第44話 密かな帰還
フォルラント王国において、学園都市セレンテイルは王都に次ぐ規模を誇っている。
フィリスとエリックが通っているのは、都市と同じ名を冠したセレンテイル魔法学院である。他に騎士学院などが存在するが、魔法学院は学園都市内でも特殊な位置づけとなっていた。
周辺国との休戦協定を結んだあと、フォルラントは他国の貴族子女をセレンテイルに通わせるように要請した。実質上の人質であったが、各国はフォルラントの神器を恐れ、有望な子女をセレンテイルに向かわせた。
「私の目に適う人間はそういないけどね」
「エスタリア殿下、今日も生徒たちを見ているのですか。何度見ても変わりはしませんよ」
エスタリア・アル・フォルラント。アシュリナの異母姉である彼女は、セレンテイル学院の学生長を務めている――男女一人ずつの学生長がいて、もう一人はエスタリアの兄であるロディマスだった。
学生長室の窓からは、学院の前庭が見える。エスタリアはしばらく窓際で眺めていたが、興味をなくしたように椅子に座った。
「やっぱりフィリスくらいね、今年の新入生で見込みがあるのは。剣も魔法も悪くないし、何より顔がいい。その辺の男にあげるのは勿体ないくらい」
「……そのようなことを、私にであってもあまり仰りませんように」
「照れてるの? 本当に能力と顔以外は退屈ね、あなたは」
青年はエスタリアに挑発されても頭を下げたままで動かない。彼は幼少の頃からエスタリアの執事として育てられた、貴族の次男だった。
「それにしても余計なことをしてくれたわね、辺境伯は。フィリスがグラスベルに帰る原因を作るようなことをして」
「王国の繁栄を考えてのことかと……辺境伯ともあろう方が、私益のために兵を動かすとは……」
エスタリアは執事を一瞥する――それだけで彼は言葉を飲み込み、再び頭を上げられなくなる。
「そういう建前が一番嫌いだと言っているでしょう」
「……申し訳ありません……ぐっ……!」
執事の青年はその場に膝を突かされ、額を床に着けさせられる。そしてエスタリアは靴を脱ぐと、その頭に足を乗せた。
「こんなに退屈だと、私もロディマスのように外に出たくなるわね。一体どこで何をしているのかしら……きっと面白いことをしているのよ、私の知らないところで」
エスタリアはそうするのが自然であるかのように青年の頭を踏みつけ続ける。抵抗しない執事の姿を見て笑っていた彼女は、急に興が失せたかのように足を外した。
「何か私を楽しませるようなことができるまで、私の前から消えていていいわよ」
「……申し訳ありません」
「謝るくらいなら、私に説教をしようなんて思わない……こと……」
言葉が途中で途切れて、執事の青年はようやく頭を上げた。エスタリアはそれに気づかず、窓を見ていたが、急に立ち上がった。
「……フィリスと、オルディナ……もう一人は一体誰……?」
エスタリアの視線の先には――帽子を被った、栗色の髪の女性の姿がある。
馬車から降りるフィリスに手を差し出し、オルディナに対しても同じことをするその姿から、エスタリアは終始目を離すことができずにいた。
◆◇◆
セレンテイル魔法学院に到着したその日は、フィリス様とオルディナ様が使っている宿舎に案内してもらって、翌日に備えて休んだ。
朝方になって瞑想修行をすると、先生とシルキアさんがなぜだか優しかった――二人ともいつも優しいけれど、それとも少し違っていた。
「弟子が学び舎に行くというのは、なかなか感慨のあるものだな」
「私はフィリス様のお付きですよ?」
「試験に通れば生徒として扱われるんだよね。それなら学生と言っていいんじゃないかな」
それは実際に行ってみないと分からない。フィリス様とオルディナ様は、確かに私が同級生になるというような体で話していたけれど――ここは敵地なのだというのは、忘れてはいけない。
「もう少し人前に出る機会があれば良かったが、まあお主ならば問題はないだろう」
「先生、『認識変容』を試すにはうってつけの場が設けられる……って言ってませんでした?」
「戦勝の宴がそれに当たると思っていたら、開催が遅れた……っていうことだと私は思ってるけど。パーティに出る主様の晴れ姿は見てみたかったなあ」
急にそんなことをしたら、無関係な人が紛れ込んだと思われてしまう。私を知らない人が『認識変容』した姿を見ても違和感を持たなければ、それで成功ではあるけれど。
そんな経緯があって、私は今フィリス様とオルディナ様、そしてエリック様と一緒に馬車の中にいる。エリック様は別の宿舎を使っているけれど、学院に行く途中で合流した。
宿舎から学院までは徒歩でも大丈夫な距離があるけれど、初めて学院に行く日くらいは、と乗っていくことになった。
私は朝から『認識変容』を使い続けている。魔力不足にならないように心界で鍛錬してきたし、もう成長した姿のままでいるのが自然になっている――凄いのは、この状態で触れられても見破られないということだ。
レイスさんは普段は姿を隠しているが、いつも見ていてくれると言っていた。情けないところは見せられないし、もう必要以上に恐れることはしない。
馬車が学院の敷地内で止まる。私は先に降りて、フィリス様とオルディナ様が降りるのをエスコートする。エリック様は大丈夫ということか、私が手を出すと照れ笑いしていた。
「……本当に貴女という人は、俺なんかの考えが及ばないところにいる人だ」
牢の中にいた頃は、自分が魔法学院に行くなんて想像は全くしていなかった。
けれど全て現実だ。そして、私にはここでやらなければいけないことがある。今、フォルラント王家が何を考えているのかを知ること――他国を脅かす考えを持つ人がいるなら、そんな状況を変えなくてはいけない。
三人が私の言葉を待っている。あくまで護衛の私が言うことではないのだけど、今だけですよ、と笑う。
「さあ、行きましょうか」
「うん」
「了解ですわ」
「行こう、ええと……『アリル』さん」
アシュリナ・リル・フォルラント。私の本名から取った偽名――けれど今の姿なら、誰も気がつくことはないと思う。
私は前を向いて歩いていく。通り過ぎる学生が次々に立ち止まっているけど、それはフィリス様たちの姿を見たからだろう。私は護衛のアリルで、目立つ理由なんて何もないのだから。
※今回までで第一部となります。
皆様のご支援のお力でここまで続けることができました、
まことにありがとうございます!
※12月3日追記
大変お時間が空いてしまいましたが、年末に第二部を始める予定です。
今しばらくお時間いただけましたら幸いです。




