過去の噂は清算できない
「あのっ」
私の方ではもうお互い話すこともないだろうと思ったというのに、なぜか彼女は私の手首を握ってきた。
振り返れば強い眼差しにぶつかる。
「先ほどの言葉を撤回させてください。」
「どの言葉を?」
「お暇を出されるのでしょうかと言った事を。私は、言ってはならない事を口にしてしまいました。」
「わかっていただけて何よりです。」
「主であるアレクシス様にも、聖女候補様にも、泥をかける様な言動でした。なにより、そこまで言葉を連ねられる程アレクシス様を想ってらっしゃる方に、ここまで言わせてしまうなんて…」
「え?」
理解してるならいいよ。もう相いれないだろうけど。と、思っていたところに、思わぬ一言が投下されて、私は固まった。
「そこまでアレクシス様をご理解されているしっかりとした女性が現れるなんて、夢にも思いませんでした。」
「!!?」
この子は何を言っているんだろうか?
「それがまた嬉しくて。色々な感情が溢れてしまい思わず涙が…本当にお恥ずかしく…あの、聖女候補様?」
私の顔をかがんで覗き込まないで!やめて!
「お顔が赤いですが」
わかってる!口に出さないで欲しい。
顔が熱いだけじゃなくて、心臓がすごい動きをしている。
頭が真っ白だ。
「純真でいらっしゃるのですね。」
大変嬉しそうに何をおっしゃっているんだろうか?この方は。
今この会話の流れに全くついていけていない私は彼女に投げるべき訂正も思いつかない。
だというのに、私の状況にはおかまいなしで彼女はまるで立て板に水を流したかのように話すのだ。
「実は皆とても心配していたのです。今まで浮いた話の一つもなかったアレクシス様に、噂になる様なお相手ができたと聞いて、どのような方でいらっしゃるのかと…いえ、これは僭越とは存じますが。お立場も難しい方でいらっしゃるので、これまで人を寄せ付けない様にもされておりましたし。あ、あの、もちろん私共もやっと女主人が来てくださるのだなと、その事は大変嬉しく思って…むぐっ」
むぐぐ…と、手の平に振動が伝わる。
彼女の話はあまりにもわけがわからな過ぎて。全ての言葉が衝撃的過ぎて。これ以上の衝撃は限界を超えていた。
処理できない言葉を何とか処理しようとすると、その言葉の衝撃でまた脳内がショートする。
そんなトライアンドエラーが頭の中で何度繰り返されても、正常な処理は戻ってこない。
ぐるぐる回る頭の中。そうしている内に、腕に控えめながらもペチペチと新しい振動が伝わってきて、私はやっと目の前の光景に意識を戻した。
とっさとはいえ、ジャストな位置で口と鼻をふさいでいたらしい自分の反射神経に驚く。そして、無意識のうちに反対の手は頭の後ろに回しており、逃げられない様にしていたらしい。
結果、呼吸を止められた目の前の相手は真っ赤な顔で私に呼吸困難を伝えているというわけだ。
呼吸困難にも関わらず、反撃の仕方があまりにもささやかだなとか、そんな事は頭の中を滑っていくのに、処理落ちした頭は、どうしたらいいかの最適解を全くはじき出そうとせず、私はぼんやりと赤い顔を眺める。
いよいよ耐え切れなくなったらしく、彼女は私の腕を掴み、必死に引きはがそうとぐっと力が籠められる。
あぁ、そうか。離してあげなくてはと、その段になってやっと考えが及ぶ。
「ぷはぁっ」
はぁはぁっと荒い呼吸を聞きながら、私はその姿を眺める。
それで、何だったっけな。と、処理落ちした頭では何もかもが緩慢だ。
「えーっと、なんだ。とりあえず、色々突っ込みはあるんだけど今何も考えられないので、一旦解散します。」
「えっ」
「とりあえず、今日は解散。目を冷やして腫れがひいたら持ち場へ戻ってください。夕飯はいらないのでキッチンへ伝言をお願いします。」
じゃあ。と、私はふらふらと寝室へ続く扉をくぐった。
靴邪魔だな。ストッキングも。
ワンピースドレスもさよならして、下着もポイ。
パジャマを一枚ひっかぶったら、もそもそとベッドへインする。
それで、何だったっけ?
私が女主人?だれの?どこの?なんだって?
誰が何をどうしたって?
さっき言われた言葉を一つ拾い上げてはすぐ処理落ちする脳内。気疲れと回転させすぎ考えすぎが高じてうとうとと眠りに落ちてはまた不意に意識を浮上させ同じことを繰り返す。
ぐるぐるぐるぐる。
何度目かのルーチンの後、私は一気に血が沸騰するかのような羞恥心に見舞われ、ガバリと身を起こした。いてもたってもいられず、今度は勢いよく枕に顔を突っ込むと思いっきりわーーーっと叫び、暴れる心をどうにかしようと試みるが微塵もうまくはいかないもので、収まる気配は一切なく、今度は枕を抱きしめたままごろごろと広いベッドを余すことなく使い、暴れた。
なんだなんだなんなんだ。
こんな恥ずかしい事ってあるだろうか。
なんで自分が人様の口に上るような恋をしている事になっているんだ。
いや、知ってる。わかっている。
エレイフとの噂を上塗りするように仕向けたあれだという事はわかっている。
あの噂が中央教会でもささやかれる可能性は示唆されていた。けれど、まさか、アレクシスさんの所の侍女さん達がそういう目で私を見ているなんて思わないじゃん?思わないよね?
私は思いませんでした!
ていうか、どっかの町でなんとなくいい雰囲気だったのでは?程度の噂でそこまで何が膨らむの?
もうほぼ結婚って感じのゴールをするのはおやめください。勘弁してください。そういうの良くないと思うよ。
頼むよほんと!
私は息も絶え絶えで、暴れては疲れてしばしまどろむを繰り返した。
何がどうしてこうなった。




