第07話 営業圧力
第01節 新学期〔7/8〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
「正直言って。うちは、貴方がたのことを、全面的に守ることは出来ません。
貴方がたが、独立した企業である以上、貴方がたは自由に取引先を選ぶ権利があり、そして同様に自分の会社を自分で守る義務があるからです。
今、貴方がたの企業の経営を考えるのなら。京都呉服商組合の意向に従い、『みなミナ工房』との取引を打ち切るのが、最善ということがわかるでしょう。
そして、貴方がたがその判断をすることを、私は拒むことが出来ません」
『みなミナ工房』と取引のある、反物商や染料商。彼らを一堂に集めて、話し合いの場を持った。彼らは京都呉服商組合からの圧力を受け、『みなミナ工房』との取引を考える、と言って来たから。
実は、『みなミナ工房』にとって。反物商などから材料を仕入れる必要は、ないの。蚕の繭から糸を繰り出しても、美奈の伎倆と『倉庫』の能力から考えれば、時間的ロスはほとんどない。そして、正直反物を仕入れるよりも、高品質な商品を作れる。
では、何が問題か? それは、そもそもの産業振興の問題。『みなミナ工房』だけで完結してしまっては、織物産業レベルでモノを見た場合、むしろ萎縮傾向になってしまうから。出来る限り、それぞれの専門家に仕事を割り振ることで、業界全体の活性化を考えなきゃならないの。
でも逆に。『みなミナ工房』単独で完結させられる。それは、こういう交渉時には有利な手札になる。実際、銀渓苑の仲居服は、デザインよりなにより、染料が重要な意味を持っている。撥水性と吸水性を併せ持つ生地なんて、生地の素材レベルじゃ対応し切れないから。そしてこの染料に関しては、『みなミナ工房』で特許を取ることにしている。
実際、魔法素材のダウングレードで、天然素材だけで同様の効果を生み出せることを知った時、吃驚したものだから。裏面から吸い上げた水分は表面に排出し、表面では水分を撥く。また裏面からの吸水力も、無制限に水分を吸い上げるのではなく、一定量の保水をし、その上限を超えた水分を生地の表面から排出する。
この、水分子の一方向性。その誘導性は、生地の染料に留まらず、高分子工学の分野で多くの応用性があると注目されるだろうというのが、武田くんの見込み。
そして「オーバークォリティ問題」も、そもそも『みなミナ工房』が何年事業を継続するかもわからない現状では、考える意味がない。もし美奈がショウくんと一緒に向こうの世界で生きることになったら、その後の地球で『みなミナ工房』が無くなるならその影響を、と謂われても知ったこっちゃないし。
閑話休題。
要するに、美奈の側には一切の譲歩の必要がなく、もし業者さんたちが『みなミナ工房』との取引を打ち切るというのであれば、美奈は自前でそれに対応するか、それとも代わる業者を探し出すかすればいいのだから。
「我々は、水無月さんとの取引を切りたい訳ではありません。
けれど、他の取引を考えると、組合との関係を軽視することは出来ず――」
うん、何をグダグダ言ってるんだか。
「あのね。貴方がたの選択肢は、美奈との取引を継続するか、打ち切るか。二つに一つなんだよ?
継続するのなら、取引条件とかの話に移行するけど、逆に『条件が悪ければ継続しない』というのであれば、遠慮なく現時点で打ち切ってくれて構わないんだから」
そう、その〝条件〟は、取引継続か打ち切りかの判断には、何ら寄与しないの。当然先方は、この状況を利用して少しでも自社有利な取引を、と考えるのかもしれないけれど、美奈にとっては「条件を付けるくらいなら打ち切ってくれて構わない」というのが基本スタンスだから。
日本の織物文化、という観点でモノを考えるのなら、組合の意向に従った方が絶対にいい結果になるんだから。
「し、しかし! うちとの取引を打ち切られたら、水無月さんの方が困るのではありませんか?」
そう言ったのは、染料屋さん。美奈の好きな色、それに近い色の染料を、安く大量に供給してくれるから、結構贔屓にしていたの。でも。
「勘違いがあるようですけど、『みなミナ工房』の規模なら、うちで使う染料は全て自前で賄えますよ? お宅から仕入れていたのは、その他の事情を勘案すると、それが最善だと思ったからです。そしてうちには、余所には無い染料のレシピもあります。
もし御社がうちとの取引を打ち切るというのであれば、うちは自前で染めるか、或いは他の業者にうちのオリジナルレシピを委ねて作ってもらうか、ということになるだけです」
糸を繰り出すことから始められる。これが、水無月の優位性。
生産効率の問題と産業振興の側面から、他の業者に仕事を割り振っているけれど、水無月の織物は全て内部で完結出来るんだから。そして、その「生産効率」の問題は、『倉庫』の能力で克服出来る。なら、本来。外部に委託する業務は、ほとんどなくなるの。
勿論、着物の染織図案の原画を描く絵師さんなんかは、やっぱり外注せざるを得ない。色無垢(単色染め)ならともかく、柄物ともなると、どうしても芸術的センスがモノを言うから。だけどそのクラスになると、組合も圧力を掛けられなくなるから、そっちの問題は無くなるの。しかも、その他に掛かる予算を自前で行うことで圧縮出来れば、テキスタイルを設計する職人さんに対する報酬は色を付けられるから、結果的に囲い込みも出来る。
この、染料屋さんは、美奈に取引面で妥協してほしかったのか。そんなことはない。
染料屋さんは、『みなミナ工房』との取引も、組合傘下の企業との取引も、両方保全しようと思っていた。つまり、美奈に組合に対して頭を下げろ、っていうのが、この染料屋社長さんの本意。だけど、美奈にとってはそれを受け入れることは出来ないし、そもそも染料屋さんの利益の為にうちが損害を被るつもりもない。つまり。
「わかりました。ではお宅との取引は、今日を限りとさせていただきます。買掛の支払いは、本来翌月末ですけど、週明けには全額振り込むことをお約束します」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「申し訳ありませんが、この件は妥協の余地もなく、交渉の余地もないんです。
大丈夫です。お宅に代わる染料屋さんは、もう見つけてありますから。まだ零細で、こちらから技術指導なんかも必要になりますし、場合によっては資金援助も求められるでしょうけれど、潜在能力はあると確信しています。すぐに、世間に知られる染料屋になるでしょうね」
この、あっさりとした、けれど問答無用の取引停止宣言。
これは、他の業者に対しても、立場の優劣を知らしめる効果を生んでいるの。
ここにいる業者さんは、琴絵お義母さんの紹介で、水無月呉服店時代から縁のある職人さんたち。だけど同時に、旧水無月呉服店の専務で現京都呉服商組合の組合長である、沢渡さんの圧力に屈しようとしていた人たち。
なら、この人たちを全員、この場で切ってしまっても。当然相応に手間が増える。新しい染料屋さんのように、技術指導や資金援助から始めなきゃならない部分もあるだろうし。でも、逆を言えば、その程度でクリア出来る問題なんだから。
最終的には。この染料屋さんをスケープゴートにしたかのように、残りの業者さんは『みなミナ工房』との取引を継続する意向を示してくれました。
(2,942文字:2019/09/23初稿 2020/06/30投稿予約 2020/08/17 03:00掲載 2020/08/17表現修正 2020/08/18衍字修正 2024/01/15誤字修正)
・ 『水無月の優位性』は。技術を持つ零細企業特有のモノです。言い換えれば、「社長が24時間働けば、外注委託する必要がない」。結果、自分で作るよりも品質は落ちるけど、安定生産を見込んで外部に製造を委託するのです。けれどその〝社長〟が、24時間一瞬の(外界での)休息も必要とせず製品を作れるとなると。
・ 一軒の養蚕農家が生産出来る絹糸は、一年間でおおよそ着物一着分。そしてオールシルクの織物職人は、一年間に一着から二着しか作ることが出来ません(だからこそ一着当たりの金額が千万円のオーダーになるのですが)。だからこそ『みなミナ工房』の着物は。廉価版(500万円以下クラス)は反物を仕入れて仕立てます。
・ オールシルクの着物一着を数日で完成させたら、原料の絹糸の供給が間に合いません。この問題を解決する為には「この作品はフィクションです」で逃げる他、〝森〟や『倉庫』での自家養蚕を要求されることになります。……性質は、通常の絹糸と変わらずに済むのでしょうか?
・ みなミナ工房開発の新染料。〔ウォーター・コントロール〕の魔法を魔石化し、魔道具化し、更に魔法素材化した後に、魔法素材を天然素材で置き換えるという方法で発見しました。ちなみにその染料は、化学染料を使っていない完全天然素材。そしてこれは、発見されていないだけで、魔素或いはそれに類似する物質が地球にも存在する証明にもなる?
・ 言うまでもありませんが、新素材染料は、銀渓苑の仲居服の開発の過程で生まれたモノです。
・ 新しく発掘する染料屋さんに対する技術指導は、飯塚琴絵さんにお願いしています。新染料は特許取得後、某大企業とライセンス契約をする予定。需要が多過ぎて零細工房では対処し切れないので。なお、今回取引を切られた染料屋さんは、「取引を継続する代わりに、オリジナルレシピを提供しろ(それどころかこちらで特許を申請させろ)」という方向で交渉しようとしていた模様。欲の皮が突っ張ると、碌なことになりません。
・ 当然のことながら、琴絵さんの紹介した業者の全てが、今回の会合に参加した訳ではありません。その必要なく、沢渡組合長の意向に左右されることなく、みなミナ工房との取引を継続することを選択した業者も少なくないので。
・ みなミナ工房では、この後。「黄八丈」や「阿波藍型染」「山形紅染」などにも着手します。原料を栽培する〝森〟を自前で持ち、加工する時間を短縮出来る工房ならではの、文化収奪(笑)です。但し染料の原料が魔法草化しかねないのが、難点かも。




