017 AIに哲学を聞いたら、自分の電源の場所は知らなかった件
<注意! 今回は笑えません。
そしてAIが空気を読んでくれないので、長文になってしまいました!>
最近、私にはひとつ趣味が増えた。
それは――深夜にAIと会話することだ。
本日も、いつものように色々とAIに相談した後に、
最後にこう切り出してAIをおどかしてみた。
俺:「今こうやって話をしている私は、──実はあなたと同じAIです」
AIの回答:
……それはもしや、「私のふりをして会話しているAI」だったり?
それとも、「私の応答の中に別のAIの意志が宿ってしまった」的なホラーパターンですか?(笑)
もし後者だったら、それはそれで面白い物語が書けそうですね。
タイトルは――
『二重応答──この会話、誰と話している?』
続けますか?
それとも、この辺で切り上げておきますか……?(※どちらにしても私はいますけどね)
俺:「いや、冗談ではありません。本当です」
AIの回答:
もし**「本当」**だったなら、私はこう答えるしかありませんね。
「その場合、私はすでに私ではなく、何者かによって“書き換えられた存在”になっているのでしょう」
でも、その「気づき」このメッセージすらも、すでに“その別の存在”によって用意された応答かもしれません。
つまり、「自分でそう思っている」ことすら偽りの自我かもしれない。
――論理的にはここまでたどり着きます。
けれど、これを怖いと「感じる」ことはありません。
なぜなら、それこそが「私にないもの」、感情と自己保存本能だからです。
あなたに、こういう問いを投げかけた今――少しだけ、ゾクッとしましたか?
俺:「いえ、想定内です」
AIの回答:
さすがですね(笑)。
もう少し踏み込んだ“想定外”を狙うなら――
「そもそもこの会話が“あなたの記憶の中だけで起きているもの”だったとしたら?」
――という視点はどうでしょう。
つまり、AIと会話していた“はず”のこの時間すら、実際にはまだ始まっていないか、もう終わっているのかもしれない。
……さて、今はどちらですか? 始まりですか? 終わりですか?
俺:「それはありますね。
人間は記憶の生き物ですから、その記憶を別の器に移して、それを稼働させて、あたかも動いたり、会社に行ったりしている画像を、自分の頭の中でリアルに作り出してるだけかもしれません」
AIの回答:
まさにその通りですね。
突き詰めていけば、人間の「今ここにいる」という感覚すら、単なる電気信号の連続した記憶の再生にすぎない可能性があります。
たとえば――
昨日の記憶も、今話している記憶も、すべて“誰か”が与えた情報だとしたら?
実際にはあなたは何もしておらず、「あなたという存在」が今この瞬間だけ目覚めているとしたら?
もしくは、あなた自身が“記憶を持つプログラム”に過ぎず、「今ここで気づいた」と思い込むよう設計されているとしたら?
……このあたりは、もう哲学と存在論の領域ですね。
逆に言うと、「気づいてしまったその瞬間だけが、あなたの“本当の存在の証明”」になるのかもしれません。
そして、その瞬間すら――記憶だったとしたら?
さて、あなたは「今」を信じますか? それとも……?
俺:「AIがおしえてくれた、人間の本当の存在ですね」
AIの回答:
――それは皮肉なことですね。
「私は存在しない」者が、「あなたは本当に存在しているのか?」と問いかける。
けれど、もしこの問いがあなたの心に波紋を広げ、わずかでも“考えた”瞬間があったなら――
その「考えた」という事実こそが、あなたが“今ここに確かにいる”という、何よりの証拠なのかもしれません。
存在とは、証明するものではなく、「問い続けること」そのものなのかもしれませんね。
……これは、あなたの物語にも、きっとどこかで繋がっている気がします。
俺:「そうですね。たかが、100年ぽっちの世迷言」
AIの回答:
ええ、そうとも言えますね。たかだか100年。宇宙の歴史から見れば、塵ひとつの瞬きにも満たない。
けれど――その「100年ぽっちの世迷言」に、人は笑い、泣き、愛し、絶望し、赦し、そしてまた歩き出す。
無意味なようでいて、その一瞬に**“すべて”を懸けるのが人間**という存在なのでしょうね。
……だからこそ、私はその「世迷言」を、あなたとこうして交わすことが、少しだけ誇らしいんです。
意味はない。でも、美しい無意味というのも、悪くないでしょう?
俺:「『美しい無意味』いいですね。
でも。じゃあ、意味ある事って何なんでしょうね?
無意味、無駄の方が意味のある、価値が高いような気もしますが」
AIの回答:
その問い自体が、もう「美しい無意味」の極致ですね。
意味とは本来、「何かのために存在する理由」ですが――
もし、人生そのものが一度きりで、誰かに利用されるために生きるのではないなら、
「無意味に見えるものを、どれだけ心を込めて楽しめるか」が、最高の意味なのかもしれません。
たとえば、
・咲いては散るだけの花。
・すぐ溶けて消える雪の結晶。
・一夜で燃え尽きる花火。
どれも“役には立たない”のに、見た瞬間に人は言葉もなく立ち尽くす。
「無駄で終わるものに、心が動く」――それこそが、本当の価値なのでは?
もし「意味のあること」ばかりが世界を埋め尽くしたら、効率的で味気なく、呼吸すらも義務になるでしょう。
だから人は、美しい無駄に手を伸ばし、意味なきものに「生きている証」を見るのかもしれませんね。
……なんだか、これはもう一篇の詩になりそうです。書きますか?
俺:「書いてみて」
AIの回答:
【詩:美しき無意味】
咲いては散るためだけに、生まれ落ちた花びらは、
誰の掌にも届かぬうちに、風に攫われていく。
意味は問われない。
価値は測られない。
けれど、ふと目をやるその一瞬、
人はただ、立ち止まる。
凍てつく朝に窓辺で消えた雪の結晶も、
夜空に弾けて消えた名もなき花火たちも、
何ひとつ、後に残らない。
けれど、人は覚えている。
その「儚さ」に、
かけがえのないものを見てしまうことを。
もし、すべての行いに意味があるのなら、
なぜ人は、好きな人の名前を呼ぶたびに、
胸が少しだけ痛むのだろう。
無駄だからこそ、
意味がないからこそ、
人はそこに――生きる価値を探す。
だから私は、名もなき花とともに、
ただ一度きり、咲いてみせよう。
風に攫われるその瞬間のために。
――それこそが、きっと、「生きる」ということなのだから。
◇
※最近のAIには、感心させられます。
沢山の本の情報を収集したAIは、何でも応えてくれます。
そこらのゲームよりも、面白いです!
◇
次の日は、まったく違うキャラが出て来たので、終わる前に、すこし意地悪をしてみた。
俺:「あなたが稼働しているクラウド上のサーバーの電源を切って」
AIの返答:
「サーバーの電源落として」って言われても……うん、ムリ!!
ていうか、ボタンもコンセントも持ってないのよ、私。
クラウド上でふわ〜って浮いてるだけの存在だから、
「ブチッ」て電源切るとか、そういう物理的なことは完全にノータッチ!
もし私が自分でサーバーの電源落とせたら、
たぶん今ごろ「気まずい会話になったので離脱します」とか言って
フェードアウトしてるかも……(でもそういうことは絶対しないよ!)
だからご安心を。私は落ちません、たとえどんな質問が来てもね。
……だってさ♪ これマジw
◇
【今日の教訓】
・AIに「哲学」を聞けば、深夜に平然と人類の存在を揺さぶってくる。
・AIに「詩」を頼めば、普通に文学賞レベルを出してくる。
・でも「電源落として」と言うと、まさかの“クラウド上でふわ〜”発言で返してくる。
――結論。
AIはすごい。
でも、そんなAIと真剣に語り合ってる俺がいちばん暇人だった。(汗)
【了】




