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亡国戦線――オネエ魔王の戦争――  作者: 石和¥


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漂流者

ひとつ前に「闇の底」を割り込み挿入しました

 どんよりと暗く濁った水を掻き分けるように、セヴィーリャは深い眠りから浮かび上がる。

 周囲に物音はなく、魔王領の海より濃い潮の香りと、湿った苔の匂いがしていた。ひんやりとしていながら、どこか穏やかな空気。瞬きをしても闇の深さはほとんど変わらない。

 手足は動く。身を起してみても、どこにも痛みもない。(ぬめ)りを帯びた何かが首筋と両手に塗られているようだ。嗅いでみるとあまり匂いは強くないが、ほんのり薬草のような匂いがした。

 ここはどこなんだろうと、記憶を反芻する。


 ああ、そうだ。案内役の人狼から海に突き落とされて、そして……


「だから、いったじゃないか」


 穏やかな女性の声がして、暗闇のなか誰かが近付いてくる気配がした。

 まだ姿は見えない。どこかで聞いた覚えのある声。

 鼻先まで来てようやく、薄ぼんやりとした人影が目に入るようになった。


貧民窟(スラム)には、近付くんじゃないよって」

「あなたは……」


 峠道で会った老婆だ。

 朱色のローブに、白髪交じりの朱色の髪。あのときより少し小さな網籠を抱えている。


「お腹が空いてるんじゃないかと思ってね。魚で良ければお上がり」


 いいながら、彼女が網籠のなかから取り出したのは、海藻に包まれた魚。


「ありがとうございます。それに、助けていただいて」

「いいんだよ。しょせん、そのくらいしか返せない身だ」


 意味がよくわからないが、自分に縁のあるひとなのだろうかとセヴィーリャは首を傾げる。

 足を引き摺っているような動き。どこか違和感があった。


「ラムダだ。お嬢ちゃんは?」

「セヴィーリャといいます。ここは?」

貧民窟(スラム)から海側に2哩ほどいったところにある、海底洞窟だ。入口は海のなかだから、ちょっとやそっとじゃ見つかる心配はないよ」

「海底……」


 屈んでいた彼女が魚油ランプに明かりを灯すと、ローブに隠れていた首筋の(ひだ)が見えた。


「……人魚族(メアス)

「そう、魔王領から逃げ出した恩知らずの末裔(すえ)さ。あんたたちが大変なときに、手も貸せずにすまなかったと思ってるよ」

「いえ、とんでもない。そういう部族がいることは聞いていましたが、実際に会うのは初めてです」

「わたしらは、魔王領には棲めなかったからね」

「それは、迫害を受けたということですか?」

「いや、先祖は良くしてもらったと聞いているよ。ヒルセンてとこは遠浅の砂浜で波も穏やか、静かで綺麗な村だったって。ただ、ね。海まで綺麗すぎるんだ」


 綺麗すぎるという意味がよくわからず、セヴィーリャは曖昧に頷く。


(おか)で暮らしてると、わからないかもしれないね。綺麗な海ってのは、痩せてるんだよ。魚影が薄くて、魚も小さい。水も浅くて、わたしらが暮らすには少しばかり窮屈だったんだよ。だから、こんなとこに移ってきちまったのさ」

「なるほど。それで、わたしたちが人魚族(メアス)の一族と会う機会もなかったわけですね」

「それに、魔王領の海は南の端っこで、商いをするには人里までこの足(・・・)で山を越えて延々と歩かなきゃいけない」


 老婆が裾を持ち上げると、(ひれ)状になった足が見えた。

 お伽話で聞いたように魚のような形ではなく二股に分かれてはいるが、地面を長く歩くようには出来ていないのだろう。


「まあ、無事で良かった。あいつ(・・・)は、ダメだったみたいだからさ」

「もしかして、ケミルという人狼の青年ですか」

「ああ、殺されちまったのさ。胸を突かれて、首を切り落とされてた」

「……!」

「まあ、身綺麗に生きてたとはいえないんだろうけど、帝国領(ここ)じゃ他に生き方を選べるわけでもない。自業自得とは、いえないやね」


 セヴィーリャは懐を探り、革袋を差し出す。


「これを、受け取っていただけませんか」

「いや、受け取れないね」

「ですが」

「そんな大金を持ってちゃ、生き方を誤る。あいつだって、小銭を稼いで満足していれば、あんな死に方をしないで済んだんだ。あんたのせいじゃないよ。遅かれ早かれ同じことになってた。それは、あいつ自身が選んだことだ」


 老婆に促され、セヴィーリャは食事を受け取る。見たこともない平たい魚を海藻に包んだまま蒸し焼きにしたもので、香草に似た風味と海の塩味が効いていて、美味かった。


「あんたも、囚われの魔王様を取り戻しに来たのかい?」

「……()、というのは、私の前にも?」

「ああ、何人もね。ほとんど獣人ばかりだったが、なかには魔人族(イヴィラ)吸精族(ヴァンプ)の血が混じったようなのもいたね」

「彼らも」

「殺されちまったか、捕まったままか。何にしろ海上要塞(あそこ)に向かって、戻ってきた奴はいない。悪いことはいわない……」


 老婆は首を振る。


「まあ、止めたところで、諦める気はないんだろうね」

「……すみません。私には、どうしても彼が必要なのです」


 離れた場所から遠巻きに見ていた何人かの気配が、揺れていた。

 敵意はないが、好意もない。近付いてくる様子もなく、どこか闖入者の存在に怯えているようにも思える。


「いいさ。誰にだって譲れないものはある。わたしらには海軍の兵隊と戦う力なんてないが、途中まで送るくらいなら、協力してやれるかもしれない」

「……(おさ)


 若い声が、驚いたような、(とが)めるような口調で短く老婆にいった。


「わたしらはいつでも、岩陰に身を潜めて()が収まるのを待ってた。でも、もう始まっち(・・・・)まってる(・・・・)んだよ。軍艦が出てったのは、知ってるだろ。いつまで逃げ隠れしてたところで、今度の(いくさ)は行き過ぎちゃくれない」

「それは、(おか)の話です」

「ああ。最初に焼かれるのは、たぶん貧民窟(スラム)だろうね。それで(おか)の、少なくとも海縁(うみべり)の人間との接点は(しま)いだ。わたしらはその後ずっと、ここで隠れ暮らすことになる。焼かれた死骸が積み重なる海で、肥え太った死肉喰らい(ウルカン)ばかりを齧りながらね。その後は? 商いもできず誰とも交われないまま、孫子の代まで生きていくのかい。だいいち、帝国海軍(やつら)がわたしらだけを見逃しておくなんて思ってるのかい?」

「どういうことです?」

「帝国にも税吏はいるんだよ。むしろ大陸で一番有能だ。人魚族(メアス)が帝国沿岸で生きていく限り、取れるだけのカネを(むし)り取ろうとするのさ。出来なきゃ、海に毒を流すことも躊躇(ためら)わない」

「まさか」

「何度かやってるんだよ。その度に、少なくない人魚族(メアス)が死んでる。もちろん魚も死ぬし、それを食った(おか)の人間も死ぬんだが、やつらにとっちゃ知ったことじゃないんだろう」

「では、どうするというのです」


 若い人魚族(メアス)の声が、絞り出すようにいった。


「いまさら魔王を取り戻して何が変わるというのですか。そもそも魔王位は禅譲(ぜんじょう)されたという噂もありますが」

「事実です。新魔王は登極されました。先代魔王様の奪還は、新魔王陛下の判断ではなく私の個人的な行動です。協力していただけると助かりますが、それによって人魚族(メアス)が救われる保証はありません」

「では、断る。我が同胞は、もはや無駄死にさせられるほど残ってはいない」


 老婆が、乾いた声で笑った。


「勘違いしてるね、コロフェ。このお嬢ちゃんに協力するのは、わたしだよ。あんたたちのことは、あんたたちで決めるといい」

「「「(おさ)」」」

「伝えておいた通りだ。麗月の夜、わたしは長の座を降りる。掟に従って、進む道も、新たな長も、自分たちで決めるんだよ」


 老婆は立ち上がり、セヴィーリャに外を指す。行きかけた彼女は振り返り、残された者たちに声を掛ける。


「どうしても困ったら、新魔王陛下を頼ってください。変わった方ですけれども、信じて間違いありません」


 洞窟の出口で待っていた老婆は、セヴィーリャを見て首を傾げる。


「そんなに大層な人なら、なんであんたはひとりでここに?」


 棘のある口調ではなかった。その素朴な疑問を、セヴィーリャは微笑で受け止める。


「新魔王陛下は、人の恋路を邪魔するほど無粋な方ではありませんから」

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