第38話 戦果報告
フォートリーンの市長公邸に戻ってきた私は、療養しているミュルツァー様の許可を得て、報告をさせてもらうことになった。
「グラスベルの国境砦は無傷で、ヴァンデル伯の軍隊は撤退しました」
ありのままに事実を言う私を見て、みんな目を見開いて固まっている――ミュルツァー様はすっかり顔色が良くなっていて安心だ、と思っていると。
「……市長……アシュリナ様がおっしゃる『黒髪の魔導師』とは、一体どんな人物なのですか?」
「母上、今は良いのではないですか。そのように他人行儀になさらなくても」
「コホン……フィリス、このような場でそういうことを言うものではありません」
ファルゼナ様は娘を咎めるように見てから、いつもかけている眼鏡を外し、夫であるミュルツァー様に向き直った。
「あなたにはまだゆっくり身体を休めてほしいけれど、帰ってきてからまだ聞けていないことばかりだから、そろそろいいかしら」
「ああ、もう私の身体については問題ない。治療師には念のために休めと言われているがね」
「……良かった……あなたを守るなんて言っておいて、何もしてあげられないで……」
(夫婦にも色々な関係性があるんだ……というか、普通に貰い泣きしそうなんだけど)
ファルゼナ様は目元をハンカチで押さえてから、私の方にやってくる。目が真っ赤でこちらの胸も痛むくらいだ――そして、近くで見てもすごく若々しい。
「アシュリナ殿下には、どのような言葉でもお礼を伝えきれません。彼を助けてくれて本当にありがとう……こんなに華奢で小さな身体で、あなたは本当に勇敢に戦うと聞きました」
「お力になれたのなら、これまで稽古をしてきて良かったです。それと……私は、フィリス様と……」
「アシュリナ様とは、友人……ということでいいのだな。恩人でもあるし、簡単に表現しきれないと思っているが……」
「ありがとうございます、殿下。フィリスのことをこれからもよろしくお願いしますね」
「……俺のことを忘れてないか? って、俺は友達の兄貴でしかないか」
「ふふっ……エリック、そんなふうに拗ねているとアシュリナ様に呆れられてしまいますよ」
「私はエリック様もお友達だと思っていますけど……少し気が早かったですか?」
多少の悪戯心もあってそんなことを言ってみると、四人揃って笑っている――その中に私が加わっているというのは、身に余るほど光栄なことだ。
「では……そろそろ、戦果の報告をしてもよろしいでしょうか」
「『黒髪の魔導師』がどう戦い、何を成してくれたのか……どうか、可能な限りのことを教えてください」
◆◇◆
私は『黒髪の魔導師』から言伝を頼まれたという形で、国境での戦いについて話した。
ヴァンデル伯の軍隊は撤退したが、『黒髪の魔導師』は王族の率いる部隊に遭遇し、神器の力を目の当たりにした――もしグラスベル兵に向けて神器が使われれば、甚大な被害を出してしまっていただろう。
「……王族が率いる部隊はヴァンデル伯軍に直接加担していない。『黒髪の魔導師』の証言があったとしても、その点を糾弾するのは難しいだろう」
「ですが、交渉はできると思います。ヴァンデル伯の独断ということであれば、フォルラント王家に休戦協定を破る意図は無いと見なせる……そこでフォルラントが即刻協定を破棄するということは無いでしょう。今まではグラスベルが単独で戦っていましたが、都市同盟全体の軍が動いた今、フォルラントは正面からぶつかることは避けたいはずです」
フォルラントと都市同盟の全面戦争は回避しなければならない。だが、根本的な戦争の原因――野望を抱く人々がいる限り、火種はずっと燻ったままだ。
「つまり……元を断たねばならないということか。だが、フォルラントには神器がある」
「父上、私たちが通う学院には、フォルラントと隣接するほかの国からも生徒が来ています。彼らの中には都市同盟を良く思わない者もいますが、フォルラントの内情を知ろうと動いているのではないか……そう思える者もいます」
「……さりとて、フォルラントもそれを看過するばかりではないだろう。しかし、確かにセレンテイルの学院であれば、フォルラント中枢に近い位置ではある。学院長は王家と深い繋がりのある人物だからね」
(セレンテイル……フォルラントの学園都市。王都に隣接している場所で、各国から貴族の子女が集まるとなれば……)
「そして、学生として王族も通っている。個別指導も受けられるところを、あえて他の学生に混じって学んでいる……折を見て、接触することはできるでしょう」
「不自然な動きはしていないから、そんなに心配することはないよ。尤も、王族に近づこうっていうことは他の国の生徒の方が能動的にやっていたりもするんだ」
フィリス様とエリック様の話を聞いているだけで、学院の光景を想像してしまう――ゲームでの風景は知っているけど、改めて見たらまた違う印象になると思う。
「考えることは皆同じか……しかし、今の状況で学院に戻るのはリスクが大きい」
「あの、ミュルツァー様。もし可能であればの話なんですが……お二人と一緒に、私も行かせてもらうことはできるでしょうか」
「っ……アシュリナ様……」
私は幽閉されて実質上の処刑を受けたようなもので、それでフォルラントに戻ると言い出せば、当然驚かれる――しかし。
「アシュリナ様、正体を隠す方法はあるのですか? フォルラントには『白耀の王女』を知る者が多くいるでしょう」
「数日くらい時間が必要になりますけど、それは何とかなります」
妖剣ヒュプノスの『認識変容』――変装よりも高度な、魔法による認識の書き換え。それさえ使えるようになれば、私は別人として行動することができる。
もしヒュプノスの熟練度を上げる有効な手段がなかったら、その時は頑張って変装するしかない。
「アシュリナ様が何とかなると言うと、本当になってしまうからな」
「頼もしいことこの上ないが……しかし、どういった名目でアシュリナ様を連れていくんだ?」
「護衛というと物々しいですから、従者というのはどうでしょう」
「従者……むしろ私がアシュリナ様の従者というほうが、自然なように思えるが」
「学院では、生徒がお付きと一緒にいるのは珍しくない。ということは、何の支障もないってことだな」
「アシュリナ様がついていてくださるなら、私としても安心ではありますが……よろしいのですか、これほどに何から何まで、グラスベルのために……」
ミュルツァー様が恐縮してしまっているが、私は笑って、エリック様とフィリス様を見ながら言った。
「私もお二人の通っている学院を見てみたかったんです。本当は十歳じゃ早いですけど、生徒ということでなければ年齢も関係ありませんし」
「……私も可能であれば教師などで潜り込みたかったのですが、さすがに難しかったですね」
「母上までフォルラントに入り込むのは度を過ぎている。父上の心労もかさんでしまうしな」
「ははは……ファルゼナがそうしたいのなら止めはしないし、むしろ私も入り込みたいところだ」
二人とも結構本気で言っているようだが、辛うじて自重してくれることだろう――グラスベルの統治者であるミュルツァー様は、民に示しがつかない行動は取らない人物だ。
「では、オルディナにも話しておくとしよう。アシュリナ様が共に行くとなれば彼女も喜ぶだろう」
オルディナ様も公邸の一室に宿泊している。私はフィリス様と一緒に彼女のもとに向かった――学院に行くまでにどれだけ鍛錬の時間が取れるかと考えながら。




