第44話 「元気でね」とは言えないけれど
第07節 少女はまだ、笑えない〔5/6〕
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明けて、平成30年10月8日月曜日(体育の日)。
警察は、報道機関に向けて今回の事件を発表した。
大規模な、児童ポルノの製造・販売を行っていた組織を摘発し、その構成員の身柄を拘束するとともに、顧客名簿を押収した、と。
当然ながらこの顧客名簿。現場では暗号名で呼び合っていたものの、名簿には本名から住所地その他の個人情報が満載だった。つまり、その名簿に記載されている者は、現時点で警察の捜査の手が届いていないとしても、今後いつ令状を持った捜査官が押し入るかわからない、ということでもある。
そしてネット上に流通・拡散してしまったポルノ画像等に関しては、関係機関を通じて削除されることとなった。それに際し、その画像をアップロードしたIPアドレスを特定。更に逮捕者を出すこととなった。
同時に補導された(援助交際を行っていた)少女たちのことは、話題にも触れなかった。記者からの質問に「児童ポルノに出演していた少女たちはどうなったのか?」というものがあったが、「個人情報保護法、少年法、並びに青少年保護育成条例の観点から、申し上げることは出来ません」とのみ回答された。もっともこの件については、この質問をした記者に対し「余りにもデリカシーに欠ける」「少女たちは被害者だろう」とネットの掲示板やSNS等を通じて指弾されることになるのだが。
事件の発端となった小学校については。教育委員会への報告こそ為されたものの、報道発表等はせず。実際に児童に手を出していた事実が警察に把握された複数の教員(書類を検察に送られることになった者)は全員懲戒免職、児童ポルノの撮影等を行い〝組織〟にそれを売って小銭を稼いでいた教員は減給並びに教育委員会の研修プログラムを受講させられることに。児童ポルノを購入したり、或いは窃視等をしたりした教師たちは、やはり減給並びに戒告処分とされた。校長と教頭は監督責任を問われ、年度末を待って他校へ転勤することに。
随分軽い処分に思えるが、厳罰にするには関わっていた教師が多すぎ、児童たちの心身の保全を優先した結果、最小限の処分にしたと謂える。但し当然、事実を知る者たちの目線は厳しいが。
福島こずえちゃんの彼氏、田口やすし。児童ポルノ禁止法(製造、販売、所持)、青少年保護育成条例、そして刑法。PCに保存されていた動画データでも明らかだったが、こずえちゃん本人からの聞き取りの結果、性行為の事実が確認されたことにより、強姦(強制性交等)・致傷罪も成立した。ただこずえちゃんは、「自分たちは愛し合っている。愛し合った男女が行為をするのは当たり前のことだ」と強硬に田口を庇っていた。こずえちゃんに関する動画等の編集が始められており、遠からずこずえちゃんは田口に捨てられることになったはず。そういう事実を聞いても、それを受け入れることはなく。ただ幸か不幸か、12歳以下の児童に対する性行為は、仮令当事者間で合意があったとしても起訴出来る。あの男が、今後こずえちゃんの前に姿を見せることは、二度とないだろう。
高橋早苗ちゃんの母親。刑法(売春強要)、児童虐待防止法などの罪に問われることとなった。早苗ちゃんの身柄は一旦児童相談所に預けられ、けれど手続きが終わり次第飯塚父の知り合いを里親として監護されることになった。
その他の援助交際を行っていた少女たちは所轄警察署生活安全部の指導の下、各家庭並びに学校の処分に委ねられることとなった。飯塚翔らの学校の処分者は、軽度な処分に終わった者まで含めて男女合わせて20名を超えたという。一方で少女たちに〝援助〟していた大人たちも。行為の回数や映像記録の有無などで量刑が分かれたものの、一様に処分されることになった。中には、補導された少女の父親が、別の女子中学生に〝援助〟していた、などという度し難い家庭もあったのだとか。
報道された範囲よりはるかに大規模な、それは事件であった。けれど、その事件を解決する為に奔走した少年少女のことは、結局報じられることはなかった。
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
その日。父さんの知り合いの夫婦が、児童相談所職員と飯塚家の立会いの下、さーちゃんに会いに来た。そして何言か会話を交わし、さーちゃんは彼らの許に行くことが決定した。
さーちゃん自身にとっては、この町から離れ、この町であったことを忘れて前を向いて歩いていくことは、多分善い事なんだろう。けれどその人たちの住んでいるところは、近畿地方某県。これを最後に、事実上会えなくなる。
「わたし、わすれないよ。」
さーちゃんはエリスに、そう言った。けど。
多分、すぐに。向こうでの生活に慣れる頃には。
こーちゃんは、変わらず自宅で暮らしている。
けど、もうエリスに笑顔を見せることはない。
「アンタの所為で、彼は、私は!」
これが、エリスに向けて放った最後の言葉だった。
◇◆◇ ◆◇◆
「どうして、なのかな?」
珍しく、エリスがしおらしく。
「エリスは、まちがったことしてないよね? さーちゃんもこーちゃんも、これで幸せになれるはずだよね? なのに、なんでだろう。すごく、つらい、よ」
……エリス。
「どうして? だって、さーちゃんもこーちゃんも、所詮、ヒトの子供のメスでしかないんだよ? エリスがあきたら、プチって潰して、次のおもちゃを探せばいい程度の相手なんだよ? なのに、なんで? なんでこんな想いをかかえなきゃいけないの?
さーちゃんと会えなくなるのが、寂しい。
こーちゃんに嫌われちゃったのが、悲しい。
なんで、こんな想いをかかえてまで、エリスはニンゲンのフリをしなきゃいけないの?」
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エリスは、泣かない。ショゴスに、「泣く」という機能ははじめから備わっていないから。涙は、ただ演出のひとつとして流れるものだから。
だから、泣いて、涙と共に、自分の悲しみを浄化する、という機能は、備わっていない。
だから、泣けないエリスを抱きしめて。そうして少しの間、その頭を撫で続けた。
そして、その後。
「さーちゃんは、多分。すぐにこっちでのことを忘れると思う。さーちゃんが普通に幸せに暮らしていく為には、その方がいいからね。だからエリスのことも、記憶から薄れていくのかもしれないね。
だけど、それはエリスのことをどうでもいい、って思っているからじゃないよ。
多分、10年か20年かして。
さーちゃんが大人になった時。
きっと、お互いが予想もしないような場所で偶然ばったり出会ってさ。
そうしたら、会わなかった10年20年なんか無かったみたいに、また楽しく笑い合えるようになるんだよ。
こーちゃんは、多分。まだまだ時間が必要なんだよ。彼女だって頭は悪くないんだから、自分が弄ばれていただけだってことに、気付いていないはずがないんだから。だけど気持ちを持って行く場所がなくって、だからそれをエリスにぶつけているんだよ。
だけど、本当はちゃんと、わかっているんだと思うよ。
多分、10年か20年かして。
こーちゃんが大人になった時。
きっと、『あの頃は悪かったわよ』って、ちょっと照れ臭そうに、エリスに向かって言うんだよ。
そうしたら、喋らなかった10年20年なんか無かったみたいに、また楽しく笑い合えるようになるんだよ」
エリス。本当はまだ三歳の、幼いエリス。
もっとたくさんの友達を作って。そして、もっと色々学んで。
それはきっと、将来のエリスの世界を彩るから。
(2,992文字:2019/11/14初稿 2020/08/31投稿予約 2020/10/30 03:00掲載予定)
・ 「個人情報保護法、少年法、並びに青少年保護育成条例の観点から、申し上げることは出来ません」。個人情報保護法は、被害者保護。少年法は、加害少年の更生。青少年保護育成条例は被害者保護と加害少年の更生の両方。つまり、加害者側の少女もいたと、暗に告げています。
・ 盗撮画像で小銭を稼いでいた教師は、教育委員会からの処分は減給並びに研修強制受講ですが、司法からの処分は起訴猶予或いは略式起訴で罰金刑。要監視対象となっています。また被害児童の保護者から民事訴訟等が提起された教師も。
一方で略式起訴(略式起訴は、容疑者がそれを認め、また量刑が罰金刑にしかならない場合に行われます。法廷戦術を駆使して減刑されることがない代わりに、第三者にほぼ知られることがないというのがメリット)だと前科が確定するからとそれを拒み通常裁判を求めた教師は、いませんでした(だからマスコミは嗅ぎ付けられなかった)。
・ 処女膜の損壊は、傷害罪に問われます。つまり、「強姦罪」だと「五年以上の有期懲役」ですが、「強姦致傷」だと「無期または六年以上の有期懲役」です。ちなみに強姦致傷の場合、掠り傷どころかキスマークを付けたという理由でさえ適用されますので、処女膜損壊はこの要件を回避出来ません。ましてや若年者、且つ複数名の被害者、となると、あとは弁護士次第ですが無期を狙えそうです。
・ さーちゃんは、里親のところに行った後で、一旦生理が止まります。事情が事情なだけに病院で検査を受けますが、「初潮を迎えたすぐの時期は、周期が乱れて当たり前」と医者に笑われます。次の生理が来るのは、二年後。普通にそれが〝初潮〟だと、周囲には思われることでしょう。そして彼女が成熟した女になった頃。「胸が小さい」という悩みに苛まれることになるのです。
・ 日本の法律体系では、「売春」は違法ではありません。「買春」並びに「売買春の仲介斡旋及び場所提供」は違法ですが。これは「買う男がいなければ売る女性はいない」という理屈です。それが正しいのか、ただのジェンダー差別なのかは不明ですが。もっとも、「買う男性」がいなくなったコロナ禍で、「売る女性」が路頭に迷った現実を考えると、あながち間違いではなかった、とも思えますが。
・ 翔がエリスを抱きしめて、慰めている時。周りの大人たちは、生温かい表情で二人を見ていました。厳密には、琴絵さんがエリスに向かって口を開こうとした時、飯塚パパがそれを身振りで制止していたんですけれど。
・ 「さよなら」を英語で〝So long.〟と表現する場合があります。これを和訳し「長いお別れ」とした作家もいますが、これは歴とした誤訳。〝so_long〟は、アラビア語のالسلام(原語は「平和」を意味し、別れの挨拶に使う)或いはユダヤ語のשלום(語源はヘブライ語の「平安」。同じく別れの挨拶に使う)の音訳です。つまり、〝So long〟を正しく和訳するのなら、「元気でね!」ってするべきでしょう。
というか今手持ちの複数の英和辞書とネット上の英和辞典を一通り見てみたら、そう解説しているモノがないというwww ちなみに英語版のWeb辞書やアメリカ版の英英辞書には、アッサラームまたはシャロームの音訳としっかり書かれています。




