青の思索(カーライル視点)
誰もが驚愕に凍り付く室内。
音もなく閉じられた扉を見つめ言葉一つ発することができない面々を順繰りに観察し、冷たい青の瞳が少しだけ険しくなる。
彼が胸の内で守ると誓った聖女様は、基本的に彼の予測できる範疇にいたことが無い。だが、周囲の思惑や行動は予測の範囲であるため何の問題もなかった。聖女様の事がわからずとも、周囲の動きで選択肢を絞り込むことができるのだから。
しかし、今目の前で起きた出来事は完全に計算の範囲外であった。
アレクシスの事は警戒の範囲内に入れなくてはと修正したところではあるが、まさかここまで肩入れするとは思っていなかった。
彼は、聖女様に対し、あくまでも家庭教師として行っているのだという姿勢を彼の方に見せてきた。周囲にどう見えているかはさておき。
それを加味して考えすぎていたために、ここで先手を打たれる事は予測していなかった。動き出した以上は、アレクシスはアレクシスで、自分の側に聖女様を引き込むことは明白だ。どのような形であれ。
ディオールジュ家が絡んだことでアレクシスの出方にここまで変化があるとは、計算外でしたね。
胸中で呟き、さて、この後の出方をどうするか。と、カーライルは考える。
あの方は、清々しいほどに視界に入れていない者からの誘いにはなびかない。決めたことは押し通す意志の強さかとも思ったがどうやら違う事だけは察している。懐へ入れてしまう基準もよくわからないが、自分とアレクシスの事は信頼してくださっているようだとも理解している。
とてもありがたいことである。
そのアレクシスと自分が左右から別の方向へと引き合った場合、聖女様はどうされるのだろうと、予測のつかない方の考えを読み解こうと頭を回転させるが、何度考えても答えにたどり着くことはできずにいる。
自分とアレクシスの会話を楽し気に聞いているあの方は、悲しい顔をされるのかもしれないと考えると胸が軋む。
情に流されるとは、こういうことを言うのか。と、胸をぎしぎしと歪ませながら思う。
悲しませない様にするのは簡単だ。自分とアレクシスで引き合わなければいいだけの話だ。だが、それを選ぶとなるとディオールジュ陣営への意識操作が少々手こずることとなるだろう。中央教会の目も厳しくなりそうだ。
やれやれ。と、うわべで見せるポーズではなく浮かんだ感想がまた新鮮でおかしさがこみ上げる。
整合性の取れた案ではなく、労力もかかるとわかっていながらその案を採用することを前提とし、骨が折れそうだと苦笑いが浮かぶ事になるとは、なんとも不格好な事だ。
だが不思議と嫌だとは思わなかった。
自分は、あの方を転ばせる小石一つすらも拾い上げて歩くのも厭いはしないのだ。
考えが定まればやるべきことも定まるというもの。
カーライルは部屋の中の顔ぶれをもう一度見まわし、すっと息を吸い込んだ。
「さて、ご覧の通り、聖女様とアレクシス様は友好な関係を築いていらっしゃるので、あまり互いにぶつかり合うのは得策ではないかと。」
「銀杯の指し手の差し金か…」
ギリと、先ほどまでわめいていた中年の男が奥歯をかみしめる。
『銀杯の指し手』
その通り名はカーライルを示す中でもあまり好意的なものではない。称賛を多分に含みながら、恐れや嫉妬がその上をいく量で練り上げられている。
銀は家の色であり、そして、銀杯とは毒の例えだった。手の平の上で物事を思うままに躍らせ、動かす様を現した通り名に彼としては何の感慨もない。
だが、相手から自分への感情を測る物差しとなるので、この通り名自体はとても有用だ。
「私は何も。全ては天なる方のお導きでございましょう。」
「天を知らぬイディエが何を言う。」
吐き捨てられる言葉に、いくつかの感情が順繰りに訪れるというのは初めてだった。
「そう、でございますね。朝の眩しさをトーリの民は生まれてからずっと誰一人として知り得ませんでした。けれど、全ての刻は翻った。暗く明るき空を皆黄昏と呼び続けた時代は終わり、彼の空が明けなる呼び声と知っている。安らぎ無き夜は遠ざかり、喜びの朝が照らす地となった。」
どのような罵倒も、今まで何の意味もなかったが、今は少し違う。
「トーリの地を貶める言葉はもう我らには届きませんよ。」
残念でしたね。と、うっすらと笑い、カーライルはもうその男を視界から完全に消した。
「さて、フレン様。本日は今後についてお話ししたい由、お伝えしておりましたが、余計な顔ぶれが多いのはどういうわけでございましょう?」
白髪白髭の男性に、カーライルは礼を取り、疑問を口にした。
その顔にはあまりにも表情らしいものは無いが、無礼さも感じない、まっ平過ぎる感情がそこにはあった。
「それについては私としても心苦しいばかりです。が、目的のアレクシス様が退室されましたのでな、彼らもここにいる理由は無いかと。」
「さようでございますか。では、そちらの方々はもうご退室いただけますよね。」
カーライルとフレンがそう頷きあうと、カーライルから見てフレンの左側にいた二人が無言で反対側に立っていた二人の後ろへまわり、退室を促す。
追い立てられる二人は何事か言いたげにしたが、両者を一切見ない凍てついた瞳に気が付き、舌が凍り付き、言葉を紡ぐことはかなわず退場となった。
二人の男を退室させたフレンのお付きの二人は安堵のため息をつき、そっとフレンの左右に戻る。
「ようやく正式にご挨拶ができますね。フレン様、この度はご協力頂きありがとう存じました。」
カーライルが凍えそうな空気をピタリとやめ、素直な礼を述べると、老人は柔らかく微笑んだ後、困り顔をして見せながら口を開く。
「まさか君にはめられる日が来るとは夢にも思いませんでしたよ。」
「はめるだなどと心外ですね。」
困りましたなぁ。と、フレンがため息をついて見せるも、そこに嫌味は混じらない。ただただ困ったという空気だけが出される。その胸中は、色々と大変な仕事を押し付けられて困ったので自重して欲しいという痛切な願いと、多少の軽口は許すというものである。
表向きフレンはアレクシスの上司に当たる。だが実際は、アレクシスの動向を見守り、意向を汲み環境を整える役割を持っている。フレンからしたら貧乏くじだが、一部の人間からすれば、アレクシスにうまく取り入ってと思われてもいる。
そして、それらは全てアレクシスが中央教会に籠ることを前提としたもので、フレンには、アレクシスを全力を持って中央教会に留める事が課せられていた。
「君からの手紙がきっかけでこうなっているんですよ。カーライル」
「いえいえ、まさか。私ごときの手紙、きちんと選別されて手元に届いているはずだと思っておりましたので。」
嘘である。
長年の学友という立場、大教会の管理者という地位、中央への興味が一切ない家系。
それらを総合して誰もが警戒を解いている事などわかり切っていた。
「それに、奇跡を赤玉に映す機会などもう二度と訪れますまい。これはきっと必要な事だったと思っておりますよ。教会にとっても、あの方にとっても。」
青い瞳が静かに光る。フレンの左右を黙って固めていた二人は、ごくりと生唾を飲み込んだ。
こういう顔をするとき、カーライルはアレクシスの様な特別な何かを持っているのではないかと思わされる。まるで預言者の様な、何でも見通す目で人々の思惑を全て見通し、情勢を見通し、手のひらの上で転がしているのではないか。だからこそ、青年期より二人は対等に話ができるのではないか。と…
「ところでフレン様」
完全に自分の空気にのまれたのを見計らい、カーライルは颯爽と話題を変える。
「なかなかの悪手で聖女様を呼び出されたものですね。」
「悪手…と?」
「急ぎアレクシスを教会へ押し込めたいというお歴々の考えはわかりますが、もう少しやり方を考えた方がよろしかったかと。」
「アレクシス様も、多方面から圧がかかることはわかっておられたでしょうに。」
「えぇ、アレクシスには十二分に伝わっております。ですが、表面上は聖女様に急ぎ中央教会へ来るようにという形をとられましたでしょう。」
カーライルの思惑がどこにあるのか、フレンは眉間軽く皺を寄せながら注意深くその言葉を聞く。
「聖女様と再度お話しされる際にはきちんと準備をされませんと、大変なことになると予測されます。」
「大変?」
「えぇ、急がせたのですから、今後についてきちんとお伝え出来なければ、手痛い事になるかと存じます。」
聞いたところで訳が分からず、フレンもお付きの二人も目を白黒させる。
ほんの一時の邂逅ではあったが、とても美しい少女であったことくらいしか彼らにはわからない。ただ、若木の君が来たばかりの頃と違い、今回の少女は大人ばかりの状況でも自身で判断し、意見をはっきりと述べられる事だけはわかっている。
「お越しになる際には十分にご準備くださいね。」
そう助言するカーライルの脳裏には、エレイフが訪れた時の光景が浮かんでいた。
状況により様々な顔を見せる聖女様だが、フレンの出方によっては似たような事が起きるのではないかという事だけは予測ができる。
さて、どうなることかと考えながら、フレンと必要な情報の交換を行ってからカーライルは退室を願い出たのであった。




