第42話 亡き娘に贈る仏花
第07節 泪の雫を、呑み干して〔4/4〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
「えっと、なんか、すみません。」
日本酒の醸造所は、酵母菌や麹菌、乳酸菌などを扱う関係上、雑菌はご法度です。食卓に納豆が上がることさえあり得ないくらい、除菌を徹底しています。
実は、魔素もまた〝菌〟の一種、という考え方も出来るのです。その辺の問題があるから、雫のご両親を向こうの世界に連れて行く、或いはブレスレットをお二人に渡す、という選択肢は、かなり初期に却下されているのですから。ちなみに雫の場合は、もう手遅れということで、諦めています。雫が将来作る清酒が、その影響でどうなるかは、その時に考えよう、と。
閑話休題。
一方で、動物は雑菌の塊。ましてや異世界産の魔獣ともなれば、魔素のみならず、この世界に存在しない菌を含めどんな菌を纏っているのか、想像もつきません。
その、魔豹に。全身を舐められ、甘噛みされ、その身体を擦り付けられ、全力で親愛の情を表現された、小父さんは。
情けない顔をして、こっちを見ていました。
ちなみに、清酒の醸造所は、夏はオフシーズンです。
清酒を作る過程に発酵のプロセスがあるのですが、その発酵熱を逃がすのには、寒い冬が適しているんです。夏の暑い時期には発酵熱が逃げず、そのまま腐敗を始めてしまうんです。大資本大規模醸造所のように、高出力冷却施設があるのならともかく。
でもそれは、さすがに雑菌塗れの魔豹を嗾けた、その言い訳にはならないでしょう。
「雄二。謝る必要はないぞ。魔法使いが〔召喚魔法〕を使って、眷属の魔獣に戦わせる。ごく普通のことだ。そして父さんは、魔法使いである雄二に戦いを挑んだんだから、この結果は必然だろう。
それとも、父さん。改めて仕切り直すか? 魔法使いである雄二に、魔法の使用を禁止して、父さんが得意の薙刀で、父さん有利のルールで、改めて雄二と戦うか?
それで、雄二に勝って。父さんは、一体何を誇るんだ?
そんな勝負が成立するのなら。雄二は父さん相手に、チェスか将棋で挑戦するだろうな。勝てばあたしとの交際を認めろ、って言って」
「……そういう、ことだな。俺が選んだ、雫の相手。それと、雄二くん、キミを比べる時。俺は、彼らの能力を前提に、キミを評価しようとしていた。
だけど昨日、キミは『自分が何を出来るのか』を、結局口にしなかった」
「はい。例えば、『ボクは魔法を使えます』と言っても。この世界で、雫と共に生きることになれば、いずれはその魔法も使えなくなるかもしれません。なら、それに意味はないでしょう。
ボクは、学校の成績には聊か自信があります。けれど、それさえ学校という、閉じた社会の中でのみ通用する評価です。
ボクが誇れるもの。それを列挙することは簡単ですが、それは逆に、『それ以外に寄る辺がない』という敗北宣言に他ならない、と思ったんです。
……小父さんの、揚げ足を取るような答え方をしたこと、申し訳なく思います」
「否、いい。
それよりも、飲むぞ。またあの酒を出せ」
「ちょ、お父さん。朝からあんな度数の高い酒を――」
「五月蠅い。今はあれを心行くまで堪能したい気分なんだ」
「えっと、お気に召したのでしたら、樽で用意出来ますが」
「莫迦者。あんな不味い酒を、樽で置いてどうしろって言うんだ。
雄二。お前が、持ってこい。夏と冬に、二本ずつ。毎年だ。
そもそも、酒蔵の娘のところに婿に来ようって男が、あんなにアルコールに弱いんじゃ、話にならん。まずは酒の飲み方を教えてやる」
「は、はい!」
どうやら、なし崩し的に認めてもらえたようです。
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
まったく。
朝っぱらから酒宴を始める男どもに、ちょっと呆れて。
嘘。父さんと雄二が和気藹々と、泪姉さんの作ったお酒を呑んでいる。それは、あたしにとって夢のような、光景だ。
「幸せの、情景ね?」
と、母さんも。
『泪の雫』を持ってくる、ということは。泪姉さんの死を確定させることに他ならない。父さんと、母さんにとっては、一縷の希望を打ち砕く行いだったのかもしれない。けれど。
「泪が、この情景を望んでいないはずがないわ。この情景を喜ばないはずがない。
泪がこの場にいたら、間違いなく雄二くんの味方になってくれたはず。そして、家族全員で、泪の作ったお酒を囲んで、笑い合うんだもの。
……今年の、お盆。雫を、呼ばなかったでしょう?
雫を呼んで、泪の死を実感したくなかった、っていうのが、本音なの。
だけど、今思えば。呼ばなくって、正解だわ。だって、空っぽのお墓に捧げる花束より、お父さんと雄二くんが楽しそうに『泪の雫』を酌み交わす光景の方が、よっぽど素敵なお花だもの。これ以上の仏花なんか、どこの花屋でも売ってないわ」
母さんの言葉で。あたしも、涙を堪えきれなくなってきた。
「雫。これをあの二人に持って行ってあげて。そして、一緒に飲んでいなさい。
他の肴は、あとからゆっくり持って行くから」
と、昨日から煮込んでいたらしい、(泪姉さんが好きだった)芋煮の小鉢を押し付けられて、あたしも厨房から追い出された。
「父さん、雄二! 二人だけで盛り上がるなんて、ズルいぞ」
だから、あたしも一緒になって、飲むんだ。
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
「え~っと、どうしたらいいでしょうか、この飲んだくれどもは?」
昨日は、結局武田くんは宿に戻ってこなかったの。
そして美奈は、おシズさんをモデルにした件で小父さまに謝罪しなきゃいけないから、午前の早い時間に松村酒造をお邪魔したら。
おシズさんと、武田くんと、おシズさんのお父さんが顔を真っ赤にして宴会をしていたの。って、平成日本では、未成年の飲酒は法律で禁止されているんだよ?
「ごめんなさいね。えっと、貴女は『みなミナ工房』の――」
「はい。水無月美奈と申します。おシズさん、雫さんたちの級友でもあります。今、皆でツーリングがてら皆の実家巡りの旅をしているんです」
「まぁ、そうだったの。あ、もしかしたら、今日出発?」
「否。雫さんにモデルをお願いした件で、小父様にお詫びしなければなりませんから、取り敢えず今日は一日スケジュールを空けていました」
「ならよかったわ。ちょっと、難しい事情で、どうしても楽しくお酒を呑みたいって言っていたから、朝からあの状態なの」
「わかります。空けている瓶のラベルで、大体のことは。
雫さんが、一口飲んで気に入ったお酒が、ルイさんが作ったものだって知った時は、美奈たちも運命を感じましたから」
「……そう、貴女たちも」
「はい。この夏の旅行には、そういう意味も含まれているんです。
あの世界に、ルイさんがその足跡を残していたように、ここにいる柏木くんの親戚のお兄さんも、向こうの世界で足跡を残していましたから。そして美奈やショウくんの親戚のお姉さんも。
それは偶然じゃなく、〝縁〟に導かれて、それを辿る為に。美奈たちは向こうの世界に呼ばれたんじゃないかって言っていた人もいます。なら、その事を家族に告げるのは、美奈たちの義務ですから」
「なら、貴女たちがこの夏に、この家に来てくれたことを、感謝しないといけないわね」
(2,839文字:2019/09/11初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/28 03:00掲載予定)
・ 武田雄二くんは、チェスも将棋もコマの動かし方を知っている程度です。




