第45話 施餓鬼の送り火
第08節 夏の終わり〔3/3〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
平成30年8月21日火曜日。
結局、ボクの実家がある街に辿り着けたのは、昨日の夜9時近くなってしまいました。遅くなったことを両親に心配かけたと叱られて。
そしてついでとばかりに雫のことを紹介しましたら、「こんな育ちの良いお嬢さんを捕まえるなんて、お前は一体どんな弱みを握ったんだ?」って。いや、まぁ、普通だったら雫とお付き合い出来るなんて、絶対にありえないだろうから、そう思われても仕方がないのかもしれませんけど。でもボクの両親がそれを言うのか(涙)。
そして夜が明けて。実は今日は、うちの菩提寺で「施餓鬼会」という法要があります。今年は参加しないで構わない、と言われていましたけど、スケジュールが合ったので、参加することに。
そして、うちの寺の住職は、宗派の布教僧としての資格も持っていて、その為日本全国の企業さんの新人研修などで講師に呼ばれている方で、ボクの〝爺さん〟が師と仰いでいたお方でもあります。つまり、「ドレイク王アドルフ陛下の師」。住職は〝爺さん〟より年下でしたが、〝爺さん〟は住職に惚れ込み自身の墓をこの寺で買い、そしてその縁でうちの父と知り合ったのでした。
そんな話を皆にすると、是非住職の法話を聞かせてほしい、と言ってくれました。本来、檀家・檀信徒相手の法要に、それ以外の人が参加するのはマナー違反。だけど住職は、快く承諾してくれたんです。「抹香臭い坊主の説教を聞きたがる高校生なんて珍しい」と自虐を交えて。
施餓鬼会。「餓鬼に施す法要」、と書きます。
餓鬼とは、仏教の六道思想の第五位の位置にある、三悪趣(三悪道)のひとつ、餓鬼界(仏の智慧を理解することが出来なかった者が死後に落ちる場所)に住まうモノの姿だと謂われています。餓鬼たちは、吐息の代わりに炎を噴き、手にする食料も水も全て焼き尽くしてしまうので、常に飢えていると謂われています。
だから施餓鬼会とは、この餓鬼たちに水を与え、食料を与え、そして智慧を与え、彼らを救う。転じて、自分の祖先と、自分に縁のあった故人、そして縁のなかった故人のことも、一緒に供養しようという行事なんです。
ちなみに、悪童のことを「ガキ」と呼ぶのは「餓鬼」が語源だ、と三省堂の大辞林第三版にさえ書かれているみたいですが、実はこれは間違い。「ガキ」の語源は「茨垣」つまり鉄条網。触るモノ皆傷付ける、分別の知らない子供の振る舞いが茨垣と同じだと、そんな悪童に対して「バラガキ」と呼んだのが語源です。
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住職の法話は。お寺の僧侶の話としては奇妙な、世俗の話でした。それは、住職の友人である布教僧の幼馴染ともいうべき、年長の女性が亡くなった、と。
その布教僧が若い頃、布教僧の資格を取ったすぐ後。その僧の故郷で、相談を受けたのだそうです。その女性は結婚をして、子供もいたのですが、その女性の夫が、どうやら浮気をしているらしい、と。このことを周りの人に相談すると、誰も彼も離婚を勧める、と。でも、だけど、だって。
そんな相談を。まだ二十代の、それも新婚であった僧に、持ち掛けられたのだそうです。
その布教僧は。女性に、泣いて謝罪したといいます。
「自分は布教僧なんて肩書を得て、偉そうに仏法の道を説教する立場だけど。人生のこと、夫婦のことについてはほとんど何も知らない、何処にでもいる若造に過ぎないんだ。だから、偉そうにああした方がいい、こうした方がいいなんて、とてもじゃないけどアドバイス出来ない。
でもね。仏教ではね。『因果』って言葉を教えるんだよ。どんな結果も、そこに至る何らかの原因があった、って。旦那さんが浮気したというのなら、そうするきっかけ、原因がどこかにあったんだ、って。それは、姉さん夫婦だけが知っていることじゃないのかい」って。
そのご夫婦は、結局離婚することはなく。数年前に旦那が先立ち、そして今年、女性が旅立った、と。
原因と結果、と言っても、何が原因で何が結果か、ってことでさえ、あとにならないとわかりません。そのご夫婦の話だって、旦那が浮気するに至った原因、その原因である状況に至る原因、その更に原因。と、縁を辿れば何が元凶かなんて結局わからないでしょう。逆に、旦那が浮気をして、離婚寸前まで関係が破綻しかけてそれを克服したことが、その後の数十年の夫婦生活を確乎たるものにしたのかもしれません。
ボクらの関係も。これから形作っていくものです。あの、異世界での三年間が、それにどう作用するのか。戻ってから今までの数ヶ月、そしてこれからの時間。ボクらの関係が、どう変わっていくのかも、わかりません。それこそ全て、始まったばかりなんですから。
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法話が終わって、近隣のお寺の和尚様がたが本堂にやってきて、お経を唱和されます。
そして檀信徒各家先祖代々の霊を供養して、それから檀家衆での食事会。このお寺では、檀家の当番が寺の厨房で調理して参加者に供してくれるんです。いくら田舎の寺だからと言っても、100人からの檀家が一堂に会して食事をする(それも仕出し弁当ではなく)というのは、ちょっと珍しいのではないでしょうか。
食事会が終わると、卒塔婆を持ってお墓に。うちの先祖の墓も参りますけど、今回はその隣の墓。
そう、〝爺さん〟、ドレイク王アドルフ陛下の前世である、その人の墓です。
仏教の輪廻転生とは違います。けど、〝爺さん〟は向こうの世界で生まれ転わっていますから。その意味では、この墓に塔婆を差し、花を捧げ、線香を上げる意味は、ないのかもしれません。だけど、この世界で生きた〝爺さん〟、そして向こうの世界で生きる〝ドレイク王アドルフ陛下〟。それを繋ぐ〝縁〟の、確かな形代。それが、この墓なのです。
生きていたころの〝爺さん〟を悼み、そして向こうの世界の陛下に思いを馳せる場所としては、だから、ここが一番。
いつの間にか、隣でエリスも手を合わせています。エリスはそもそも人間じゃないから、人間の心の動きと同じものを持っているのかという疑問もありますけど。でも、自分の父親の前世の墓を参るというのは、どんな気持ちなんでしょうか。
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墓参りが終わってから、ボクらは学校のある町に戻ります。距離は100km超。最後のツーリング・リーダーは、雫。
最終日は、だからちょっとしんみりした雰囲気になりました。
それも含めて、今回の夏の旅行が終わりを告げます。
最後は、柏木家で是非にと誘われ、そこで食事を饗されました。それぞれが、大人たちを代表した柏木の御両親に、多くの思い出話を語って聞かせ。
そして、次の季節を迎えるんです。
(2,684文字:第一章完結:2019/09/18初稿 2020/06/30投稿予約 2020/08/03 03:00掲載予定)
【注:今回の武田雄二くんの菩提寺の御住職の法話の内容は、千葉県香取市妙性寺住職、臨済宗妙心寺派布教僧であらせられる、高橋宗寛和尚の、平成三十年8月21日の施餓鬼会法要の法話の内容をそのまま原典としております。人間関係など、一部脚色していますけど】
・ 施餓鬼は、宗派・個別の寺社により、檀信徒オンリーで執り行われるところから、地域または観光客等外部の人にも開放して行われるところまで、様々です。興味がおありでしたら、直接寺社に問い合わせることをお勧めします。
・ 「バラガキ」は、武蔵国多摩郡の方言。「燃えよ剣」等で若き日の土方歳三がそう呼ばれたというエピソードから、試衛館時代の土方歳三個人を指す言葉と思っている人が多いようです。
「茨垣」⇒「バラガキ」⇒「バカガキ」⇒「莫迦ガキ」⇒「ガキ」。おそらくこれが、「ガキ」の由来。




