初めての前線視察
魔王領北端、王国南部領との暫定的国境線近くにある小さな村、メレイア。
ほぼ廃墟と化していたその村が、魔王領内に敷かれた新街道の終着点として、いま凄まじい規模と勢いで復興が進んでいた。
「魔王商会」の前線基地として想定される来客数は最大1万。
王女殿下の領主館がある王国南部領最大の街、コンカラーからメレイアまでは10キロもない。王都からでも直線距離で20キロ強といったところ。実際は迂回の必要があるため数字ほど近いわけではないが、多くの王国民にとって日帰り可能な距離にあるため宿泊施設は必須でこそないが、お楽しみとしては外せない。宿泊可能な収容客数だけでも200を目標に高級ホテルや庶民用の旅館、各種娯楽施設、飲食店が建設され、必要なインフラの整備が並行して進んでいる。
建設が佳境に入ったと聞いて、アタシはセバスちゃん(軽装歩兵部隊とゴーレム付き)に魔王城の防衛を任せ、戦闘能力のない避難民たちを連れてメレイアに滞在している。拠点はサービスをチェックするという名目でメレイア最高の高級ホテル最上階スイートである。民家は潰してしまったので、建設作業に関わるひとたちは(これも内装などの仕上げに入っているところではあるのだが)庶民用旅館に分かれて泊まっている。ベッドも食事も素晴らしいと大喜びらしい。特に食事は、本格稼働に向けての試作を兼ねているため、魔王領の誰も未だ見たことも聞いたこともない料理が毎日毎食どんどん出てくる。
「陛下、決済書類と承認申請書です。ご確認ください」
「はいはーい。上下水道はどうなってる?」
「下水道は完成し、工廠長の方で検証しました。集客数上限でも問題ありません。上水道も通ってはいるのですが、陛下のご要望にあった“そのままで美味しく飲める”という水質だと魔王城より上から湧水を引く必要があります。コストが大きすぎる上に、供給量が足りません」
「いまの上水は近くの水源から引いてるのよね、それを再浄化する?」
「そちらについて工廠長から計画案が出ています。魔石使用案、加熱殺菌案、薬物消毒案、微生物分解案、それと……ロカマク、ですか?」
「ああ、濾過膜ね。目の細かい網みたいなものよ。コストと安全性はともかく味の差は試してみないとわからないわね。単一方式である必要はないし、コスト上限と最低供給量を決めて、イグノちゃんに上位2案のサンプル出すようにいってちょうだい」
「御意」
食肉加工は供給地である魔王城近くで行われ、新街道で運ばれる。利用されるのはスーパー工廠長イグノちゃんの最新作、“疾走リフレちゃんL”。この際ネーミングのセンスは問うまい。これは四足歩行の冷蔵庫で、幅と高さが2メートル、長さが6メートルといったところの、要は山岳地向け保冷トラックである。性能は申し分ないのだが、動きが怖い。というかキモい。どこか、誰にでも嫌悪感を抱かせるあの昆虫っぽいのだ。夜道で迫ってくるのを見たら悲鳴を上げて号泣する自信がある。
実務上は欠かせない存在であり、早くも二号機が稼働開始、保冷の不要な通常貨物用の自走トラック“ワゴンちゃん”が出番待ちしている。
「……あの速さと動きは見てて怖いから、出来れば馬車にしてほしいわ」
「揺れが少ないので、壊れやすい物の運搬には最適です。その上、往復の所要時間が半分以下ですから」
背に腹は代えられないということか。なんか違う気もするけど。
何かキラキラ光るものに気付いて顔を上げると、銀翼を優雅に羽ばたかせながら二羽の鳥が舞っているのが見えた。ポツンと小さく見えるが、彼らは翼長2メートル以上ある。かなりの高空を飛んでいるのだろう。
「機械式極楽鳥たち、頑張ってくれてるわね」
「ええ。魔王領の防衛は彼らに掛かっているも同然です。消費魔力の低減で滞空時間が60%延びたそうです。その上、半径100哩近い索敵の他に、周辺地域の動植物・鉱物・水資源や探知も出来るようになったとか」
「素晴らしいわー。帰ってきたら褒めてあげなくちゃ」
人手が足りないため防衛部隊も大多数が建設作業に当たっていて、現在のメレイアは実質ほぼ無防備なのだ。もし彼らがいなかったら、今頃どうなっていたことか。
「そういえば、この村を襲ってた連中っていうのは、王国軍だったの?」
「軍も軍人崩れも、流れ者も、地元の民間人もです。傭兵・民兵・盗賊・冒険者やら勇者やら、自称は様々ですが」
「なんでまた。寒村を襲ったところで、ろくに奪えるものなんてないでしょうに」
「実利でいえばそうでしょう。魔族への見せしめと魔王領への示威行為、気晴らしと身内への武勇自慢といったところでしょうか。特に先代魔王様の代になる少し前くらいから、魔族領内での勢力争いが頻繁に起こり、王国側に付け入る隙を与えてしまったのが原因です」
「お互いの平和と安全のために、防衛部隊には頑張ってもらわないとね」
アタシは北側地平線近くに見える王国軍の砦を見て、苦笑する。
予想されていた王国中央からの干渉はなく、また姫騎士とは指揮系統が違う王国軍の南部国境城砦も門を閉ざしたまま応答がないため、こちらから接触することも出来ないでいた。市民を装った王国の諜報員らしき人たちが頻繁に王国領への出入りを繰り返していることはパットからもレイチェルちゃんからも報告を受けている。破壊工作や宣撫工作をしている風ではなく、報告書を見た限り単なる調査だ。アタシに武力も兵力もないことは知られてるみたいだから、軍事的脅威とは見做されず“監視付きで放置”といったところか。
まあ、“おかしな魔王”として違う意味で警戒されてはいるんだろうけれども。
でも、アタシは間違っていた。
知らず知らずのうちに王国民を姫騎士基準に考えていたのかもしれない。敵対する隣国の中枢が周辺国の動きを察知してどう考えるかを、どう対処するかを読み誤っていた。なにより王都から20キロという距離感覚を、アタシは現代日本の、しかも都市生活者の感覚で考え過ぎていた。
この世界で20キロちょっとというのは、まさに“すぐそこ”だったのだ。
◇ ◇
王国軍南部国境城砦。司令部に集う面々は苦虫を噛み潰したような顔で窓の外に目をやる。
寒村の改築が始まった頃には望遠鏡で仔細を確認していたが、いまやそれも必要ない。建造物はどんどん増え、市場の賑わいは7キロほど離れたここにまで届くほど。地上から15メートルの高さにある城砦司令部からは、ほぼ同じ高さにある見張り櫓でこちらに手を振る――遠目には若い娘のように見える、魔族らしき者の姿が確認されるようになっていた。
「司令官閣下、御決断を! 魔王軍の前線基地が築かれるのを、指を咥えて見ているわけにはいきますまい! このまま手を拱いていては万全の態勢を整えた敵によって侵略を受けることになりますぞ」
「こんな辺境城砦の寡兵でどうしろというのだ! あの前線基地を見たか、あの異常な量の資材と人員、得体の知れない巨大な魔道具、そして膨大な補給物資。まるでお祭り騒ぎだ。……いや、王都の季節祭でさえ、あそこまでの賑わいにはならん」
「確かに、祭りのようですな。軍備増強にしては、いささか城壁が低過ぎ、街並みの彩りが鮮やか過ぎ、聞こえてくる音が楽しげに過ぎます」
「罠に決まっておる。常に王国側砦門を解放して……いや、そもそも門扉が着けられていないようにも見えるのだが、そこから誘い込むように導線が引かれている。見よ、奥に行くほど遮蔽が深く城壁も内部で急に大きく広がっている。意図は明白ではないか、あれが罠でなくて何だというのだ!?」
「敵の意図を読むのも結構ですが、何もせぬわけにはいきますまい。少なくとも諜報員や観測員などを送り込んで情報収集を進めないことには」
「11人送り込んだ潜入員はひとりも帰ってこない。情報はなし。文書を運ぶはずの鳥も戻らず死体も発見されん。魔物の餌にでもされたか……」
「閣下、私が参ります」
その声に振り返ると、白銀の魔導衣を身に纏った銀髪の美女が涼やかな笑みを湛えて立っていた。
「エルネスか。王国最強の刺客が出るのであれば問題は解決だな」
彼女はもうひとつの名を持っている。面と向かっては誰も口に出せないその名は。
“血に飢えた銀狼”。




