第05話 戦争を知らない〝子供〟たち
第01節 飯塚家の人たち〔5/7〕
◇◆◇ 翔 ◆◇◆
「キミは、実戦経験があるのかね?」
父さんの、ソニアに向けたこの言葉。
父さんが、何を言いたいのか。何を考えているのか。どう感じているのか。
手に取るようにわかる。
わかるからこそ、腹が立った。
「はい。対人戦に限定して、単独戦闘は18回、集団戦闘は5回。
撃破数も報告致しましょうか?」
ソニアは、そんな父さんの気持ちはわからない。理解出来ない。
だからこそ、誇りを持って自身の戦歴を披露した。
「つまり、キミは――」
「――父さん、そこまで。それ以上は駄目だ」
だから、俺は父さんの言葉を遮った。
「だが、翔。向こうの世界とこちらの世界では、常識が違う。
否、日本とその他の国でもそうだ。日本では、職業軍人であっても、実戦経験者は忌避される。正直、俺としても軍人を家族に迎え入れるとなると――」
「父さん。父さんの若い頃。『戦争を知らない子供たち』って唄が流行ったって聞いたことがある。父さんは、まさにその世代だよね。
戦争の悲惨さを知らず、戦争の側面を知らず、戦争の裏に潜むモノを知らず、そして戦争の〝現実〟を知らない。
〝戦争を知らない〟父さんが、戦争を日常として生きてきた軍人に、何を言えるんだ?」
「……俺が『戦争を知らない』世代なら、お前だってそうだろう? というか、お前が父親である俺を〝子供〟呼ばわりするのか?」
「俺は、向こうの世界で。
ひとつの〝戦争〟を企画・実行したよ。
俺が始めた戦争で、彼我軍民合わせて十数万の人が、死んだよ」
それが、事実。この世界の現代戦と、あの世界の戦争は違う、なんて言い訳にもならない。どころか、ボタン一つで罪悪感もなく人を殺せる現代戦と、肉を切り骨を断ち、その血潮を浴びて自分の腕の中で生命が潰える向こうの戦争を比べるのなら、向こうの戦争の方が命の遣り取りを身近なものとして実感出来るということになる。
「翔が、戦争を?」
「ああ、そうだ。俺たちがこの世界に、この家に。父さんたちの下に帰る為に、それが必要だったから。あの世界の、十数万の無辜の市民の命より、俺たちの望みを優先した。その為に、戦争を起こした。そして戦争に勝利し、だから俺たちは今日、この家に帰る事が出来たんだ。
もしかしたら、戦争を起こさなくても、俺たちがこの世界に帰る術はあったのかもしれない。無かったのかもしれない。
けど、他に方法があったとしても、それを見つけ出す為にどれだけの時間がかかったかわからない。それを探す為に生涯を費やさなければならなかったのかもしれない。無かったのなら、生涯を費やしても無駄になる、ってことだ。
実際、あの世界には。
こっちの世界から召喚されて、けれど帰ることも出来ず、向こうの世界に骨を埋めた人の記録も見つかった。麻美叔母さんのように、生まれ転わった訳じゃなく、俺たちみたいに前触れもなくいきなり召喚された人たちだ。
その人たちに比べて、俺たちは戻れただけで幸運なんだ。その〝幸運〟の対価が、十数万の人命だったとしても。
それでも、俺は。
自分の都合で、十数万の人が死ぬことを、是とした。それは、俺の責任だ。
なあ、父さん。
俺は、悪いことをしたのかな?」
自分が。卑怯な問いを投げかけている自覚はある。父さんは、それこそ『戦争を知らない〝子供〟』だ。だから、理想論でしかない平和主義に基づく言葉を、自覚せずに漏らす。その言葉に、責任を負う必要のない立場だから。その責任に、想像力が及ばないから。
だけど、俺の問いに。もし、是でも非でも、答えたら。その〝答え〟に、意味が生まれる。責任が生じる。俺のしたことが間違っているのなら、今俺たちが家に帰れたことも間違いになるし、そうでなければ、俺の起こした戦争の結果死んだ十数万人は必要な犠牲だったということになる。
その答えに、その〝意味〟に。「平和な日本でごく平凡に生きている一市民」は、耐えられるものなのだろうか?
「……」
案の定、父さんは、答えを持たない。
けど、その時点で。父さんは、この話題を口にする権利はないんだ。
「小父さま。僭越ながら、譬え話を語らせてください。
こちらの世界でなら、中世程度の技術力で、鉄砲はまだない時代です。
五万の兵が、人口二十万の都市を包囲しています。城塞都市で、その防衛力は堅牢です。
都市の、防衛軍の総兵力は約二万。けれど。
その都市は、籠城戦の為、近隣の町村から食糧や物資を徴発し、結果その都市の住民以外の国民が餓死寸前にまで追い詰められています。
一方寄せ手は、その町村の住民にも食糧を提供し、傷病者を看護しています。
それを知っているから。都市の中でも、市民は暴動寸前です。長く籠城が続けば、市民はその都市の支配者たちに対して叛乱を起こすことでしょう。
この状況で。
寄せ手は、どれだけの期間で、この都市を攻略出来ると思いますか?
この戦争で、一体どれだけの人命が失われることになると思いますか?」
ソニアの、譬え話。
……って、それ、全然譬えてないから。聖都攻略戦の実状そのままだから。
「俺は、所謂戦記物の小説は、あまり読んでいない。だから、想像も出来ないというのが本音だ。
だが、その状況なら。多分かなりの時間と、多くの犠牲者が出たんじゃないのかな?」
「では、条件を一つ、付け加えます。
寄せ手の総大将。その人の名前が、『飯塚翔』だったなら?」
「……つまり、それは実際にあったこと、だと言いたいのか?」
「取り敢えず、答えてみてください」
「結果は、変わらない、と思う」
「攻囲側が、攻撃を開始してから都市の正門を突破する為に要した時間は、大体10分。
都市が無条件降伏するまでに要した時間は、おおよそ5時間。
戦争犯罪人として処刑された人を除いて、その戦闘で生じた死者は、2名。両者はともに、生存していたとしてもその後の戦争裁判で有罪になることが確定していた人たちです。その他怪我人は、なし。
それが、結果です」
こうして状況を整理されると、凄まじい成果だな。もっとも、俺が何かした結果じゃないけれど。
「それは、つまり籠城側がほぼ無抵抗で降伏した、ということなのか?」
「そうです。
私たち軍人は、人の命を峻別します。守るべき命と、見捨てても構わない命に。
そして、守るべき命を守る為、私たちはその手を血で染めます。守りたいと思った人の命が失われることのないように。守りたいと思った人たちが、その手を血で染めなければならない状況を避ける為に。
私たちが一人殺すことで、百人の命が救われる。そう、信じて。
翔さまは。
私たちの理想を、結果にして見せました。
確かに、十数万の人が死んだのかもしれません。けど。
そのおかげで、数百万の人が、救われた。誰もが、そう信じられる結果を示したんです」
「たられば」を語るつもりはないから、ソニアの言葉を鵜呑みには出来ない。
だけど、俺は。自分のしたことを、後悔するつもりもない。
(2,775文字:2019/08/13初稿 2020/03/31投稿予約 2020/05/15 03:00掲載予定)
【注:『戦争を知らない子供たち』(作詞:北山修、作曲:杉田次郎、唄:ジローズ、1970)は、飯塚父より更に一回り上の世代です】
・ ソニアの対人戦の戦績は、軍務に於けるそれです。冒険者時代の戦闘(盗賊退治等。並びに銅札への昇格試験)は含まれておらず、一方ア=エトたちと合流後の戦闘は含んでいます。




