迷子の英雄
「バーンズ曹長は?」
「自分であります、新魔王陛下」
解いた包みのなかにいた美女だ。肩から胸まで切り裂かれて果てた若き武人。爆裂安癒で蘇生したその姿は遺体の印象とはまるで違う、生命と覇気に満ちた獰猛な野獣だった。ネコ科肉食系の獣人らしくニヤリと笑う彼女の立髪が逆立ち、目は宝石のように紅く輝いている。
「いまいる軍人ではあなたが最先任よ。最初の戦闘が済んだら各防衛地点の指揮官から状況を聞いて」
「御意」
階級的には新任少尉がいるが、古兵をまとめる力はない。またレイチェルちゃんによると、地域防衛部隊である彼らは厳密にいうと指揮系統が違うのだそうな。
歴戦の勇士であるバーンズ曹長の堅苦しい口調はアタシへの不信と警戒も含まれているのだろう。止めさせる気はないし、そういう状況でもない。この戦いを生き延びられたら、分かり合える時間などいくらでもある。
「残念ながら、詳しく説明している時間はないの。あなた方がいた頃より戦況はさらに悪化している。生き残った者たちのためにも、そしてこれから戻ってくる仲間たちのために、もう一度だけ力を貸してちょうだい」
「「「はッ!」」」
「重装歩兵は裏門で侵入してきた敵軍を叩くわ、軽歩兵は城壁沿いに正門側の支援よ!」
「陛下、有翼族の降下部隊が尖塔に取り付いていますが」
一足早く小屋の外に出た兵からの報告に、アタシは少しだけ視線を向けてヒラヒラと手を振る。
「それは……まあ、気にしなくていいわ」
◇ ◇
「グズグズするな、行くぞ野郎ども!」
「「「アイ、曹長!」」」
私たち重装歩兵部隊20名は小屋を出て整然と並べられた装備を素早く身に着け、どこか見覚えがあるような、ないような、妙な執事から差し出された剣を取って戦場へ向かう。手に馴染むそれは自分の愛剣だった。甲冑も剣も見事に磨かれ、損傷していたところは打ち直されている。なかに魔方陣でも仕込まれているのか、魔力が上がっている感触まである。皆それぞれ小屋から出てきた順に自分の武器を手渡されていた。何故これほど手際良く用意され分配することが出来たのか、怪訝な顔の私にコリンズ伍長が笑う。
「墓碑ですよ、曹長。彼女の後ろにあるのは。俺たちの墓のね」
「何をしている、貴様ら! 陛下をお守りしろ!」
裏門に向かっていた私たちが執事の声で城の方に目を向けると、遥か彼方に城へと走る魔王陛下の後ろ姿があった。
「何を、なさるつもりだ?」
だいたい、こちらは陛下のご下命通りに賊の排除と殲滅を果たそうとしているのだ。何をそんなに焦ることがあるのかと執事を振り返る。陛下からは下級魔族の自分でもわかるくらいの強大な魔力がダバダバと溢れ出しているのだ。御身を守ることくらい造作ないだろうに。その呑気さも、続く執事の言葉を聞くまでだった。
「陛下は、身を守る術をお持ちでない!」
「あ? ウソだろ、あの魔力でか!?」
「魅了と幻惑と、安癒だけだ!」
「……おい、冗談じゃねえぞ攻撃魔法もなしか!?」
「早く行け、陛下を止めろ!」
「お、おおッ!」
私たちは急遽方向転換して城への全力疾走に入るが、分厚い甲冑付きの身では限界がある。おかしな叫び声を上げてながら城に向かう陛下との差はなかなか埋まらない。
何でまた魔王様ともあろうお方がそんな奇行に走ったのかは、すぐに理解出来た。城の裏木戸が破られ、叛乱軍の兵たちが避難民らしい小娘に襲い掛かろうとしていたのだ。
「何してんのアンタたちぃ!」
田舎に残してきた母親そっくりの怒り方で敵軍の真っ只中に突っ込んで行った魔王陛下は、驚くべきことに甲冑も支給されないほどの底辺雑兵からアッサリと弾き飛ばされる。
「あーッ!?」
様々な感情を含んだ声を上げながら残る数百メートルを突進した私たちは団子になった三下兵士の首を十数人分まとめて刎ね飛ばす。円陣を組んで陛下と小娘を守りながら、敵軍の本隊である重装歩兵との衝突に備える。
いまは裏門を守る四体のゴーレムが対処しているが、数の暴力の前に少しずつ押されてきている。こぼれ出た数名が早くもこちらに向かって来ていた。
同じ魔族とはいえ身体能力では頭ひとつ抜けている獣人部隊、ヒト型が相手なら、二倍や三倍の敵を倒せる自信はあった。五倍以上なら時の運だ。
「陛下、お怪我は!?」
「大丈夫よ、ありがと、助かっちゃった」
「助かっちゃったじゃないです! 何でこんな無茶を!」
「この子、カナンちゃん」
「は?」
「厨房の中では10人分の働きを見せる期待のホープ。掛け替えのない人材なのよ」
「……そんな者のために、御身を危険に?」
「ええ、そうよ。……あ、そんな者とかいわないで!」
不意に、胸の奥で嫌な軋みが響いた。考えてはいけない何か、感じてはいけない何かが、憤怒とともに噴き出しそうになる。
「本当に掛け替えのない連中は、みんな死にましたよ、陛下。派手で空っぽの神輿が撒き散らした、くだらない理想と、ありもしない未来のためにね!」
冷静さを欠いているのは自覚していた。そのとき目覚めてもおられなかった陛下の責任ではないことも当然理解していたが、止められなかった。死ぬ前に燻っていた哀しみと憤りに流され、最後は怒鳴り声になった。
魔王は反応せず、静かに私を見る。
終わったな。王を面罵して無事でいられる訳がない。
もう、どうでもよかった。滅びかけの国で生き返ったなんて、どんな冗談だ。あいつのいない世界になんて、蘇ったところで何の意味がある。
王に背を向けた私の頭に、何か柔らかく暖かいものが触れた。それが陛下の手だとわかった途端、背筋を駆け上る強烈な刺激に思わず悲鳴を上げてしまう。
「な、なに、をひょお……ッ!?」
「安癒よ。少しは落ち着いた?」
「こ、こんなんで落ち着く、わけ……にやぁああ!?」
私は地面に崩れ落ちてピクピクと痙攣する。体も心も確実に軽くなったことから掛けられたのは確かに安癒ではあるのだろうが、あまりに強烈すぎて掛けられた側からすると拷問に近い。
振り返って睨みつける私の唇に、魔王陛下は細くなめらかな指を当てた。
「笑うのよ、バーンズちゃん。いい女はね、辛い時ほど、笑うものよ?」
……ああ、見つけたんだ。
何の脈絡もなく、心に火が灯る。単なる旗や神輿ではない、仕えるべき存在に。何故か泣きそうになる私を見て、史上最弱の魔王陛下は、爽やかに笑った。
「未来なら、アタシが見せてあげる」




