語り部の庭
手ぶらのゼローソ先生が入室すると、後ろからゴロゴロとワゴンを押してくる青年が1人。
…一体先生は何冊持ってこようとしたのか…知りたくない。私はすっとリンフォール先生を見たが、リンフォール先生はさっと私から視線を逸らした。
それは、私からもだが、入室したゼローソ先生からもである。
おいこら、現実逃避をするんじゃない。何とかしてくれよ。
そう思っていると、ゼローソ先生がワゴンを押してきた青年に礼などを言っているのが聞こえた。もう一度視線をそちらへ戻すと、青年はもう背中を向けて扉を開けているところで、静かに扉の向こうへ去っていったのだった。
顔を見そびれたな。
そんな事を思っている間に、ゼローソ先生は机へワゴンを横づけし、何冊かの分厚い本を取り出した。
「さぁ、続きにかかるとしよう。」
だから、試験じゃない事をしようとするんじゃない。
リンフォール先生をまた見たが、ぶんぶんと首を振られた。止める事は出来ないと、その全てが訴えている。
意志疎通はできているのに、希望の聞き入れがしてもらえないとは、なんたる不幸か。
そうしてずっしりとしたとても分厚い本3冊を出され、それぞれの内容について意見を交換し合おうじゃないか!と言われ、もう全然試験じゃないよ!少しは欲望隠してよ!と、何度も心の中で突っ込む羽目となった。
もってきたものは3冊しかないが、どの本も貴重品な上、とても重たいし大きい。ワゴンに乗せて来なければとても運べなかったそうだ。なら1冊にすればよかったのに。
ゼローソ先生が言うには、古代語は単語に持たされる意味の幅が広いし、古文は言い回しが独特なためどのように解釈するべきかを読める人と付け合わせをする事も大切だと考えているらしい。知らんがな。
っていうか、私古代語や古文読んでたの?そんなの、今初めて知ったんですが。
色々と突っ込みたい事が山の様にあるわけだけれど、結局この場の支配者はゼローソ先生で、そのテンションに押し流されて私は本に視線を落とす。
「このページ、ここなのです。こちらの内容は先ほどアオ様は一度お読みになられたとおっしゃってましたね。」
「え、はあ、神子様が楽を奏で神様に捧げているところですよね。」
「この時の神子様が何を想い、何のために奏でているのか、推し量れないものがあるとは思いませんか?」
「別に、奏でるのが楽しくてされているのでは?」
何を難しい事があるのかわからず、私は懐疑的な目で先生を見上げた。
逆に先生は驚きに目を開きつつ、興奮したように頬を紅潮させて、もっと詳しく!と、テンションをガンガン上げていく。
あ、暑苦しい。暑苦しいよぉ。
「ええと、全体として、そもそも神子様は単に楽を奏でるのが好きだっただけで、そこに才能が付随して天なるお方の目に留まる程になったという背景があるのだと思うので、基本的に、奏でたいという感情自体がこの神子様の生きる事の一部なのではないかと?」
趣味というには逸脱している程に、その人の生き方に根差している愛着というか、執着というか、それがないと生きていけないというものは往々にしてある。物語の中でしか私は知らないが、ヲタクをしていると、そういう人種はごろごろいた。そう、それをするのが呼吸と一緒な人種である。
この物語に描かれる神子様も、それと同じものを私は感じたし、大きく外れてはいないと思っている。
私のために自動的に訳されるそれらは、どうやら意訳ではなく完全なる翻訳のようだと、ゼローソ先生と意見を合わせるに至り、わかってしまった。
古代語も古文も関係ない。私にわかるように写し出された翻訳。で、あれば、現代と違う使い方による言葉の揺らぎなどは私には関係ないという事だ。
「それは、意外な見解ですね。そもそも天なる方の元へ捧げるための楽ではないと?」
「最終的にはそれもまた一つの理由付けにはなったのでは?ただ、途中途中でこの神子様はただ奏でる事への想いの描写が出てきますし」
「捧げたい願いがなく奏でられている…なるほど斬新な考え方です。少し私も考えてみます。」
「はあ…」
ゼローソ先生はとてもまじめな顔で考え始めている。終わったなら帰らせてくれ。
チラリとリンフォール先生を見ると、こちらはやっと仕事をしてくれる気になったらしい、今度は目をそらされる事はなかった。
「き、今日の用件はここまでになります。迎えの方がいらっしゃると聞き及んでいますので、その方がいらっしゃるまでの間、休憩されてはいかがでしょうか。」
「そうさせていただきますね。」
ゼローソ先生はまだ 思考を巡らせている。
私はすっくと立ちあがり、それでは。と、先生が正気を取り戻す前に部屋を後にしたのだった。
途中までは最初から予定していた通りの事をしていたのだと思う。
だがしかし、最終的に何かおかしなところに流されてしまった。
何はともあれ、暖かなお茶を口に含んだらどっと疲れが押し寄せてきた。あの先生は、人のエネルギーを吸いつくすタイプだね。
「お疲れ様でございます。ゼローソ先生は…なんと言いますか、私共が居た頃からお変わりなくていらっしゃいますね。」
「そうなんですか?」
休憩場所として利用が許されているらしい中庭のテーブルと椅子。
あまり人の来ない一角をフェルヴィドさんに見繕ってもらって、シアさんにお茶を用意してもらった。
げんなりしているところへフェルヴィドさんがもたらしてくれた話に、私はさっきまでの倦怠感はどこかへ吹き飛び、俄然元気になる。少年期から青年期のお話し!貴重だ!と、テンションが上がる。
「先生はあの頃からこちらにいらっしゃる方で、当時から古文や古代語が得意な者とあのようなやり取りをしている事が多くていらっしゃいましたね。」
古文と古代語…私が読んでいる文字って、現代文・古文・古代語と全てちゃんぽんになってるのに私には全部一緒に見えているらしい。
なかなかはた迷惑な先生ではあるが、それがわかったのはありがたかった。
女神様機能で透過された物しか理解してないから、この世界の言葉の違いなんて何一つ判ってなかった。手当たり次第に読んでいた書庫の中身が、どのように分類されていたのかも私にはわかっていないのだ。
できれば何とか違いを確かめたいけど、どう確かめればいいのかわからない。自分の事なのにね。
「特に、黒糸のお方がいらっしゃる頃は聖女様へ向けるあの勢いで日々巻き込んでおられましたよ。師弟で同じ経験をされておられますね。」
微笑ましいといった笑みを向けられ、私はぱちくりとした。
こくしのおかた?
こくし?
黒…?
くろい…いと?黒髪?
アレクシスさんの事?
二つ名ってこういう時とても不便だと思うのだが、誰の事を言っているのか辿り着くのにタイムラグができてしまう。
一瞬のシンキングタイムの後、指し示された内容に気づいて一気に色んな感情が駆け巡る。
えっアレクシスさんがあの先生に振り回されていた時期なんてあるの!?って気持ちだとか、若かりし頃のアレクシスさん!絶対美少女だったに違いない!とか、もっとその話をもっとくわしく!!とか。
目を見開いて暴れそうになる心に蓋をするように口元を抑えた。
にやけた顔に絶対なっている。
「あの頃の子供達の中であらゆる文字に一番精通されていたのが黒糸のお方だったのです。」
「そ、そうなんですね。」
わー!さすがは優秀だったんだー!
心の中で拍手喝采する。
「カーライル様も時折引っ張りこまれては黒糸のお方と先生の所で顔をあわせる事が増え、それを機に話をするようになった様にも思えますね。」
「そうすると、ゼローソ先生のあの癖は、必ずしも悪とも言い難いのでしょうか・・・良いご縁に恵まれたのだとしたら、それはとても素敵な事ですね。」
カーライルさんとアレクシスさんが今でもこうして連絡を取り合っているのは、そういう縁があったおかげなのだと思うと、ありがたさを感じなくもない。
正直、どちらもお友達を自ら作るタイプには見えない。何より、年齢が違うのだから積極的に知り合いに行く事もなさそうな取り合わせである。
そんな二人を結びつけたとなれば、大したものである。
「先生の場合、その良さを上回るあれなところがございますが…」
「あの勢いは確かに。」
結局のところ、残念な先生。という結論に落ち着いてしまった。こればかりは私たちのせいではあるまい。
全ては先生の日頃の行いのせいとしか言いようがない。
カラーン カラーン
涼やかな鐘の音が聞こえて来て、私はどこともなしに空を見上げた。
「王城の方の通路が通されたようですね。」
「王城ですか?」
「聖女様がお通りになられた門以外は常に跳ね橋が上げられているため、通路が通される際にはあのように鐘が鳴らされるのです。」
フェルヴィドさんが指をさしながら説明してくれる。
土地勘も方向感覚もさっぱりないが、指の向く方向にはお城の塔のようなものが見えている。
あちらに王城の本丸があるのだろう。建物の正確な名前等私にはわからないけれど。
「通路により鐘の音が違うので、あの音で、周囲に居る者がそれに気づかず怪我をすることがない様促しているのです。」
「なるほど。」
「まだ殿下方がお帰りになる時間ではないですから、恐らくは聖女様のお迎えかと。」
「王城の方から?」
「はい。」
なんでそっちの方から?と思いつつ、せっかく入れてもらったお茶を無駄にするのは私の主義に反するので、そっとカップを持ち上げてゆっくりと中身に口をつける。
シアさんの入れてくれたお茶は柔らかな味がした。




