運命の軌道
天に浮かぶ灯りの様な存在に、私はすんなりと、あぁ、月の神様だと思った。
「あたくしたちの母の聖女、彷徨える森の夜の様に、今宵もあたくしの導きを求めるのね。」
灯りのゆれる瞳が嬉しそうに細められる。
その柔らかな面の美しさにぽーっとしてたら、頬をそっと包まれた。既視感と共に、あぁ、違う手だなぁ。という感想が湧いて出る。
どこか女神様に似た行動様式と、女神様とは違う月の神様の存在。
波打つ髪の広がりも、光が揺らめく瞳も、女神様を髣髴とさせつつも全く異なるもの。
きらきらと光をはじく髪の輝きは、夜空を飾る星空の様であり、その髪一筋一筋は、何かの流れを引き寄せる力を感じずにはいられない。その揺らめき一つが周囲の運命を引き寄せ変えてしまうよう力があるかのようである。圧倒的な存在の波及だけを浴びた女神様との邂逅とはまた違う存在感。
その麗しさや美しさへの感動とは別に、ほわっと灯る温かさが一緒にやってくる。その腕の中で安心して丸まってしまいたくなる引力が月の神様にはあった。
「女神様の事を、神様は母と呼ぶんですね。」
光の貴公子は母ではないと言っていたが、月の神様の認識は違うらしい。
神様によって考えが異なるという事は、信仰する神によって人の信じるものも変わりそうである。
これだけはっきりと神様と対話が可能なのだから、思想の違いは大きく出るのではなかろうか。
ついついそんな事を考えてしまうが、麗しい唇が開くと、すぐにその思考も消えてしまう。
「もちろんよ。あたくしたちもこの世界のなにもかもをも産み出したお方ですもの。」
宙をふわりと移動する月の神様は、くるりと泳ぐように私の左から後ろへまわり、ターンして右脇からするりと横切りながらするりと私の髪をすくい上げた。
あまりにも自然な動作でするものだから、さらさらと落ちていく髪の軌道が目に入るまで月の女神様が何をしたのか全く理解できなかった。目を見張っていると、自分のくすんだ水色の髪が零れ落ちる隙間から月の神様がくすぐったそうに笑うのが見えた。
「標神の誰よりも早く巡り合ったという事は、あたくしと聖女の運命が一番強くひき合っているのだという事ね。あたくしの祝福が聖女の迷いに標を灯す運命を引き寄せたのだから、当然ね。」
「運命は引き合うものなのに、神様の標で引き寄せるものになるんですか?」
灯される瞳の美しさと、その近さに処理落ちした頭は完全にまともに動いてない。月の神様の言葉のつながりがさっぱりとわからなかった。
うふふと口元に優雅に手を置き、笑う月の神様は月明かりの下でも仄かな輝きを見せながらくるりと回る。
「あたくしたちの母の元、生み出されたものは全て運命の軌道を持っている。それぞれの運命は互いの引き寄せる力と引き合うの。そして、より強く引き寄せる者の元に絡めとられ、生まれながらの軌道を変える。」
「誰もが引き寄せる力を持っているし、引き寄せられることで運命が変わる…?」
「悩み、惑う神で無き子等の運命を導く標を灯すのが、あたくしたち標神の母より託された運命。」
ついっと泳ぐように私の目の前に笑みを近づけると、月の神様はこつりと額をくっつけた。
先ほどから距離の近さに頭の中が大変な事になっているのに、更にパニックである。
ほんのりと明りの灯る笑顔が近い。あまりの美しさに、好き!という感情だけがあふれ出す。
呼吸をしたら息がかかりそうで、私はとっさに息を潜めた。
「あたくしの祝福により引き寄せた運命の騎士は、聖女の悩みや戸惑いを変えたでしょう。」
好き!だけで働かなくなっている頭に飛び込んだ『騎士』という言葉。
神様から投げかけられた言葉を完全スルーするなんて、罰当たりすぎる!と、急ぎ言葉の断片をつなぎあわせ、脳裏によぎったのは朝日の昇る前や夕日の落ちたばかりの山の稜線の輝きのようなオレンジと黄色をはじく赤茶の髪。
ひゅっと詰めていた息を吸い込む音が喉を鳴らす。
「本来なら、誰より祝福された聖女との縁を断ち切った者に、再度得られるような運命はありはしないのだけれど、あの騎士はずいぶんと強固な道の上に生まれ落ちたのかもしれないわね。」
『騎士』と聞こえたのは気のせいじゃなかったらしい。
どうしてここでそんな単語が出てくるのかと、私はゴクリ…つばを飲み込む。
目の前の灯火は私の瞳だけを見つめている。
「あの…その騎士に何が?」
騎士が誰であるか、密かな確信を押し隠しつつ、恐る恐るその先を神様に聞いてみる。
ここで話題に出るのだから、自分と『騎士』との間にある何かが、月の神様と関わりがあるのだろうと、まともに働いていない頭でもわかる。
けれど、互いの関係に神様が絡んでくるなんて、恐ろしすぎるよ。否定されたい。という気持ちで聞いた言葉は、果たして報われるのか。
私は早鐘を打つ心臓を抑えながら続く言葉をじっと待つ。
「彼の者は…聖女が現れるよりも前に、その時この地で誰よりも祝福された存在の引き寄せた運命を、断ち切ったのよ。普通であれば、その反動で輝ける道は絶たれるもの。けれど、騎士の道は続き、更には己の運命の乙女を引き寄せんとあたくしに祈りを請うた程。」
「運命の乙女…騎士は、乙女に出会った…?」
「いいえ。」
ふいに月の神様は瞳を閉じ、額をそっと離した。灯火が隠れた瞬間、途切れた運命を理屈ではなく理解させられた。
私はその標を追いかける様に、視線を上げ、顎を上げる。
月の神様はとても楽しそうに大きく右手を上げ、踊るように宙でステップを踏む。
「祝福されし者から乞われた運命を断ち、自らの引き寄せた運命からは逃げられた。あたくし、こんな不思議な子は、母の聖女しか存在しないと思っていたわ。とても面白い騎士。」
言葉を表すように組まれた手を胸に引き寄せ、解き放つ。
まるで舞台の一幕を見ているような心地である。
「ボロボロに引き裂かれた縁。手にした栄光も零れ落ち、もう二度と、輝ける運命と結ばれる事の叶わぬはずのその先に、誰より強い騎士の誓いを更なる祝福の奇跡へと捧げ、結神すら目にとめた。」
揺らしながら伸ばされる腕と、ゆらゆらと揺れる指先。ちぎられたボロボロのリボンの切れ端が見えるような錯覚。
そして、その手が大きく開かれ、ぐっと何かに引き寄せられる。その手を起点に、引き寄せられる月の神様のたおやかな体。天を仰ぎ、捧げる様に両の手を掲げ、私へとゆっくりと下ろされる。
「あたくしの祝福は、聖女のための運命を導いたでしょう?」




