連鎖
「……ったく、冗談じゃねえよ。何が魔王の奪還だ。そんなことされた日には、貧民窟が丸ごと灰にされちまう」
金貨の10や20じゃ身内の火消しにも足りない。帝国軍に目を付けられて生き延びられる者はいない。それが沿岸沿いに住む身なら、死は一族郎党どころか無関係な近隣住民まで巻き込んで確実に降り注いでくるのだから。
俺が全力で蹴り落としたとき、宙に舞った女はこちらを見て戸惑ったようにくしゃりと顔を歪めた。怒ったような自嘲するような泣き出しそうなその顔に、驚きだけはなかった。何度も見捨てられ裏切られてきた人生だったんだろうと思う。
俺みたいに。
水柱はひどく微かで、女の身体は波間に消えたまま浮かび上がることはなかった。
高速の海流が渦巻く巻波の荒海に落ちて生還した者はいない。死体も上がらず波と岩に粉砕され魚と人外の餌になって肉片さえも残らない。今度あの女と会うときがあるとしたら、その身を養分に丸々と太った死肉喰らいの丸揚げとしてだ。
なのにいつまでも、俺の背筋に死の予感がへばりついて離れない。
◇ ◇
ケミルの乗った貨物籠は海上要塞の貨物集積所に着く。身を隠すのを止め、両手を脇に垂らしたまま彼は石造りの床に降り立った。
「モレナ少佐どの」
貨物の陰に身を潜めて待ち受けていたのは青黒い海軍仕様の軽量甲冑に身を包んだ完全武装の海軍陸戦隊が10人と、同じく青黒い甲冑の兜に小さな背鰭のような指揮官印をひとつ着けた指揮官。薄い口髭を生やし、尊大そうな顔でケミルを見る。
頭ふたつ分も背が低い男の前で、ケミルは膝を突いて平伏した。
「終わったか」
「海に落ちました。ご覧いただけましたか」
「ああ。魔物同士で片が付いたのであれば、海軍陸戦隊は用無しだったな」
「いえ、とんでもございません。相手は陸軍を良い様に蹂躙した化け物。隙を突く以外に方法はございませんでした。私が討てたのは単なる幸運です。討ち漏らしていたときには、皆様にも御活躍いただけたことかと」
「ふん、不細工ながらも追従までいえるようになったか。ケダモノも躾次第ではひとの真似事が出来るようにはなるわけだ」
かしこまる獣人を前に、指揮官は貧相な矮躯を精一杯に反り返らせる。
「奴の持っていたカネは」
「帝国貨幣で金貨10枚と、銀貨3枚大銅貨4枚。それと、懐にも恐らく、その倍ほど持っていたようですが」
床に並べられた帝国貨幣を見て、モレナはそのなかから金貨を一枚、拾い上げる。
「金の地が明るく傷もない。刻印も帝国陸軍造幣廠の識別印だ。陸軍の魔王領討伐部隊が持ち出したものだろうな。輜重部隊長が遠征前に受領したと聞いている」
「では、奴は2万の騎兵を全滅させた新魔王の兵ということに……」
「それがどうした。2万の陸兵など砲艦でも全滅可能だ。だが、下賤な魔物の分際で帝国の物資を掠め取るとはな。しかも、800ケアンズ近くが交易を通じて王国に流れたという話だ。帝国陸軍の重甲冑もだ。到底、許されるものではない」
報復への懸念を示した海兵の言葉を一方的に遮ると、モレナはいくぶん芝居がかった怒りの表情を浮かべる。
「まあいい。海上要塞に囚われた魔王を奪還すると、そういっていたのだな?」
「はい。単身で乗り込んで来た理由はわかりませんが、その女の他に仲間や監視はありませんでした。帝都や陸軍への御報告に必要であれば、聞き出した限りの情報を」
「要らんよ。そんな女は存在しなかったのだからな」
「は……ッ!?」
いきなりの衝撃にケミルは息を呑む。自分の胸から飛び出した槍の穂先を、怪訝そうな目で見た。振り返ろうとした首が刎ね上げられ、血を噴き出しながら転がる。
「鉄壁の海上要塞に間際まで侵入されただなどと、誰が報告できるものか。陸軍の不手際は陸軍の問題だ。我が海軍には関係ない」
「少佐どの、こいつは」
「海に捨てろ。魔物など魚の餌にする以外、何の価値がある。……ああ、その金貨はわしがもらおう。海軍造幣廠の印がないカネなどカネとも呼べんが、内部報告に必要なのでな。他は好きにしろ」
呆れと諦めを目に宿して、海兵たちは要塞内部に戻ってゆくモレナの後ろ姿を見送る。皇帝の親族に連なる血筋で少佐の座を手に入れたこの上官は、将官の器など欠片も持ってはいない。保身と我欲以外に何の関心も持たない愚物に従わなければいけないことに、海兵たちは不満を募らせていた。金貨を抱え込んだ愚物は振り返って笑う。
「貧民窟は、焼き払え。ただし5日の間、命乞いをさせてからだ。死体はカネを吐き出さんからな」
「「「……はッ!」」」




