第41話 父に献じる一滴《ひとしずく》
第07節 泪の雫を、呑み干して〔3/4〕
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
「父さん。雄二が言った言葉は、本当だ。
あたしには、今、無性に作りたい酒がある。負けたくない。そう思える酒がある。
その酒を超える酒を、自分の手で作りたい。それが、今のあたしの、夢なんだ」
「それが、雫の、夢――」
先程までの。「娘が連れてきた彼氏と向き合う父親」としての熱が、一気に冷めてしまったような雰囲気です。
今まで想像もしていなかった、雫の夢。それが実は、正しく自分の夢を継ぐモノだと知って、お父様はどう感じているのでしょう?
でも。今なら。
「小父様。実は、小父さんに是非飲んでいただきたい、酒があるんです。
小父さんは、洋酒、それも蒸留酒はあまり好まないと雫に伺いました。
けれど、この酒だけは、是非。ほんの一口で構いません。一滴でも良いです。
是非、口にしていただきたいのです」
「……一体どこの酒屋が、未成年に酒を売ったというのだね?」
「ある蒸留所から、直接仕入れてきました。けど、この酒の蘊蓄は後に回して。さぁ」
女性(雫のお母様)が、気を利かせてグラスを持ってきてくださいました。広口のグラスを、人数分。それに造りの大きな氷を入れて。
小父さんのグラスには、六分目まで。ボク自身は、あまりアルコールに強い体質とは言えませんから、形だけ。そして雫のグラスには、なみなみと。
「ウィスキー、か」
そう、独り言ちていらっしゃいます。それが希望的観測でないのなら、理想のウィスキーを造りたいと言って海を渡り、行方不明になった、松村家の長女のことを思い出しているのでしょう。
そうして、一口。
「フム、あまり上質な酒とは言えないな。雑味が多過ぎる。蒸留も不十分だ。
一瓶1,000円の、スーパーで売っているウィスキーでも、これより上品な味になる。
……こんな、安物のウィスキーを飲ませて。キミは一体、何を語りたいのだね?」
「何も。ボクの口から語る言葉は、何もありません。
ただ、お見せするだけです」
そうして、袋に包まれた、その酒のラベルを、お父様にお見せしました。
そう、異世界ブッシュミルズ村で入手した、泪の雫のラベルを。
「しず……く――?」
漢字で書かれた、「雫」の文字。その下に英語で書かれた、〝Dedicated to My Dear Little Sister.〟という言葉。それの意味するところ。
「父さんは、信じられないかもしれないけれど。あたしは、雄二や他の仲間たちと。ある世界を旅したんだ。
そこで立ち寄ったある蒸留所。これは、そこで作られた酒なんだ。
その蒸留所に伝わるエピソードによれば、その蒸留所がある村。その村を拓いた女性が、生涯追い求めていた酒があったのだとか。けれど、その女性の一生の内で、その女性が満足出来る酒は完成せず。その酒の開発は、その女性の子供、孫、そして曾孫へと受け継がれていったんだって。で、結局その曾孫、四代目が、納得のいく酒が出来た、これなら初代も満足するだろう、ということで、初代が付けたがっていた銘を、その酒に付けたんだって。
その酒の銘は、『泪の雫』。その村の始祖、ルイさんが追い求めていた、酒なんだ」
雫の言葉。それを聞いて、小父さんはもう一度、グラスに口を付けた。
「……不味い! こんな不味い酒、これまで一度も飲んだことはないわ!
な、なんだこの酒は。雑味ばかりで、乾燥が足りないから糖化が不十分で、苦味が多くて、そ、それに、塩まで入れているのか? こ、こんな酒を出してくるなんて、お前らい、一体何を考えているんだ! ホレ、何をしている! グラスが空になったぞ。すぐに注がんか!
全く、こんな不味い酒を持って来て、そんなことで俺が絆されるとでも思っているのか! 何だ、お前のグラスは全然減ってないじゃないか!」
いつの間にか、小父さんの手にあるグラスには。止めどもなく溢れた泪が零れ、多くの波紋を作っています。だけどそのことには触れず、ただただお酒の不味さを語彙豊富に貶しながら、かなりのピッチでグラスを空けていきます。それに連られて、ボクらも。
いつの間にか、そこにはお酒のつまみになる野菜スティックなどが用意されていました。そして。
「好かったら、私にも戴けるかしら?」
お母様にも、一献。
◇◆◇ 雫 ◆◇◆
「本当に、不思議なお酒。確かに、美味しいお酒とは言えないかもしれない。けれど、そうね。
多分、あの娘の想いが、籠っているのね」
「うん、そうだと思う。母さん。このお酒には、泪姉さんの、子々孫々にまで伝わる想いが込められているから。もし泪姉さんのことを、子孫たちがどうでもいい人だと思っていたら、彼らは姉さんの夢を継ぎたいとは思わなかったはずだ。どこかで途絶えていたはずなんだ。
それは、松村酒造二百年の歴史に勝るとも劣らない、姉さんの想いだ。だから、これに勝る清酒を、あたしは作りたい。松村酒造の、二百年を背負い、その上で姉さんのこの酒に負けない酒を」
「それは、かなり大変な道よ? 過去の伝統を守る。それだけだって大変なのに、その上に新たに積み重ねるものが、この百数十年分の想いに勝てるのか。二百年の歴史に潰される可能性の方が、はるかに高いくらいに。それでも、その道を行くの?」
「あたしの夢を知り、その道を支え、道が岐かれる処まで共に歩んでくれると言ってくれる男がいる。だから、大丈夫」
ふと、見ると。
既に雄二は、潰れていた。あまり強くないんだ。当然だろう。
「なんだ、だらしのない」
久しぶりに見る、楽しそうに酔った父の姿。父が酔うこと自体滅多にないのに、楽しそうに酔うのは、もっと珍しい。
「こんな軟弱な男が、雫を支えられるものなのか?」
「一応言っておくけど、あたしでは雄二に勝てないから。父さんでも、勝負にならないと思うぞ?」
「……そんなに、強いのか?」
「道場で、ルールのある戦いなら、中学生にも負けると思う。だけど、雄二なら。『あらゆる脅威から、あたしを守ってくれる』。そう、信じられる。
……もう、想像つくでしょう? 異世界の存在があるのなら、魔法の存在だって」
「魔法使い、だと?」
「うん。」
「そうか。俺は昔から、一度は魔法使いと戦ってみたかったんだ」
……あれ? なんか、逆に火を点けてしまったような気も。
◇◆◇ 雄二 ◆◇◆
ふと気が付くと。知らない部屋の、知らない布団に寝かされていました。
ちょっと考え、納得。そうか、あのまま酔い潰れてしまったんですね。
「武田くん、目が醒めましたか?」
これは、雫のお母様の声です。
「はい。昨日はご迷惑をおかけしました」
「気にしないで。お父さんも、楽しそうだったし。
だけど、良ければ楽しみついでに、もう少し付き合ってあげてほしいの」
「それは、一体?」
「道場の方に、来てほしいって。夢に見た魔法使いとの戦いだ、って、年甲斐もなくはしゃいじゃってるから」
えっと、どうしろと?
「取り敢えず、わかりました」
そして、道場に行くと。
「よくぞ来た、魔法使い・雄二くん。いざ、尋常に!」
薙刀を構えた、小父さんが。
仕方がないので、魔法でお相手します。
「わかりました。トモエ、ダリア、レイ。来なさい。
あの方は、雫のお父様です。遊んでほしいそうなので、お相手なさい」
仔魔豹たちを、召喚。チビたちは、喜んで小父さんの許に駆けていきます。
「ちょっ……」
「お父さん、その仔らの体毛は、多分鉛玉も弾くから。遠慮なく遊んであげて?」
雫も、大爆笑しています。うん、平和な光景です。
(2,986文字:2019/09/11初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/26 03:00掲載予定)
・ 言うまでもありませんが、洋酒と清酒、蒸留酒と醸造酒。比較出来るものではありません。だから、松村雫さんの言う「負けない酒」というのは、「そこに込められた気持ちの大きさ」に関してです。
・ ティアードロップは、混ぜ物がない分現代日本の安酒より美味いかも。
・ 雫パパ vs. 雄二。決まり手は、「モフモフ固め」。




