第36話 営業
第06節 ブレスレット〔4/6〕
◇◆◇ 美奈 ◆◇◆
「え? 美奈ちゃん、貴女がこれを縫ったの?」
双葉さんが、驚いています。
和服を縫うのは、実はちょっと知識と技術があれば、難しいことじゃないんです。けど、だからこそ。
一級品を仕立てるのは、一流の職人の仕事になります。
双葉さんは職業柄、一流に接している方でしょう。そしてだからこそ。美奈のような、〝女子高生風情〟がこれだけのものを仕立てられる。そのことを、驚いていらっしゃるのです。
「こちらの。ショウくんのお母さんである、琴絵お義母さんは、そのお父様が以前『水無月呉服店』というお店を経営なさっており、またお母様がそこの技術部長をなさっておりました。ですから、琴絵お義母さんは、その技術を継承なさっておいでです。
琴絵お義母さんは、その技術の全てを。美奈に伝承してくださったのです」
「水無月呉服店。その名前は知っているわ。過去にうちも、そこに仲居服を注文して、けどそこの専務に格が違うと断られたの。
それに、水無月呉服店の、技術を継承した女子高生。最近ニュースになっていたわね。『みなミナ工房』、だったっけ?」
「はい! 水無月ミナが主宰する、『みなミナ工房』です。宜しかったら銀渓苑の仲居服をひと揃い、うちで作ってみましょうか?」
「……うちにはそんな予算はないよ?」
「温泉宿の仲居服、となると、水濡れに強くなければなりませんよね? 当然汚れにも。そして動き易く、着脱ぎし易く。手足の動きを邪魔せずに、お客様から見て目が疲れるような派手さとは無縁で、それでいながら飽きが来るような野暮ったさとも無縁に。何より、それを着る仲居さんたちが、それを着ることを誇りに思えるような。
――確かに、安くはならないと思います。けど、見積もりと試作くらいは、それほど高額の請求をするつもりはありません。
如何でしょう? ここはひとつ、お試しで。大量注文が見込まれますから――ぢゃなく、身内価格でお値段も勉強させていただきますけれど」
「っははは! 好いね、若いのにその商売っ気。気に入った。
でもそうか、そういう事情でヒロ坊が『みなミナ工房』でモデルをしていたのか。
HPの写真も見たよ。うちのヒロ坊が、まるで大店の若旦那みたいに見えた。あんな感じで作ってもらえると、うちの格も少しは上がりそうだ」
それを聞いて、懐からタブレットを取り出します。
「それは、この写真のことですか」
「そうだ、これだ! うん、だけど――」
そう言って、双葉さんは柏木くんの方を睥睨なさいます。
「私は、服の所為でヒロ坊が格好良く見えたのか、って思ったけど。
どうやらそれだけじゃなさそうだな。私たちの知らない、この世界での三年間、か。
全く、いつの間にこんな安定感を身に纏うようになったのか」
「それは、オレが太ったって言いたいのか?」
双葉さんの言葉を聞いて、柏木くんが。でも、そういう意味じゃないんだよ?
「体格のことじゃない。雰囲気だ。何というか、大きな樹の下で午睡をしているような。急に夕立が来ても、濡れる不安がない。そんな安心感が、今のお前から漂っている」
あ、それは美奈もそう思います。ショウくんや武田くんのような、尖がった能力で不安を粉砕するっていうのとは違い、不安そのものを寄せ付けない、というような、安心感が柏木くんにはあるんです。
「……そんなもの、ねぇよ。身に着けたいとは、思っちゃいるけど」
でも、柏木くんはそれを否定します。でもそれは、美奈から見たら、言葉を否定しているというよりも、まだまだ満足していない、という意味なのでしょう。もっともっと枝を広げて、その樹に集うもっと多くの旅人たちを安心させたいという、大きな大きな想い。
美奈たちも、気付いています。地球に戻ってから、柏木くんがどこか焦っているのを。
だけど、焦る必要なんかはないんです。というか、今の柏木くんの想い、願い、それを叶える為の努力は、間違いなく正しく、王道なんですから。悩まず、否、悩みながら、その道を邁進することこそが、今の柏木くんの最善なんですから。
◇◆◇ ◆◇◆
モビレア城の、ど真ん中で。
営業を始めてしまったのは、さすがに美奈の失点。公爵閣下の目が点になっているんだよ?
だけど。
「ミナ。その技術は、広めるに足るものなのか?」
「是。それは、ただの技術に過ぎません。勿論、意匠は好みや流行があるでしょう。例えばモビレアやウィルマーで、この衣装を広めようと思っても、無理があると思います。
けれど、その前段階。織物や染物の技術は、この世界に広めても何ら問題にはならないはずです。
それが、既にあるこの世界の技術より劣っているのであれば、美奈がどれだけ頑張っても成果はないでしょう。
けれど。値段が高くついても品質が良いとか、その技術の習熟に時間がかからず且つ廉価で生地を縫えるとか、そう謂ったメリットがあれば。こちらの世界の織物産業に、食い込むことも出来ると思います」
「ミナ。其方は、それを望むか?」
「美奈たちは今、二つの世界で共にその義務を果たすことを、望んでいます。けれど、これは永劫、生涯に亘って続けられることではありません。
向こうの世界の時間で、あと6年。否、5年半。それが、タイムリミットになります。
その期間で、技術を伝承し、それがこの世界に根差し、更なる発展の礎になるのであれば。それは、意味のあることでしょう。
けれど、ただ現在の技術とは違う技術を紹介して、それで終わるのなら。むしろ、害悪になります。
ですので、領主様。現時点では、領主様の問いの答えは、保留させていただきます。
こちらの世界の時間で、あと数年。その立場と成果を以て、その問いに答えたいと思います」
その気になれば。美奈たちは、この世界で百年過ごし、その後転移した一瞬後に戻ることだって出来る。そうすると、美奈たちの寿命が許す限り、かなり長い時間を生きることも出来るんです。
現状では、概算で。美奈たちは千年近い寿命を持つことになるみたいです。「世界樹」と呼ばれる古代妖樹の影響を強く受けた森妖精より、またその上位となる迷宮主である魔王陛下の影響を受けたドレイク王国の民より、エリスの直接の加護を受けている、っていうのは、それだけ大きな意味があるのだそうです。
けど、だからと言って。「地球世界で一年過ごし、異世界で十年過ごす」なんていう生き方をすればいい、という話にはなりませんから。
このまま、両方の世界で義務を果たすか、それとも。
どちらかの世界で生きると断じるか。
この「五年半」というタイムリミットは、それを定める期間でもあるんです。
(2,658文字:2019/09/09初稿 2020/05/31投稿予約 2020/07/16 03:00掲載 2022/07/02脱字修正)
・ 地球で、ブレスレットを外し、エリスと関わらなければ。彼らもまぁ130年程度の寿命で収まるでしょう。
・ 銀渓苑は、結婚式場としても使われます。また当然ながら、白無垢和式の仏前式や神前式を希望する新婦も少なくありません。結果、銀渓苑の亭主である双葉さんは相応に和服に対する造詣が深くなっています。ちなみに和洋折衷の披露宴を考える新婦さんは、着付けにかかる時間の関係上、お色直しで着替える衣装は、和服(白無垢)⇒洋服(ドレス)という順番になるのが通例です。逆だと、列席者を長い時間待たせなければなりませんから。
・ ドレイク王国の、公衆浴場では。浴衣が普通に着用されています(湯浴着としてやバスローブ的な感覚ではなく館内着として)。またそこから派生して、室内着としての浴衣は一定の需要があります。が、ファッションとしての浴衣は、全く。その衣装を紹介した某転生者が〝文化〟として伝えるつもりがなかったことが、それで伺えます。そしてそういった「商売っ気の無さ」が、或いは実家の後継者と看做されることが無かった一つの要因かもしれません。




