眼前の帳を開くお方(シア)
その後、聖女候補様の後見人たる方が入室し、数人の先輩方が入室し、聖女様の身の回りのご用意をしました。
それにしても、なぜアレクシス様は私に声をかけられたのでしょうか。
全く何も理解しないままそれを顔に出さない様淡々と手を動かします。
お召替えの後、部屋の壁際へと控え、何も聞いていないような顔で様子を伺います。
「お待たせしました。」
聖女候補様がうっとりするような優雅な略礼でアレクシス様をまっすぐ見つめる様は、伝承の挿絵の様です。
「突然の召喚にお手を煩わせておりますのはこちらでございます。それはそうと、城内で何があるかわかりませんので、侍女を一人お傍に着けさせてください。こちらの侍女がお傍に控えますので、何があっても決してお一人になりませんよう、お気を付けください。」
成り行きを見守っていた私は、そのすらりとした腕が、手のひらが、私を指し示すように開かれた事がどこか遠い世界の出来事のように思えました。
一体何が起きているというのか。
けれど、指し示されて何もしないわけにはいきません。
機械的に一歩踏み出せたのは、先輩方の教育のおかげでしょう。
けれど、表情までは恐らく取り繕えては居なかったと思います。
「し、シアでございます。よろしくお願いいたします。」
数日前に自分がしてしまった痛々しい失敗とこの麗しい方へかけてしまった心労を考えると、あまりにいたたまれません。
はっきりと合ってしまった視線に、いたたまれなさでこのまま闇へ溶けてしまいたくなるほどです。きっと夜へ帰る事も私には許されません。
自身の至らなさに暗澹たる想いですが、ここは職場です。職務を遂行しなければなりません。
普段であれば、多くの同僚が共に働いているので、自分1人に注目される事はないのですが、こうして名指しでお傍へお仕えするよう言われてしまえばその視界に映ってしまいます。
そのお顔も、瞳も、平素のままで、私はこのままではいけないと強く思ったのでした。あの出来事から数日、戦々恐々と過ごした事もありましたが、私の日常に変化はありませんでした。
その事実がまた私の発言の罪を浮き彫りにします。
主たるお方も、この麗しい方も貶めるような言葉だったと突き付けられます。
王城にて一日聖女候補様につかせていただき、私は決意しました。どのような言葉が出てくることになろうと、きちんとあの日の無礼を謝るべきだと。
今が唯一、私に与えられた好機。
もう二度と2人きりになれる時間も場所も訪れるはずはありません。
お部屋にお戻りになる聖女候補様の後ろへ、自然な風を装って私も付き従いお部屋へと入室致しました。
けれど、聖女候補様のお部屋で2人だけになり、麗しの方の前にこの身一つで立つと途端に、頭の中が真っ白になってしまって言葉が出てきません。なんと不甲斐ない事でしょう。
ことここに至っても、このお方に悪し様に思われる事が私には耐えられない。なんて身勝手なと、自己嫌悪が胸に募ります。
「あの…?」
困ったような聖女候補様の声音にはっとして私は何とか、何とか言葉をと探すけれど、普段他の方にそんなに読んでどうするのかとまで言われるほど日々本を読んでいるというのに、その中に散らばっているはずのものが何も出てきません。
何度か口を開こうとするも、喉が張り付いて、はくり…と息を吐いては口を閉ざしてしまいます。
そんな私を見かねたのか、ゆるりと聖女候補様が私へと体の向きを変えました。体がこちらへまっすぐ向き、ピンとした佇まいは誰もが目指すべき淑女の在りようでとても眩しいです。
思わず目を細めたくなるのに抗っていると、綺麗に色づく唇が動きました。
「先日は申し訳ありませんでした。」
「えっ」
思わぬ言葉に思考が止まります。
私の脳が上手く動かない間も、聖女候補様はその美しい声を響かせて、私に何かを伝えてくださっていましたが、それをうまく理解できないまま茫然としてしまいます。
けれども、最後に締めくくられた言葉に、私は一気に体中の血が沸騰するような感覚を味わいました。
「ご迷惑をお掛けしてしまいました。」
そんな言葉をこの美しい方に言わせてしまったのは誰か。
私の中で私が私を攻め立てます。迷惑をかけたなど、それは、私の方だというのに。
「そっ、そんな。いえ、あの、私、私がいけないのです。あっあの時、私は舞い上がっていたのです。その上、勝手に恐慌状態に陥り…無礼を働きましたのは私でございます。」
慌てて開いた口の中は乾いており、もつれる舌ではうまくしゃべれずつっかえます。我ながら無様な事です。
きっと聖女候補様にも呆れられている事でしょう。
唇をかみしめるわけにはいかないので、私はぐっと奥歯を噛みしめました。
自分から謝るべき所で謝れず、その上、やっと口にした言葉は大変聞き苦しく散らかったものばかり。その上、この先に何を口にしたらいいのか見当もつかないとは。
「シアさん」
「は、はい。」
まさか、名を呼んでいただけるとは思わず、こんな時であるにもかかわらず喜びに目が熱くなります。
「私に無理に付き合う必要はないので、普通に仕事をしてもらえれば大丈夫です。私はアレクシスさんの恋人でも何でもないですし、中央教会での用事がなくなれば去る人間ですから、日々の生活を乱さずどうぞ仕事に専念してくださいな。」
次の瞬間、私は凍り付きました。私の言ってしまった失礼な言葉の数々が、このお方の中にはっきりと残っている証が提示されてしまいました。
しかし、その表情に浮かぶものは、私を責めるものでもなければ、嫌悪でもありません。
美しくも力強い輝きと笑みです。
伝説のようなお方。
ご自身は何も持たず、家もなく、頼れるものもないとその口にされながらも、そのような事は些事であるとしか思えない輝きを持つ方。
このお方こそ、高貴なるという言葉に相応しい。
「わ、私は、また勝手な言葉を聖女候補様へ紡ごうとして…この身勝手さが心底恥ずかしいと感じるというのに、それでも、貴女様に謝罪の言葉を紡ぎたいと願ってしまう浅ましい想いを止められないのです。」
何とか、ごめんなさいという言葉だけはと口から出ないようにと留めながらさらけ出した自身の汚泥に恥ずかしさでいっぱいです。
けれども、逃げたくはないと、その目の前から消えるのならば、いっそ息の根を止めて欲しいと、思ってしまいます。
まっすぐにその双眸を見つめることができず、私は柔らかく小さな口元に視線を注いでしまいます。
形の良い柔らかな唇が少し迷いを示した後に開かれました。
「シアさんは…私に言った言葉を後悔している。という事で合っておりますか?」
「その通りです。」
確認の言葉に、きゅぅ…と、肩を縮めてしまいます。
「私も、あの日の事は色々と後悔をしています。」
「えっ」
私は、弾かれたように顔を上げた。とたん、そらしてきた美しい瞳がまっすぐに私をとらえて逸らすことを許さず、ごくりと唾をのみこみました。
「なので、ここからはずいぶんと勝手な提案ですが…あの日の事は一度白紙にしませんか?お互いに自身の至らなさを後ろめたく思っているのであれば、そのまま持っている必要はないと思うのです。」
「よ、よろしいのですか…」
あまりにも予想外な上自分に都合の良すぎる話に、信じられないという気持ちが募ります。
けれど、光を放つ紫は揺るぎません。
「よろしいも何も、あまりに私にとって都合のいい、身勝手な提案をしていると思うのですが…シアさんはいいのですか?」
「身勝手などと!そんなことはありませんっ」
ぶんぶんと首を振ります。
優しさと気遣いに、私は自然と両の膝をつきました。
天へ祈りを捧げる時と同じく胸に両の手を添え、見上げた姿は人の形をした天上の美でした。
「どうか、許されるのであれば、どうかこれからもお傍に仕えさせてください。」
天へ祈る時に、これほど必死になったことがあるだろうか。これほど真摯に祈ったことがあるだろうか。
これより最上の想いを他の何かに傾ける事はきっとないと思える程の熱量が胸の内に溢れます。
「…膝をつくのはやめてくださいな。」
聖女候補様は私への返答はせず、ただ優しく私の肩に触れ、手を伸べてくださいました。
小さく柔らかく滑らかな手の感触にくらくらしながら立ち上がれば、並び立つ背の小ささが改めて私の中に突き刺さりました。
「とりあえず、今日はこの髪を解くのを手伝って頂けますか?」
「どうぞ、お任せください。」
アオさんシアさん、そろってポンコツ回でした。
どちらもよくわからなくなってて混乱と混沌の極みです。




