだのだと思うと、胸がつまる。

 きっとこの光景を、この時の気持ちを、私は忘れはしないだろう。


 それから、私の支度が全て完了し、お部屋の中を片付け、侍女さんたちは順々に退室していく。

 今、言わないと。目の前を行き交う人の流れを見ながら、私はドキドキする胸と、固まりそうになる手足をなんとか制御下に置きながら、翻る三つ編みが素敵な侍女さんの服の裾をぎくしゃくと掴んだ。


 かわいい瞳をぱちくりさせて、彼女は私を振り返る。

 太い三つ編みを垂らして仕事をしている彼女は、ジェシカさん。

 少し前、私にハンカチをくれた侍女さんで、斜め上にかっ飛んでしまったが、皆さんになにかお礼をと考えるきっかけになったハンカチの君だ。

 お茶会の件で忙しくなり、その後も、いつ渡せば良いのかと右往左往している間に、こんなにギリギリになってしまった。

 今日まで毎日持ち歩いていたその贈り物を取り出し、ぎゅっと、ジェシカさんの手の中に握り込ませるようにして、やっとこそれを手渡した。


「ずっと、お礼を言わなくてはと思っていて、その、えっと、ハンカチ、ありがとうございました。」


 緊張のしすぎで声がうまくでないし、コミュ障乙なつっかえつっかえな話し方は相変わらず気持ち悪いしで、情けなさ過ぎる事この上ない。

 お礼だというのに。


「そんな、私、大層なものはお渡ししていませんのに、こんな、素敵なもの…」


 ジェシカさんは手の中のハンカチを確かめるや否や、ぼろりと、大粒の涙をその瞳から溢した。


「えっ!?あっ、ジェ、ジェシカさん!?」

「私等には勿体ない程のもの、本来ならば、お返しするべきですのに、申し訳ありません。」


 涙を溢すジェシカさんは、涙の意味も、謝る理由も口にしないけれど、私はもしかしてと思い当たる気持ちに思い至った。いや、ただの想像で全然真実とはほど遠いかもしれないんだけど、そんなことはどうでもよくて。

 これは、私からの、あの時のジェシカさんの優しさへのお礼なのだから。

 想像でしかないし、ただの私の妄想かもしれないけれど、私という聖女が手ずから作ったハンカチを、ただの侍女であるジェシカさんが持つなど不似合いだとか、不相応だとかそういう気持ちとか、もらって嬉しい、手放したくないという気持ちに罪悪感を抱いたのではないだろうか。

 ほんとうに、何度も重ねるけれど、そんなのは私の想像でしかないけれど、でも、ジェシカさんの顔には嬉しいという気持ちと後ろめたさが浮かんでいるように見えるのだ。

 けれど、そんな風に思う必要なんて本当に、どこにもないのだと、私は思う。


「これはジェシカさんのために作ったんです。あの時の優しさにきちんとお返しがしたかったんです。ジェシカさんからもらったハンカチこれからも大事にしますからどうかジェシカさんにも、このハンカチを持っていて欲しいです。受け取ってくれませんか?」


 あーっ

 お客様ーっ

 お客様困りますーっ

 何でこんな大事な時に、ヲタクの悪い癖が出るんですかねー!?

 超絶早口高い声で捲し立ててしまった自分自身に絶望がすごい。

 こういう大事な時に、落ち着いて話したいよ。私何歳だよ?って自分の年齢を自問してしまうよ。

 言葉を口にし終えた直後に、すでに落ち込みと反省モードに突入してしまう私。

 そんな私の内心に反し、ジェシカさんはゆっくりとまばたき、ふわりと笑ってくれた。


「はい、一生涯大事にさせていただきます。ありがとうございます。」


 それはそれは素敵な笑顔だった。

 このお屋敷の最後の朝に貰うには、最高の愛らしさ。

 その笑顔にホッとして、私もまたジェシカさんににこりと微笑みを返した。


 そうして、日がやっと空の端に顔を出す頃、私は、馬車へ乗り込み、お屋敷を後にしたのだった。




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