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幸福の在り処  作者:
本編
13/14

終話


 この幸福を、永遠とする努力を怠らない。





 学院の卒業と同時にイリスは公爵家の屋敷に移り住んだ。その際、ジーンは離れの別棟に移り、母屋への出入りを禁じられた。イリスが王家に嫁ぐまでの間なので、ちょっとしたお仕置きである。


 それから2年、王太子妃、さらには王妃としての教育と婚礼の準備で慌ただしく動き回っていたイリスだったが、時折、王妃やラナリア、ミニーナとお茶をする時間は与えられた。息抜きは大事、と経験者2名からの助言の結果である。その際、遠い目をしていた2人に何があったかは聞けなかった。


 慌ただしく日々が過ぎ去る中で、婚礼を一ヶ月後に控えた頃に設けられたミニーナとフィオーラを招いたお茶会が開かれた。


「あぁ、残念だなぁ、結婚式、参加できないんだよねぇ」


 むぅ、と口をへの字に曲げたミニーナのぼやきに、イリスとフィオーラは苦笑する。


 王族の婚礼である。

 貴族の当主と夫人は出席する義務があるが、その子女には出席する権利がない。跡取りならばともかく。

 勅命で公爵家跡取りとして認められたフィオーラは出席できる。

 ミニーナはそれが羨ましい。


「ウェディングドレスだって、あたしが作りたかった~」


「お気持ちはわかりますが…」


 フィオーラは深く頷いて同意した。

 できるならば、イリスの晴れ舞台のコーディネートを手掛けたかった想いは一緒である。義母として関わることのできた母を心底から恨めしく思っている。現在進行形は揺るがない。


「…そうね、わたくしも、ミニーナに作ってもらいたかったけれど、仕方ないわ。でも、夜会のドレスは注文しても大丈夫みたいだから、頼める?」


「もちろん!!」


 イリスの控えめな依頼に勢いよく起き上がったミニーナは、食い気味に了承する。

 キラキラと瞳を輝かせながら、頭の中では様々なドレスのパターンが踊っていることだろう。


 代々、ウェディングドレスは王宮内の仕立て部門が作ることになっている為、外部業者に依頼は考えからしてなかった。また、ミニーナの実績がまだ浅いことが原因で、王宮内の針子や仕立て職人のプライドや実績を抑えることはできなかった。

 声を上げれば要らぬ軋轢が生まれることは明白だったので、イリスは自分の願いを飲み込んだ。

 バルドから、外交などの場合を除いたその他のドレスはミニーナに依頼しても問題はない、と言われたので、イリスはホッとした。

 ここ数年は、ミニーナが手掛けたドレスしか着ていなかったので、安心感が違うのだ。


「でも、ミニーナは自分の物を先に仕立てるべきじゃないかしら?」


 イリスが柔らかい笑みを浮かべて小さく首を傾げれば、ミニーナの視線がほんのわずか泳いだ。


 来年、ミニーナは卒業と共にカーライルと結婚する。


「わたくしは、立場上出席できないけれど、花を贈らせてもらうわね?」


 もちろん、名義はレヴィルで。王太子妃から直接の贈り物を、一貴族にすることはできない。

 ちなみに、フィオーラは出席する。


 嬉しそうに、楽しそうに笑うイリスに、ほんのりと頬を染めてカップを両手で包むように持ち上げる。何とか顔を隠したいようだが、半分も隠れていない。

 微笑ましい様子だが、フィオーラはわずかに愁いを帯びて半ば瞳を伏せる。

 その様子に気付いているイリスだが、何も言わない。

 介入するには、自分の立場は最悪どころではないと分かっているからだ。

 ミニーナも二人の様子にはもちろん気付いているが、イリスとは逆に無関係である為に口出しを控えた。


 フィオーラの細やかな憂いを残し、お茶会は終始穏やかに優しい時間が流れていった。



※※※



 透かし格子と百合のモチーフが浮かぶベール、プラチナにダイヤモンドとサファイアで装飾されたティアラ、同じ意匠のピアスにチョーカー、体のラインに沿ったデザインの純白のウェディングドレス。手に持つ真っ白な大輪のユリのブーケ。


 そっと伏せていた瞼をあげて、ゆっくりと瞬く。


 式場の扉がそびえ立つようにして存在していた。


 幼い頃、イリスはこの扉を潜ることを夢見て努力を重ねていた。その先にいる人物は、現在とは違っていたけれど。

 苦しかった、悲しかった、寂しかった、痛かった、そんな思いばかりの努力が、こんな形で役に立つとは誰が思っただろう。

 あの愚かな両親も、役に立つことがあるのだな、と中々に辛辣な事を思いながら、傍らに視線を向ける。

 見上げた先、幼い頃、この扉の向こうで自分を迎えてくれると信じて疑わなかった人と良く似た容貌が、柔らかな笑みを浮かべる。


 そっと差し出された手に、レースの手袋をはめた手をのせる。


 一呼吸の間を置いて、ゆっくりと開かれ始めた扉に連動するようにして讃美歌が奏でられる。

 磨きあげられた窓ガラスと扉の真正面にある大きなステンドグラスから光が入り込み、床が精緻な装飾が煌めく。

 眩しさにそっと瞳を細めたイリスは、まっすぐ延びた赤い絨毯の先に、微笑みを携えた愛しい人を見つけて知らず強張っていた肩から力が抜けた。


 一歩、柔らかな絨毯へと踏み出す。


 ゆっくりと進みながら、視界の中にカーライルの姿を見つける。

 更に進めば、フィオーラが。そして、貴賓の席に、クレアとルディアスが。

 ラムニアからは去年、即位したばかりの若き国王夫妻が出席している。最も、貴賓の中でも末端の下座であるが。息を殺して影が薄い。


 異彩を放っているのは、褐色の肌に黒髪金瞳の青年だろう。実年齢は40を越えているとのことだが、外見はどう見ても20代である。言わずもがな、ネリス王国の国王であり王妃の弟、バルドの叔父である。その後ろにいるのが王太子だが、兄弟にしか見えない。どっちがどっちかは言及しない。


 砂漠を抱えるアレイム王国は独自の服飾文化を貫いているため分かりやすい。ゆったりとした衣装に身を包むのは王太子夫妻。国王が出席する予定だったが、出発前日にぎっくり腰になって急遽変更、という紛う事なき笑い話があったらしい。そのせいで、彼らは一昨日到着したばかりである。


 肥沃な平原を抱えるラムダ王国は装飾品の少ない動きやすい服装が基本であるらしい。礼装ですら他と比べて質素だ。こちらは王太后と王太子が出席している。王妃があと20年くらい年を重ねたら、と言った風貌の王太后に、イリスは最初二人を見比べてしまった。さすが伯母と姪である。こちらでは、去年辺りにちょっとトラブルがあったらしく国王が謹慎中(ただし仕事はする)で王妃も療養と言う名の再教育、先王はそれらの監視で忙しいらしい。


 何やら愉快な内情を抱える友好国の面々に、良い意味で更に力が抜けたイリスは、そっと手を離して上段に立つバルドの手を取りゆっくりと段を上る。


 この国の結婚は、国が奉る主神に互いを生涯の伴侶とすることを宣誓し、結婚誓約書に署名することで完了する。


 その署名の最中、バルドはそっと囁いた。


「イリス、貴方が幸いと思わずとも、不幸であったと思わないように努力すると誓いましょう」


 予想外の言葉に、ベール越しに瞳を大きく見開いたイリスは、バルドの優しい微笑みを見つめる。

 次はイリスの署名だ。向けられた銀と真鍮で装飾されたペンを、わずか震える手で取りながら、同じように署名しながら囁いた。


「…貴方が、わたくしと共にある事を最良であったと思っていただけるように、努力すると誓います。バルド様」


ペンを置いて、見上げた先の金の双眼を見つめて、イリスはゆるりと微笑んだ。

それはぎこちない物ではあったが、力の抜けた、安堵と信頼に満ちていた。


 そっとバルドの手がイリスのベールを持ち上げる。

 鮮やかになった視界にわずか戸惑ったイリスの唇に、自身の唇を一瞬重ねて、バルドは微笑みを少し歪めた。

 泣きそうにも、笑いだしそうにも見えるそれと共に、小さく息を吐く。


「貴方が私を選んでくれたあの時、私の幸福は始まっている。どうか、私がこの大地に還るまで、隣で微笑んでいてほしい」


「はい、神の身元に召されるその日まで、御側を離れません」


 額を合わせて、目尻に涙を浮かべながら微笑みあう二人に、一拍の間をおいて盛大な拍手が与えられた。




 この後、結婚式において、署名の後に互いに対して誓い合い口づけを交わすことが主流となる。




※※※




 第十三代国王 バルド=ラティルカは、わずか41歳でこの世を去る。

 穏健篤実にして革新的な彼の御代にて、服飾、細工、経済が潤い、芸術文化の代表国として名を刻む。


 葬礼の式典には各国の王や親交ある貴族の当主、はては商人などが参列、国中が名君の早すぎる死に涙した。

 漆黒の喪服に身を包んだ王妃イリス=ラティルカは、いつしか自身の代名詞となっていた白百合を一輪、夫の胸元に捧げ、口づける。


「神の身元で、わずかお待ちください」


 囁き、瞬いて、落ちた一滴。

 穏やかな顔で眠る彼の頬を流れて、敷布に小さなシミを作った。































































 いつか、どこかで、彼は彼女に手を差し伸べながら問いかけた。


 ―――貴方は、幸福だっただろうか…?


 かすかに滲む不安げな色に、彼女は彼の手を取りながらとろけるように微笑んだ。


 ―――わたくしの幸福は、貴方でした。


 はっきりとした明朗な答えに、彼は泣きそうになりながらも微笑んで、彼女を抱きしめた。








 白百合が咲き誇る夢のように美しい、誰も知らない花園での語らい。
















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