わんこ判定から弟判定に切り替わる時
「金遣い?」
心当たりのないワードに、私は首をかしげた。
「菫の香りですよ。」
「はぁ?」
「知らないで使っているんですか?菫の香油は最高級品。そもそも抽出量自体が少ないために、市場へ出回る量にも限りがあります。二重の理由で金額は他の最高級の香油からも飛び抜けて高い。それを惜し気もなく使う女性が金遣い荒くなくて何だと?」
ふんっと鼻を鳴らされる。それを呆然と見上げる私。
し、知らなかった…。
知らないとはいえ、大変な物をここ最近で愛用してしまっていた。
今度は私が頭を抱えたいが、とりあえずそれはさらっと置いといて、これだけは相手に伝えとこう。
「知らなかった。教えてくれてありがとう。」
「は?」
「やっぱり無知は罪だわ。改めてよくわかったわ。」
「なんです。急に」
「思ったから言っただけだよ。あと、私の事を年下の嬢ちゃんだと思うからムカつくのでは?」
「それこそ何言ってんですか。」
「この見た目は、女神様…じゃない。天上にあって至高のお方の作られた形だから、見たものを信じない方がいいよ?」
今度は彼が、ぽかぁんと顎が外れんばかりに口を開いて私を上から下まで見てくる。
心の忙しい夜だね。お互いに。
「今、なんと?」
「私、30越えてるから。」
「…冗談…」
「だったらいいのにね?」
天を仰ぎ、悲壮感が全身から溢れ出る。
いつの間にか腕が自由になっていたことに気づき、私はさっき落としたストールを拾い上げ、バサバサとはらい、肩にかけた。
じゃないとさすがに冷えるかなって。
「…運命の人だと思ったのになぁ…」
心の底からの嘆きに、返せる言葉はこれしかない。
「残念だったね。」
「全くだよ」
私たちは、まるで気心の知れた友人の様に、互いの顔を見て気安い笑いを交わしあったのだった。彼は笑みに少しばかり苦い色を混ぜ込みながら。
「ところで、なぜアオはこんな時間に外に出たりしてるんです?危ないことをするのは感心しないな。」
ここまでの経緯から多少ぞんざいな口調が混ざりつつたまに丁寧な口調になるエレイフ。
「エレイフこそ。」
「って、なんで名前を呼ぶ。」
「いや、もういいかなって。」
「勝手に呼ぶな。あと、敬称なしか。」
そっぽ向いてすねたりするから、まるで弟か?って気持ちが沸き上がる。弟ってかわいいよね。
エレイフは他人だけど。
「そっちが名乗ったんでしょうに。」
「意地でも名前を呼ぶ気がなかったくせに。」
「それはまあ、あの時はそんな気持ちだった。」
名前ひとつでよくもまぁ、こんなにいちゃもんをつけるものだ。
いいじゃないか。もう名乗ってしまったんだから。
「そもそも、そっちの名前の教え方は雑すぎるだろう。」
「だって、女神様の最高傑作につけるケチがあるのかと思ってついカッと。」
仕方ない。仕方ない。
自分で言うのはおかしいかもしれないが、私だからこそ言える事がある。女神様がお作りになったこの聖女ボディは素晴らしいのだよ。
聖なる力が付与されてなくても。
あ、ちょっとまた落ち込みが帰ってきそう。いかんいかん。
「…なんでいきなり落ち込む…」
「落ち込んでません。」
「落ち込んでるじゃないですか。」
意外と鋭い。
流石、女性慣れしてるだけある。それとも性格だろうか?
「まぁ、少し思うところがあって…」
「抜け出した理由か?」
「…何でわかるかなぁ…」
「少しくらい話を聞いてやってもいいが。」
なんかほんとに、弟みたいだなぁ。
変に態度がでかいんだよねぇ。何でだろう。どこの弟もそういうもんなのかな。
「エレイフってお姉ちゃんいるでしょ。」
「何でいきなり話が変わる。いるけど。」
「やっぱり。はぁ…話しねぇ。誰かに聞いて欲しい気持ちと、話したらいけないって理性が今戦ってるわ。」
「話したくないなら早く帰れよ。」
「優しくない…」
「…我が侭だな。」
そう言いつつも、このまま待っていてくれるエレイフは、素直に優しいと思うよ。
ったくもーと、悪態をつきつつ、きょろりと辺りを見渡して、ほらこっちに来い。と、手招いた。
「立っているのも疲れるだろ。座れば。」
そう言って示されたのは、座るのにちょうどいい岩。私が座りやすそうな高さの岩に、わざわざ自分のマントを敷いて ほら。 と、顎をしゃくるエレイフには、不覚にもかっこよさを感じた。
し、紳士。すごく紳士。
めっちゃいい子!
できる子~~!
「だから、そういう目でこっちを見るな。年下って顔をするな。」
「何でばれるかなぁ。」
ははは と、空笑いを返しつつ、ありがたくその上に座ると、岩のひんやりとした温度が少し体温を奪う。
「寒いか?」
「大丈夫。エレイフこそ、寒くない?マント借りちゃって」
「これでも、騎士ですから。」
ふふん と、笑うエレイフは、まぁなんというか。ほんと、かわいいよね。マジ弟。
「で?」
腰を落ち着け、長い足を組み、そこに肘をついて手の甲に顎を載せ、こちらを伺い見るエレイフ。
月の光がふんわりとした髪の輪郭を明るく浮かび上がらせて、金色に輝かせる。オレンジがかった髪は、暗い中では落ち着いた茶色に見え、日中よりも不思議な色気を感じさせる。
わー乙女ゲーのスチルか、メインポーズみたーい。かっこいー。
と、思ったのは秘密として。
「悩みって?」
「…うぅん…話していいものかどうか…悩む…」
「口止めしたいなら、俺を『聖女様の騎士』にしたら?」
にやにやと笑ってくるエレイフに、私は嫌そうな顔をして見せる。
「えーそれはなぁ。」
「なんだよ。」
「だって、私エレイフの事知らないし。」
「俺もだけど?」
顔をしかめていたエレイフは、私の返事にきょとりと目を開く。
表情豊かでそんなところもかわいいなぁと思ってしまう。
「お互い信じてないのに、命預け合えると思う?」
エレイフは、心底意外という顔をして見せた。
なんでそこでそういう顔をするのかな?
だというのに、そのまま人の悪い笑みを浮かべて、エレイフはこんなことを口にした。
「まぁ、これから信頼関係を深めればいいだろ。」
心にもなさそうな事を。
私は呆れて苦笑を返す。
「だってエレイフ、私の事金遣いの荒い女だと思ってるわけだし。信じられるの?」
「毎日毎日屋敷に引きこもってお嬢様教育受けて、人にかしずかれている金遣いの荒いお嬢様はまっぴらだと思ったけど…あんた、一体何なんだ?無駄に足は速いし、30歳だと言い始めるし、口調も言動も最初と違いすぎるし。」
「まぁ、淑女教育の賜物だよね。私えらい。」
ふふんっと、胸を反らすと、エレイフは手の甲から顎を落とし、がっくりとうなだれた。
「…それだよそれ。残念。の、間違いだろ。」
「ふふふー私は、素のエレイフの方が分かりやすくていいな。取り入ろうとしないし。ちゃんと優しい。素直に紳士だなって思える。」
「俺は、あんたのその年下扱いが嫌いだよ。ったく」
でも と、続く言葉に、私はきょとんと眼を瞬いた。
「騎士の誓いの何たるかを知るアオになら、俺は、命を預けてもいいと思えるな。」
「エレイフ?」
「聖女と騎士も所詮人と人。完全に理解する事は不可能だ。けどな。信頼しあう事は理解しあう事とは違う。と、俺は思っている。」
そう言うとエレイフはおもむろに立上り、私の目の前、つま先から40センチ程先だろうか。野原だというのに何も厭わず膝をついた。




