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幸福の在り処  作者:
本編
12/14

間 アスティル


 夢を追う頃は過ぎ、現実を見ていると思っていた愚かさを理解する事もできないでいる。






 アスティルは、目の前にいる存在が放った言葉を理解できなかった。


 強張り、青ざめた表情で対面のソファに座る青年は、アスティルとは全く似ていない。

 ただ、その瞳だけが同じ紫色をしていた。


「ランバート兄上。申し訳ありませんが、何と仰られました?」


「今日付けで学院を退学し、今日中に帰国する、と言った」


 アスティルにとって最も年の近い兄、ラムニア王国第三王子ランバートは癖のない黒髪に太い指を差し込んでがりがりとかきむしった。

 粗雑なその動きにアスティルは眉を顰めるが、それよりも気にすべきところがある。


「何故、ボクが学院をやめて帰国しなくてはならないのですか。卒業まで一年もないんですよ」


「卒業させるに値しない、と判断されたからに決まってるだろうがっ!!」


 バカなことを、と言いたげな声音のアスティルに、ランバートは拳をテーブルにたたきつける。

 釣り目の眼光鋭い瞳がアスティルをひたと睨み据え、青ざめた顔色だがその表情は怒りに満ちている。

 粗雑な言動が見られるランバートだが、むやみやたらに暴力的な行動に至るような性質ではない。

 大柄で筋肉質な体格に、武人として鍛えてきている為、自分の力という物をよく理解しているし、元来、寛容で懐の広い性格なのだ。

 そのため、少しばかり年の離れたアスティルにもやや甘かった。いや、王家全体が甘やかしの傾向にあった。


 それを、これほどまでに悔いることになるなど、ランバートのみならずラムニア王家の面々は思いもしなかった。


「お前は、他国の学院で何をしているんだ。留学し、王宮に間借りしている身分で、何をしているんだ。自分の立場と本分を忘れて、何をしているんだっ。この愚弟がっ!」


「貴方こそ何を言っているのですか、ランバート兄上! ボクが一体何をしたと…」


「友好国の王太子の婚約者に事実無根の冤罪で突っかかって侮辱し、婚約者の決まっている公爵令嬢の名を呼び、親密であるかのような言動を繰り返す。それだけでも十分にあり得ないのに、伯爵令嬢に入れあげて貢ぐ始末。しかも、王家の紋入りの装飾品を!」


 これで何もしてない、などとよく言えた、と震える声で絞り出すランバートに、アスティルは瞳を大きく見開いた後、眉を寄せた厳しい顔つきになる。


「お待ちください。王太子の婚約者、とは誰の事です。ルディアス殿の事ですか? 彼に関してはボクの方が…」


「お前、本当に何も知らないのか…」


 脱力したように呟くランバートの声に、瞳を瞬いたアスティルは首を傾げる。

 その様子に、さっきまでの怒りが唐突に霧散したらしいランバートは顔を覆ってうなだれた。


「兄上…?」


 困惑気なアスティルの声に、あぁダメだ、とランバートは理解した。

 最早道はなく、行うべき事は唯一つだ、と。


 大国クルミストの皇太子が公の立場と私の立場の両方で行った忠告に、従うしかないのだ。



 これ以上の愚と恥を晒す行いを許すならば貴国にとって芳しくない結果が訪れるだろう。



 おそらく、最初で最後の情けがかけられたのだろう、とアスティルが行ったことを聞いたランバート達王家は卒倒しかけた。


「アスティル」


「はい」


 顔色悪く極度の緊張状態にあると明確にわかるランバートに、アスティルは何故そうなっているのかわからず首をかしげる。


「ハムニア公爵長子はジェノヴィア伯爵家次子と婚約することになった」


「! それは本当ですか?!」


「ああ」


 喜色を浮かべるアスティルに、ランバートはため息を吐く。


「それにともない、ジェノヴィア伯爵家三子は王太子殿下の婚約者となった」


 友人の慶事に満面の笑みでいたアスティルが、そのまま固まった。


「どういうこと、ですか」


「どうもこうもない。元々、ジェノヴィア伯爵家三子イリス嬢はその才を認められ、王太子妃候補となったが、身分がもっとも低かった。ジェノヴィア伯爵家自体もそんなに力があるわけではない。それゆえ、ハムニア公爵家が教育と後見を行っていたんだ。社交の場では人脈と経験を得るために、ハムニア公爵家長子がパートナーとして出席していた。王太子妃に決定したわけでも養子になったわけでもないのに公爵本人がエスコートするわけにもいかないからな」


 ランバートが口にしたのは表向きに用意された理由である。

 それはランバート自身が理解している。だが、それに異を唱えるのは内政干渉に当たるし、そもそもどういう立場で物を言っている、と嘲笑されるだけだ。

 現状、同格の友好国であるが、ラムニアはラティルカに頭が上がらない状況にある。

 クルミストの皇太子がこれを全面肯定して公言してしまえば、それこそが事実で、多くが『勘違い』していたのだと言われてしまう。そうなれば、もっと立場は弱くなるだろう。

 どこから情報が漏れるかわからないのだから。


「卒業と同時にハムニア公爵家の養女となり、王太子の婚約者となる。成婚はその2年後くらいが妥当だろう。わかるか、アスティル。お前は表向きの姿で勘違いして次期王太子妃を公衆の面前で侮辱し貶めたんだっ」


 だんだん語気が荒くなっていくランバートに、アスティルはなにも言えない。

 頭では自分の考えを行動を擁護する言葉がいくつも出てくるが、元がバカではないからそれらがランバートの怒りを煽ることを理解して沈黙した。


「クルミストの皇太子殿下にもさんざん言われたんだろう? 何故そこで考えられなかった? お前はそこまで馬鹿だったのか?」


 怒りを必死で抑えようとしている震える声音で言われ、クレアに言われた言葉を思い出すが何を考えなくてはならなかったのか、アスティルには分からない。

 疑問符を飛ばさんばかりの表情で黙り込むアスティルに、ランバートは諦めた。

 この弟に、理解させるのは無理なのだ、と。


「もういい」


 投げ捨てるような言葉に、アスティルは焦る。何故焦るのかもわからないままに、腰を浮かせるが何も言えない。


「もういい」


 繰り返して立ち上がったランバートは、せわしなく動いていた使用人達に視線を向ける。使用人はランバートが来た時点で荷造りを半分ほど終えていた。事前に彼らには通達されていたのだ。

 何より、後ろに控える立場である彼らは、アスティルが筋違いな愚行をおかしている事を理解していた。それを口に出さなかったのは彼らの立場ゆえであり、盲目になって周囲の様子も言葉も受け入れないアスティルに苦言を呈することを恐れたためだ。


「帰るぞ」


「お待ちください、ランバート兄上。そんな急に…。アリス達に挨拶も…っ!」


 ゴッ、という重く痛そうな音と共にアスティルは床に転がった。

 ランバートがその大きな拳でアスティルの頬を遠慮なく殴り付けたのだ。

 遠慮はなかった。だが、容赦も手加減もしたのだろう。

 ラムニアにてお飾りではなく将軍職にあるランバートの拳を受けて昏倒しなかったのは、そういうことだ。


「言うに事欠いていまだにそれか。恥知らずが。此度の事、父上も兄上方もお怒りだ。今までのように甘やかされるなどと想うな」


 吐き捨てて、自身がつれてきた部下二人に視線で命じるとランバートは足早に離宮を出る。


「どういう事ですか! ボクの何が恥だと…っ。父上達に甘やかされたことなど一度もありません! ご自身が身分低い側室を生母に持つからと意味不明な虚言は止めていただきたい! 兄上!」


 殴られた頬が腫れてしゃべりにくいのか、やや舌足らずに言い募るアスティルの言葉に、ランバートは奥歯を噛み締めた。

 可愛がってきた弟の、醜い本音が突き刺さる。本当はずっと前からわかっていたのに、無視してきた自身の愚かさに泣きたくなりながら、ランバートは王宮を進む。今まで世話になったことの礼とこれまでの比例の数々を詫びるためだ。

 アスティルの愚行愚言を謝罪したとて本人がしなくては意味がないが、国としてはひたすらに謝罪するしかない。

 イリスの後ろには、ハムニア公爵だけではなくクルミストの皇太子があり、西方二大国と海洋国を後見に持つ王妃のお気に入り、という肩書きがある。

 ラムニアが下手な対応をすれば、それこそ国の存亡に関わる。


 ランバートの両肩に、かつてないほどの重責がのし掛かっていた。


 そんな兄の心労も国の窮地も自身の愚かさも欠片も気づけない、否、気づこうとしないアスティルは、ランバートの背中が見えなくなっても罵倒している。

 身分を、立場を、それらすべてを理由にしてランバートを侮辱し続けるアスティルに、部下の片割れが我慢の限界を越えた。

 ラムニアの近衛騎士の制服をまとった茶髪の青年は、アスティルの首を片手でつかんだ。

 唐突に圧迫されて苦しげに表情を歪めもがくアスティルは、青年の表情を直視して固まった。


 無、である。


 怒りも憎しみも侮蔑も飽和して、無表情になっている青年は、その瞳にだけ爛々とした不穏な光を宿している。


「いい加減にしろよ、糞王子」


 貴族及び騎士階級で構成されるはずの近衛騎士において、まず耳にしないだろう荒っぽい言葉遣い。それを普段はたしなめる相方は、致し方なし、と何も言わず汚物を見るような眼差しでアスティルを見ている。


「ランバート様は仰られなかったが、国に帰れば分かることだから、言っておく。あんたの母君、第一側妃様は自害された。この命をもってお詫び申し上げるゆえ息子の助命を、と遺書にあったそうだ」


 言葉を理解するのに僅かな間を要したアスティルは、驚愕に瞳を見開いた。


「あんたがしてきたことは、そういうことなんだよ。命をもって購わなくてはならないほどの事を仕出かしてるんだよ。それを認めもせず、理解せず、客観視せず、情を持って指摘したランバート様に対して、言うに事欠いて、嫉妬ゆえの嫌がらせ、などと抜かすとはな。あんたの頭は腐ってんのか」


 自分が何をしたのか、それを理解できていないアスティルに懇切丁寧に説明してやるほど青年は優しくない。

 そもそも、すでにクレアとランバートがなけなしの情で諭した後である。結果、理解しなかったのだから誰が何をいっても無駄だ。


「殿下」


 今まで黙っていたもう一人の騎士が無感情な声音で呼び掛ける。

 相方とは違い所作は丁寧だが、声音と反対に憎悪を宿した瞳でアスティルを見つめる。


「これより、すぐに王宮を出立いたします。その際、殿下はランバート様とは別の馬車にて、我々と同乗していただきます」


「なっ、騎士風情と、使用人と同じ扱いだとっ?! ふざけているのか!!」


「ふざけておられるのは貴方でしょう。いい加減にご自分の立場を理解していただきたい。―――母君のお陰で命ながらえただけで、罪がなくなったわけではないのです。罪人が王族と同じ馬車に同乗できるわけがないでしょう。貴方に関して言えば、これは連行又は護送です」


 罪人、とはっきり断言され、信じられないと言いたげに表情を歪めて口ごもる。

 ギリッと騎士を睨み付けるアスティルは、これがまだ国としての決定ではなく、戻りさえすれば父である国王がランバート達を叱責すると思っていた。


 そんな事、あるわけがないのに。









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