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亡国戦線――オネエ魔王の戦争――  作者: 石和¥


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潜入

「セヴィーリャ、あんた何か特殊能力(ちから)は?」


 わたしは海面から顔を出し、人魚族(メアス)の老婆ラムダに身体を支えてもらいながら、周囲の様子を伺う。

 とはいっても夜の荒れた海は波の高さが優に5(フート)(約1.5m)を越え、視界などないに等しい。耳を弄する波音と、嵐のような暴風と波飛沫。わたしひとりならば、とっくに溺死しているところだ。

 ラムダは特に声を荒げる様子もないが、何か魔術的な障壁で守られているらしく荒天のなかでも彼女の声は不思議とすんなり耳に入った。


「体力と敏捷性だけです。魔人族(イヴィラ)の混血だとは思うのですが、正確な血筋も生得能力(セフト)も知りません」

「いいさ、そんなことはどうでも。腕っ節があれば十分だよ」

「そんなものがあれば、あんな結果には……」


 岸のあった方角だろう、ほんのわずかに覗いている水平線の奥に、ときおり赤く瞬く光が見える。それは恐らく、帝国の軍艦による貧民窟(スラム)への報復攻撃だった。

 ラムダの話を聞いた限り、あの業火のなかで生き残れる人間はそう多くない。いや、皆無に近いだろう。


貧民窟(スラム)に知り合いでもいたのかい?」

「いえ、特定の個人は誰も知りません。ですが、わたしのせいで街が焼き払われるのを黙って見ているのは心苦しいです」

「そんなもんさ。ここに暮らすってことは、苦しいことばかりだ。耐えるか馴れるか、逃げ出すかしかない。あんたは、どうするね?」

「……いつか、変えてみせます。新魔王陛下なら、きっとそうする筈です」

「大したもんだ。そのお方は、そんなに強いのかい?」

「いいえ、まったく。殴り合いなら、きっとラムダさんでも勝てるでしょう」

「面白い冗談だ」

「わたしも、そう思っていました」


 そう、最初は。

 その無力で脆弱な筈の新魔王陛下が、誰にも笑えないほどの結果を次々に生み出してゆくまでは。

 自覚があるのかわからない。どこまでが彼自身の意思で、どこからが運命によるものなのか。あの方の真価は自分の力ではなく、周囲を変える力だ。それを支え実現してゆく力。

 その結果、自分を犠牲にするとしても。


 先代魔王様にはなかったもの。そして、その欠損が彼の未来を殺したのだ。


「待ってな、もう少しで見えてくる筈だ」


 遥かに身体の大きなわたしを脇に抱えたまま、ラムダはスイスイと波を掻き分けながら真っ暗な闇のなかを進んでゆく。まるで行き先がわかっているかのようだ。

 いや、わかっているのだろう。やがて巨大な影が頭上に見え始める。


 帝国海上要塞は貧民窟(スラム)から2哩(約3.2キロ)の沖合にある。人魚族(メアス)の暮らす海底洞窟も海岸から2哩の沖合だが、海上要塞からは1哩ほど南に逸れている。海中を移動するならば、辿り着けない距離ではない。

 もしそれが可能であれば、だが。

 貧民窟(スラム)で獣人族の青年ケミルのいっていた第三の方法、“人外の力を使う”というのがつまり、人魚族(メアス)の協力を得るということだったらしい。


「見えるかい、ほら。下の方だ」

「南側だけ、波が立っていないです」

「水のなかに、消波防壁って馬鹿デカい壁が植わってる(・・・・・)んだよ。それのせいで、当時わたしらの住処は潰されちまったんだがね」


 海上要塞は、縦横が1哩(約1.6キロ)、高さ1/4哩(400m)ほどの巨大な人工建造物。開口部は上層階にしかなく、そこには貨物籠(カーゴ)しか入れない上に帝国海兵が常に警戒している。船を付けられるのは南側の内部桟橋だけだが、そこも軍艦が接岸するとき以外は固く閉ざされ、近付く者は容赦なく攻撃を受ける。

 ケミルのいっていた方法は、再三の方法以外は全て嘘だったということになる。


「南側の海中に、取排水口ってのがある。もうすぐ見えてくる頃だと思うんだけどね」

「どこかの壁が開くのですか?」

「いや、潮の満ち引きで露出するのさ」

「潮?」

「ああ、あんたは(おか)の人間だったね。海の水は、日に2度ずつ上がったり下がったりするんだよ。海面が一番下がるのが、ちょうど真夜中と、昼時だ」


 近付くとラムダのいっていた通り、直径が20(フート)(約6m)はありそうな巨大な筒の上部が海面上に見えていた。ゴミや侵入者を遮断するものなのだろう、鉄製の檻が組まれてはいるが、海中に没した部分に人ひとりくらいなら潜り込めそうな程度の折れ曲がったところがある。

 ラムダは水中でわたしを抱え直し、手が届く高さまで持ち上げてくれた。


「いけそうかい?」

「ええ、十分です。ありがとうございました」

「いいさ。気を付けてな。上手くいったら、ここから出るんだよ。明日の昼に、また迎えに来る」

「ありがとうございます。ですが、もしわたしが現われなかったら。そのときは、新魔王陛下……ハーン様に伝言をお願い出来ますか」

「……うん?」


 実のところ、生還できる確率がそう高くないことをわたしは自覚していた。

 敵の拠点に潜入するのであれば、山野に潜んで逃げ隠れするようにはいかない。自由に距離を取って翻弄することもできない。なにより、先代魔王陛下の状態も所在もわからないのだ。


「“ひと足お先に、永遠の地(ヴァルハレア)で、お待ちしている”と」


 ラムダは、少し困った顔で頷く。


「ああ。でも、あまり期待しないでおくれ。わたしらには、(おか)で出来ることは少ないんだ。そんなことにならないように気を付けるんだよ」


 人魚族(メアス)の末裔は、小さく手を振って海に帰ってゆく。

 わたしは格子の隙間に身体を押し込むと、波音が反響する真っ暗な暗渠を少しずつ進み始めた。

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