侵略の序曲1
プレオープン。ああ、魅惑の響き。
誰でも入れる完全オープン日とは、ひと味違う。選ばれた顧客だけを、招待する催しだ。
まあ、この世界の人にはそこまで理解されているとは思えないけど。そんなことはどうでもいい。一部にまだ建設中の施設や整備中の機材があるけど、それもまたご愛嬌だ。
正直にいうと、いまの魔王領にはお金がない。
資源も資材も技術も商品も揃ってきてはいるのだが、領内でそれを回しているだけでは、(ある程度の豊かさは手に入れたとしても)自給自足と物々交換の原始社会を脱することは出来ない。
領内にない物品を入手することも、領内の余剰物資の処分も、国外では稀少価値を持つ特殊な素材・技術・商品をその価値に合った値段で売ることも出来ない。良くて死蔵、下手すると日の目を見ることなく浪費・廃棄されることになる。
魔王領の経済状況に、そんなもったいないことをしていられるほどの余裕はないのだ。
「さあ、稼ぐわよ!」
「「「おおぉー?」」」
まだいまひとつ疑問符付きではあるが、勤勉で忠実な臣下と領民たちがアタシの計画に賛同してくれた。もちろん協力してくれたひとたちには、物心双方でキチンと報いる。アタシは律義な魔王なのだ。
いまの魔王領で、資源や資産は基本的に共有。ごく少数の高額硬貨(鹵獲品)が勲章や宝物のような「褒章の記号」として下賜され、それが受勲者の家にそのまま蓄えられ飾られているだけ、らしい。
今後の発展と国力増大を見据えると、この段階で貨幣経済への移行を進めたい。そのためには、庶民にも貨幣に触れる機会を持ってもらいたいのだ。
貧富の差を生むことにはなるが、努力や誠意や能力が報われる社会を実現することで不満を解消したい。
「へ、へへ、へ陛下!」
「落ち着きなさいレイチェルちゃん、あなたらしくもない」
「で、ですが砦門外に人の大群が!」
「そりゃ来てくださるでしょうよ、アタシたちが呼んだんだから。ちゃんと行儀よくおもてなしするのよ?」
「は、はひッ!」
意外なことに開場前、もっとも緊張しているのがレイチェルちゃんだった。ふだん下手に世慣れたところがあるだけに、未知の状況やイレギュラーな事態には弱いのかも。
タッケレルやバッセン、あとは新規事業で訪ねたヒルセンなど、新魔王派の村から手空きの人材を接待・販売員としてリクルートしてきたのだが、彼らの方が、村以外の世間を知らないだけに、下界はこんなものかとばかりに泰然と(というかのほのんと)している。
「まおー、てきしゅー?」
「違うわよ、お客さん。パットたちも準備は良い?」
「だいじょぶー、ふーせん、もったよー?」
押せば開く簡易的な物ではあるが、入場者を止めていた砦門を開け、アタシは自ら最前列で来客を出迎える。
「お待たせいたしました、皆様。ようこそ、マーケット・メレイアへ!」
色とりどりの花火(王国軍の国境城塞を刺激しないため、破裂音を押さえたイグノちゃんの特注品)が打ち上げられ、パットの分身たちが編隊飛行で花吹雪を舞い散らせる。
初秋の時期には珍しい色彩と花の香に、場内へと殺到しかけたお客さんたちが足を止め、ほうっと歓声を上げる。
「さあ落ち着いて、ごゆっくりお楽しみください、商品は十分に取り揃えてございます。赤のチケットをお持ちの方は赤のカウンターへどうぞ、お子様たちには奥の黄色い天幕に遊具がご用意してございます、お待ち合わせやご休憩にご利用ください」
迷子案内書を兼ねた遊具施設。商談中は専属メイドが監視付きで子供を預かる。基本は無料だが、浮遊式メリーゴーランドなど、動力付きの乗り物は銅貨数枚が必要。これがまた元は建設重機の失敗作とは思えないほど、子供の心をガッチリつかむ逸品だ。
親が無意識に小金を落とす(商業的な)罠を細かく置くのがキモよね。
「うわああぁー! 何これ、浮かんでる! もらっていいの!?」
「いいよー、ちゃんと、もってねー、とんでっちゃうからねー」
パット本体は大量の風船をくくりつけて場内を回りながら子供たちに配っていた。生ゴム生産の余剰で出たものの試験利用だけど、強度はそこそこ確保出来ている。まだ収縮性が低く分厚いのが珠に疵ね。イグノちゃんに頼んでガスを詰めたけど、ヘリウムの組成がわからずに苦労した。
「水素だと爆発しちゃうし」といったところで彼女の目が輝いたのがちょっと怖いわ。
「魔王陛下、ルーイン商会のマーカス様がおいでです」
「あら、一番乗りとは、さすがね」
「どちらにお通ししましょう」
「それはもちろん、アタシのお店よ」
◇ ◇
入場者数は、多めに取った予想来客数をさらに大きく上回った。
入場案内で確認した限りプレミアムチケットを手渡した顧客はほぼ全員、彼らに託したサービスチケットも、手土産の消化を見るとほとんど掃けてるみたい。その他の、いわゆる振り(チケットなし)のお客さんも多く、そちらの方々にも不満がないよう接待しなければいけない。
客寄せと話題性のため、そして元々メレイアを復興した目的が魔王領商品の宣伝と輸出入のリサーチということもあって、商品はどれも珍しく、王国の市場にある類似商品より安い。物も良い。
直接声を掛けてプレミアムチケットを配った人たちは、今後のビジネスにつながる可能性がある。少し上質な手土産を渡し、時間が合えばお茶の接待で顔見せと宣伝と契約への前交渉を済ませる。完全な契約は結ばず、まず一度持ち帰ってもらう。最初からガツガツし過ぎるのは新魔王領の流儀じゃないとわかってもらうためだ。
商人としては未来の大口顧客になり得る庶民層も、疎かにしてはいけない。多数層である彼らを取り込まなければ、伝播する噂の分母が激減するし、市場の裾野が広がらないのだ。
「いらっしゃいませー」
「あら、この液体は何かしら」
「こちら、髪を清潔に美しく変える新商品の洗髪料になりますー」
「も……もしかして、あなたの髪は、これで?」
「ええ。これを使うまでは、ボッサボサのクッシャクシャだったんですよー?」
自分の目で見ても信じられないが、古い少女漫画の登場人物みたいに豊かな巻き髪をキラキラと輝かせているのは脳筋猫耳美女のバーンズちゃんだ。
清楚なワンピースに、少しはにかんだような笑顔で接客している彼女に、“首刈りバーンス”の面影など、どこにもない。
「わ、悪いけど、信じられないわ。だって、こんなに滑らかで艶やかな……」
「でしょう? わかります当然ですよね、自分も……いえ、わたくしも騙されたような気分でしたもの。あちらで無料体験をご用意してるんですけれども、ここは騙されたと思って、試してみません?」
「あら、そう? 無料? じゃ、じゃあ……」
「タバサさ~ん、1名様しゃんぷー体験ご案内ですぅ~」
――狩られたわ。あのお客様、一撃で心を刈り取られたわ。バーンズちゃん、怖ろしい子ッ!
王国は女性が強いようで、前面に出ての発言や交渉こそしないものの、大きな決断には意外なほど決定権を持っている。いわば、陰の実力者たちだ。
この世界にはなかったものが多く、まずは商品を知ってもらうことから始めなくてはいけない。そこで女性を引き付けるサービスとして、簡単な美容教室と体験講座を仕込んだ。豊富な購入特典の他に、お買い上げいただけなかった潜在的顧客層には、基礎化粧品や整髪料、洗髪料などを小分けにして体質ごとに何種類か用意した。
お菓子や料理や珍味なども、試作品とかB級品は、試食や試供品に回した。
このあたりの粗品っぽいお土産、わかりやすいお得感は後で必ず効いてくる。
「ポーラさん商品ストック補充お願いしまーす」
「はッ!」
「ポーラさん敬礼要らないですー笑顔笑顔ー」
「はひ」
馴れない接客の気疲れから女性兵士の何人かは素が出てしまっているが、しょうがない。すれ違いざま、励ますついでに軽く安癒を掛けておく。
「はいはーい、3番お客様ご案内しま~す」
「お席ご用意しますのでお名前伺えますか~?」
お昼時近くになって飲食店も盛況だ。席にあぶれた人たちも露店を覗きながら思い思いに買い物を楽しんでくれている。
何やら両手いっぱいに買い込んだ王国市民らしい女性が、目の前をフラフラと横切って行く。ほら、こういうひとこそ潜在的な大口顧客……って、どっかで見た顔ね。
彼女は急に立ち止まり、愕然とした表情で菓子店の看板を見上げる。
「何……だ、これは」
「あら姫騎士殿下お忍びでご視察かしら? そのドレス、よくお似合いよ」
「服などどうでも良い、これは何かと訊いている!」
アタシは姫様と並んで店の看板を見上げる。
簡略化され図案化され型抜き吹付調にデザインされているが、どこをどう見ても姫騎士としか思えないシルエット。その下には、“白金の騎士”と書いてある。大陸公用語しかわからない一般庶民には文字通りの意味。だが、古語を知る上流階級の人間や知識層には別の意味を持つ。
“混じり物(迷い)なき力”“嘘偽りない忠誠”といったところだろうか。
白金の希少性と王水にしか溶けない特性から、白金は究極の誠意(忠誠)を象徴しているのだ。
「……いま人気絶頂の最高級菓子店“白金の騎士”が、何か?」
「あからさまに目を逸らすな。あれは、わたしではないか」
「あら姫……マーシャル様ったら、考え過ぎよ~? マーシャル様は“純白の姫騎士”でしょう?」
「詭弁だ。あれは誰がどう見ても……」
「あれは誰かが何かに心を打たれて、生み出されたひとつの寓意よ。それを見た人がそこから何を読み取っても、それはその人の問題。でしょう?」
「ひとは嘘を吐くとき早口になり、誤魔化そうとするときは多弁になる。魔王であってもそれは同じだな」
「いやあねえ、わかってるわよ。さっきお付きの方にご挨拶いただきましたから、覚悟はしていたの。はい、どうぞ」
両手に抱えた荷物に、さらにもうひとつ手提げ袋を載せる。というかこのひと、何でこの大荷物をお付きの方に渡さないのかしら。
「……何だこれは」
「新製品。流通は始まったけど大人気でどうやっても手に入らないから、王都じゃ血眼になってるらしいわ~。社交界じゃ金貨と、いえ金塊と同じくらいの価値って噂……。お付きの方にお願いして、馬車にグロス箱(144個入り)でお渡ししてありますの~おほほほほ」
「おほほじゃない! こッ、こんなもので私を籠絡しようとしても……」
「あら姫様、それは心外だわ?」
「なにを白々しいことを」
「これは、お隣さんへの“引っ越しのご挨拶”よ。アタシのいた国の風習で、移住してきた人間は周囲の先住者に簡単な贈り物をするの。これから仲良くしてくださいね、って意味しかないわ」
「……わたしを、巻き込むつもりか」
「巻き込まれてるのよ、アタシたちは、最初からね。後はどう生き延び、どう生き抜くか。必要なものが何かは、おわかりでしょう?」
「……少なくとも菓子屋の看板になることではないことくらいはな」
あら。珍しく辛辣。このところ訴訟やら王位継承権の順位変動やらで心労が重なったせいかしら。姫騎士殿下はフッと息を吐き、馬車から戻ってきたらしいお付きの方に手荷物を託す。折り返しまた馬車に向かうのだろう、初老の執事はよろめきながら元来た道を帰って行った。
「未来のために、民の糧になるのも人の上に立つ者の責務か」
「そこまで大袈裟なものではないですけど、使えるものは使わないとね。殿下はまだ良いわよ、アタシなんてアレよ?」
指さす方向には、物凄い行列に埋もれたフライドチキンの店。看板には同じくステンシル調になった男の顔のアップ。いくら簡略化されてもその顔に浮かんでいるのは、何かを企むような悪い笑み。
「ああ、さっきウチの者が苦労して買ってきたが、実に素晴らしい味だったぞ」
「……味はね」
看板には、顔の下に“魔王の眩惑”“フライドチキン”と書いてある。
「そのままじゃない!」
「貴殿の作った味ではないのか?」
「そりゃ作ったわよ。レシピだけじゃなく養鶏場からスパイス畑から食肉加工場から調理環境までね。高圧調理用の揚げ鍋まで作っちゃったわ」
「嘘偽りないという意味では、わたし以上じゃないか。確かにあの味とサクリとした衣の触感は、眩惑でもされたかのように後を引く」
「美味しいものを作るのは、簡単なのよ。あの秘伝スパイスの調合は秘密だけど」
そもそも魔王領の鶏は天然の野鶏で、肉が美味しいのだ。王国の家鶏は卵用種(玉子を取るのが主目的の品種)らしく、さらに市場に流通しているのは卵を産まなくなった安い廃鶏がほとんどだ。庶民以外は食べないし、実際硬くて臭くて不味い。鶏肉は日持ちしないから、たいがい鮮度も悪い。
元避難民のグループが捕まえた野鶏で養鶏場を作り、鶏卵と食肉両方について確保の目途が立ったのでフライドチキンを主力商品にしようと決まった、らしい。発案者はイグノちゃんで、店長はレイチェルちゃんだ。アタシはレシピ以外あまり関与していない。
だったら看板も自分たちの顔にしたらいいのに……。
「そもそも魔王領の連中はスパイスやハーブを平凡な食材のようにガバガバと使うがな、あれは薬草だぞ。王国ではほとんど魔導師の領分だ」
「でも、美味しいでしょう?」
「それが問題なんだよ。あの……馬肉ソーセージを挟んだ、なんだかいうパン」
「ホットドッグですね。ここでも売られてますが」
「もちろん食べたとも。ここのも美味いには美味いが、気が滅入る行軍中に食ったあの痺れるような美味さには、到底敵わん。生きてて良かったと泣いている兵までいたんだぞ」
「それは光栄ね」
「大問題だ!」
何で怒られたのかわからずキョトンとしているアタシを見て、処置なしとばかりに首を振る。王国軍には王国軍の事情があるのかもしれない。……馬保護派とか?
「ちなみに、“白金の騎士”の売り上げから3%があなたに入るわ。正確にはあなたの領地に。これから業績が伸びれば割合はもう少し上がるかも」
「……金が? なぜ? 何の魂胆だ?」
「魂胆って、失礼ね。投資や貢献をした人には業績に応じて配当するって方法を考えてみたの。株式会社、みたいなものかしら。ちょっと説明が長くなるけど構わない?」
「ふむ」
アタシは露店で飲物を注文し、店の横に設置された休憩用ベンチに誘った。




